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2011.03.16

全国各地につくられていた陸軍秘匿(ひとく)飛行場 その四 新潟県の善久、山田島飛行場(正式名称は不明)=新潟県中蒲原郡曽野村の善久、山田地区の河川敷。

 【新潟県の山田島飛行場】

 新潟県内の「新潟」にも陸軍秘匿飛行場がつくられていました。
 場所は、中蒲原郡曽野村の善久、山田地区の河川敷です。
 『黒埼町の今昔 聞き書き帳』(宮田栄門・著 五十嵐政人・編。一九九一年八月十日)の「山田島飛行場」の項につぎのような記述があります。抜き書きして紹介させていただきます。

 「昭和二十年[一九四五年]春。当時黒崎村青年学校(現黒崎中学校)には、陸軍航空隊の特攻隊米沢隊三十名が駐屯していた。
 (中略)
 彼らが黒崎に駐留してきたのは、日本の敗戦濃くなってきた十九年の秋ごろだった。」

 
 ● 「善久、山田地区に建設するので、即座に果樹などを伐採して軍に提供せよ」

 「そして昭和二十年の七月七日、米沢隊の某中尉が曽野木村の兵事係山田行治さんを伴って、楚川新町の自治会長[ママ]富岡富平さん宅を訪れた。目的は軍命令で「堤外の善久、山田地区に飛行場を建設するので、即座に果樹など(桃、いちじく、ぶどうなどがあった)を伐採して軍に提供せよ」ということであった。
 (中略)
 富岡さんたちはさっそく部落役員を集めて報告し、ただちに果樹畑の伐採をすることになった。
 軍の指定した飛行場予定地は、善久から下山田へかけての堤外の広大な農地であった。
 (中略)
 飛行場として接収された善久の農地は、約十五町歩といわれ、その六、七割は果樹園で、残りはキャベツやじゃが芋などの畑や荒れ地だった。今の新潟日報社のあたりには小さな池があって、子供達の魚釣り場だった。
 上山田地区は、約二十五町歩で果樹も若干あったが、大半は大根やジャガ芋、なすなどの畑で、サツマ芋は『土ま』でよくなかった。
 果樹園は、ちょうど桃やぶどうの袋かけも終り、袋の中の実もかなり大きくなって、後一カ月もすれば販売換金できる程に実っていた。また畑の茄子[ナス]、トマトなどの蔬菜類はもう初ナリし、人々は近々販売できると楽しみにしていた。
 また、長芋や、里芋などは、この時期に撤去すれば、来年度は種子さえなくなるということで、非常に困惑したが、私情は許されなかった。」

 ● 軍が借り上げた飛行場敷地の借地料と補償料は……。

 「軍が借り上げた飛行場敷地は善久、上山田地区の普通畑四万六千五百二十五坪で、その借地料及び補償料は次の通りである。
 借地料は一年契約で
 一、六千九百七十八円七十五銭(坪当十五銭)作物、肥料溜、家屋等の補償合計
 一、八万四千四百五十二円〇七銭
  二口合計九万一千四百三十円八十二銭」

 ● 七月八日、人々は果樹畑の伐採作業にかかった。

 「昭和二十年七月八日、朝早くから役場の人達の応援を得て、人々は果樹畑の伐採作業にかかったが、日夜丹精して立派に育った果樹である。『軍命令』とはいえ情けなく、気が重かったが涙をのんで作業に取組んだ。
 伐採後は根っ子の掘りここしが行われた。ポッカリとあいた根の穴の周囲には、三、四センチ程になった青い桃の実がたくさん散らばっていた。」
 「いよいよ飛行場の建設工事が始まった。作業用員として郡内(中蒲原郡)はもちろん、近隣市町村から『勤奉隊』(勤労奉仕)の名の下に、老人から婦女子に至[いた]るまで動員された。
 これらの人々は、その多くが越後大野駅まで電鉄沿線を貨車に乗って来ていた。当時善久、山田はまだ黒崎ではなく、曽野木村であったが、地続きの黒崎からも毎日多くの『勤奉隊』が送られていた。
 作業は、池や、根を掘り起こした穴の埋め立てから始められた。(中略)すべてが人力で、何百人もの勤参隊がモッコやしょい背篭、猫ぐるまを使って土を運んだ。重いコンクリートのローラーを何十人もの人が引っぱった。
 この作業には小学生[国民学校児童]まで動員された。『勤奉隊』の大半は戦局の苦しさを感じていたし、また『神国の不滅』を信じていた。(中略)
 その年は入梅に入ってから、連日の雨で作業は進まず、米沢隊長の躍起の監励もこの雨天続きではどうすることもできなかった。」

 ● 八月二日ごろ飛行場はほぼ完成した。

 「しかし、人々の努力によって八月二日ごろ飛行場はほぼ完成した。といっても、ただ一面、平らにならされた土の野っ原であり、飛行場敷地内には格納庫すらなかった。国道を越えた善久白川繁雄さんの裏の竹やぶのあたりに、バラック建ての格納庫が一軒つくられたようだが、それすら何機も収容できる大きなものではなかった。」
 飛行場の完成日時について、『黒崎町史 通史編 付録別編 統計・沿革・年表』(黒崎町。二〇〇〇年十一月一日)には「1945・8・3 山田・善久に陸軍飛行場ができる(工事に多くの村人が動員される)」とあります。

 ● 複葉の練習機が数機で急降下爆撃の練習をしていた。

 ある朝『バリバリッ』いう、普通飛行機の発着音と違うものすごい爆音に驚いた富岡富平さん(善久)が、急いで飛行場へ行ってみた。すると、戦闘指揮所前の飛行機の真ん中あたりに日の丸の旗が敷かれ、そこに向かって複葉の練習機が数機で急降下爆撃の練習をしているのだった。
 見ていてハラハラするくらい地面近くまで突っ込んだと思うと、エンジンを全開して急上昇する、さすがに歴戦の強者たちだったと、富岡さんは話している。」

 ● 八月八日ごろの飛行場開きで飛んだ飛行機は……。

 「八月八日ごろ飛行場開きが行われた。何も構造物のない飛行場だったが、戦闘指揮所の前あたりに机や椅子が並べられ、紅白の幕も張られていた。飛行場には陸軍機と思われる複葉(二枚バネ)の、当時赤とんぼともいわれた小さな練習機が並べられていた。たしかな機数はわからないが、十機以下だったように思われる。
 特攻隊員はりりしい特攻服に身をつつみ、緊張した面持ちで式に臨んでいた。また参列者としては、飛行場建設に参加した市町村の首長たちや、その他近隣町村から大勢の人が集まった。
 当時十九歳だった筆者も戦勢の挽回を願って強い期待と好奇心をもって出かけた。ところが、初飛行に飛んだのは、前記の複葉機(機種はわからず)と、どこかから参加して来たと思われる双葉の輸送機が一、二機くらいだったようである。
 特攻隊がいるのだから、戦闘機の一機や二機は見られると思っていたのに。
 それでも集まった人々は、自分達の頭上すれすれに爆音を立てて飛ぶ飛行機に『ワァッー』と声をあげ、自分達の手で完成した飛行場を『万歳』『万歳』と喜びあった。」

 ● 空襲警報が発令下、飛行場では……。 

 「飛行場が完成して数日後、筆者は善久の飛行場の国道を歩いていた。そのとき急に空襲警報が発令され、(敵艦載機が新潟を襲ったものと思われる)驚いて道路わきの木かげに隠れたが、見ると飛行場では特攻隊員達が大騒をしていた。
 何機かの練習機につかまり、それを押したり引いたりしながら、敵機の目につかないように必死で川端の竹やぶなどに隠そうとしているのだった。
註 当時善久の白川家付近や、川原のつるやの前あたりに、木や竹やぶがあり、そこが飛行機のよい隠し場所となっていた。
 命からがら飛行場を隠した隊員達は、その竹やぶに身を隠し、遠くに飛来する敵機をにらんでいた。敵機を迎撃しようと思っても、飛行場には戦闘機が一機もないのだから、隊員達の無念の心中が察せられた。」

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