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2011.10.22

【資料】 アジア太平洋戦争下の竹槍訓練の実際。

 ○ http://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/ac3fdca56372f9b3fe5d5e088955cafa

 東京新聞 2008/8/12付 「発言」コーナーの投稿

 ●投稿者;千葉県千葉市の無職・女性、90歳
 ●タイトル;終戦直前の竹槍訓練
 ●本文;
 
 (前略) あれは昭和20年7月末日、村役場から緊急の回覧板がきた。
 「アメリカ兵が進撃してきたとき、身を守るために竹槍訓練をする。各戸1名小学校[国民学校]へ参集のこと」。男はみな戦場へ行き、婦人、老人は農作業に必死だ。娘たちは「女子挺身隊」となって軍需工場へ出向し、中学生は勤労動員で町の工場へ行っていた。
 訓練に出るのは私のような子連れか、よぼよぼの老人か大柄な小学生だ。私も7ヶ月の息子を背負って手ぬぐいの鉢巻を締め、青竹の槍を担いで丘の上の小学校へと急ぐ。
 校庭についてみると指導者はなんと豆腐屋の元さんだ。古い軍服を着て威張っている。「整列。気を付け。1.2.3歩進んで突けェ!」「エィエィオー」。説明も何もない。「突け!」一筋である。
 「徒歩の米兵が素手で縦一列に並んで来るべかね」「こんな山の中へ何用あってくるだろうね」・・・。「しゃべってないで、もっと突け!」と元さん。老人はせき込んで座ってしまう。赤ん坊は暑さとひもじさで泣き出す。真っすぐ並んで立っているのは土手のヒマワリだけ。
 数日後に広島に原爆が落ちるなど夢にも思わず、8月15日に終戦だなどとつゆ知らず、最初で最後のエィエィオーを繰り返した。
 (後略)

 ○ 広島市での竹槍訓練の写真

 http://blogs.yahoo.co.jp/mitokosei/26203136.html

 ○ 一九四五年の香川県立大川高等女学校で

 http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2010/12/post-342e.html

 ○ http://zenmz.exblog.jp/1494168/

   私の8月15日

 ★60年前、私は15歳。京都から疎開した広島・西条に住んで3年目でした。(中略)
 ★その前日には青年団の竹槍訓練に出て行って「物陰に隠れて鬼畜米英の脇腹を突く。肉を切らせて骨を断つ」と教えられたばかりだったのです。
 ★最後の竹槍訓練はすさまじいものでした。「戦闘の実際を体験させる」ために始めて手渡された小銃には実包が込められており、肩の鎖骨後ろに台座を置いて一発づつ発射する”実戦訓練”があったのです。土嚢に這いつくばって撃ったのですが、ビックリしたのは反動のすさまじさ! 小さな身体が後ろにのぞけり返る感じで、それは怖ろしかった! 
 ★本土決戦とはこんな戦いか? 武者震いしながら張りつめた気持ちでした。それだけに翌日、敗戦を知った時の不思議な気分・・・アッケナク戦争は終わった! 竹槍も、小銃も、使うことはもうない。一種の虚脱を伴いながら、「鬼畜米英が目の前に出てきたら・・・どうしたらいいのか?」 漠とした不安を覚えたものでした。
 (中略)
 ★最後の竹槍訓練で「肉を切らせて骨を断つ」と大上段に太刀を構えて振り落としてみせた校長先生は、その翌月には「一人一人を大切にする新しい教育」を熱っぽく語るようになっていました。
 (後略)

 ○ ホームページ「読谷村史」

 http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec01/cont00/docu038.htm

 

   一九四三年(昭和十八)五月、北部太平洋のアッツ島が玉砕した。以後、南洋の島々でも玉砕が相次ぎ、日本軍にとって戦局は悪化の一途をたどっていった。
 やがて沖縄近海まで米軍機が飛来するようになり、敵機来襲に備えて国民学校でも連日、防空訓練、避難訓練、竹槍訓練(上級生による)等が実施された。中でも竹槍訓練は「鬼畜米英打倒」の名のもとに、各字でも青年団、婦人会を中心に実施された。
 村役場においては、各字の幹部(役員・警防団長)を集めて竹槍の作り方や使い方の講習会が軍の指導で行われた。いま考えると全く幼稚な発想であるが、当時は真剣そのものであった。
 (後略)

 ○ 「やえやまネット」

 http://jaima.net/modules/readings/index.php?content_id=160

 乙女たちの戦争体験 Page3 (八重山高等女学)

 

  (前略) 「自習していると、カラン~と鐘がなった。朝会場へ集合し、泊先生に其の日の人員を報告した。体操をし、朝会を終へて教室へ入った。一時間目数学、二時間目家事、三時間目音楽、四時間目図画。各々の時間が終へて昼食である。今日は何だか昼時間が早い様だ。皆と一緒におべんとうをいただき、その後はお話や色々な歌を歌って遊んだ。少時遊んでいると、午後からの授業を知らせる鐘が鳴った。五時間目は修練であった。六時間目は農業であった…」
 当時の学校の授業には、修練、農業などの、今では見られない科目があった。農業の時間には校舎の北にあった運動場の一角の畑に野菜などを植えさせられた。「食料が不足するから、増産のためだと」。日記によると、作業の時間に、馬糞拾いなどもおこなっている。道に落ちている乾いた馬糞を拾ってきて肥料として学校の畑に入れるのである。修練の時間にはバケツリレーなどの防空演習、竹槍訓練、手旗信号などをやった。
 「わら人形を、突いた瞬間抜きなさいと教えられた。なぜなら、人間の体は突かれたら締まるから、瞬間に抜けと。竹槍は1メートル50くらいの竹を20~30センチくらい斜めに切って、火にあぶって、蝋を塗って、…まったく原始時代」
 (後略)

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