« ● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その2 アメリカ軍機が1945年5月28日に同飛行場を撮影していました。 | トップページ | ● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その4 終戦後の陸軍高松飛行場の様子を示す日本側の2つの資料。 »

2011.09.03

● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その3 終戦前後の陸軍高松飛行場の様子を示すGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の資料。

 

   GHQの資料にも陸軍高松飛行場のことが出てきます

 終戦(1945年8月15日)の前後の陸軍高松飛行場の様子を示すGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の資料があります。
 GHQが、1945年8月31日につくった本『統合地理部門 南西太平洋地域 特別報告 No.112 四国(日本シリーズ)』です(私は「日本占領マニュアル 四国版」と呼んでいます)。
 奥付はつぎのようになっています。
 「GHQ
 南西太平洋地域
 1945年8月31日

 この特別報告には、オリエンテーション地図で示された四国の地理情報を含む。
 報告に含まれる以下の情報は、企画スタッフの要求を満たすために短期間で集めら

れている。
 含まれる地図は、オリエンテーション地図とともに使用される。

 マッカーサー元帥の命令による。

 R.K.・サザランド
 米国中将・参謀長

 担当:
 C.A.・ウィロフビー
 G.S.C. 少将
 G-2参謀副長」

 四国の陸海軍の飛行場についての記述のなかに陸軍高松飛行場のことがあります。
 「c.高松-北緯34度17分、東経134度4分(写真15参照):
 分類:HLG
 場所: 高松の南南東4マイル、由良山の裾野にある春日川の1.5マイル西にある。標高50フィート。
 滑走路:飛行場は、建設中。寸法は、西南西から東北東が6400フィート、西南西から東北東5500フィート、北北西から南南東5800フィート。路面は土で、水はけ良し。東西3800フィート×200フィートの未舗装滑走路が1本ある。
 拡張は、北北西に2000フィート、西南西へ1300フィート可能。
 建造物:兵舎11、工場・事業所15、小型格納庫2、格納床3が北東の角にある。ある程度大きな格納庫が1基、飛行場北西の45フィートの未舗装誘導路の端にある。
 分散地域:飛行場北端に開かれた分散地域。由良山のふもと周辺にダミーの誘導路とダミーの擁壁が建てられている。南には、ダミーの誘導路1本とダミーの擁壁10基が建造されている。
 アクセス方法: 16フィートの未舗装路が高松の北に通じる。高松電鉄と道路1号が北北東へ1マイル先にある。
 地形状の障害物:すぐ南に標高398フィートの丘。1マイル東に636フィートの丘。2.25マイル南東に標高840フィートの丘。2.75マイル東に標高340フィートの丘。3.75マイル北西に945フィートの丘。」
 HLGは「大型爆撃機着陸場:大型爆撃機による使用が可能であること。あるいは、海面位で全長が少なくとも6千フィートである着陸場で、大型爆撃機に適していること。」です。

|

« ● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その2 アメリカ軍機が1945年5月28日に同飛行場を撮影していました。 | トップページ | ● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その4 終戦後の陸軍高松飛行場の様子を示す日本側の2つの資料。 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/52639265

この記事へのトラックバック一覧です: ● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その3 終戦前後の陸軍高松飛行場の様子を示すGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の資料。:

« ● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その2 アメリカ軍機が1945年5月28日に同飛行場を撮影していました。 | トップページ | ● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その4 終戦後の陸軍高松飛行場の様子を示す日本側の2つの資料。 »