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2011.05.04

陸軍歩兵第四十四連隊の遺跡を歩く 【2】 陸軍歩兵第四十四連隊のあった所の地図

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 国土地理院の二万五千分の一の地形図の「いの」(二〇〇八年二月一日)です。

 陸軍歩兵第四十四連隊は、日清戦争(一八九四年~九五年)の後に誕生しました。一八九六年十二月一日、松山の第五師団第二十二連隊に歩兵四十四連隊の連隊本部と第一大隊が創設され、翌九七年七月三十一日に朝倉に移転しました。
 つぎのような施設がありました。
 兵営→いまは、曙町の国立大学法人高知大学の朝倉キャンバス、同大学附属養護学校と独立行政法人国立印刷局高知出張所に。
 練兵場(塹壕=ざんごう=を掘っていました。昭和に入ると飛行機の発着にも使われました)→いまは若草町になっています。
 射的場(練兵場ではできない実弾射撃の場でした。着弾の的が西の山裾にあり、発射地点は、銃器の種類、射手の練度によって前後していました。流弾防止のため現県道38号沿いと、反対の北側にも連続して高い土塁がありました。射撃訓練のないときは民間人が普通に射撃場を横断できました。土塁の間を抜けて南の街道に出ることもできました。道も川も南北に幾筋も通じていました)→いまでいえば、朝倉西町の独立行政法人国立病院機構高知病院の南の庭の南側から、西側の行宮(かりや)の端(はな)=南に突き出た小山まででした。
 作業場(作業山。塹壕を掘り、塹壕戦の訓練をやっていました)→いまは朝倉丁(あさくらてい)の高知県果樹試験場の圃場(ほじょう)に。
 毒ガス試験棟(毒ガスの中でガスマスクなどをつけた兵隊が訓練していたといいます)→いまは独立行政法人国立病院機構高知病院の一部。 
 衛戍病院(えいじゅびょういん。その後、陸軍病院に)→いまは独立行政法人国立病院機構高知病院の一部に。看護学校全域と同病院の南の庭まででした。
 陸軍墓地→朝倉丁の朝倉中学校南側の山に現存しています。

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