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2011.09.03

● 香川の陸軍高松飛行場の飛行機は、なぜメリカ軍を迎撃しなかったのか その13 1945年7月4日、アメリカ軍機が高松市を空襲--高松の航空部隊からの迎撃なし。「なんのために、飛行機を持っているのかわかりません」の叫びのなか。 

 7月4日、アメリカ軍のB29爆撃機が高松を空襲しているのに陸軍高松飛行場の航空部隊は迎撃機を飛ばしませんでした。

 植田正太郎も、そのことを書いています(「高松大空襲 昭和20年7月4日の深夜、空から戦争が降ってきた」=戦争遺跡ネットワーク高知『高知の戦争 証言と調査 第12号』。42頁-61頁)。

 「この間、高松郊外の高松陸軍飛行場からは反撃防衛するための日本軍迎撃機は1機も出撃しなかった」

  高松市役所の出した本にも、こうあります。

 「……頼みの綱であった高松飛行場からは、飛行機温存という軍の方針のため一機も飛び立たず、対空射撃部隊もついに戦果をあげることはできなかった。まことに歯がゆい一日であった。」(高松百年史編集室編(1990年):『高松百年の歴史』。高松市。296頁。141頁)
 この空襲の時、独立高射砲機関砲中隊は、応戦しています。しかし、このときは、銃座の取り付け中で、長専寺にあったテスト用の1、2門が発射されましたが、射程が短いために、曳光弾(えいこうだん)が、B29の下で光のすじを描いただけでした(高松空襲戦災誌編集室『高松空襲戦災誌』)。
 陸軍高松飛行場の高松分校の教官で少佐だった檜與平が、その日の陸軍高松飛行場のことを書いています(檜與平(1995年):『つばさの血戦 かえらざる隼戦闘隊』。466頁-う469頁)。
 当時、檜與平少佐は、高松市から四キロメートル離れた郊外の宿舎で妻と二人で暮らしていました。
 「……ある日、熟睡していた夜半のことであった。私は、近距離で、大音響を聞いた。枕許へ置いてある義足を装着して、すぐに外へ飛び出した。
 『やったな』
 見ると、高松の市街には焼夷弾の雨が降っていた。
 『おい、航空服と航空帽だ』
 妻は暗夜のことで、きょときょとしていた。こちらは非常呼集は馴れたもの、すばやく身じたくして拳銃を腰にして、部隊へ走った。
 『桧少佐だ。全員集合!』
 私の声を聞いて全員がそろった。
 『敵は市街を焼夷弾攻撃している。別命あるまで、操縦者および整備員は、おのおのの自分の飛行機の場所へいって、飛行機を保護せよ。出発!』
 それぞれが、自分の飛行機の秘匿場所へ走ってゆく。私は椅子を道路のまん中へ持ち出してすわり、航空服の前をひらいて、白いシャツをみせて目印とした。
 空襲はますます織烈をきわめて、市街は天を焦がすばかりの修羅場と化した。そして、市街から離れた飛行場へも、焼夷弾が降ってくる。B―29は、昼間と同じように燃える火災の光でくっきり浮き上がって見えた。」
 桧少佐は、出撃を命じようとはしません。
 「『少佐どの、ぜひ上げて下さい』
 『少佐どの、お願いです』
 『なんのために、飛行機を持っているのかわかりません』
 『われわれは、高松の人たちにあわす顔がありません』
  (中略)
 『よし、師団司令部へすぐに連絡をとるから、部署についておれ!』
 丸田参謀からの伝令がきた。
 『くやしかろうが、我慢せよ。B―29一機と航空母艦一隻とを比較せよ』という。
 無念でならぬが、命令とあればいたしかたない。そして、秘匿飛行機を見回っていった。
 『少佐どの。上がります』
 『駄目だ。がまんしろ。きさまだけじゃ、ないぞ』
 飛行機の胴体にすがって、くやし泣きする部下の姿、最新鋭機を擁しながら、目の前で敵機に縦横無尽の跳梁をゆるす悲しさと憤り。私の胸はかきむしられるようであった。」
 かくして陸軍高松飛行場の分校は出撃しませんでした。
 この対応は異常としかいいようがありません。
 実際に、この日、陸軍か海軍かは不明ですが、反撃している飛行機もあるのです。
 『第21爆撃隊本部作戦任務報告書』の「敵空軍の迎撃」の項目を見ます。
 「a 日本戦闘機の応戦は、ほとんど皆無に等しく、わずか二十機の迎撃機に、高松―高知―姫路―徳島への夜間攻撃途上遭遇しただけであった。日本側は八回の攻撃をしかけ、B29一機が敵戦闘機と高射砲の連携攻撃で被弾、搭乗員に被害者はなかった。
 b 陸地の先端、約百七十五マイル南方の飛行経路上にベッティが一ついて一機(バカ)を発射させた。このバカは、ゆっくり突っ込んできて次に機首を上げて下方八時の方向から攻撃をしかけてきた。この敵機から二筋の赤い火焔の噴射がみられたが、この敵機は三百ヤード以上われわれに近寄ることができず、推進力を失って、消えていった。その間ベッティが上空十一時の方向から一回攻撃してきた。
 c 標的地点でもバカ一機が見られた。B29のパイロットは、時速二百四十五マイルでスピードを上げ、敵との距離を拡大しようとした。しかし、バカは上空四時の方向で現れて距離を縮めてきたので、パイロットは機首を下げスピードを速めた。約五分間の後、バカは上空四時の方向で後方に突き放され、右方向へ旋回して飛び去った」
 ベッティは、Betty(連合国側のコードネーム)で、大日本帝国海軍の一式陸上攻撃機のことです。バカは、Baka(連合国側のコードネーム)で、大日本帝国海軍の桜花 (おうか)のことでした。桜花は、特別攻撃兵器で、有人誘導式ミサイルの人間爆弾でした。

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