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2011.09.03

香川県の陸軍飛行隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その9 陸軍高松飛行場の機能~1945年4月から 飛行機を隠すための誘導路づくり。

 沖縄戦の最中、日本はつぎの手を打っていました。

 3月27日、軍事特別措置法が公布されました。これは「本土決戦」を準備する軍事基地づくりのための土地、家屋などの収用法でした。
 以下、全文を紹介します(ホームページ「国立公文書館アジア歴史資料センター」)。
 「法律第三十号

 朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル軍事特別措置法ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 裕仁

  昭和二十年三月二十七日
  内閣総理大臣 小磯國昭
  海軍大臣 米内光政
  陸軍大臣 杉山元

 法律―第三十号

  軍事特別措置法

 第一条 本法ハ大東亜戦争ニ際シ築城、設営其ノ他勅令ヲ以テ定ムル軍事上緊要ナル事項ノ整備ヲ為スヲ目的トス
 本法適用ノ区域ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
 第二条 政府ハ必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ土地、建物其ノ他ノ工作物又ハ物件ヲ管理、使用又ハ収用スルコトヲ得
 前項ノ規定ニ依リ収用シタル土地、建物其ノ他ノ工作物不用ニ帰シタル場合ニ於イテ其ノ処分ニ関シテハ勅令ノ定ムル所ニ依ル
 第三条 政府ハ必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ建物其ノ他ノ工作物ニ付移転、除却其ノ他ノ行為ヲ命ジ若ハ新築、改築、増築、移転、除去其ノ他ノ行為ヲ禁止若ハ制限シ又ハ土石竹木其ノ他ノ物件ニ付移転、除去其ノ他ノ行為ヲ命ジ若ハ之ヲ禁止若ハ制限スルコトヲ得
 前項ノ規定ニ依ル命令ヲ受ケタル者其ノ命令ニ従ハザルトキ又ハ緊急ノ必要アルトキハ政府ハ同項ニ掲グル物ニ付移転、除去其ノ他ノ行為ヲ為スコトヲ得
 第四条 政府ハ必要アルトキハ住居ノ移転ヲ命ジ若ハ之ヲ禁止若ハ制限シ、住居ノ指定ヲ為シ又ハ人ノ移動ヲ命ジ若ハ之ヲ禁止若ハ制限スルコトヲ得
 第五条 政府ハ必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲシテ所要ノ義務ニ従事セシメ又ハ帝国法人其ノ他ノ団体ヲシテ之ニ協力セシムルコトヲ得
 第六条 政府ハ第二条乃至[ないし]前条ノ場合ニ於テ必要アルトキハ命令ノ定ムル所依リ報告ヲ徹シ又ハ当該官吏ヲシテ必要ナル場所ニ立入リ検査ヲ為サシムルコトヲ得
 第七条 政府ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ第二条乃至第四条ノ規定ニ依ル命令又ハ処分ニ因リ生ジタル損失ヲ補償ス
 第八条 左ノ各項の一ニ該当スル者は三年以下ノ懲役又ハ五千円以下ノ罰金ニ処ス
 一 第二条第一項ノ規定ニ依ル土地、建物其ノ他工作物又ハ物件ノ管理、使用又ハ収用ヲ拒ミ、妨ゲ又ハ忌避シタル者
 二 第三条第二項又ハ第四条ノ規定ニ依ル命令又ハ禁止若ハ制限ニ違反シタル者
 三 第三条ニ項ノ規定ニ依ル移転、除去其ノ他ノ行為ヲ拒ミ、妨ゲ又ハ忌避シタル者
 第九条 第五条ノ規定ニ違反シ所要ノ業務ニ従事セザル者ハ一年以下ノ懲役又ハ千円以下ノ罰金ニ処ス
 第十条 第六条ノ規定ニ依ル当該官吏ノ立入検査ヲ拒ミ、妨ゲ又ハ忌避シタル者ハ六月以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金ニ処ス
 第十一条 第六条ノ規定ニ依ル報告ヲ怠リ又ハ虚偽ノ報告ヲ為シタル者ハ千円以下ノ罰金ニ処ス

   付 則

 本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

    軍事特別措置法案理由書
大東亜戦争ニ際シ築城、設営其ノ他軍事上緊要ナル事項ヲ整備シ以テ国土防衛の完璧ヲ期スルノ要アリ是レ」

 4月8日、大陸令第1298号で、陸軍航空総軍が創設されました=総司令官・河辺正三。通称号・帥。軍隊符号・FSA(外山操、森松俊夫・編(1993年):『帝国陸軍編成総覧 第二巻 近代日本軍事組織・人事資料総覧』。芙蓉書房出版。●頁。●頁-●頁)。
 ●『本土航空作戦記録』が、陸軍航空総軍創設のいきさつをのべています。
 「……本土に於ける陸軍航空の状態を観察するに其(そ)の統帥組織は複雑多岐を極め或は海軍指揮官の指揮下に或は防衛総司令官の指揮下に或は又(また)陸軍航空総監の指揮下に或は更に陸軍航空本部長の指揮下に其の戦力を支分固定せられたる儘(まま)沖縄作戦に、防空作戦に、教育補充乃至[ないし]は修理補給に夫々(それぞれ)従事しある状況にして全航空戦力を統合組織して其の充実培養を図り而(しか)も之(これ)を我か欲する時と処に集結使用することは至難とも言ふべき状態に置かれてあり●に於いて大本営は本土に於ける航空作戦を遂行する為には本土に於ける航空部隊の組織を一元化し全航空兵力を統合運営することの必要を認め航空総軍司令部を創設して大本営直属の第一航空軍、防衛総司令官隷下の第六航空軍、陸軍航空総監隷下の各教導飛行師団、陸軍航空本部長隷下の各航空廠補給廠等を航空総軍戦闘序列に編入し之を航空総軍司令官(陸軍大将河辺正三)をして統制せしむ」
 4月、航空総軍は、「航空総軍作戦計画の大綱」を策定します(●『本土航空作戦記録』)。
 「   一 作戦目的
 航空総軍は地上総軍及海軍と協同し本土に侵寇する敵軍を撃滅し本土枢要部を掩護す
     二 作戦方針
 航空総軍は一部の作戦を遂行しつつ七月末迄に決号作戦準備を概成し敵の本土侵寇に方りては努めて之を洋上に覆滅す戦術の重点は関東地方及九州地方とし決戦方面は大本営の指示に依る
     三 作戦要綱
一、 決号作戦準備は七月末迄に之を概成し爾後努めて速やかに之を完成す其の重点は関東地方及九州地方とす
二、 決号作戦遂行の主戦力は決と号部隊とす之か為為し得る限り多量のと号部隊を編成し之を各方面に分散秘匿しつつ戦力の向上を図り決戦に方りては決戦方面に集結投入して一挙に敵を覆滅す
三、 決と号部隊に対する編成、教育之に必要なる飛行場の新設又は補修整備所要飛行機其の他の兵器の整備等に関しては万遺憾なきを期す
 (以下、略)」
 ここでいう「決と号部隊」というのは、本土決戦作戦のための航空部隊で、本土に上陸しようとするアメリカの船団を破壊するための特別攻撃隊のことでした。

 「航空総軍の最終的な目標は、本土決戦が始まったとき、敵の輸送船団へ全機が特攻攻撃をかけることにあった。したがって、戦力温存のために徹底した隠蔽をはかり、防空戦闘にもむやみに使わないことが定められた。」(渡辺洋二『本土決戦』。朝日ソノラマ。1997年8月10日。全430ページの351ページ)。
 同月策定の「第一航空軍作戦計画の大綱」は、つぎのように決めています(防衛庁防衛研修所戦史室(1968年):『戦史叢書 本土防空作戦』。朝雲新聞社。●頁。●頁-●頁)。
 「 (前略)
 二 敵の本土侵寇に当たっては、全軍特攻戦法により、敵の本土上陸前に洋上においてこれを撃滅する。
 三 敵の本土侵寇前における作戦は、前項の目的達成を主とし、作戦指導は次による。
(一) 敵空軍の本土来襲に当っては、一部の飛行部隊を特定し第一、第二総軍の担当する本土要地の防空に協力する。
(二) 右指定以外の飛行部隊は、飛行場外に広く分散、遮蔽(しゃへい)、秘匿し戦力の保全を図る。
(三) 各航空基地における防空は、対空射撃部隊及び一般地上勤務部隊の刺違邀撃(ようげき)により敵機の必墜を期す。
(四) 前各項による以外の部隊及び施設は分散、遮蔽、秘匿、掩護に徹し戦力の保全に遺憾なからしめる。
(後略)」
 陸軍高松飛行場の檜與平大佐は、「陸軍航空の最高指導方針」として飛行機を秘匿する方針が出たことを受けて動き始めます(檜與平『つばさの血戦 かえらざる隼戦闘隊』)。
 「……やがて陸軍航空の最高指導方針が示された。それは、二月中旬の敵機動部隊の本土空襲いらい、はじめてのことであった。
 その主旨は、本土上陸作戦(決号作戦)に備え、飛行機を温存することに徹する。したがって、その方法としては、別命をうけた部隊以外は、飛行機の隠匿(いんとく)につとめ、敵の空襲に対し、絶対に被害をこうむらないようする、というのであった。」
 「……まず、以上の命令にもとづいて、まず飛行場の近くにある由良山に横穴格納庫を建設する一方、飛行場から、無数の蛸足(たこあし)のような誘導路を新設することになり、高松中学校の学徒動員と、高松市民の勤労奉仕が、連日にわたってつづけられた。
 そして、将校生徒たちは、その激励にまわった。もはや訓練から決号作戦への準備にうつったのであった。」
 檜大尉の本に出てくる「高松中学校の学徒動員」のことですが、高松中学校(いまの高松高等学校)の三年生になっていた水原良昌さんも動員されています(「林ノ飛行場外史抄」=香川県医師会(1988年):『香川県医師会誌』159号。25頁)。

 「私達の[高松]飛行場での作業は[一九四五年]四月下旬で終わり、五月からは二週間程木太町へ、……」、「木太町の作業場は、旧国道一一号線の玉藻中学から南へ高徳線を横切って長尾街道に至る道路沿いであった。(中略)一面に麦畑が続く砂地でツルハシはあまり使わずスコップだけで掘れたものである。」
 水原さんへの聞き取りによると、木太町での作業は、陸軍高松飛行場の誘導路づくりで、飛行場からの道路を観光道路につなぐ作業でした。
 誘導路づくりのことは、香川県で出版された本に出てきます。
 「……飛行学校の将校生徒は、“将来、こうして隠している飛行機が敵空母をやっつけるんだ゛と激励して回った。」、「高松飛行場から延びたタコの足は、元山、木太、太田と三キロも離れた場所へつづき、そこに飛行機を隠した(元中尉・池田盛夫さん談)。」(『昭和五十年史 上巻 香川・激動の二十年』)。
  「秘匿場所としては、屋島の屋島神社参道、太田の広田八幡、一宮村の香東川[こうとうがわ]河原、太田町の大池附近などの松林の陰や由良山北麓に、上空から見えないように作ったおおいの中に数機ずつ隠した。また観光道路(旧国道十一号線)沿道の空地にも、よしずを立て掛けたり、木の枝でおおって隠した。機種は、九七戦・四八戦・双発連絡機などであった。」(高松空襲戦災史編集室(1983年):『高松空襲戦災誌』。66頁)。
 「由良山には格納庫が造られ、飛行場からタコ足のように誘導路が造られた。また、一〇㌔㍍も離れた屋島神社参道の松並木・太田上町の広田神社・一宮村の香東河原・太田町の大池周辺などの森林の中におおいをして隠した。九七式・四式戦闘機、双発連絡など、数十機に及んだ。」(●『高松百年史 上巻 ●』)。
 陸軍高松飛行場の建設は、はじめ民間業者がおこなっていました。しかし、同飛行場を教育訓練用飛行場から作戦飛行場にするため、軍の直営で工事をすることになり、5月中旬に伊丹飛行場にいた第141野戦飛行場設営隊(隊長・川野真平大尉)約200人が到着し、地元の勤労奉仕団とともに工事を開始しました。すでに基礎整地ができていた東西の滑走路を舗装しました。規模は、戦闘機が離着陸できる最少限のもので、長さ約800メートル、幅約50メートルでした。設営隊は、飛行場のほか飛行場秘匿のために、由良山北麓をけずったり、土盛しておおいをつくり、飛行場の秘匿場所に通じる数本の誘導路もつくりました。(高松空襲戦災史編集室(1983年):『高松空襲戦災誌』。67頁-68頁)。

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