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2011.07.03

【エッセイ】 高知県仁井田の海軍の呉鎮守府第十一特別陸戦隊の噴進砲中隊のこと。

  高知県仁井田の海軍の呉鎮守府第十一特別陸戦隊の噴進砲中隊に噴進砲中隊がありました。
 そのことを、何冊かの本を参考に書いておきたいと思います。

 【呉鎮守府第十一特別陸戦隊】

 呉鎮守府第十一特別陸戦隊とは、どんな隊だったでしょうか。
 元は浦戸海軍航空隊でした。

 浦戸海軍航空隊は、一九四四年十一月一日、甲種飛行予科練習生の教育航空隊として開隊されました。隊司令は、別府少将でした。
 この日、松山海軍航空隊から甲種飛行予科練習生十四期の約千人が、ここに転入しました。
 同年十一月二十八日、三重海軍航空隊奈良分遣隊から甲種飛行予科練習生十五期の人たちが転入しました。
 一九四五年四月一日、甲種飛行予科練習生十六期が入隊しました。
 その後、同隊は、解隊となり、呉鎮守府第十一特別陸戦隊に編成替えされました。
 同年七月二十五日、堀内豊秋(ほりうち とよあき)大佐が、呉鎮守府第十一特別陸戦隊司令に就任しました。

 「堀内司令は着任早々、全員を浦戸航空隊の練兵場に集め、台上に立って挨拶をした。

 『私が当陸戦隊司令、堀内大佐である。私が来た以上、戦争は必ず勝つ。みんな、がんばれ』

 これだけを言った。わーっと、どよめきが津波のようにおき、一斉に拍手がおこった。」(上原光晴『落下傘隊長 堀内海軍大佐の生涯』。光和堂。一九九三年九月二十四日)。

 

 【噴進砲中隊とは……】

 野村義治(のむらよしはる)さんの『若鷲(わかわし)の歌 元 浦戸海軍航空隊 第十四分隊』(一九九〇年十二月一日。百七十八ページ)の各隊員の手記に噴進砲中隊のことが触れられています。

 噴進砲中隊は、 第十四分隊の一部の隊員たちで編成されたものでした。

 第十四分隊五班の荻野東作さんが、噴進砲中隊について書いています(『若鷲の歌 元 浦戸海軍航空隊 第十四分隊』  五十七ページ~五十八ページ)。荻野さんは、朝鮮に住んでいましたが、一九四四年六月一日、甲種飛行予科練習生として愛媛県の松山海軍航空隊に入隊、同年十一月、浦戸海軍航空隊に移っています。
 「陸戦隊編成になって、特攻隊を志願した者は訓練地へ向かった。私は噴進砲隊に編入され、班長は野村義治班長だった。(中略)居住区が医務室のある建物の南側の横穴に変更され、横の空地に陣地を作った。
 噴進砲の発射装置は木製の滑り台で、これを四十五度の角度に据(す)えつけ、砲弾を載せて、砲の横から紐(ひも)を牽(ひ)き、打ち針を作動して発射するものであった。噴進砲弾は、艦砲の二十センチの砲弾に噴進用の炸薬が取りつけられたもので、長さは約一メートル、重さは約百キログラム、射程は千メートルだったと記憶している。我々の装備は、この砲弾が四発だけだった。撃つ順番を決めたが、これは戦死する順番でもある。発射の熱で発射装置が燃えるおそれがあるから、水で消火せよと教えられた。海岸で試射を見たが、物凄(ものすご)い轟音と真っ赤な火花を吹いて、土佐の沖へと飛んでいった。その操作訓練を野村班長の指揮で実施した。井上らの身体の大きい者が二人で弾を架台に載せるのを、身体の小さい者は見ていた。
 野村班長は、
 『米軍の攻撃は激しいから、一発発射できればよい』
 と言われた。私たちは、その一発のために、夏の炎天下で訓練に励んだ。」

 「発射装置は木製の滑り台」という記述には驚きました。

 松山海軍航空隊から来た第十四分隊三班の小林梅男さんも噴射砲中隊にいたと書いています。(『若鷲の歌 元 浦戸海軍航空隊 第十四分隊』 六十三ページ)

 【第六班は指揮小隊に……】

 第十四分隊六班の岡田豊さんが、噴進砲中隊の指揮小隊のことを書いています(『若鷲の歌 元 浦戸海軍航空隊 第十四分隊』  百十八ページ~百二十ページ)。
 「十四分隊は噴進砲中隊で、我々第六班は指揮小隊となり小隊長は加藤[冨貴造]分隊士で、田島教員が小隊長付と記憶している。
 六月には、各班から数名の特攻要員が指名され、三重空へ転隊。また、松根油(しょうこんゆ)採取のため離隊者が出て、残った者は約半数となった。
 指揮小隊十二名で、兵舎の廃材を大平山に運び、山小屋を設置。兵舎を離れ、山小屋生活が始まった。六名ずつ二班にわかれ、六時から二十時まで、二時間交代で陣地作りの日課が、終戦まで続いた。」

  【武器弾薬庫の歩哨】

 浦戸国民学校に配備されていた陳東(じんどう)俊郎さんが弾薬庫のことを書いています(『大平山』第二十三号の「故郷も戦場だった 第二話 浦戸海軍特別陸戦隊員となって」。三里史談会。一九九七年五月三十日)。

 「浦戸の西から長浜方面に通じる長さ百メートルほどの道路トンネルが、陸戦隊の武器弾薬庫に利用された。道路センターから西側半分ギッシリと弾薬庫や噴進砲(ロケット砲)が天井まで積上げられ、ゴムシートが掛けられていた。トンネルの両側に一名着剣した歩哨(ほしょう)が四六時中立っており、その当番が順番で廻ってきた。

 私も二回、それも夜間ばかりの歩哨に立った。

 六月も下旬となり梅雨が続く夜の歩哨は、実にうっとしく正直いってこわかった。二名連れ立って出発するが、一名づつトンネルトンネルの両側に分かれて前任者と交替する。交替が終ると全く一人ボッチ、着剣した銃をかまえ漆黒の闇に瞳をこらす。『スパイが暗躍していので注意せよ』と言われていた。(中略)

 深夜のこととて通行人はめったになかったが、上官が時々巡視に来た。入隊前の学校教練で、弾薬庫の歩哨が深夜恐怖にかられて、上官を刺突したと教えられたことを想起したが、幸いトンネル歩哨は無事勤務することができた。」

  

 【宇佐の分遣隊のこと】

 噴射砲は、高知県高岡郡新宇佐町(いまは土佐市)の呉鎮守府第十一特別陸戦隊の分遣隊にも配備されていました。
 松山海軍航空隊から来た第十四分隊三班の頭川正義さんが書いています(『若鷲の歌 元 浦戸海軍航空隊 第十四分隊』  七十二ページ~七十四ページ)。
 「……中隊長以下約五十名が、三軒の民家に分宿し、近くの山に構築された隧道(ずいどう)に立て籠(こも)り、敵を迎え撃つのが、与えられた任務であった。浦空を離れるとき、陸戦隊付を命ぜられた我々は、噴進砲隊や、迫撃砲隊を編成し、陣地として必要な隧道(穴)掘りから始まって、訓練の毎日であった。
 (中略)
 着任してから、始めの一か月は穴掘り専門で、作業がたいへんだった。ずぶの素人(しろうと)が、ダイナマイトを扱うのである。タガネの打ち込みがまずたいへん、何度かハンマーで手を叩き、痛かったこと、モッコで担ぎ出す土砂や岩石の量の多いこと。杭の構築や板の打ち込みなど、一日一メートル以上の目標が思うに任せず、あせりの毎日でもあった。」

 【一九四五年八月十五日の終戦】

 野村義治さんが、一九四五年八月十五日の終戦のことを書いています(野村義治さん『海軍人間物語』。経調出版センター。二〇〇三年二月)。

 「……その日は朝から暑く、いつものように起床して陣地の進捗(しんちょく)状況を見ると、昼夜兼行の活躍で完成も近い状態になっていた。

 朝食が皆と終わったとき、伝令が来て『今日の正午、天皇陛下より重大な放送があるから練兵場に集合せよ』。

 太陽を頭上に練兵場へ予科練を引率して整列、直立不動の姿勢で聞いていたが雑音が入って聞き取りにくく『朕は』とか『大勢は』とか断片的な言葉が分かるだけで放送が終わってから、陛下の本土決戦への激励だと思って午後の作業に入ったのである。

 時間の経過とともに“負けた”とか、“終戦”の言葉が飛び交うようになり、夕方になって『終戦』が決定的となって隊内は騒然となり、呆然とした予科練とは対照的に年老いた応召兵の万歳と喜ぶ姿も。

 私は本部前で書類を焼き、最後に軍艦旗の燃えるのに号泣した終戦の夜であった。」

 【一九四五年八月十六日の出来事】

 第十四分隊七班の前田房孝さんが一九四五年八月十六日の出来事を書いています(『若鷲の歌 元 浦戸海軍航空隊 第十四分隊』  百二十一ページ)。

 「昭和二十年[一九四五年]八月始めの夜戦訓練の際に、怪我をして医務室がよいをしていた私は、八月十五日の玉音放送の時には、不動の姿勢で立っているのが苦痛であった。

 翌十六日夜、敵艦土佐沖に現るの報に、大平山の噴進砲隊指揮班陣地で[小銃の]実弾数十発を受け取った時は、体調のことは忘れていた。」

 【浦戸海軍航空隊の「引渡目録」】

 終戦時に浦戸海軍航空隊が噴進砲をどれくらい持っていたのかについては戦後、浦戸海軍航空隊がアメリカ軍に提出した「引渡目録」に記されています(『高知の戦争 証言と調査』第九号(二〇一〇年七月一日)の福井康人さん「浦戸海軍航空隊・呉鎮守府第11特別陸戦隊の引渡目録」)。

 十二センチ二連装噴進砲       六
 二十センチ噴進砲          十五
 八センチ噴進砲          七十三
 六番陸爆用噴進台           一
 二十センチ噴進砲弾        百十九
 十二センチ噴進砲弾     千百五十五
 八センチ噴進砲弾      二百九十六
 噴進器推薬             百八十

 浦戸海軍航空隊の噴進砲隊の陣地や大平山の噴進砲隊指揮班陣地は、いまどんなふうになっているでしょうか。

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