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2011.09.03

● 香川県の陸軍飛行部隊は、なぜアメリカ軍を迎撃しなかったのか その4 終戦後の陸軍高松飛行場の様子を示す日本側の2つの資料。

 

   陸軍高松飛行場の様子を示す日本側資料

 日本側の資料が手元に2つあります。
 1つ目は、陸軍第11飛行団司令部『飛行場記録』(終戦後の1945年9月15日に調整。防衛省防衛研究所所蔵)の「高松飛行場記録」です。(図1)
 「判決」は、「自重六屯(トン)以下ノ飛行機ノ使用二適ス」です。
 「飛行地区」は、こうなっています。
 「滑走地区」は、2000メートル×800メートルの「整地輾圧(せいちてんあつ。整地してローラーをかけたということでしょうか)。
 「舗装路」は、1200メートル×60メートル、約10センチ「砕石敷輾圧」。 「土質」は、粘土質。
 「附属地区」は、こうなっています。
 「夜間着陸設備」は、「ナシ」。
 「宿営」は三角兵舎3棟(100人収容可)。
 「電灯線」は、「三角兵舎に現在二棟に配線しあり」。
 誘導路(借り上げ使用中)が3つあります。
 ① 北に真っすぐのびています。そして、既存の道路とクロスして高松市街地に通じています。
 ② 南に真っすぐのび、日山(ひやま)に着きあたり日山の東西を半周しています。
 ③ 西北にのびながら南北に長い地域・「一ノ宮撃留地」につながっています。「撃留地」というのは一般的には飛行機撃留地のことで、飛行機を隠しておく所です。
 前出のアメリカ軍機の空中写真、「40 3PR5M246 1V 5-28 F-1531 35000」と「41 3PR5M246 1V 5-28 F-1531 3500 REST」を見ると、この地域は林になっています。
 2つ目は、財務省四国財務局の行政文書で、黒くぬっている所が陸軍高松飛行場です。大日本帝国陸地測量部が、1933年12月25日に発行した「高松南部」の地図に書き込んであります。(地図1は、その一部)
 これで正確な全体像を知ることができます。

 第一復員局の資料のなかの地図の北西への誘導路の途中にあった四角の印は、倉敷飛行機の飛行機組立工場でした(いまは、高松市多肥町、警察機動隊があります)。
 日山の北西の由良山 (標高一二〇・三メートル。高松市由良町)には、山の中腹に、人が立てって入れるくらいの壕が残っています。そして、二つはコの字型につながっています。
 地元では「防空壕」としていますが、これは戦闘壕だと思います。

 (図1) 「高松飛行場記録」=陸軍第11飛行団司令部が1945年9月15日に調整した『飛行場記録』(防衛省防衛研究所所蔵)に掲載

 (地図1) 陸軍高松飛行場のエリア=財務省四国財務局の行政文書。黒くぬっている所が陸軍高松飛行場。大日本帝国陸地測量部が、1933年12月25日に発行した「高松南部」の地図に書き込んであります

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