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2011年10月

2011.10.03

【ニュース】 あなたの家の「戦争」を寄贈していただけませんか。高知市の平和資料館・草の家の呼びかけ。

 高知市の平和資料館・草の家は、つぎのような呼びかけをしています。

 企画展「うちんく(わが家)にあった戦争」を開催します。
 あなたの家の「戦争」を寄贈していただけませんか。

 こんにちは。平和資料館・草の家です。
私たちは、来年3月、館内で企画展「うちんく(わが家)にあった戦争」を計画しています。
 アジア太平洋戦争終了(1945年8月15日)から長い時間が経ちましたが、いまだに、その痛みと想いは消えません。
 しかし、その時代のことを語る物は、だんだん少なくなっています。
 あなたのお宅に、戦争の痛みと想いを伝える物が残っていませんか。
 それを、ご寄贈していただけませんでしょうか。
 私たちの館に寄贈していただいたものを展示させていただきたいというのが、企画展の趣旨です。
  「戦争のことをあらためて知りましょう。今後、戦争を起こさせないように、ご一緒に考えましょう」との思いです。

 私たちは、たとえは、つぎのようなものを求めています。

 ・戦争への動き、戦争のことを伝える新聞、新聞号外。
 ・戦争中の出来事についての写真や映画フィルム(たとえば軍隊の出征など)。
 ・戦争中の催し物(たとえば運動会)の案内やプログラム。
 ・軍歌や軍国歌謡のレコード盤、楽譜など。
 ・戦争に反対した人たちの配ったビラ、そうした人たちの思い出の品々。
 ・召集令状など徴兵についての文書、品々。
 ・徴用の令状や徴用についての品々。
 ・『軍隊手帳』。
 ・従軍日記。
 ・戦地からの手紙。
 ・戦争で亡くなったかたの遺影、戦死の公報や思い出の品々。
 ・「外地」での暮らしについての品々。
 ・「満州開拓」についての品々。
 ・中学生などの学徒勤労動員のさいの思い出の品々。
 ・女子挺身隊に動員されたさいの思い出の品々。
 ・徴兵保険についての品々(徴兵保険の定款、陶器製の被保険証)。
 ・隣組についての資料(回覧板、隣組の帳簿、貯蓄のすすめの文書)。
 ・民間の戦争訓練についての資料(たとえば「竹やりのつくりかた」の文書)。
 ・戦争中の国民学校などの教科書、試験用紙。
 ・戦争中の絵本、本、雑誌、おもちゃなど。
 ・戦争中の本や雑誌。
 ・戦争中の日用品(たとえば戦争柄の着物)。
 ・戦争中の政府や行政の文書。
 ・防空監視哨(ぼうくうかんししょう)についての写真や品々。
 ・アメリカ軍が飛行機からまいたビラ。
 ・県下各地のアメリカ軍が落とした焼夷弾(しょういだん)など。
 ・陸海軍の特攻隊員の残した品々。
 ・本土決戦時に高知の民家などに寝起きしていた兵隊が残した品々。
 ・戦争についての手記。
 ・シベリア抑留についての資料。
 ・占領軍の高知での写真や品々(たとえば、行進する兵隊、街を歩く兵隊、ジープのおもちゃ)。
 ・「外地」からの引き揚げについての資料。
 ・「残留孤児」について資料。

 平和資料館・草の家では、「ご一報いたただければ、うかがいます」と、いっています。

 

 平和資料館・草の家

 〒780-0861  高知市升形9の11
 電話     088-875-1275
 ファクス 088-821-0586
 Eメール  GRH@ma1.seikyou.ne.jp 
 開館時間:午前9時~午後6時(休館日:水曜日・日曜日・祝日)
 これ以外のときは 090-7141-6396(太田)に。

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英語で日記 二〇一一年九月三十日 金曜日 古本市。 September 30th, 2011 Friday Secondhand book fair.

二〇一一年九月三十日 金曜日 古本市。 

 晴れ。

 不調です。

 一時間目の韓国語の授業を休んでしまいました。
 四時間目には出ました。

 夜、高松駅に行ったら構内で古本市をやっていました。
 また、本を数冊、買ってしまいました。

September 30th, 2011   Friday Secondhand book fair.

Fine.

I am out of condition.
I have been absent from Korean of the first period.
I attended the fourth period.

When I went to Takamatsu Station at night, there was a secondhand book fair in  enclosure of the station.
I have bought several books.

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英語で日記 二〇一一年十月一日 土曜日 企画展の計画。October 1st, 2011 Saturday The plan of an exhibition.

二〇一一年十月一日 土曜日 企画展の計画。

 晴れ。

 診察を受けました。

 そして、会議に参加しました。
 企画展を開く計画がまとまりました。

 福岡県の男性と電話で話しました。

 夜は本のゲラの再校をしました。

October 1st, 2011   Saturday The plan of an exhibition.

Fine.

I received the medical examination of two doctors.

And I participated in the meeting.
Then, a plan to open an exhibition was collected.

I telephoned a man of Fukuoka Prefecture.

I did the second proof of the galley of a book night.

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英語で日記 二〇一一年十月二日 日曜日 道ですれ違った若い女性。 October 2nd, 2011 Sunday A young woman who passed on the road.

二〇一一年十月二日 日曜日 道ですれ違った若い女性。 

 曇り。

 本のゲラの再校をしました。

 高知市民図書館を出て五〇CCのバイクで帰っていました。
 向こうから来た自転車に乗った若い女性とすれ違いました。
 すれ違ってからお互いに振り返りました。
 久しぶりに彼女と出会いました。
 彼女を喫茶店に誘いました。
 お互いにコーヒーを一杯を飲みながら二時間を話しました。

October 2nd, 2011   Sunday A young woman who passed on the road.

Cloudy.

I did the second proof of the galley of a book.

I came out of Kochi citizen library, and had returned by 50CC motorbike.
A young woman who rode on her bicycle came from the other side passed by me.
After, I and she turned round.
I met her after a long time.
I invited her to a coffee shop.
I and she talked at a coffee shop for as long as 2 hours.

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英語で日記 二〇一一年十月三日 月曜日 うれしかったこと。 October 3rd, 2011 Monday I was glad.

二〇一一年十月三日 月曜日 うれしかったこと。 

 曇り。

 うれしかったことを二つ書きとめます。

 埼玉県の男性が『高知の戦争 証言と調査』に原稿を書いてれました。

 ある新聞の記者が、私たちの計画している企画展について取材してくれました。

October 3rd, 2011 Monday I was glad.

Cloudy.

I wrote down  two things that I was glad.
A man in Saitama Prefecture wrote  for "Warttestimony and investigation in Kochi."
A journalist of newspaper covered about the plan exhibition which we are planning.

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【短歌】 長編記録映画「ベトナム」。

 「ベトナムを 石器時代に してやるぞ」 やってのけたよ アメリカ、君は

 みな殺し やってきたんだ 君の国 アメリカのいま 血をしたたらせ

 あのときに 戦火の中で 「ベトナム」を 撮った人いた さっちゃん(山本薩夫監督)たちだ

 涙ため 映画見ている 「ベトナム」の アメリカ軍機と たたかう人ら

 あのときに ベトナム支援の ビラをまき カンパしたよね 僕たち、君も

 地上では 戦闘、生産 地下に住み アメリカ倒した ベトナムの民

 虐殺と 無差別爆撃 アメリカを 打ち負かしたね 小さな国を 忘れないよ、ぼく

 さっちゃんの 「トンニャットベトナム」 見ているよ 勝利の意味を かみしめている

 アメリカの 空襲、原爆 侵略を 裁く法廷 いま、つくりたい

 アメリカに 空、海、行方 支配され これでいいのか わが日本は

 記録映画「ベトナム」は、一九六九年の作品です。

 DVDになっています。一万円です。その価値はあります。

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2011.10.04

英語で日記 二〇一一年十月四日 火曜日 三度目の地震。 October 4th, 2011 Tuesday The third earthquake.

二〇一一年十月四日 火曜日 三度目の地震。 

 晴れ。

 空がとてもきれいでした。

 私たちの本の再校を済ませました。

 午後七時十九分、地震がありました。
 さぬき市は震度3でした。
 この間から三度目です。

 『高知の戦争 証言と調査』十五号の二本の原稿のゲラをつくりました。

October 4th, 2011 Tuesday The third earthquake.

Fine.

The sky was very beautiful.

The second proof of our book was finished.

There was an earthquake at 7:19 p.m.
Sanuki city’s seimic intensity  was  3 .
Earthquake in Sanuki city is the third time during this period.

I arranged two MSS. Of  15th "War testimony and investigation in Kochi ".

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【ニュース】 高知県の福井康人さん、海軍の砲台を見つけました。

 高知県の福井康人さんが、またやりました。

 海軍の砲台を発見したといいうのです。

 このページを見てください。

 http://ameblo.jp/henroisimanjyu/theme-10043543051.html

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ベトナム映画「無人の野」を見たい。

 「ふくいさん」が、ベトナム映画「無人の野」のことを教えてくれました。

探して見てみたいと思っています。

 ここに紹介がありました。

 http://www4.famille.ne.jp/~aikoh/000honma-jidai-shyo_033.html

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2011.10.05

【ニュース】 藤原尋子・義一の本『特殊潜航艇 蛟龍(こうりゅう)艇長 矢野統一 父は海中の特攻隊員でした』、十一月にはできます。

 きょう、私たちの本『特殊潜航艇 蛟龍(こうりゅう)艇長 矢野統一 父は海中の特攻隊員でした』の再校が終わりました。

 この本、遅くと十一月末にはできると思います。

 妻・藤原尋子(ひろこ。六十四歳。元東京都の公立中学校国語教師。台東区、国立市、西東京市、国分寺市で勤務。あの「ひろこ先生」です)が、『女性のひろば』一九八二年七月号(日本共産党中央委員会)に載せた「父は目のある魚雷だった」(四ページ)。
 それをもとに、長い年月を経て、尋子と、その夫・義一が二百ページ余のドキュメントに仕上げました。(パチ、パチ!!!)

 広島県の大浦突撃隊、香川県の小豆島突撃隊で、この五人乗りの特殊潜航艇の艇長として訓練していた、のちの尋子の父・矢野統一(とういち)=高知市在住=の物語です。


 なぜ特攻隊員になったか(特攻隊員にされたか)、どんな訓練だったかなどを統一の話、他の特攻隊員の話を組み合わせて追っています。

 統一は、アメリカ軍機P51の攻撃を受け瀕死の重傷を受けました。
 そして、鳥取県の海軍病院で終戦を迎えています。

 この父が死んでいたら尋子は生まれませんでした。
 もちろん僕たちは結婚していませんでした。
 僕たちの娘、生意気盛りの息子も、この世に存在していませんでした。

 この本は、千部しかつくりません。いまのところ、書店では東京都千駄ヶ谷の美和書店ぐらいにしか出す予定はありません。
 

 この本の価格は千五百円です。ご注文いただければ送料無料でお送りします。

 以下のメールにお問い合わせいただければ幸いです。

 bqv01222@nifty.com

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【短歌】 僕の友だち。

あれこれと お願い電話 入れている つっぱり人生 同志の君に

誕生日 祝いの短歌(うた)を アップした 電話をしたが 「つないでないのよ」

四か月 ブログの更新 できぬ君 見舞いしたいが できないでいる

すれ違い 「コーヒー、飲もうか?」 誘ってる ナンパのような 友との語らい  

「人生は、あと三十年よね。楽しくね」 病(やまい)とたたかう 君の迫力

神社にも 行って来たそう 病得た 明るい君 心の奥底

「どうしてる?」 「仕事は辞めたわ」 いつまでも 「何か」を求める 成人前期

なぜかしら 授業、ときどき 休む友 のんびりムードの いいヤツなのだが

就職は だめだったよう この娘(こ)らに 職世話できる 人になりたい

「ああ、これが 君のテーマか」 香川の獅子舞 ビデオに撮ってる

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【短歌】 目覚まし時計を解除して……。

 目覚ましを すべて解除し 「さぁ、寝よう」 あすは休みさ 何にが何でも

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2011.10.06

【エッセイ】 夢から夢へ。

 疲れる夢を見ました。

 午後一時、デスク番の夜勤を終えて外へ出ました。

 あまり寝ていないので、まだ頭がボーッとしています。
 路面電車に乗ったら「暖かい!」。
 まだ十月初旬なのに暖房が入っています。
 降りるとき百円玉三つで払おうとしたら、
 「あと二百円お願いします。暖房代です」  
 「えーっ」と思いましたが、払ってしまいました。
 家路に向かっている途中で「うーん。納得いかない」。
 「どうなっているのか」。
 電車の会社、県庁に行き、近くの電停で降りてくる客に意見を聞きました。
 喫茶店に入ってノートパソコンで、こんな異常なことが起こっている、実質的な電車代値上げだ、こんなことはやめるべきだという記事を書きました。
 家に帰ってしばらくすると、記事のゲラがファクスで送られてきました。
 点検してゲラをファクスで送り返しやっとベッドへ。

 起きたらもう午後二時五十五分。
 五分後に家を出ないと間に合いません。
 妻は、もう家を出ています。いつも午前九時には自転車で家を出て夜遅くまで帰ってこないのです。
 私のカバンの中は妻がきれい整理してあって、そのまま持っていくわけにはいきません。
 やめてくれといってあるのに、趣味のように、これをやるのです。
 このままでは……。

 目が覚めました。あせります。

  まだ午前八時すぎです。

 ゆっくり寝ようとおもって携帯電話の目覚ましは解除してあったのに……。
 さぬき市の七畳半の独り暮らしのアパートです。
 そうそう、高知に住んでいる妻は、昨夜は鹿児島県指宿(いぶすき)の旅館にいました。仲間と特攻出撃基地を見にいっているのです。

 枕もとには昨夜つくった小さな彫塑(ちょうそ)作品がおいてあります。
 台所のボールに入れた粘土が軟らかくなっています。
 きょうは休みで、ハート形土偶にヒントを得たものをつくろうと思っていました。

 とにかく、いすとかの支えなしに立つことのできるバランスのいいものをつくってみようと思っていました。

 窓のそとはいい天気。きのうの雨のことなどなかったかのような感じです。
 さぁ、風呂に湯を入れて、入ってから作業するか。

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英語で日記 二〇一一年十月五日 水曜日 「教育する」ということ。  October 5th, 2011 Wednesday What is education?

二〇一一年十月五日 水曜日 「教育する」ということ。 

 雨。

 「教師のなかには、教育ということが、どんなことがわかっていない人がいる」
 あるブログの記事を見ての感想です。

 五時間目は、一対一の授業でした。
 ていねいに教えていただきました。


October 5th, 2011 Wednesday What is education?

Rain.

Some teachers don't know what education is.
I considered so, seeing the report of a certain blog.

The fifth period was 1 to 1.
The teacher taught me  carefully.

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英語で日記 二〇一一年十月六日 木曜日 木製飛行機をつくっていた香川県の工場。 October 6th, 2011 Thursday The factory in Kagawa Prefecture which built wooden airplanes.

二〇一一年十月六日 木曜日 木製飛行機をつくっていた香川県の工場。

 晴れ。

 香川県立図書館に行きました。
 アジア太平洋戦争中に木製飛行機をつくっていた香川県の工場についての資料を集めました。

 ある新聞の記者が、私たちの計画している企画展について取材してくれたそうです。

October 6th, 2011 Thursday The factory in Kagawa Prefecture which built wooden airplanes.

Fine.

I went to Kagawa Prefectural Library.
I collected  the data about the factory in Kagawa Prefecture which built wooden airplanes during Asia-Pacific war.
 
It is said that the journalist of a certain newspaper covered about the plan exhibition which we are planning.

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2011.10.07

【写真 三枚】 大阪で戦意高揚の旗振りをしていたフクチャン。

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 アジア太平洋戦争中、フクチャンって、こんなことでがんばっていたんですね。(写真三枚)
 大阪府堺市の「かみや あきら」さんが所蔵しているものです。
 漫画家の横山隆一さんが描いた「フクちゃん」が主人公の絵はがきです。
 いずれも、大阪逓信局が制作・発行したものだといいます。

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英語で日記 二〇一一年十月七日 金曜日 韓国映画「糟糠の妻クラブ」。October 7th, 2011 Friday "Good wife club."

二〇一一年十月七日 金曜日 「糟糠の妻クラブ」。

 晴れ。

 DVDで韓国映画「糟糠の妻クラブ」を見はじめました。

 

October 7th, 2011   Friday "Good wife club."

Fine.

I began to watch South Korean movie "good wife club" with DVD.

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2011.10.08

【写真】 私のつくったハート形土偶。

 縄文時代のハート形土偶をつくってみようと、昨日からつくりはじめました。
 モデルは、この写真です。

Photo

 わがアパートの数十センチ四方の台の上が私の工房です。
 材料は、素焼き用の粘土と水。
 道具は、手、木彫用ノミ、サンドペーパー。
 やっているうちにオリジナルなものになってしまいました。
 下の写真です。

Photo_2

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短歌の花だより 二〇一一年十月八日 土曜日 多和神社の秋祭の宵宮。October 8th, 2011 Saturday The eve of a festival of the autumn festival of Tawa shrine.

二〇一一年十月八日 土曜日 多和神社の秋祭の宵宮。

 晴れ。

 さぬき市志度の多和神社の秋祭の宵宮を取材しました。
 伝統文化論のリポートのためです。
 獅子舞の動き、感激しました

 昨日からつくっていたハート形土偶ができあがりました。

 短歌雑誌用の二本の原稿を書き上げました。

October 8th, 2011 Saturday The eve of a festival of the autumn festival of Tawa shrine.

Fine.

I covered the eve of a festival of the autumn festival of Tawa shrine in Sanuki city Shido.
It is for writing a report of a traditional culture theory.
I moved the lion dance deeply .

I completed the heart form clay figure which was being built from yesterday.
I finished writing two MSS. for Japanese poem of 31 syllables magazines.

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【短歌】 妻、息子。

わが妻は 「いまは指宿(いぶすき)。もう食事。電話切ってね」 旅の最中か

「三十が 君のノルマだ」 押し付ける おじいちゃんの 本が出るんだ

「あなたのね、やってることに 賛成の 友見つけたよ」 旅行のみやげ

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【短歌】 「やっぱり食べたい」。

真夜中に 「やっぱり食べたい」 つくってる 肥満男の 悲しいさがか

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【短歌】 ちょうさ(太鼓台)の音に 浮かれ出ている。

トントントン 秋の夜中に 聞こえくる ちょうさ(太鼓台)の音に 浮かれ出ている

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2011.10.09

英語で日記 二〇一一年十月九日 日曜日 太鼓台がくるくる回りました。【写真、獅子舞、太鼓台くるくる】

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二〇一一年十月九日 日曜日 太鼓台が、くるくる回りました。

 晴れ。

 朝から夜まで、さぬき市志度の多和神社の秋祭の本祭を取材しました。

  この祭に登場した獅子舞が好きになりました。

 八人の男性が、捧げ持った太鼓台をくるくると回すシーンもありました。

 「こんなことができるんだ」と、感激しました。

 アパートに帰ってから、この祭のリポートを書きました。

October 9, 2011 Sunday  The drum stand turned round and round.

Fine.

I covered the autumn festival of  Tawa shrine in Sanuki city Shido,from a morning to night.

I took to the lion dance which appeared in this festival.

In this festival,there was a scene which the drum stand turned round and round by eight men.

I can't believe their show.
Ithought that people can do anything!

I wrote the report of this festival, after returning to my apartment.

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2011.10.10

英語で日記 二〇一一年十月十日 月曜日 本のゲラの三校。 October 10, 2011 Monday Three proofs of the galley of a book.

二〇一一年十月十日 月曜日 本のゲラの三校。

 晴れ。

 志度の祭のリポートを書き直しました。

 私たちの本のゲラの三校をしました。

 英作文の勉強をしました。

October 10, 2011 Monday Three proofs of the galley of a book.

Fine.

I rewrote the report about the festival of Shido.

I did three proofs  of the galley our book.

I studied English composition.

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【エッセイ】 結婚してから四十一年目……。

 あす十月十一日は、私たちが結婚してから四十一年目です。

 うーん。つぎが出てきません。

 また、のちほど……。

  【十月十一日】

 ひがとよさん、コメントありがとうございました。

 こんな男と四十一年も。よく我慢してくれています。

  結婚記念日にあたって妻に山本薩夫監督の映画のDVDを送ることにしました。

 「ベトナム」(一九六九年)と「トンニャットベトナム」(一九七七年)です。

 ベトナム人民とともにアメリカの人でなしの侵略戦争とたたかった僕たちの青春の記念として。

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2011.10.11

【写真】 この鳳凰(ほうおう)のように……。

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 さぬき市志度の多和神社のおみこしの鳳凰です。

 こういう「永遠」の輝きを持つ作品をつくってみたいと思っています。

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【エッセイ】 私の生き方についての文章を英訳しようと思っています。【大阪の「ひがとよ」さんメールありがとう。】

大阪の「ひがとよ」さん、メールいただきました。ありがとうございます。

 

 ところで、きょう、英語の時間に「私の生き方をテーマに二百字くらいで文章を書いてきなさい」というのが宿題が出ました。

  何とか書き上げたいと思っています。

 

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2011.10.12

英語で日記 二〇一一年十月十一日 火曜日 くずし字。October 11th, 2011 The character witten in running style.

二〇一一年十月十一日 火曜日 くずし字。

 晴れ。

 一時限目は、近世文書講読の授業でした。
 文書の読み下しをやりました。
 くずし字のものです。
 私は、まだ四分の一ほどしか文字を読みとることができません。

  大学構内でキンモクセイの花が咲いているのを見つけました。
  キンモクセイの木は二十七本もありました。
 
 夜は『高知の戦争 証言と調査』十五号の編集をしました。

October 11th, 2011  The character witten in running style.

Fine.

In the first period was modern document subscription.

We did reading down of a document.

It was the character witten in running style.

I can still read a character about 1/4.

I found that flowers of fragrant orange-colored olive were in bloom in our university.

The tree of fragrant orange-colored olive had 27.

I did edit of 15th "War testimony and investigation in  Kochi" at night.

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英語で日記 二〇一一年十月十二日 水曜日 「アジョシー」と「オッパー」。 October 12, 2011 Wednesday "Ajioshi" and "Opa".

二〇一一年十月十二日 水曜日 「アジョシー」と「オッパー」。

 晴れ。

 きょうは韓国語の時間に「アジョシー」(おじさん)と呼ばれました。
 でも僕は、いつまでも「オッパー」(お兄さん)と呼ばれたいと思っています。

October 12, 2011  Wednesday "Ajioshi" and "Opa".

Fine.

I was called "Ajioshi" (Occhan in Japanese) in Korean class today.
But I think that I would like to be called  "Opa" (elder brother).

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2011.10.13

【写真】 キンモクセイの花。【「ふくい」さん、コメント、ありがとうございます。】

Photo

 私たちの大学の構内のキンモクセイの花です。

 ひとつところに、この木が二十七本もあります。

 きょうは小雨のせいもあったのでしょうか、香りが強いように感じました。

 「わたしって こんなに素敵よ」 「ほんとだね」 キンモクセイの香に 溶け込んでいく

 (十月十三日)

  「ふくい」さん、コメントありがとうございます。

  しばらく、キンモクセイの花を撮ってみようと思っています。

 そちらのキンモクセイも見たいですね。

 

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【短歌】 結婚四十一年と三日目 妻との電話。

「手短に 話せることなら はい、どうぞ」 

いつもせわしげ

妻との電話

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【ニュース】こんな記事が出ていました。 戦争資料:次世代に伝える平和 今後の語り部に 草の家「遺品提供を」

 ここに、以下のような記事が出ていました。

 http://mainichi.jp/area/kochi/news/20111005ddlk39040722000c.html

 戦争資料:次世代に伝える平和 今後の語り部に 草の家「遺品提供を」 /高知
 次世代に平和の思いを--。

 平和資料館・草の家(高知市升形)では、各家庭にある戦争資料や遺品を募集している。草の家は次の世代に戦争の実情と平和の尊さを伝えるため、民営施設として89年に設立。これまでに約500点の戦争資料を保存しているが、ここ数年は新しい資料が集まらず、初めて提供を呼び掛けた。草の家会員の太田紘志さん(67)=高知市西秦泉寺=は「戦争の証言者がいなくなれば、戦争資料が平和を伝える大切な語り部となる。次世代に平和を伝えるためにも提供してほしい」と話す。
 募っているのは、戦争を伝える新聞や写真、映画フィルム、軍歌のレコード、戦地からの手紙や手記、教科書など。
 今年は「父よ、あなたは強かった」と書かれた戦時中のうちわや鉄かぶと、手投げ弾など8点が提供された。戦争資料は草の家で保管され、さまざまな平和活動に使われるという。来年3月に開催される企画展「うちんく(わが家)にあった戦争」でも展示の予定。
 太田さんは「資料が劣化してしまう危険性もあり、少しでも早めに持ってきてほしい。二度と戦争を起こさないためにも、一人一人の協力が必要だ」と訴えている。問い合わせは、草の家(088・875・1275)へ。

                    【黄在龍】

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2011.10.14

【ニュース】 高知で海軍第五航空艦隊の砲台跡を発見 十月十八日の記者会見のお知らせ。

  十月十三日夕、高知市の平和資料館・草の家が、十八日の記者会見のお知らせを高知県下の報道機関に送付しました。

 高知県だけでなく全国にも、またフリーのジャーナリストのみなさんにも発信すべきテーマだと思いますので、ここで、ご紹介します。

 以下、記者会見の案内の内容です。

 【現地記者会見のご案内】

  海軍第五航空艦隊の砲台跡を発見しました。

 現地に、ご案内します。

 

      2011年10月13日

 

            平和資料館・草の家

  このたび、平和資料館・草の家(高知市升形9の11)の研究員・福井康人が、香南市の山中で海軍第五航空艦隊の砲台跡を発見しました。その建設の経過についての当時の文書も発見されました。本土決戦期につくられたものです。

  本土決戦期の高知の状況を知る上で貴重な発見だと思います。

 この現地に、ご案内し、説明させていたただきたいと思います。

 10月18日(火曜日) 午前11時、

 平和資料館・草の家ホールに

 お集まりください。

 山に登ることのできる服装でおいでください。現地までの車はそちらでご用意ください。

 この件での、ご連絡、問い合わせは

 bqv01222@nifty.com (藤原)

 に、お願いいたします。

 福井が製作した資料もございます。メールをいたただければお送りします。

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【エッセイ】 大学卒業後の「学びの場」。

 十三日夜、妻に

 「いまの大学は来春、卒業だけど、ひき続き、こんな学校に行きたい」

 と、もうしのべました。

 妻は、

 「どうぞ、でも、授業料は、もうださんよ」

 「なまいうんじゃねえ。てやんぜえ。実は、ほんの少しだけ退職金が残っているんだぜ」

 と、ひそかに思っていますが、

 なお、低姿勢で、交渉を続けたいと思っていてます。

 ちなみに大学を卒業したころには、わたくしは六十五歳です。

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英語で日記 二〇一一年十月十三日 木曜日 飲み会。

二〇一一年十月十三日 木曜日 飲み会。

 晴れ。

 二時間目が終わってから高知市へ。

 記者会見についての打ち合わせをしました。

 飲み会に参加しました。
 小樽市出身の男性と話をしました。

October 13, 2011  Thursday Party.

Fine.

I went to Kochi, after the second period finished.

And we did the arrangement about a press conference.

I participated in the party .

Then, I talked with a man from Otaru city.

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英語で日記 二〇一一年十月十四日 金曜日 高知市長浜にあった海軍砲台についての資料。October 14th, 2011 Friday Data about navy battery which was in Kochi city Nagahama.

二〇一一年十月十四日 金曜日 高知市長浜にあった海軍砲台についての資料。

 雨。

 高知の戦争遺跡についての勉強をしました。
 ある女性からこんな電話がありました。
 「『高知の戦争 証言と調査』を定期的に購読したい」

 ある男性が、高知市長浜にあった海軍砲台についての資料を私の家に持ってきてくれました。

October 14th, 2011 Friday Data about navy battery which was in Kochi city Nagahama.

Rain.

I did study about the ruins of war in Kochi.

There was a call from a certain woman.

"I would like to subscribe to " War testimony and investigation in  Kochi ".

A certain man brought the data about navy battery which was in Kochi city Nagahama to my house.

 【参考】

 長浜の水平砲台設置は、アジ歴のホームページの「引渡目録 第十一特別陸戦隊」の4にあります。

「標題:引渡目録(3)」のナンバー

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2011.10.17

英語で日記 二〇一一年十月十五日 土曜日 剣山。 October 15, 2011 Saturday Mount Turugi.

二〇一一年十月十五日 土曜日 剣山。

 雲り。

 私は、朝からNさんの車に乗せてもらって徳島県の剣山へ向かいました。
 私たちは、三好市で「案山子の里」を見ました。
 そして、私たちは剣山に登りました。
 私は、そこで、雲の生まれる瞬間を目撃しました。

October 15, 2011 Saturday Mount Turugi.

Cloudy.

From the morning, I rode with Mr. N's passenger car, and went to Mount Turugi  in Tokushima Prefecture.

We looked at "the village of the scarecrow" in Miyoshi city.

And we climbed Mount Turugi .

I witnessed Mount Turugi the moment that clouds were produced.

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英語で日記 二〇一一年十月十六日 日曜日 剣山は晴れ。 October 16th, 2011 Sunday Mount Turugi is fine.

二〇一一年十月十六日 日曜日 剣山は晴れ。

 晴れ。

 私たちは、剣山の山小屋を出発して、剣山の頂上に登り、そして、下山しました。
 紅葉がすてきでした。

 その帰りに、Nさんと私は高知県大豊の「昭和三十年」くらいの物を展示している資料館を見学しました。

October 16th, 2011 Sunday Mount Turugi is fine.

Fine.

We left the cottage of Mount Turugi, reached on the top,and climb down.
Autumnal leaves were great.

On our way home from Mount Turugi, Mr. N and I inspected the museum which is exhibiting the things like "Showa 30 years" in Kochi Otoyo.

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【写真】徳島県三好市の「案山子(かかし)の里」。

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【写真】 徳島県の剣山(つるぎさん)で見たもの 一 雲のわく場所。

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【写真】 徳島県の剣山(つるぎさん)で見たもの 二 夜明け。

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【写真】 徳島県の剣山(つるぎさん)で見たもの 三 秋の木々たち。

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【写真】 徳島県三好市の山の集落。

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【写真】 高知県(おおとよ)の昭和資料の館。

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2011.10.18

【ニュース】 ボルネオのバリクパパンの海軍の慰安所についての記者会見。十月二十七日午前十時です。高知市の平和資料館・草の家の一階ホールにて。

 高知市の平和資料館・草の家(岡村正弘館長)は、十八日夕、つぎの「記者会見のお知らせ」を高知県下の各報道機関にファクス送信しました。
 内容が世界的課題であること、全国のフリージャーナリストのみなさんで、この問題に関心のあるかたがいらっしゃることから、私の一存で、お知らせすることにしました。


  報道各社 殿

 【記者会見のお知らせ】 バリクパパンの海軍の慰安所について

      2011年10月18日

                        平和資料館・草の家

 中曽根康弘・海軍主計中尉がアジア太平洋戦争中に「外地」で海軍の慰安所を取りはからったとして、各方面が追究してきました(本人は、いわゆる従軍慰安所ではないと否定してきました)。
 このたび、平和資料館・草の家の会員が、政府機関の公文書に、そのことを裏付ける資料があることをつきとめました。
 いつ、どこで、どのような性格の慰安所だったかがわかる資料です(なお、「どこで」はボルネオ島のバリクパパンでした)。
 この資料が、どこにあるか、どんな内容なのかをお知らせしたいと思います。おいでいたただければ幸いです。

  10月27日(木)午前10時
  平和資料館・草の家1階ホール

  平和資料館・草の家
  

   〒780-0861  高知市升形9の11
   電話 088-875-1275
   メールでのお問い合わせは
   bqv01222@nifty.com (藤原義一) まで

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【ニュース】 呉鎮守府第十一特別陸戦隊の手結(てい)砲台跡を発見。

 ● 「日テレNEWS24」

  http://news24.jp/nnn/news8771299.html">http://news24.jp/nnn/news8771299.html

 

  旧日本海軍の砲台跡香南市の山中で発見(高知県)

 香南市夜須町の山中で見つかったのは、縦、横、高さがそれぞれ6メートルのコンクリートでできた砲台の跡で、砲身7.2メートルの水平砲が設置されていたとみられている。この砲台跡を発見したのは高知市の平和資料館「草の家」で研究員を務める福井康人さん。福井さんは十数年前から戦争遺跡の発掘・調査を続けていて、2008年に防衛省に保管されている旧日本海軍の資料の中に、この地に砲台を設置したという記述をみつけた。その後、何度も現地に足を運び今月3日、ようやくこの砲台跡にたどりついた。旧日本海軍の資料によると、砲台は太平洋戦争末期の1945年6月から7月にかけて作られたもので、設置された方向には旧高知海軍航空基地、現在の高知龍馬空港がある。これは連合軍の上陸・占拠に備えて、基地ごと破壊することを想定していたものと考えられている。砲台は終戦後まもなく進駐軍に爆破され、壁の一部が谷底に落ちているが、ほぼ原型をとどめているコンクリート製の砲台の発見は、県内では初めてだという。また旧海軍資料にあった設計図通りに、砲台跡のすぐ裏には長さ90メートルを超える壕が掘られていて軍の居住区や弾薬庫として利用されていたという。(後略)

  [ 10/18 17:48 高知放送]

 ● 読売オンライン

 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/news/20111018-OYT8T01122.htm

 戦争末期の砲台跡発見 占領に備え海軍基地射程


 太平洋戦争末期、本土決戦に備えて旧海軍が建設した砲台跡が香南市夜須町の山中で見つかり、調査した平和資料館・草の家(高知市升形)が18日、発表した。県内では3例目で、壁の一部が崩れながらもほぼ原型を保っている。砲台は終戦直後、進駐軍がことごとく爆破しており、当時の姿をとどめた形で見つかるのは珍しいという。(森本健裕)

 砲台跡は山の中腹(標高120メートル)にあり、幅、高さ各約6メートル、奥行き約7メートル。壁が崩れ、屋根が傾いた状態で発見された。すぐ裏には、兵士が居住し、弾薬や食料を保管するための壕(ごう)が掘られ、電線の絶縁部品もあった。草の家によると、県内には南国、須崎両市に砲台跡があり、天井まで残っていたのは初めて。
  防衛省防衛研究所(東京都)が保管する旧海軍第317設営部隊(広島県呉市)の日誌によると、今回の砲台は1945年6月23日~7月10日に建設され、戦艦の側面に搭載される副砲(砲身7・2メートル、口径140ミリ、最大射程距離19・1キロ)を設置。旧高知海軍航空基地(現高知空港)のある西を向いており、連合国軍が県内に上陸し、基地を占領した場合、基地を破壊して撃破することを想定していた。

 日誌を閲覧した草の家研究員の福井康人理事(41)が2008年、調査を開始。山中に十数回入り、建設時に掘り起こされた軟らかい土を探すなどして突き止めた。(後略)

(2011年10月19日  読売新聞)

 ● アサヒコム

 http://mytown.asahi.com/kochi/news.php?k_id=40000001110190002

 旧海軍 砲台跡発見
 2011年10月19日

 香南市夜須町の山中で、太平洋戦争末期に旧海軍がつくった砲台跡が見つかった。平和資料館・草の家(高知市)が18日、現地で発表した。
 防衛省が所蔵する旧日本軍の資料をもとに、草の家の福井康人研究員(41)が調査し、今月3日に発見した。砲台跡は横6メートル、高さ6メートル、奥行き7メートルのコンクリート製。片方の壁が崩れているため天井が落ちているが、原形はほぼとどめている。すぐ後方に兵隊の居住地や弾薬庫に使われたとみられる約90メートルのトンネルも見つかった。
 砲台跡とトンネルは軍の図面とほぼ一致。資料によると、砲台は1945年6~7月に海軍の設営部隊が建造。本土決戦に備え、海軍航空隊基地があった現在の高知龍馬空港方面に向けて砲身7・2メートルの平射砲を設置したが、使用されずに終戦を迎えたという。砲台は戦後、進駐軍が爆破したとみられ、砲台跡から約30メートル下には柱とみられるコンクリート塊も見つかった。(後略)
 (中島嘉克)

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2011.10.19

昭和天皇のアメリカ軍の原爆投下についての考え方。

 ここを、ごらんください。

 http://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A&feature=related

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英語で日記 二〇一一年十月十七日 火曜日 高知へ行きました。October 17th, 2011 Monday I went to Kochi.

二〇一一年十月十七日 月曜日 高知へ行きました。

 雲り。

 私は、調査のための資料をかかえて、高知市へ行きました。
  私は、私たちの家に、午前一時に到着しました。

October 17th, 2011  Monday I went to Kochi.

cloudy.

I held the data for investigation and went to Kochi.

I arrived at our house at a.m. 1.

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英語で日記 二〇一一年十月十八日 火曜日 山の中腹の記者会見。 October 18th, 2011 Tuesday The press conference in the mountain side.

二〇一一年十月十八日 火曜日 山の中腹の記者会見。

 晴れ。

 平和資料館・草の家が、記者会見を開催しました。
 それは、海軍第十一特別陸戦隊の手結(てい)砲台跡についてのものでした。
 草の家から岡村正弘館長、発見者の福井康人研究員、そして、私が参加しました。
 記者会見には、三つのテレビ局、五つの新聞社が参加しました。
 記者会見の場所は、山の中腹でした。
 私たちは、四十五度ほどの斜面を石や木をつかんで登りました。

 午後七時の高速バスで、香川県に帰って来ました。

October 18th, 2011  Tuesday The press conference in the mountain side.

Fine.

Grass root house peace museum held the press conference.
It was about Tei navy battert ruins.
From Grass root house  peace museum,Okamura Masahiro director, Fukui Yasuto researcher(he discovererd this), and I participated in this.
Three television stations,five newspaper companies participated in the press conference.
The place of the press conference was held in the mountain side.
We grasped stones and  trees and climbed the slope of about 45 degrees.

I came back to Kagawa Prefecture by the high speed bus at 7:00 p.m.

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中曽根康弘・海軍主計中尉が「苦心して」「つくってやった」慰安所とは、どのようなものだったのでしょうか。

   
 中曽根康弘氏は、かつて「二十三歳で三千人の総指揮官」という題名の文章を書いています。「衆議院議員 中曽根 康弘 (海軍主計大尉)」の名でです。松浦敬紀編著『終わりなき海軍』(文化放送センター。1978年8月30日)の90-98ページに載っています。

 つぎのようなことを書いています。

 ・ 海軍主計中尉だった1941年11月26日、設営隊の主計長を命ぜられた。部隊を編成し、11月29日に出航した。目的地は、フィリピン、インドネシアだった。

 ・ 12月8日の開戦と同時に、「わが船団」は、ダバオに突入した。早速、飛行場設営の仕事が始まった。

 ・ その後、バリクパパンに進入した。

 ・ 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。………」

 

 ここでいう「慰安所」とは、どんなものだったのでしょうか?

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2011.10.20

英語で日記 二〇一一年十月十九日 木曜日 記者会見のための勉強。October 19th, 2011 Wednesday Study for a press conference.

二〇一一年十月十九日 水曜日 記者会見のための勉強。

 晴れ。

 私は、授業が終わってから、つぎの記者会見のための勉強をしました。
 私が、それを終えたのは午前三時でした。

October 19th, 2011 Wednesday Study for a press conference.

Fine.

I studied for the following press conference, after the lesson finished.

I finished it at 3:00 a.m.

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【ハングル】 一、二……。一つ、二つ……。

http://www.youtube.com/watch?v=iB_Y5kOYOIo&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=FL2Fw6ke_6E&feature=related

 これを明日の朝までに覚えるつもりです。

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【An assay】 This is my way of life.

I joined the Japanese Communist Party at the age of 18.
That is because I would like to build Japan, which many people regard as "I am
happy to live in this country."
I would like to build the government which enforces the Constitution of Japan extensively in this country.
Of course, it is the government which enforces "regulation of not having an army and not engaging in war" as it is.
Also systematically, the governments of the Soviet Union, China, and North Korea have interfered with the Japan Communist Party.
It is because they wanted to control the Japanese Communist Party as they like.
Our political party fights against such interferences and is eliminating and surviving each interference.
We fought with the people of Vietnam against the aggression of the American Empire.
We were opposed to the aggression of the Soviet Union against Czechoslovakia.
We are trying to eliminate the American military and economical rule to Japan now.
I am proud of those things.
Under imperial rule, Japan invaded many countries.
People of many countries united against the terrible experience.
The Japanese government is not recognizing that.
I have worked on them through the power of speech, and it should be recognized.
This is my way of life.

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英語で日記 二〇一一年十月二十日 木曜日 引き続き記者会見のための勉強。October 20th, 2011 Thursday Then, study for a press conference.

二〇一一年十月二十日 木曜日 引き続き、記者会見のための勉強。

 晴れ。

 私は、夕方まで、つぎの記者会見のための勉強をしました。
 
 私は、夜、英作文の勉強をしました。
 
 そして、私は、『高知の戦争 証言と調査』十五号の編集作業をしました。

October 20th, 2011  Thursday Then, study for a press conference.

Fine.

I studied for the following press conference till evening.

I studied English composition at night.

And I edited 15th "Testimony and investigation warin Kochi".

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2011.10.21

【ニュース】 小澤征爾さんの弁。「原発はすばらしい、地球を汚さないものだと信じていた。あのような事故を起こすとは知らず、本当に恥ずかしいことだと思っています」、「日本人の力や知恵、行動力、努力を信じています。原発がだめなら違うものがあるんだと示せると信じています」。

 

 NHKの、このサイトのものです。

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111019/t10013356741000.html

 小澤征爾さん 会見で原発語る

 10月19日 6時56分   

 世界の優れた芸術家に贈られる「世界文化賞」をことし受賞する指揮者の小澤征爾さんが、18日、東京で記者会見し、受賞への思いや、東京電力福島第一原発の事故に対する考えなどを語りました。
 (中略)
 (小澤さんは)ことし3月から抱いていたという福島第一原発事故に対するみずからの考えを述べました。この中で小澤さんは、「原発はすばらしい、地球を汚さないものだと信じていた。あのような事故を起こすとは知らず、本当に恥ずかしいことだと思っています」と話し、「日本人の力や知恵、行動力、努力を信じています。原発がだめなら違うものがあるんだと示せると信じています」と述べました。(後略)

このニュース、十九日付の四国新聞でも読みました。四国新聞は、小澤征爾さんの、この発言の後半の所を紹介していました。NHKの、このサイトのものは、その前の「原発はすばらしい、地球を汚さないものだと信じていた。あのような事故を起こすとは知らず、本当に恥ずかしいことだと思っています」という発言も紹介していて説得力がありました。

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この前の戦争中の子ども向けの戦意高揚の歌二十四曲。

 夜、この前の戦争中の子ども向けの戦意高揚の歌二十四曲をCDで聴きました。

 いずれも、「いい音楽」でしたが、聴いていて、ぞーっとしました。

 このようにして子どもたちを大元帥(だいげんすい)・天皇万歳、勝つぞ戦争……という方向に巻きこんでいったのですね。

 国家の意を受けてのものでしょうが、当時の音楽産業、作詞家、作曲家、演奏家、歌手たちの責任も明からにされなくてはいけないと思いました。

 当時の音楽の大勢が海外侵略、大量殺人・破壊の武器だったことを忘れてはならないと思いました。

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英語で日記 二〇一一年十月二十一日 金曜日 私は、授業にいけませんでした。 October 21st, 2011 Friday I did not attend a lesson.

二〇一一年十月二十一日 金曜日 私は、授業にいけませんでした。

 雲り。

 私は、『高知の戦争 証言と調査』十五号の編集作業をしました。
 私は、原稿のゲラを二人のかたに送りました。

 私は、編集作業に夢中になっていて、授業に出られませんでした。

 私は、夕方になってやっと外出しました。

October 21st, 2011  Friday  I did not attend a lesson.

Cloudy.

I edited 15th"Testimony and investigation war in Kochi  ".
I sent galleys of the manuscript to two persons.

I am absorbed in editing work and did not attend in a lesson.

I went out in the evening at last.

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【歴史、地理の自習の時間】 第二次世界大戦の「放火者」はドイツとソ連。

ここを見てください。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BE%B5%E6%94%BB

 密約で
 ドイツとともに 「放火」した
 ソ連が裁く 戦争は何?

 DVD「ニュルンベルク裁判」(一九四六年、ソ連)を見て、むかつきました。
 「おいおい、あんただろう。あんたも戦争犯罪人だろう!!!」という感じでした。

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【短歌】 若者を 特攻させた 大元帥(だいげんすい)……。

 若者を 特攻させた
 大元帥(だいげんすい)
 「あっ、そう」「あっ、そう」 戦後を生きた

 大元帥というのは日本の侵略戦争を指揮した最高責任者です。

 DVD「神風特攻隊」を見ての感想です。
 このドキュメント事態は特攻賛美のものでしたが……。

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2011.10.22

【資料集】倉敷航空化工株式会社、倉敷飛行機株式会社(高松、坂出)の木製飛行機づくり。

 ○ 倉敷紡績株式会社社史編纂委員『回顧六十五年』(倉敷紡績株式会社。一九三五年) 

 倉敷紡績の航空機製造の経緯。

 ・ 一九四三年一月、航空機部を新設。航空機部長に原田昌平を任命。三菱重工業水島航空機製作所の協力工場として、つぎの事業計画に着手しました。
 三菱水島製作所で製作する海軍陸上攻撃機の翼類一式を製作するものとし、単一金属部品は、三菱から供給をうけ、板金作業と、その後の集成、組立作業をする。
 工場は、萬壽工場、倉敷工場をあてました。
 同年八月一日、萬壽工場の名を航空機部萬壽製作所と改称しました。
 ・ 同年末、傍系事業として、東京飛行機株式会社の経営援助に乗り出しました。
 ・ 同年十二月四日、倉敷紡績高松工場が、東京飛行機株式会社高松製作所になりました。
 ・ 一九四四年二月、社名を倉敷工業株式会社と改称すると同時に、工場名も萬壽航空機製作所と改めました。
 ・ 同年六月一日、倉敷工場を萬壽航空機製作所第二工場と定めました。プレス類などの機械設備を整備し、動員学徒を受け入れ、短期養成のあと、十月から鈑金に鈑取り、鈑金部品製作の本格操業に入りました。
 ・ 同年十月、会社名を倉敷飛行機株式会社と改称しました。倉敷紡績から、高松工場、坂出工場を貸与しました。
 ・ 一九四五年はじめ、倉敷紡績坂出工場は、倉敷飛行機株式会社坂出製作所として木工部品の生産をおこないました。
 ・ 同年一月以後、三菱製作所は紫電戦闘機の製作に着手するようになりました。三菱製作所は、萬壽航空機製作所を、その主翼の生産にあててきました。
 ・ 同年三月、軍需省は、高松製作所の工場疎開を指令しました。そこで、疎開地として香川県牟礼村を選定し、ここに分散式半地下の建設に着手しました。
 ・ 同年四月八日、萬壽航空機製作所は、紫電戦闘機の主翼の生産のため早島工場を萬壽航空機製作所第三工場としました。
 ・ 同年七月四日、アメリカ軍の空襲で、高松飛行場は全焼しました。

 同書の「わが社の事業概要(昭和二十年四月現在)」につぎのような記載があります。
 「三、 航 空 機 部
 萬壽航空機製作所 (萬壽、倉敷、早島各工場)
 鈑金加工、翼関係組立
 四、 航 空 機 部
 廣島、玉島、木曾川 各製造所
  航空機用オイルポンプ 及び 機械部品製造」
 「八、 傍 系 事 業
 倉敷航空化工株式会社 (木製飛行機、プロペラ、航空薬品、人絹、スフの製造)
 倉敷飛行機株式会社 (高松、坂出工場貸与、 木製飛行機の製造)
 ……」
 

 ○ 株式会社クラレのホームページ

 1926(大正15)年
 「倉敷絹織(株)」創立(社長 大原孫三郎)
 1928(昭和3)年
 レーヨン長繊維(糸)事業化
 倉敷でレーヨン糸生産開始
 1933(昭和8)年
 新居浜でレーヨン糸 生産開始(1942生産停止、1943大日本麦酒(株)に譲渡)
東京、大阪株式取引所に上場
 1936(昭和11)年 
 西条、岡山でレーヨン糸 生産開始
 1937(昭和12)年
 レーヨン短繊維(綿)事業化(西条)
 1938(昭和13)年
 レーヨン設備能力が戦前ピークに達する
 1939(昭和14)年
 倉敷工場 地鎮祭
 社長に大原總一郎が就任
 京都帝国大学 桜田教授の研究グループがポリビニルアルコール繊維を開発。「合成一号」と称する
 1940(昭和15)年
 ポリビニルアルコール、同繊維の製造試験設備 設置(岡山)
 中国産業[現 クラレケミカル]設立
 1943(昭和18)年
 角一ゴム[現 クラレプラスチックス]に資本参加
 社名を「倉敷航空化工(株)」に変更[一九四三年]
 終戦まで西条工場を除いて合板と木製飛行機を生産
 1945(昭和20)年
 終戦により軍需生産中止
 社名を「倉敷絹織(株)」に復帰

 ○ ホームページ「日本海軍機史」の「練習機 幻の翼」

   練習機「東海・改」

 昭和19年当時、陸上攻撃機の生産は「銀河」一種に決定されていた
が、その操縦員の養成には、単発練習機での過程を終えただけで双発
の「銀河」に移行するには無理があり、哨戒機「東海」を並列操縦式
に改造した機体(Q1W1-K)を応急的に使用していた。この頃から海軍
では軍用機の木製化が本格的になり、九州飛行機に対して「東海」を
基礎とした全木製双発練習機の試作指示が出された。
 本機は九州飛行機で設計を行い、生産は倉敷航空化工がうけもつこ
とになり、木製構造の試験研究も進んで見通しも明るかったが、強度
試験段階まできたとき終戦となったため、実機の完成は見ることが出
来なかった。しかし、軍用機の木製化計画では最も初期に着手された
機体であり、後に続く木製化計画に多くの資料を残した。

  陸上哨戒機「東海」(Q1W1~2)

 陸上を基地とする対潜水艦哨戒機として唯一のもので、電探を装備
し、戦争末期に本土近海の哨戒に当たった。しかし使用期間は短く、
また、すでに制空権を奪われた戦域での行動範囲は限られ、新機種と
注目されながらも、好機に恵まれず一般にはあまり知られずに終わっ
てしまった。

 ◎ 製作所
  九州飛行機      生産機数 153機

 備 考  陸上爆撃機「銀河」の搭乗員養成のため「東海」を並列複操縦
     式に改造した(Q1W1-K)が作られたが、機首側面に張り出しが設
     けられているのが相違点で九州飛行機で少数機生産された。また
     本機を全木製化する計画があり、設計は九州飛行機で試作は倉敷
     航空化学が行う予定であったが、強度試験の途中で終戦になった。

 ○ ウィキペディア 九州飛行機

 九州飛行機(きゅうしゅうひこうき)は第二次世界大戦中にあった日本の航空機メーカーである。他社が設計した軍用機の生産が主であったが、エンテ型飛行機の試作戦闘機「震電」を製作した。

 福岡市の渡邊鉄工所(現・ 渡辺鉄工株式会社)が1935年(昭和10年)より飛行機の製造を開始。1943年に航空機製造部門を分離し九州飛行機を設立、渡邊鉄工所は九州兵器に改名した。
 雑餉隈工場は現在の南福岡駅から陸上自衛隊福岡駐屯地周辺に約12万坪の敷地を要し、零式水上偵察機約1,200機など16種の機体を製造した。
 工場では社員以外にも勤労学徒や女子挺身隊の人々が昼夜を徹して交代勤務で生産に従事した。
 終戦直後、工場は米軍に接収され1945年(昭和20年)12月時点で約1,500名の米兵が駐屯した。

 機体リスト

 九六式小型水上偵察機(E9W)
 十八試局地戦闘機「震電」(J7W)
 二式陸上基本練習機「紅葉」(K9W)
 二式陸上中間練習機(K10W)
 機上作業練習機「白菊」(K11W)
 陸上哨戒機「東海」(Q1W)

 参考文献

 渡辺 洋二『異端の空 太平洋戦争日本軍用機秘録』文藝春秋社 2000年 ISBN 13 978-4167249090
 川口勝彦・首藤卓茂『福岡の戦争遺跡を歩く』 海鳥社 2010年 ISBN 978-4-87415-786-2

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【資料】 アジア太平洋戦争下の竹槍訓練の実際。

 ○ http://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/ac3fdca56372f9b3fe5d5e088955cafa

 東京新聞 2008/8/12付 「発言」コーナーの投稿

 ●投稿者;千葉県千葉市の無職・女性、90歳
 ●タイトル;終戦直前の竹槍訓練
 ●本文;
 
 (前略) あれは昭和20年7月末日、村役場から緊急の回覧板がきた。
 「アメリカ兵が進撃してきたとき、身を守るために竹槍訓練をする。各戸1名小学校[国民学校]へ参集のこと」。男はみな戦場へ行き、婦人、老人は農作業に必死だ。娘たちは「女子挺身隊」となって軍需工場へ出向し、中学生は勤労動員で町の工場へ行っていた。
 訓練に出るのは私のような子連れか、よぼよぼの老人か大柄な小学生だ。私も7ヶ月の息子を背負って手ぬぐいの鉢巻を締め、青竹の槍を担いで丘の上の小学校へと急ぐ。
 校庭についてみると指導者はなんと豆腐屋の元さんだ。古い軍服を着て威張っている。「整列。気を付け。1.2.3歩進んで突けェ!」「エィエィオー」。説明も何もない。「突け!」一筋である。
 「徒歩の米兵が素手で縦一列に並んで来るべかね」「こんな山の中へ何用あってくるだろうね」・・・。「しゃべってないで、もっと突け!」と元さん。老人はせき込んで座ってしまう。赤ん坊は暑さとひもじさで泣き出す。真っすぐ並んで立っているのは土手のヒマワリだけ。
 数日後に広島に原爆が落ちるなど夢にも思わず、8月15日に終戦だなどとつゆ知らず、最初で最後のエィエィオーを繰り返した。
 (後略)

 ○ 広島市での竹槍訓練の写真

 http://blogs.yahoo.co.jp/mitokosei/26203136.html

 ○ 一九四五年の香川県立大川高等女学校で

 http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2010/12/post-342e.html

 ○ http://zenmz.exblog.jp/1494168/

   私の8月15日

 ★60年前、私は15歳。京都から疎開した広島・西条に住んで3年目でした。(中略)
 ★その前日には青年団の竹槍訓練に出て行って「物陰に隠れて鬼畜米英の脇腹を突く。肉を切らせて骨を断つ」と教えられたばかりだったのです。
 ★最後の竹槍訓練はすさまじいものでした。「戦闘の実際を体験させる」ために始めて手渡された小銃には実包が込められており、肩の鎖骨後ろに台座を置いて一発づつ発射する”実戦訓練”があったのです。土嚢に這いつくばって撃ったのですが、ビックリしたのは反動のすさまじさ! 小さな身体が後ろにのぞけり返る感じで、それは怖ろしかった! 
 ★本土決戦とはこんな戦いか? 武者震いしながら張りつめた気持ちでした。それだけに翌日、敗戦を知った時の不思議な気分・・・アッケナク戦争は終わった! 竹槍も、小銃も、使うことはもうない。一種の虚脱を伴いながら、「鬼畜米英が目の前に出てきたら・・・どうしたらいいのか?」 漠とした不安を覚えたものでした。
 (中略)
 ★最後の竹槍訓練で「肉を切らせて骨を断つ」と大上段に太刀を構えて振り落としてみせた校長先生は、その翌月には「一人一人を大切にする新しい教育」を熱っぽく語るようになっていました。
 (後略)

 ○ ホームページ「読谷村史」

 http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec01/cont00/docu038.htm

 

   一九四三年(昭和十八)五月、北部太平洋のアッツ島が玉砕した。以後、南洋の島々でも玉砕が相次ぎ、日本軍にとって戦局は悪化の一途をたどっていった。
 やがて沖縄近海まで米軍機が飛来するようになり、敵機来襲に備えて国民学校でも連日、防空訓練、避難訓練、竹槍訓練(上級生による)等が実施された。中でも竹槍訓練は「鬼畜米英打倒」の名のもとに、各字でも青年団、婦人会を中心に実施された。
 村役場においては、各字の幹部(役員・警防団長)を集めて竹槍の作り方や使い方の講習会が軍の指導で行われた。いま考えると全く幼稚な発想であるが、当時は真剣そのものであった。
 (後略)

 ○ 「やえやまネット」

 http://jaima.net/modules/readings/index.php?content_id=160

 乙女たちの戦争体験 Page3 (八重山高等女学)

 

  (前略) 「自習していると、カラン~と鐘がなった。朝会場へ集合し、泊先生に其の日の人員を報告した。体操をし、朝会を終へて教室へ入った。一時間目数学、二時間目家事、三時間目音楽、四時間目図画。各々の時間が終へて昼食である。今日は何だか昼時間が早い様だ。皆と一緒におべんとうをいただき、その後はお話や色々な歌を歌って遊んだ。少時遊んでいると、午後からの授業を知らせる鐘が鳴った。五時間目は修練であった。六時間目は農業であった…」
 当時の学校の授業には、修練、農業などの、今では見られない科目があった。農業の時間には校舎の北にあった運動場の一角の畑に野菜などを植えさせられた。「食料が不足するから、増産のためだと」。日記によると、作業の時間に、馬糞拾いなどもおこなっている。道に落ちている乾いた馬糞を拾ってきて肥料として学校の畑に入れるのである。修練の時間にはバケツリレーなどの防空演習、竹槍訓練、手旗信号などをやった。
 「わら人形を、突いた瞬間抜きなさいと教えられた。なぜなら、人間の体は突かれたら締まるから、瞬間に抜けと。竹槍は1メートル50くらいの竹を20~30センチくらい斜めに切って、火にあぶって、蝋を塗って、…まったく原始時代」
 (後略)

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英語で日記 二〇一一年十月二十二日 土曜日 木製飛行機づくりと竹槍訓練。 October 22nd, 2011 Saturday Production of a wooden airplane, and bamboo spear training.

二〇一一年十月二十二日 土曜日 木製飛行機づくりと竹槍訓練。

 雲り。

  午前中に集まりがありました。
 私は、遅れかけて十五分でかけつけました。
 「セーフ」でした。

 私は、アパートに帰ってからアジア太平洋戦争中の、木製飛行機づくり、竹槍訓練について勉強しました。

October 22nd, 2011  Saturday Production of a wooden airplane, and bamboo spear training.

Cloudy.

A gathering was held in the morning.
I am behind and attended in 15 minutes.
It was "safe."

I studied about the production of a wooden airplane and bamboo spear training, after returning to my apartment.
Both of them were the occurrences under Asia-Pacific war.

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【ニュース】 また、これらの政党が、国民の税金を吸い取ってしまいました。民主、自民、公明、みんな、社民、国民新、たちあがれ日本、新党日本、新党改革。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-21/2011102102_02_1.html

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2011.10.23

【エッセイ】 「全国革新懇ニュース」十月号の妻の十一行の投書が、きつかけで……。

  「全国革新懇ニュース」十月号に「つれあい」の高知市・藤原尋子の投書が載りました。十一行です。

  本日、十月二十三日、埼玉県東松山市の高知県出身の女性から電話をいただきました。
 「奥さんの記事、見ました。藤原さん、高知に帰っているんですねえ」
 「いや、香川県さぬき市にいます。女房は高知市ですが……」
 「えっ……」
 「実は、……」
 八月に私が「しんぶん赤旗」に「高知発」で書かせてもらった少し長め記事は読んでおられませんでした。

 「つれあい」の記事については、以前にも大阪の人から「出てましたね」とメールをいただきました。
 短い署名記事の威力はすごい。

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【写真】 川の土手のコスモスの花 (高松市)

Photo_2

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英語で日記 二〇一一年十月二十三日 日曜日 萌音(もね)さんは素晴らしい歌声の持ち主。 October 23rd, 2011 Sunday Mone has a good singing voice.

二〇一一年十月二十三日 日曜日 萌音(もね)さんは素晴らしい歌声の持ち主。

 雲り。

 私は、 シンガーソングライターの萌音(もね)さんの歌を聴きました。
 彼女は、十六歳です。
 彼女は歌声は澄みとおっています。

October 23rd, 2011 Sunday   Mone has a good singing voice.

Cloudy.

I enjoyed Mone's songs.
She is 16 years old.
She is a singer-songwriter.

She has a good singing voice.

  「ユーチューブ 萌音」で検索すれば、曲を聴くことができます。

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【映画】 「激戦! 太平洋戦争 満州・南方軍戦闘編」、「激戦! 太平洋戦争 真珠湾・南太平洋死闘編」。

 DVD「激戦! 太平洋戦争 満州・南方軍戦闘編」、「激戦! 太平洋戦争 真珠湾・南太平洋死闘編」(板倉出版社)を見ました。
 貴重なフィルムで描かれていますが、コメントの内容がひどい。戦争中については大元帥を美化、占領期については占領軍を美化、現在については日米同盟を美化。おおおー。
 同じフィルムで史実にもとづいたものをつくってみたい。

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【口のききかた】 「は」の使い方についての一考察。

  「あんた。最近、写真は、素晴らしいわよ」

 私のブログを見ての「つれあい」の発言です。

 写真はいいが、文章はゴチャゴチャしてとのことです。 

 「おんしゃー。喧嘩を売る気か!!」という感じにもなりかねませんね。

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2011.10.24

【資料】 ボルネオのバリクパパン アジア太平洋戦争中と、いま。

 アジア太平洋戦争中のボルネオのバリクパパンについて書いてあるページがありました。 

  http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200903/article_31.html

いまのバリクパパンの様子です(衛星写真)

  http://www.worldmapfinder.com/Google_Earth.php?ID=/Jp/Asia/Indonesia/Balikpapan

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【ニュース】 「娘らが書いた父の海中特攻」。近日、発売。

Photo

 本日、この本のゲラの五校が終りました。

 高知市の「つれあい」と電話で連絡を取り合っての作業でした(私は、さぬき市在住です)。

 「娘らが書いた父の海中特攻」は、帯のフレーズです。

 税込千五百円です。

 

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英語で日記 二〇一一年十月二十四日 月曜日 フランスパン二つ。 October 24th, 2011 Monday  Two French bread.

二〇一一年十月二十四日 月曜日 フランスパン二つ。

 雲り。

 私は、自分の身体が、いつもより重たいように感じます。
 実は、私は、昨夜、フランスパンを二つ食べてしまったのです。
 

 授業の合間に、ボルネオのバリクパパンのことを勉強しました。

 私たちの本の五校をしました。

October 24th, 2011 Monday  Two French bread.

Cloudy.

I think that my body is heavier than usual.
In fact, I have eaten two French bread last night.

In the intervals of the lesson, I studied about Balikpapan in Borneo.

I did five proofs  of the galley of our book.

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2011.10.25

英語で日記 二〇一一年十月二十五日 火曜日 私の趣味。 October 25th, 2011 Tuesday My hobby.

二〇一一年十月二十五日 火曜日 私の趣味。

 雲り。

 英語の先生は、授業で、私たちに英作文の課題を出しました。
 私は、「私の趣味」というテーマで、エッセイを書きました。
 本や小冊子の出版。
 短歌を詠むこと。
 自分のブロクの更新。
 私は、この文章を十分くらいでつくりました。
 先生は、私の文章を添削してくれました。
 九割がたOKでした。

 夜、私は、また、記者会見の準備をしました。

October 25th, 2011 Tuesday My hobby.

Cloudy.

Our English teacher gave English compositions to us in the lesson .
I wrote the essay.
My theme  was "my hobby".
Publication of a book or a booklet.
Compose a Japanese poem of 31 syllables.
Renewal of my blog
I built this text in about ten minutes.
Our teacher corrected my text.
They were 90-percent OK.

I also prepared for the press conference at night.

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2011.10.26

【エッセイ】 「○○え行く」というとき、なぜ「○○へ行く」と書くのでしょうか。

 朝から「つれあい」に電話で「このことを教えて」の電話。

 一、「○○え行く」というとき、なぜ「○○へ行く」と書くのでしょうか。
 きのう江戸時代の文書を読んでいたら、この場合の「え」は「江」と書いてあるものがあったけど、いつから「へ」と書くようになったのでしょう。なぜ、こんな変な日本語になったのでしょうか。

 二、奈良時代の文書で「把ラシム」というのが出てきましたが、この「つかむ」をどう読むのでしょうか。

 妻は、「いますぐですか?」(後ろ上がりで、「朝からうっとうしいなぁ」という感じ)
 「いや、五分後でいいよ」
 「はい、はい」(「もーっ、勝手なこといわないでよ」という感じ)

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2011.10.27

ボルネオ島バリックパパンの日本海軍の「設営班慰安所」の件、ここにアップしました。

ボルネオ島バリックパパンの日本海軍の「設営班慰安所」の件、ここにアップしました。

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-191b.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-4383.html

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英語で日記 二〇一一年十月二十六日 水曜日 洗濯。 October 26th, 2011 Wednesday  Laundry.

二〇一一年十月二十六日 水曜日 洗濯。

 晴れ。

 いい気分で洗濯を楽しみました。

 

 高知市の自宅に帰ってから、午前零時過ぎまで記者会見の準備をしました。

October 26th, 2011  Wednesday  Laundry.

Fine.

I enjoyed laundry in a good mood.

I prepared for the press conference to past twelve midnight, after returning to our house in Kochi.

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英語で日記 二〇一一年十月二十七日 木曜日 高知市での記者会見。 October 27th, 2011 Thursday A press conference in Kochi.

二〇一一年十月二十七日 木曜日 高知市での記者会見。

 晴れ。

 午前十時から、高知市で記者会見をしました。
 会見で発表する人は四人。私も、その一人でした。

 記者会見を終わって、その様子を私のブログにアップしました。
 この間、親しくなった何人かの人たちにメールを送りました。

 私の妻と一緒に食事をしたあと、高松駅行きの高速バスに乗りました。

 バスのなかで、韓国語の授業の宿題を仕上げました。

October 27th, 2011 Thursday  A press conference in Kochi.

Fine.

We gave an interview from 10:00 a.m. in Kochi.
Those who announce at an interview are four persons.
I was also one of them.

The press conference was finished and I also raised the situation to my blog.

I sent e-mail to some people who became intimate recently.

I took the high speed bus for Takamatsu Station, after having a meal together with my wife.

The homework of the Korean lesson was finished in the bus.

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2011.10.28

二十七日にアップした「中曽根さんのつくった海軍慰安所」の記事、いろんなサイトが取り上げてくれています。おかげさまで、この記事は、すごいアクセス数になっています。

 この記事を紹介してくれているのは、たとえば、このサイトです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-191b.html

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/63a687a23f53e53682b0e31124bc12a9

http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2433.html

http://tweetbuzz.jp/entry/75273652/fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-191b.html

 【追記】

 この記事は、二十八日午後三時アップしましたが、たくさんのかたがアクセスしてくれています。

 

 二十七日  八百八十八

 二十八日  五千七百六

 二十九日    午前八時に一千を超えました。

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【ニュース】  「しんぶん赤旗」が、「『土人女を集め慰安所開設』 中曽根元首相関与示す資料 高知の団体発表」と報じました。

 「しんぶん赤旗」が、高知市の平和資料館・草の家の十月二十七日午前の記者会見を「『土人女を集め慰安所開設』 中曽根元首相関与示す資料 高知の団体発表」と報じました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-28/2011102814_02_1.html

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英語で日記 二〇一一年十月二十八日 金曜日 学芸員への道。 October 28, 2011 Friday The way to a curator.

二〇一一年十月二十八日 金曜日 学芸員への道。

 晴れ。

 博物館実習の先生が、私に、私の博物館実習の後の指導をしてくれました。
 私は、どうにか学芸員になれそうです。

 私は、夜、韓国語の授業の予習をしました。

 私は、『高知の戦争 証言と調査』十五号用の記事を一本書きました。

October 28, 2011 Friday The way to a curator.

Fine.

My teacher of museum training carried out instruction to me  after my museum training to me.
I can be a curator somehow or other.

I did my preparation for the Korean lesson night.

I wrote one report for 15th. "war  testimony and investigation in Kochi" .

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2011.10.29

【エッセイ】 大学卒業後の僕の方向。

 さぬき市のアパートに積み上げている本の一部を順次、高知市の、わが家に送ろうと思っています。

 七畳半一間ですので、寝るときは本をよけて布団にたどりつくという感じになっています。

 三月には大学を卒業します。二月にはアパートを引き払うことになるかもしれません。

 私は、来年二月で六十五歳です。

 それから「あと十年」を、どうするか(高校生のときから「僕の人生、あと十年」と思って生きてきました。「前のめりに倒れて死ぬ」というのがスローガンでした)。

 一、あと四年くらいは、高知市のどこかの学校で学びたいと思っています。「つくりあげる力」をつけたいと思っています。

 二、高知市の民間の資料館、平和資料館・草の家の学芸員として、調査を中心にやっていきたいと思っています(もちろんボランティア)。

 三、編集を担当している小冊子『高知の戦争 証言と調査』(七十ページくらい)は、二〇〇九年一月から、すでに十四号出ていますが、もっと、どんどん出していきたいと思います。、

 四、短歌を一つの柱にしていきたいと思います。歌集は、もう十一冊出してきていますが、今後は工夫してテーマをしぼった「見る要素」のある「売れる」歌集をつくっていきたいと思っています。

 五、彫塑(ちょうそ)ではテラコッタの作品をどんどんつくっていきたいと思っています。

 いまは、アパートで、粘土でつくっては壊し、つくっては壊ししていますが、「これ」という作品をじっくりつくっていきたいと思っていてます。

 この十一月から彫塑を本格的に学んでいくつもりです。

 六、英語と韓国語を「もの」にしたいと思っています。

 英語は「アメリカの公文書館」と、こまかい内容のメールがやりとりできるようになりたい、韓国語は「日本統治下の韓国の様子」を聴きとることができるようになりたいと思っています。

 いまもやっていますが、まだ、ABCのAのところです。

 七、ブログをやってきましたが、これも、もっと魅力的な少なくても「日に一千件以上」のアクセスのあるものにしていきたいと思っています。

 そのほか。

 「つれあい」とは追い出されないくらいの関係は保っていきたいと思っています。

 

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【俳句】 秋晴で せんべい布団 干している

 秋晴れで せんべい布団 干している

 「それがどうした」というような俳句ですが……。

 早朝からま作業も一区切り。

 さて、もうすぐ午前十時、うどん屋に行って朝食をとりましょうか。

  ざら銭を ひとつかみして うどん屋に行く

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【短歌】 若いころの大学生時代の友たち。

 「メールはね こうこうやったら 開くから」 パソコン前の 友に電話す

 大学の 一年後輩 わが妻に 三つのお願い メール、電話で

「あのね。いま わが家で日本共産党(とう)の 会議なの」 一年下の 友、電話切る

 二つ下 農村地帯の 党員も 夜九時台は 野をかけおるか

 「ゴミ処理場 どうするのか」が わがテーマ 「じゃあ、また」って 電話切る人

 それぞれに 大学の友 優しくて 四十年の 時を忘れる
  

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2011.10.30

英語で日記 二〇一一年十月二十九日 土曜日 パソコンとの付き合い。二〇一一年十月二十九日 土曜日 パソコンとの付き合い。October 29, 2011 Saturday Association with my personal computer.

二〇一一年十月二十九日 土曜日 パソコンとの付き合い。

 雲り。

 私は、一日の大半をパソコンの前で過ごしました。

 私は、『高知の戦争 証言と調査』十五号のの校正をしました。

 私は、文書をーつくりあげました。

October 29, 2011 Saturday  Association with my personal computer.

Cloudy.

I passed the greater part of one day in front of my personal computer.

I did proofreading of 15th "War testimony and investigation in  Kochi ".

I made one document.

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英語で日記 二〇一一年十月三十日 日曜日 激辛のチゲ。 October 30th, 2011 Sunday  A super hot spicy Korean-style stew.

二〇一一年十月三十日 日曜日 激辛のチゲ。

 雲り。
 
 私の朝食は、激辛のチゲとご飯でした。
 私は、チゲを食べると「やるぞー」って気になりました。

 私は、企画の提案の文書をつくりました。

 私は、卒論にとりかかりました。
 私の卒論は、A4の用紙に十二ポイントの文字でもう百三十ページを超えてしまいました。

 私は、寄贈していただいた戦争のときの資料の整理をしました。

October 30th, 2011  Sunday  A super hot spicy Korean-style stew.

Cloudy.

My breakfast was a super hot spicy Korean-style stew and boiled rice.

When I eat a spicy Korean-style stew, I got motivative.

I built the document of the proposal of a plan.

I started for the graduation thesis.
My thesis has more than 130 paige in A4 size paper even written in 12 points.

I arranged the data at the time of war which we had presented.

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【エッセイ】 遠くから見ても、近くで見ても……。

 富士山を例にとってみると、遠くから「富士山ってきれい」と思っても、近くに行ってみたら「なんだ、これは……」ってことは、けっこうありますね。

 それと、えらい人にゴマをすって、のし上がっていこうという男性や女性が、どこの世界にもいますよね。
 女性なら、ずいぶん年上の男性に、ことあるごとに花束やなんかを送ったりして……。
 そういう人は、えてして、「自分より下」の人にはムゴクあたって、みんなから嫌われていますよね。

 そんな人を見ているとヘドが出そうです。
 「あんたの生き方には賛成できないよ」
 「あんたは、いい老後はおくれないよ」と思いますね。
  老後は、まわりの人に愛してもらえないと生きていけませんものね。

 

 僕も、「ちょつと見は、いい感じだったけと、あってみたら、こんなやつか」と、いわれないように身をつつしまなくてはならないと思っている日々です。まぁ、ちょっと見もあなりよくはないけどね。

 やっぱ、人生は誠実に生きるのが一番。
  といっても、最近、いろんな人に迷惑をかけているのですが……。
 迷惑をかけた人に。「ごめんなさい!! 反省しています」

 

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2011.10.31

「しんぶん赤旗」の「主張」、「イラクとリビア政権転覆の戦争は許されない」、Good!!!

 感動しました。この「主張」。わが意を得たりという感じです。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-31/2011103102_02_1.html

 2011年10月31日(月)「しんぶん赤旗」

 主張 イラクとリビア 政権転覆の戦争は許されない

 (前略)
 イラクとリビアでの戦争は、外国がこれらの国に軍事介入してその政権を転覆したものであり、市民に多大な犠牲をもたらしました。オバマ大統領の言葉とは裏腹に、国際社会は二つの戦争で米国が果たした役割と結果を懸念しています。国連憲章に基づく平和維持の強化が必要です。
 イラクのフセイン政権もリビアのカダフィ政権も、国民を強権で弾圧した非民主的な政権でした。とはいえ、それを外部から武力によって倒すことは国連憲章に照らして許されません。憲章は紛争を平和的手段によって解決するよう義務づけ、侵略に対処する以外の武力行使を厳しく禁じています。
 イラク戦争は、国連安保理事会の承認を得られないまま、米国が国際社会の批判を押し切って侵略しフセイン政権を倒したもので、明白に違法な戦争でした。
 (中略)
 リビアでの戦争では、英国やフランスが表に立って爆撃を行いましたが、米国も無人機による偵察・攻撃や空中給油機の派遣、中央情報局(CIA)要員の地上展開などで、主要な役割を果たしました。米国では、イラク戦争とは違って米兵の犠牲なしにカダフィ政権を倒すことができたとし、今後に生かせる介入戦略の“成功事例”とする見方があります。
 このリビアをめぐる経緯は検討が必要です。安保理は3月、カダフィ政権に弾圧されていたリビア市民を「保護」するため「あらゆる措置」をとることを認めるとした決議を、中国、ロシア、ブラジル、ドイツ、インドの5理事国が棄権したもとで採択しました。国連憲章が求める平和的な問題解決の手だてが尽くされたとは、とてもいえない状況でした。
 憲章は、侵略や国際平和に脅威となる事態を除いて、加盟国の国内問題への干渉を認めていません。安保理が「保護する責任」を根拠に武力行使を認めたのは新たな動きです。それでも、この安保理決議が政権の転覆を認めているとみなすことはできません。
 イラクとリビアでの経験は、国際の平和と安全を維持する根本的保障である国連憲章の原則(国際紛争の平和的解決、武力による威嚇または武力行使の禁止)の重要性を浮き彫りにしました。紛争をなくすことはできなくても、紛争を戦争にしないことは可能です。そのためにいっそうの知恵と努力が求められています。

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