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2011.10.19

中曽根康弘・海軍主計中尉が「苦心して」「つくってやった」慰安所とは、どのようなものだったのでしょうか。

   
 中曽根康弘氏は、かつて「二十三歳で三千人の総指揮官」という題名の文章を書いています。「衆議院議員 中曽根 康弘 (海軍主計大尉)」の名でです。松浦敬紀編著『終わりなき海軍』(文化放送センター。1978年8月30日)の90-98ページに載っています。

 つぎのようなことを書いています。

 ・ 海軍主計中尉だった1941年11月26日、設営隊の主計長を命ぜられた。部隊を編成し、11月29日に出航した。目的地は、フィリピン、インドネシアだった。

 ・ 12月8日の開戦と同時に、「わが船団」は、ダバオに突入した。早速、飛行場設営の仕事が始まった。

 ・ その後、バリクパパンに進入した。

 ・ 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。………」

 

 ここでいう「慰安所」とは、どんなものだったのでしょうか?

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