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2011.05.04

陸軍歩兵第四十四連隊の遺跡を歩く 【3】 終戦後の歩兵第四十四連隊兵舎跡の写真です【写真i二枚、図一枚】

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 戦後の(時期は不明)の兵営跡地の写真です(『高知大学三十年史』。高知大学三十年史編集委員会。高知大学三十年史刊行委員会。一九八二年九月三十日)。北が下になっています。

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  『栴檀(せんだん)の賦(ふ) 朝倉の兵営日記』(田内瑞穂。一九八三年三月一日)に載っている陸軍歩兵第四十四連隊の兵営の略図です。北を上にしました。
 田内さんは、一九三六年一月に同連隊に入営して、翌三七年一月、満期除隊。三八年、西部第三十四部隊に入隊し、翌三九年、召集解除になっています。
 兵舎について、つぎのようにのべています。「北兵舎は東から連隊本部、第一大隊(第一、第二、第三中隊)、第二大隊(第五、第六、第七中隊)及び歩兵砲隊。南兵舎は西から第三大隊(第九、第十、第十一中隊)及び機関銃隊から成っていた。
 いずれの兵舎も舎前には、南国の栴檀の大木が兵舎を蔽(おお)うように茂っていた。」
 終戦まで、兵営に出入りしていた弘田五郎さんによると、池は建依別神社(たけよりわけじんじゃ)の一部だとのことです=この神社は、終戦後、アメリカ、イギリス、オーストラリアの進駐軍がここに入る前に日下村(くさかむら。現・日高村に遷座されました。また、医務室は、もう少し北で、医務室と書かれているあたりに上陸訓練場があったとのことです。また、東側には東小門があったといいます。
 敵前上陸のための上陸訓練場のあたりは、いまの曙町二の五の一の国立大学法人高知大学朝倉キャンパスの東側です。敵前上陸のための訓練場でした。田内さんは、ここでの訓練のことをつぎのように書いています。
 「御用船からの舟挺移乗の訓練が主であった。そのために、営庭の東隅に御用船の船腹になぞらえた高さ十メートルぐらいの櫓(やぐら)が立ち、その下に三十坪位の溜池があって小舟が浮かんでいた。
 我々は地下足袋を穿[は]いた。救命胴着を着けることもあった。櫓の上でどんな号令であったのか忘れたが、左手を逆手にして梯子(はしご)の綱を握る要領は覚えている。繰り返して訓練を受けた。」

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 『高知大学三十年史』に載っている写真です。兵舎は、戦後、高知大学の教育学部の校舎やサークル部室につかわれていました。

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