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2011.09.03

香川県の陸軍飛行隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか  その14 陸軍高松飛行場の機能~1945年7月 飛行場は、編成替え、交代……。 

 高松空襲後の7月10日、陸軍は、三重県明野の明野教導飛行師団を決戦準備促進のため第20戦闘飛行集団(集団長・青木武三中将)に編成しました。。
 第20戦闘飛行集団は、飛行第101戦隊(戦隊長・石川正中佐)、飛行第112戦隊(戦隊長・梼原秀見中佐)を有していました(外山操、森松俊夫編(1993年)『帝国陸軍編制総覧 第三巻 近代日本軍事組織・人事資料総覧』。芙蓉書房出版。●頁。●頁-●頁)。
 第20戦闘飛行集団の司令部は、明野から高松に移駐しました(鷺田=さぎた=公会堂に駐屯)。(高松空襲戦災誌(1983年):『高松空襲戦災誌』。69頁)
 7月22日、陸軍航空総軍は、陸軍の各飛行場に飛行燃料を作戦のために集積せよと命令命令します。
 「帥作命丙第百十九号 航空総軍命令 七月二十二日 一五〇〇 東京」です(「軍事機密」の判が押されています。防衛省防衛研修所図書館蔵)です。
 「一、 東京、大阪各陸軍航空補給廠(しょう)長及大阪陸軍航空補給廠福岡支廠ハ別紙基準ニ基キ一号アルコール及普通揮発油(作戦用)ヲ集積シ第一、第二各総軍ニ公布スヘシ
 二、 第一、第六各航空軍司令官ハ右作戦資材ヲ第一線集積亜号燃料に充当スヘシ
 三、 第五航空軍司令官ハ其ノ作戦準備地域内飛行場ノ第一線集積亜号燃料集積基準量ヲ定メ朝鮮地区生産亜号燃料ヲ以(もっ)て之(これ)ニ充当スルト共ニ集積計画ヲ報告スヘシ
 四、 各軍司令官、各航空補給廠長及福岡支廠長は毎月盡日調ヲ以テ之カ実施状況ナ竝ニ集積変更計画ヲ総軍司令部ニ報告スルト共ニ関係部隊ニ通報スヘシ
五、 各軍司令官ハ亜号燃料ノ特性ニ鑑(かんが)ミ之カ更新使用ニ努ムヘシ」
 別紙の「一号『アルコール』(作戦用)集積計画」には、香川県では三つの飛行場の名前が出てきます。「高松」、「丸亀」、「国分」です。それぞれ「集積基準量(本)」は、150、200、200となっています。
 「航空総軍司令官 河邊正三」名の命令書で「報告(通報)先」は、「大本営(航本)」となっています。
 一方、7月31日の発令で第20戦闘飛行集団は、第100飛行団(団長・秋山紋次郎大佐)と交代し、部隊全員が高松から引きあげてしまいました。(高松空襲戦災誌(1983年):『高松空襲戦災誌』。69頁)
 第100飛行団は、三重県北伊勢で編成され、四式(よんしき)戦闘機(疾風=はやて)を主力とする戦闘機隊で、天号作戦にさいして宮崎県都城附近に配置し、沖縄への特別攻撃隊の援護にあたっていた隊でした。
 発令と同時に、第100飛行団司令部は、鷺田公会堂に移ってきましたが、所属の飛行第101戦隊(戦隊長・坂元美岳少佐)は、沖縄戦で消耗した搭乗員や戦闘機の補充に手間取り、戦隊の移動が完了したのは8月12日でした。
 この飛行第101戦隊の任務は、本土決戦にさいしての特別攻撃機援護でしたが、役目を果たしたあとは、みずからも特別攻撃機となって敵に体当たりしていく任務にありました。

この7月に策定された「第六航空軍決号作戦大綱」があります(『本土航空作戦記録 昭二一・一二 調整 第一復員局』)。

 「決号」というのは、本土決戦の作戦ということです。アメリカ軍が日本本土に上陸してきたときに、どう迎え撃つかという作戦です。

 高松の第100飛行団も第六航空軍の兵団です。

 この大綱では、 「敵の予想上陸地点」を、北九州・博多湾沿岸、五島列島、南九州・宮崎海岸、志布志湾、薩摩半島西岸、四国・高知海岸、朝鮮・済州島、対馬としています。

 「軍は速かに決号作戦準備を完整し、敵の来攻にあたって全軍特攻となり。これを撃滅する。」

 「特攻隊は訓練概成後施設の進捗に応じて発進基地に秘匿展開するのを本則とし、極力消耗を避けつつ戦技の向上及び士気の維持高揚に努める。」

 「敵上陸部隊がわが攻撃圏内に入れば、まずその大型輸送船を索めて撃滅する。

 攻撃は昼夜にわたり天候気象を利用し敵船団の側背からつとめて奇襲的に行ないその泊地侵入時期迄[まで]継続する。」

 「敵泊地進入前日から総攻撃を開始し全軍特攻をもって昼夜にわたり執拗果敢な強襲を行ないその上陸船艇を索めて撃滅する。

 敵泊地進入後は練習機特攻全力を投入するとともに戦闘隊全力をもって戦場上陸を制圧し、また一部兵力を持って敵掩護部隊を同時に攻撃する。」

 「第六航空軍決号基本展開配備」の表があります(『本土航空作戦記録 昭二一・一二 調整 第一復員局』)。

 ここでは、第六航空軍の各兵団、第30戦闘飛行集団(熊本)、第12飛行師団(小月)、第100飛行団(高松)、第11飛行師団(大阪)、第51航空師団(岐阜)、軍直轄の本土決戦のときの展開を表にしたものです。

 高松の第100飛行団の所はつぎのようになっています。

 「一般飛行部隊」の項目に101飛行戦隊(戦闘)、103飛行戦隊(戦闘)とあります。

 「特攻隊」は、一式戦闘機3機、四式戦闘機4機、九七戦闘機5機、九三式中間練習機12機となっています。

  「配当飛行場」は、「高松、東松山、松山西、宇和島、屋島、壬生川、丸亀、由良」となっています。

 一式戦闘機は、隼(はやぶさ)、四式戦闘機は疾風(はやて)のことです。

 香川の陸軍の飛行場では「高松」、「屋島」、「丸亀」が出てきます(なぜか、「国分」はありません)。

 「本土防空態勢ノ概要」という表も出てきます(『本土航空作戦記録 昭二一・一二 調整 第一復員局』)。
 その「四国方面」の所を見ます。
 「飛行(集)団」は100飛行団(高松)、「戦隊」は101戦隊と103戦隊、それぞれの「機種」は四式戦、「現動力可兵」は13です。

 「摘要」に「沖縄作戦ニ於テ戦力消耗セル部隊ニシテ一〇二F[戦隊]ヲ復帰シ上記二箇の戦隊ノ戦力ヲ充実ス」

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