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2011.09.03

● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その10 陸軍高松飛行場の機能~1945年4月から 飛行場そのものの隠す作戦が始まりました。

   【秘匿飛行場の建設が開始】

 沖縄戦の最中の4月、本土各地に陸軍秘匿(ひとく)飛行場の建設が開始されました。
 飛行機を隠すだけでなく、飛行場そのものを隠すためです。
 その間の事情が、第一復員局(1946年12月):『本土航空作戦記録』の「本土航空施設の梗概」の「昭和二十年[一九四五年]四月以降の状況」に書かれています。
 「昭和二十年四月に入るや硫黄島敵手に入り沖縄又敵の侵す所となるに及ひ本土決戦の機愈々(いよいよ)近きを思はしめ敵の本土上陸迄(まで)航空戦力を絶対確保するの要切なるものあり
一方B―29及艦載機の攻撃遂次熾烈(しれつ)となり航空機の生産低下するのみならず完成機も漸減する状況にして敵の本土上陸迄(まで)訓練を犠牲とするも現有機を絶対確保するの施策を要するに至れり
之か為(ため)重要施設の地下移行を理想とするも資材及労力之を許ささる為燃料弾薬は洞窟内に収容する他飛行機は取敢へす飛行場周辺の地形地物を利用して分散秘匿することとし(別紙第三参照)各部隊に対し一斉に之か実施を指令せられたり
以上諸施策の徹底により六月末頃には敵艦載機の猛攻下に於(おい)ても損害を減少し概(おおむ)ね持久態勢を確立するを得たり
右の如く分散秘匿せる飛行機を戦機に投し飛行場に運搬し発進せしむることは甚(はなは)た困難にして敵の制空圏外にある場合に於ても最小限四時間を要し敵の制空時に於ては夜間以外飛行機の運搬不可能にして攻撃時機は払暁と限定せらるるに至(いた)り敵機動部隊を好機に投し攻撃し得さるは必然なり之か欠点を打開する為には飛行場それ自体を秘匿せさるを得す而して広大なる飛行場を敵に発見せられすして建設する為には地形特に有利なるを第一条件とす之か為有ゆる機関及部隊を動員して適地を調査すると共に秘匿飛行場の構想(別紙第四参照)に各作業部隊の創意を凝し四月以降左記飛行場の工事に着手せり
東北方面  三本木、六郷、金ケ崎、水澤、王城寺、棚倉
関東方面  矢板、結城、真壁、御勅使河原、今市、龍ヶ崎、熊谷、北富士
北陸方面  八色原、新潟、村松
東海方面  関、大垣、菰野(こもの)、鈴鹿
中部方面  粉河、神野、青野原、福知山
中国方面  行幸、倉吉、埴生
四国方面  丸亀、国分、松山
九州方面  津屋崎、福島、山鹿、飯野、小林、甘木、人吉、熊本、豊後
(後略)」
 ここに香川県関係では、いまテーマにしている「丸亀」、「国分」が出てきます。
 香川県の3カ所で道路を拡張して陸軍の秘匿(ひとく)飛行場がつくられはじめました。
 高松市の屋島の南の古高松(ふるたかまつ)=屋島飛行場
 綾歌郡の端岡村(はしおかむら)=いまは高松市国分寺町=国分飛行場
 飯野山(讃岐富士)の南の綾歌郡の坂本村と飯野村(いいのむら)と坂本村=いまは丸亀市=丸亀飛行場
 高松空襲戦災誌編集室(1983年):『高松空襲戦災誌』(68頁)は、この3つについてつぎのように記述しています。
 「決号(けつごう)作戦の一環として、全国的に特攻用の秘匿飛行場が計画された。比較的海岸に近く、千㍍程度の直線がとれる幹線道路を拡張して作ろうというものであった。
 香川県では、観光道路の新川橋から東に屋島飛行場が、端岡―国分間に端岡飛行場(旧十一号線はそのなごり)が、飯野村山の谷から西への県道に丸亀飛行場が、それぞれ作られることになった。」

 端岡飛行場と、国分飛行場は同じものです。

 決号作戦とは、アジア太平洋戦争のときの「帝國陸海軍作戦計画大綱」での陸軍案の名称です。
 大本営(戦時中に設置された大日本帝国陸軍、海軍の最高統帥機関。天皇の命令を大本営命令、大本営海軍部命令として発令する最高司令部)は、比島決戦に力を注ぎましたが、一九四五年一月九日、アメリカ軍のルソン島リンガエン湾上陸によって、フィリピンにおける日本軍の敗北が決定的なものとなりました。同地の喪失とアメリカ軍の本土進攻は時間の問題となっていました。
 アメリカ軍潜水艦の攻撃による輸送船の不足に加え、マリアナ海戦、レイテ沖海戦以後は制海・制空権を奪われ、内地と外地の連絡網は遮断され、撤退も増援も絶望的な状況に陥っていました。
 そうしたなか、大本営は、連合国軍の本土侵攻を遅延させ、その間、本土の作戦準備態勢を確立するために同月20日、「帝国陸海軍作戦計画大網」を定めます。
 この作戦計画は、千島列島、小笠原諸島、南西諸島の沖縄本島以南、台湾などの地域に連合国軍が侵攻してきた場合、できる限り抗戦して敵の出血を図りつつ、軍備を整え、日本本土で決戦をおこなうというものでした。

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