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2011.05.22

日本国憲法(一九四六年五月三日に公布)を国民はどう迎えたか 高知県を例に 【その六】 そのころを語る高知県の人々。

 
 夕刊を出していた高知日報社の日本国憲法についての標語を募集にしました。
 子どもだった香美市土佐山田町の岡崎桜雲さんは、「みんなの憲法 明るい日本」という標語を送りました。
 三等に入選しました。
 高知市の窪田一郎さんは、終戦の翌年、一九四六年の二月に高知市朝倉の陸軍の部隊長の息子だった中学校の級友が「(アメリカが日本に落とした)原子爆弾に勝る新兵器を発明してアメリカ、イギリスに報復する」という作文を書いた時のことを覚えています。国語の時間に教師がこの作文を読み上げ「日本の軍国主義は間違っていた。こういうことをやってはいかんのや」と平和の日本の道を説きました。
 その教師の思いが、その年十一月三日に公布された憲法の交戦権を否定した九条に実っていました。
 高知市の川村高子さんは、戦争で弟と妹を亡くしています。
 川村さんは、一九四七年五月三日、日本国憲法施行の日の出来事を鮮明に覚えています。彼女は、大杉村(いまは大豊町)の村立大杉国民学校の教師でした。
 その日の一時間目、講堂に全校児童、教員が集められました。校長がつぎのように語りました。
 「日本の国は戦争に負けて、いままでと全然変わった国の決まりができました。それは憲法というもので、それには、これからは日本は絶対に戦争はしません。平和を求めていきます。いままで兵器や軍事に使っていたお金は、これからは、みなさんの教育費や国民の暮らしに使うことにします。これから日本は戦争のない平和な国になります」

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