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2011.01.26

【歴史、地理の自習の時間】 南海道(なんかいどう)という名の官道。

 南海道(なんかいどう)は、五畿八道の一つで、紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐の六か国をさし、その道筋(駅路、官道)をもいいます。
 七〇〇年(文武天皇四年)ごろ七道の制が定まって以降、前記六か国が管轄されるようになりました。
 ここでは、おもに道路としての南海道についてのべます。

 行政区画としての南海道には、以下の諸国が含まれます。
 紀伊国(紀州、和歌山県、三重県南部)
 淡路国(淡州、兵庫県淡路島、沼島)
 阿波国(阿州、徳島県)
 讃岐国(讃州、香川県)
 伊予国(予州、愛媛県)

 なお、五畿と他の六道は以下のとおりです。
 五畿  大和国(奈良県の旧国名)、山城国(京都府の旧国名)、摂津国(大阪府の北西部と兵庫県の東部の旧国名)、河内国(大阪府南東部の旧国名)、和泉国(大阪府南部の旧国名)。
 東海道  伊賀国、伊勢国、・志摩国、尾張国、三河国、遠江国、駿河国、甲斐国、伊豆国 ・相模国、安房国、上総国、下総国、常陸国 の十四国と、ややおくれて編入された武蔵。
 東山道  近江国、美濃国、飛騨国、信濃国、武蔵国、上野国、下野国 の七国でしたが、のちに陸奥、出羽を加え、七七一年、武蔵をのぞいて八か国となります。
 山陰道  丹波国、丹後国、但馬国、因幡国、伯耆国、出雲国、石見国、隠岐国の八か国からなります。今は京都、兵庫、鳥取、島根の一府三県。
 北陸道  今の福井、石川、富山、新潟県にあたります。
 大化の改新(六四六年)のときは若狭(わかさ)、越(こし)の二国でしたが、七世紀のころ越国が越前(えちぜん)、越中、越後に三分したので、若狭と佐渡を加えて五か国となりました。のち越前から能登(のと)、加賀を分けて七か国となりました。
 山陽道  播磨、美作、備前、備中、備後、安芸、周防、長門の八国からなります。
 平安時代の九二七年(延長五年)に完成し、九六七年(康保四年)に施行された律令の施行細目である『延喜式(えんぎしき)』は、紀伊と淡路を近国、阿波と讃岐を中国、伊予と土佐を遠国(おんごく)としています。

 律令制では、七道駅路と総称される七つの駅路(東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道)が設置されていました。
 これらの駅路は官道でした。
 七道駅路は、七世紀後半から八世紀にかけて建設され、十世紀ころまで機能していたようです(この間、宮都は、飛鳥から藤原京、平城京、長岡京、平安京などと変化しました)。
 駅路設置のことは、六四六年(大化二年)に出された改新の詔でうたわれているのが最初とされています。
 『日本書紀』によれば、六四六年(大化二年)春一月一日、賀正の礼が終わって、改新の詔が発せられました。それには、つぎの内容もありました。
 「京師(都城)を創設し、畿内の国司・郡司・関塞(せきそこ。重要なところの守塁)・斥候(うかみ)・防人(さきもり)・駅馬(はいま)・伝馬(つたわりうま)を置き、鈴契(すずしるし、駅馬・伝馬を利用する際に使用)を造り地方の土地の区画を定める。……」
 『日本書紀』は、六七二年の壬申の乱のとき、倭(やまと)古京の近江朝廷の留守役に駅鈴の交付を求めて拒否されたことを記しています。また、大海人皇子(おおあまのみこ)が吉野から東国入りの際に、名張や伊賀の駅家を焼いています。こうしたことから、すくなくとも大和の周辺では壬申の乱以前に駅制が実際に機能していたと考えられています。
 駅路の総延長はおよそ六千三百キロ。道の両脇に側溝を持つ駅路の路面幅は、奈良時代には十二メートル、平安時代には六メートルを基本としていました。しかも、三十里(=十六キロ)ごとに駅家(えきや)が置かれ、全国でおよそ四百の駅家があったといいます。
 駅路には格があり、『令集解』によれば、大路は山陽道のみ、中路は東海道と東山道、その他は小路とされました。山陽道も太宰府から先は小路とされました。
 大路の駅家には駅馬が二十匹、中路の駅家には十匹、小路(しょうろ)の駅家には五匹が置かれていたといいます。
 現実には差異があり、紀伊国二駅が各八匹、讃岐の国が各四匹とされていたといいます。
 毎年、太宰府や諸国から中央政府に派遣される朝集使は、規定した地点より先は官給の駅馬を使用してよいことになっていました。使者が駅馬を利用するには、駅鈴が交付されている必要がありました。
 『延喜式』には、各国別の駅名とそれぞれの駅の配備駅馬数、および伝馬数の配置郡名と配備伝馬数が記録されています。これによって、全国に四百二の駅があったことがわかります。
 南海道は、南海道諸国の国府と都を結ぶ官道でもあり、小路とされました。各駅には馬五疋匹を定置しました。

 南海道の当初のコースは、つぎのようなものでした。
 長岡京以前の南海道は、紀伊国内に入ると萩原駅(かつらぎ町大字萩原)、紀ノ川北岸を西進して名草駅(紀伊国府があったと推定されている和歌山市府中)へいたり、さらに西進した後、賀太駅(和歌山市加太)が置かれていました。
 延暦十三年(七九四年)に平安京に都が移ると、翌々年に南海道のルートが変更されました。
 本州では、大阪湾に沿って進み、和泉国の呼唹(おお)駅から雄の山峠(和歌山市滝畑)を越えて紀伊に入り、紀伊国府を経て賀太駅に至るルートに変更されました。
 賀太港から海路で淡路島の洲本市由良港に上陸し、その後、南あわじ市三原の淡路国府へいたります。
 淡路国府を出た後は、南あわじ市福良港から再び海路で鳴門市撫養港で四国に上陸、その後、板野町大寺の郡頭駅から讃岐、伊予、土佐方面と阿波国府方面とで分岐します。
 阿波国府方面へは、そこから南進して徳島市名東町の阿波国府へいたります。
 一方、讃岐、伊予、土佐方面へは、そこから北進し大坂峠を経て讃岐国に入り讃岐平野を横断し、坂出市の讃岐国府へいたります。
 そこからさらに西進して伊予国に入ると四国中央市妻鳥町の大岡駅で伊予国府方面と土佐国府方面とで分岐し、各国府へいたります。

 現在では、そのほか以下のとおりです。

 紀伊、淡路~四国
 1.荻原(はぎはら。和歌山県伊都郡かつらぎ町荻原)
 2.名草(なぐさ。旧名草郡内)
 3.賀太(かだ。和歌山県和歌山市加太)
 4.由良(兵庫県洲本市由良)
 5.大野(兵庫県洲本市大野)
 6.福良(兵庫県南あわじ市福良)
 7.郡頭(徳島県板野郡板野町大寺)
 讃岐、伊予、土佐へ
 1.引田(ひけた。香川県東かがわ市馬宿)
 2.松本(まつと。香川県さぬき市大川町田面)
 3.三渓(みたに。香川県高松市三谷町)
 4.河内(かわち。香川県坂出市府中町)
 5.甕井(みかい。香川県仲多度郡多度津町三井もしくは善通寺市弘田町永井)
 6.柞田(くにた。香川県観音寺市柞田町)
 7.大岡(おおおか。愛媛県四国中央市妻鳥町松木)
 阿波へ
 1.石隈(徳島県)
 伊予へ
 1.近井(愛媛県四国中央市土居町中村)
 2.新居(愛媛県新居浜市)
 3.周敷(愛媛県西条市)
 4.越智(愛媛県)
 土佐へ
 1.山背(愛媛県四国中央市新宮町馬立)   
 2.丹治川(高知県長岡郡大豊町立川)
 3.吾椅(高知県長岡郡本山町)
 4.頭駅(高知県)

 【参考】

 ○ 『古代を考える 古代道路』。木下良。吉川弘文館。一九九六年四月十日。
 ○ ウィキペディア 南海道。

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