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2011年11月

2011.11.01

英語で日記 二〇一一年十月三十一日 月曜日 日本軍慰安所の問題。 October 31th, 2011 Monday Problem about a Japanese army's camp of comfort women as sex slave.

二〇一一年十月三十一日 月曜日 日本軍慰安所の問題。

 晴れ

 青空が広がりました。
 ぽかぽか陽気でした。

 私たちは、十一月五日に、日本軍慰安所の問題でつどいを開くことにしました。 

October 31th, 2011  Monday   Problem about a Japanese army's camp of comfort women as sex slave.

Fine.

The blue sky spread.

It was cheerful weather.

We decided to open a meeting on the problem about a Japanese army's camp of comfort women as sex slave on November 5th.

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英語で日記 二〇一一年十一月一日 火曜日 本の最終校正終了。 November 1st, 2011 Tuesday  The final proofreading of our book was completed.

二〇一一年十一月一日 火曜日 私たちの本の最終校正が終了しました。

 晴れ。

 朝日新聞が、十月二十七日の平和資料館・草の家の発表のことを報道しました。

 午前中に、私たちの本の最終校正が終わりました。

 私は、夜、ついに卒業論文の第一原稿を書き終えました。

November 1st, 2011  Tuesday  The final proofreading of our book was completed.

Fine.

Asahi Shimbun reported the announcement of the house of the peace scientific library and grass on October 27.

The final proofreading of our book finished in the morning.

I finished writing my first manuscript of the thesis at last night.

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2011.11.02

【エッセイ】 僕の外国語との「つらーーい」お付き合い。

 六十四歳にもなるのですが、外国語の習得には苦労しています。
 でも、なんとか話せる、読めるようになりたいと思っています。

 高校時代は「受験英語」で、テストだけはOKでした。
 でも、「英語で夢を見る」ことがしょっちゅうありました。
 かなり身を入れて勉強していたのだと思います。
 でも、卒業してからは……。

 高知大学に入ってからのドイツ語には苦労しました。
 二年生か三年生のとき、ドイツ語初級の時間に、先生に、「君は、学生自治会の執行委員長だから歌えるだろう。『赤旗の歌』をドイツ語で歌ってみなさい」といわれました。
 歌えなくて恥ずかしい思いをした思い出があります。
 「オー、タンネンバム……」と、いうのが原曲だった思いますが……。

 その先生は、その後、東京都八王子の大学に行って、ヘッセの全集をつくったりしていました。
 いい人です(ドイツ語の単位はくれなかったけど……)。いまでも年賀状は出しています。

 ちなみに、息子も、立命館大学でドイツ語二単位を落として卒業できませんでした。
 親子二代の……。

 いまは、大学の韓国語初級で苦労しています。
 この時間は毎回、何回か質問があたるので緊張しています。
 本日は四回の質問のうち三回は「反射的に」答えることができました。
 一回は、「うっ」といったら、「はい、つぎの人」ということになってしまいました。

 英語の授業も受けています。
 アメリカの公文書館と「こういう資料がほしいのですが、探していただけませんか」とメールでやりとりができるようになるのが当面の目標です。
 現状は……。

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2011.11.03

【エッセイ】 アジア太平洋戦争のときの竹槍訓練の実際 (書きかけです)

 日本がアメリカ、イギリスなどと戦った大東亜戦争(以下、アジア太平洋戦争)のとき、大日本帝国では、日本に上陸してくるアメリカ軍などと戦うために女性たちに竹槍訓練をやらせたといいます。それは、どのようにやられたのでしょうか。また、当時の支配者たちは本当にアメリカ軍などの戦車や迫撃砲などに対抗できると考えていたのでしょうか。

 戦中の報道の歴史で、よく「竹槍事件」というのが出てきます。
 アジア太平洋中の、一九四四二月二十三日付の毎日新聞の一面に同社政経部で海軍省担当キャップだった新名丈夫(しんみょう たけお)記者(一九〇六年十一月三日生まれ)が執筆した戦局解説記事が載りました。
  「勝利か滅亡か 戦局は茲(ここ)まで来た」、「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」という見出しです。
 「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」
 「日本は建国以来最大の難局を迎えており、大和民族は存亡の危機に立たされている。大東亜戦争の勝敗は太平洋上で決せられるものであり、敵が日本本土沿岸に侵攻して来てからでは手遅れである」
 「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」
 「大東亜戦争の勝敗は海洋航空兵力の増強にかかっており、敵の航空兵力に対して竹槍で対抗することはできない」
 侵略戦争に勝つにはどうするかという立場の一軍国主義者の主張でした。
 しかし、松村秀逸大本営報道部長は、毎日新聞に掲載紙の発禁および編集責任者と筆者の処分を命じました。
 記事執筆から八日後、新名記者に召集令状が届きました。新名は、郷里、高松に行き二等兵として丸亀の重機関銃中隊に入営します。

 【沖縄県】

 のちにアメリカ軍が上陸した沖縄県。そこでも、上陸の前に竹槍訓練がやられていました。
 八重山高等女学校の生徒たちもやっていました。
  上江洲儀正(二〇〇八年):『やいま』第百七十三号(南山舎。八十八頁)の「特集 乙女たちの戦争体験 第一回 宮里テツさんの戦争体験」(一頁~十頁)に書いてあります。
 これは八重山高等女学校一年生(十三歳)だった宮里テツさんの一九四三年九月二十七日からの日記をもとにした文章です。
 日記=「今日は大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)である。六時までに竹槍をもって学校に集合する様にとの昨日お伝えがあった。顔を洗って居(い)るところへ宮平藤さん上里靖子さん盛山悦子さんがさそいに来た。ブルーマをつけ竹槍をもって学校へ行こうとすると二年生の黒島照さんに門でぴたりと会った。私達四人は、黒島朝さん照さんの二人をさそい、又吉カズさんをさそった。だがカズさんはもう行ったと言ふ。私達七人は歌を歌って二列に並び、元気よく登校した……」
 日記のつづきは、女学校に着いて、みんなが集まったところで「勝ち抜く誓い」を朗誦(ろうしょう)し、竹槍訓練をやり、桃林寺の隣の権現堂に「ワッショイワッショイのかけ声も勇ましく」参拝し、解散。午後からふたたび登校。「一時間は大詔の奉読式を上げた」と記しています。
 大詔奉戴日というのは、アジア太平洋戦争開戦の日(一九四一年十二月八日)に天皇の「宣戦の詔勅」が公布されたことにちなんで、毎月八日に設定された戦争完遂のための運動でした。
 「大詔奉戴日設定ニ関スル件」(一九四二年一月二日、閣議決定)は、以下のとおりです。
 「一、趣旨
 皇国ノ隆替ト東亜ノ興廃トヲ決スベキ大東亜戦争ノ展開ニ伴ヒ国民運動ノ方途亦画期的ナル一大新展ヲ要請セラルルヲ以テ茲ニ宣戦ノ大詔ヲ渙発アラセラレタル日ヲ挙国戦争完遂ノ源泉タラシムル日ト定メ曠古ノ大業ヲ翼賛スルニ遺算無カランコトヲ期セシメントス
 二、名称
 大詔奉戴日
 三、日
 八日
 四、実施項目
 趣旨ニ基キ大政翼賛会ニ於テ政府ト密接ナル連絡ノ下ニ設定スルモノトス
 五、実施
 昭和十七年一月ヨリ大東亜戦争中継続実施シ大政翼賛会之ガ運用ノ中心トナルモノトス
 六、昭和十四年八月八日閣議ノ決定ニ依リ設定セラレタル興亜奉公日ハ之ヲ廃止シ其ノ趣旨トスル所ハ 大詔
 奉戴日ニ発展帰一セシムルモノトス」
 日記に出てくる「勝ち抜く誓い」の詩は、つぎのとおりです。
 
 みたみわれ[天皇の民である私]、大君(おおきみ)にすべてを捧げまつらん。
 みたみわれ、すめらみくにを護りぬかん。
 みたみわれ、力のかぎり働きぬかん。
 みたみわれ、正しく明るく生きぬかん。
 みたみわれ、この大みいくさに勝ち抜かん。
 日記=「自習していると、カラン●ひらがな三字分のくりかえしの記号●と鐘がなった。朝会場へ集合し、泊先生に其(そ)の日の人員を報告した。体操をし、朝会を終へて教室へ入った。一時間目数学、二時間目家事、三時間目音楽、四時間目図画。各々の時間が終へて昼食である。今日は何だか昼時間が早い様だ。皆と一緒におべんとうをいただき、その後はお話や色々な歌を歌って遊んだ。少時遊んでいると、午後からの授業を知らせる鐘が鳴った。五時間目は修練であった。六時間目は農業であった……」
 修練の時間には、バケツリレーなどの防空訓練、竹槍訓練、手旗信号などをやりました。
 竹槍訓練では、わら人形を、突いた瞬間抜きなさいと教えられました。なぜなら、人間の体は突かれたら締まるから、瞬間に抜けといわれました。竹槍は1メートル50くらいの竹を20~30センチくらい斜めに切って、火にあぶって、蝋(ろう)を塗ってつくりました。
 ホームページ「読谷村史」(http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec01/cont00/docu038.htm)に、その様子が出ています。
  「 一九四三年(昭和十八)五月、北部太平洋のアッツ島が玉砕した。以後、南洋の島々でも玉砕が相次ぎ、日本軍にとって戦局は悪化の一途をたどっていった。
 やがて沖縄近海まで米軍機が飛来するようになり、敵機来襲に備えて国民学校でも連日、防空訓練、避難訓練、竹槍訓練(上級生による)等が実施された。中でも竹槍訓練は『鬼畜米英打倒』の名のもとに、各字でも青年団、婦人会を中心に実施された。
 村役場においては、各字の幹部(役員・警防団長)を集めて竹槍の作り方や使い方の講習会が軍の指導で行われた。いま考えると全く幼稚な発想であるが、当時は真剣そのものであった。」
 「鬼畜米英」は、人を人とも思わないような残酷で非道なごときアメリカ、イギリスという意味でしょうか。

 【三重県】

 三重県四日市市桜地区の「桜郷土史研究会」のホームページが桜村での竹槍訓練を伝えています(http://www.sakuracom.jp/~kyoudoshi/fujinkai-2.html)。背景もふくめて調査しているものです。
 「大日本婦人会

 1942年(昭和17)2月、政府と軍部の主導で、20歳未満の未婚者を除く日本人女子全員を組織するために、愛国婦人会、大日本国防婦人会、大日本連合婦人会の三団体を統合して、官製の大日本婦人会が設立されました。

 ▼目的
 高度国防国家体制に即応するため、20歳未満の未婚者の除く婦人のすべてを総力戦体制に動員するを目的とし、全日本婦人をして経済戦、思想戦、国土防衛戦の戦士として恥ずかしからぬ訓練を施す訓練体とされました。(実態は廃品回収・国防訓練・兵士の慰問・遺族の援護でした)
 ▼1942年5月、大政翼賛会(1940年10月に結成された国民統制組織)に加盟。その下部組織に組み込まれる。
 ▼1944年8月、本土決戦に備えて国民総武装が閣議決定されたのにともない、婦人会活動として有名な竹槍訓練、防空訓練、看護訓練等が、「大日本婦人会」の名の下で始まりました。
1945年6月、大政翼賛会が解散して国民義勇隊に吸収されると同時に、「大日本婦人会」も解散して「国民義勇隊女子隊」に改組。
 ▼1945年8月15日、敗戦により解散。

 ▼三重郡では
 1942年の8月26日に、三重郡三重村で大日本婦人会支部の規則要綱と役員一同の名前が発表されています。(四日市地区市民センター所蔵公文書資料)
 役員構成;
 支部長(女1人)、副支部長(女1人)、顧問(男5人)、理事(男7人)、参与(男4人、女2人)、監事(女2人)、審議員兼班長(女7人)
  ▼ここでは省略しましたが、資料には各々その任務と人員名が示されて整然とした上意下達経路が明確にされています。
  ▼三重郡での大日本婦人会支部結成と組織の発表は、同年5月に大政翼賛会に傘下に入った後のことです。

 ▼「大日本婦人会」の知名度
 昭和17年2月の以降、全国各地の婦人会の役員を除く一般会員の多くは、自分の所属する婦人会が統合され「大日本婦人会」と名称変更があった事など全く知らないまま終戦を迎えたと関係文献に報告されています。
桜村においても同様です。

 ▼桜村では

 大日本婦人会について資料が無いため不詳。

 元桜村国防婦人会員への聞き取り調査
 質問・・・大日本婦人会へ統合されたことを知っていましたか?
 回答・・・「戦争が終わるまで私たちは国防婦人会に入っていたので、大日本婦人会など知りませんし、統合された話など聞いたことありませんでした。戦後の婦人会のことですか?」
 上記写真に写っている役員さんも含め同様の回答でした。
 (中略)

 竹槍訓練について
 桜村の女性は、国防婦人会活動で何をしたかの話題の中で、全員が “竹槍訓練”や“防火訓練” を先ず上げます。しかし既述したように、実際には竹槍訓練は「大日本婦人会」の活動の一環として行われたのでした。
 そんな名称の変化よりも当時の女性にとって最大関心事は、「本土決戦になれば、女性は自分で身を守らないと米兵に辱められて殺される」という噂話の方でした。
 聞き取り調査でも、以下のように桜村の女性たちの困惑振りが伝わってきます。
  ▼当時、竹槍で身を守れると思っていたわけではなかったが、練習しないよりはした方が良いと思った。
  ▼誰でも自分の身にかかわることだから一生懸命訓練した。
  ▼この辺は四日市港に近いから危ないという噂があったので、竹槍で突くより山へ逃げ隠れた方が良いとかいろいろ女性同士で話した。

 以上のような女性の混乱振りは、何も桜村に限った事ではなく全国的な傾向でした。
 結局のところ、国防婦人会組織はそのまま大日本婦人会に移行し、上部役員に異動があったとしても、一般会員には何ら変化はなかった。だから、「婦人会統合」は知らなかった。
 それよりも戦況悪化にともなう社会不安の増大する中で、当時の桜村女性の最大関心事は、「身に迫る危険の噂」に心が奪われていた・・・・おおいに納得です。
 (後略)」

 【広島県】

 広島県での青年団での竹槍訓練の記録もあります。
 ネットにある記事です(「吉備野庵」の「私の8月15日」=http://zenmz.exblog.jp/1494168/(2005-08-14 12:06))。
 「★60年前、私は15歳。京都から疎開した広島・西条に住んで3年目でした。(中略)
 ★その前日には青年団の竹槍訓練に出て行って『物陰に隠れて鬼畜米英の脇腹を突く。肉を切らせて骨を断つ』と教えられたばかりだったのです。
 ★最後の竹槍訓練はすさまじいものでした。『戦闘の実際を体験させる』ために始めて手渡された小銃には実包が込められており、肩の鎖骨後ろに台座を置いて一発づつ発射する”実戦訓練”があったのです。土嚢に這いつくばって撃ったのですが、ビックリしたのは反動のすさまじさ! 小さな身体が後ろにのぞけり返る感じで、それは怖ろしかった! 
 ★本土決戦とはこんな戦いか? 武者震いしながら張りつめた気持ちでした。それだけに翌日、敗戦を知った時の不思議な気分・・・アッケナク戦争は終わった! 竹槍も、小銃も、使うことはもうない。一種の虚脱を伴いながら、『鬼畜米英が目の前に出てきたら・・・どうしたらいいのか?』 漠とした不安を覚えたものでした。
 (中略)
 ★最後の竹槍訓練で『肉を切らせて骨を断つ』と大上段に太刀を構えて振り落としてみせた校長先生は、その翌月には『一人一人を大切にする新しい教育』を熱っぽく語るようになっていました。」

 【香川県】

 香川県の帝国在郷軍人会・長尾町分会長が、一九四四年八月二十六日付で、部落会長、軍人班長に「訓練用竹槍調整ニ関する件」という文書を出しています香川県(一九八八年):『香川県史 第十二巻 資料編』(香川県。八百九十三頁)
 「今般其筋(そますじ)ヨリノ通牒(つうちょう)ニ依(よ)リ訓練用竹槍(長サ約米)ヲ各人毎に速カニ調整シ、何時ニテモ訓練ニ即応シ得ル如ク貴部内会員洩(も)レナク準備シ置カレル様此段(このだん)及通知候也」
 
 備考 竹槍ノ先ハ其(そ)ノママニスルコト(トギヲサヌコト)」
 高松市の様子を書いた本があります(高松百年史編集室(一九八八年):『高松百年史 上巻』。高松市。八百三十七頁。六百九十一頁)。
 「戦況が厳しくなってくると、婦人らは防空訓練に励むとともに、本土決戦に備えて竹槍訓練にもいそしんだ。竹槍よって本土に上陸した敵兵を殺傷しようというのである。竹槍は直径約一寸(約3cm)以上、長さは六~七尺(約2m)の竹で、先はとがらさないように決められた(実戦に際してとがらせる)。
 竹槍訓練は隣組を単位として実施され、地域の在郷軍人が指導した。隣組では各戸に強制的に割り当て、妊婦までも駆り出されたという。」
 香川県郡部の香川県立大川高等女学校でも、生徒たちが、日本に上陸してくるアメリカ軍とたたかうために竹槍で訓練していました(香川県立津田高等学校(一九八三年):『津田高五十年史』。香川県立津田高等学校)。
 本文にも書いてありますが、年表には、つぎのように出ています。
 一九四五年五月三日、「竹槍訓練を行う。」
 同年六月一日、「竹槍訓練を行う。」

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【ニュース】 福島・2号機 再臨界の兆候検出 この記事がわかりやすかったですよ。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-03/2011110301_01_1.html

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-03/2011110315_01_1.html

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【エッセイ】 「チョグミョー。イゴン ハングンマロ モラゴヘヨ ?」。

 ソンセンニン モウ イルグシンミカ。

 イルボン チャチィエヨ。

 オモ、イルボンマル ハセヨ ?

 チョグミョー。イゴン ハングンマロ モラゴヘヨ ?

 クルセヨ、サジョン イッセヨ ?

 ハーニル サジョン バッケ オプソヨ。

 十一月三日夜。さっきから、あすの韓国語初級の時間の予習をやっています。

 この文章を韓国語で読みながら十回以上書いてくるというのが宿題です。

 書くのは、きのうのうちに書いたのですが、まだ、覚えていません。

 あすの授業が思いやられます。

 「教科書をカバンに入れてください」。

 授業は、ここからが緊張の連続です。

 これらの文章を、先生が日本語で言って、学生が韓国語で答えると「苦痛」の時間があるのです。

 わがソンセンニンは、すごく教え方がうまいと感心していますが、わたしは教わり方が悪いのか毎時間苦闘しています。

 それに比べて、すごいのが「うちのかみさん」。

 中国語を勉強しているのですが、授業は熱心に参加し、テレビやラジオの中国語講座も聴いています。

 家には中国語の単語を張りまわしています。

 なんか、この人(うちのかみさん)の「打ち込み方」には圧倒されます。

 

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2011.11.04

【エッセイ】 「少女時代」を聴きました。

 ユーチューブで少女時代を聴きました。

  http://www.youtube.com/watch?v=fhseD2tRLUY

  メンバーは九人でしょうか? まだ、顔の見分けがつきません。

 歌と踊りにパンチがあります。
 映像技術もすごい。
 ほんの少し日本語が聴きにくいところがあります。
 これは彼女たちの韓国語の歌や英語の歌も同様なので、伴奏の音が大きすぎるせいかも知れません。

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英語で日記 二〇一一年十一月二日 水曜日 ドイツ在住の日本人男性がブログの記事。 November 2nd, 2011 Wednesday A report of a blog by Japanese man living in Germany.

二〇一一年十一月二日 水曜日 ドイツ在住の日本人男性がブログの記事。

 雲り。

 私は、今週の月曜日の伝統文化論の授業で、地元の神社の秋祭りについて報告しました。
 きょう、二年生の男性が、私に、わざわざよって来て「あなたの報告は、わかりやすかったです」と言ってくれました。
 励まし、ありがとう。

 私は、五日のつどいのための資料の印刷をしました。

 ドイツ在住の日本人男性がブログで、私たちの記者会見のことをくわしく書いてくれていました。

    
November 2nd, 2011  Wednesday  A  report of a blog by Japanese man living in Germany.

Cloudy.

I reported about the autumn festival of the local shrine in the class of the traditional culture theory on Monday in this week.
Today,the second grader's man came specially and said to me, "Your report was intelligible."
Thank you for the encouragement.

I printed the data for the meeting on the fifth.

On the blog,a Japanese man living in Germany  wrote about the thing of  our press conference in detail.

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英語で日記 二〇一一年十一月三日 木曜日 竹槍の訓練。 November 3rd, 2011 Thursday Training of a bamboo spear.

二〇一一年十一月三日 木曜日 竹槍の訓練。

 雲り。

 私は、五日のつどいのための資料の印刷をしました。
 私のこの作業は、三日目になりますが、まだ終わりません。

 私は、アジア太平洋戦争中の竹槍の訓練の実際について書き始めました。

November 3rd, 2011  Thursday  Training of a bamboo spear.

Cloudy.

I printed the data for the meeting on the fifth.

This work  is not finished yet, it becomes the third day.

I began to write about the actual condition of training of the bamboo spear under Asia-Pacific war.

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2011.11.07

英語で日記 二〇一一年十一月四日 金曜日 建物のデッサン。 November 4th, 2011 Friday  The sketch of a building.

二〇一一年十一月四日 金曜日 建物のデッサン。

 雲り。

 私たちの美術の授業は、建物のデッサンでした。

November 4th, 2011 Friday  The sketch of a building.

Cloudy.

The lesson of our fine arts was a sketch of the building.

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英語で日記 二〇一一年十一月五日 土曜日 日本軍慰安所問題のつどい。 November 5th, 2011 Saturday  The meeting about a Japanese army's camp of comfort women as sex slave.

二〇一一年十一月五日 土曜日 日本軍慰安所問題のつどい。

 雲り。

 バリクパパンでの日本軍慰安所問題のつどいに出席しました。

November 5th, 2011  Saturday  The meeting about  a Japanese army's camp of comfort women as sex slave.

Cloudy.

I attended the meeting about  a Japanese army's camp of comfort women as sex slave .

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英語で日記 二〇一一年十一月六日 日曜日 高知県立短期大学の大学祭。 November 6th, 2011 Sunday Campus festival of Kochi junior college.

二〇一一年十一月六日 日曜日 高知県立短期大学の大学祭。

 雲り。

 高知短期大学の大学祭を見に行きました。
 そこで、軽音楽部の演奏を楽しみました。
 私の判断では、この人はプロでもやれるなという演奏者もいました。

November 6th, 2011 Sunday   Campus festival of Kochi junior college.

Cloudy.

I went to see the campus festival of  Kochi junior college.
I enjoyed the performance of the light music part there.
In my judgment,there is a person who can play as a professional.

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英語で日記 二〇一一年十一月七日 月曜日 奈良時代の文献と江戸時代の文献。 November 7th, 2011 Monday Literature of Nara period, and literature of Edo period.

二〇一一年十一月七日 月曜日 奈良時代の文献と江戸時代の文献。

 雲り。

 奈良時代の文献を読み解く授業を受けました。
 読み解く方法が、少しずつわかってきました。
 あすは、江戸時代の文献を読み解く授業を受けます。

November 7th, 2011 Monday  Literature of Nara period, and literature of Edo period.

Cloudy.

I attended the class to read the literature of Nara period.
I understand the method of reading and dispelling little by little.
I will attend the class to read the literature of Edo period tomorrow.

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2011.11.09

【短歌】 大学の最後の学期

 奈良人の 書いた文書や 江戸のもの  学び始めた 四年の後期

 何回も 「答えなさい」と 迫られて ドキドキしてる ハングルクラス

 英語しかしゃべってくれない女先生 「こういったよね」仲間に聞いてる

 腰軽く 調査するのが 役に立ち 歴史のホント 世に問うている   

 三十年 資料調べて 組み立てた ゲラ校了し 出版を待つ

 卒論の 第一稿が できました 霜月一日 真夜中のこと

 スーパーや 回転ずしの アルバイト 行く先々に 大学の友
   

 就職が うまくいかない 友がいて 励ましの ひとことさえも 言えないでいる

 就活の スーツの三年 おとなびて わが大学も 緊張のなか

 韓国に 行って来たそう 行動派 「少女時代」の ステージを見に

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2011.11.10

【ニュース】 「幸せ度」 大阪府は四十七位、高知県は四十六位!? その基準で「幸せ」は、はかれるのでしょうか???

 九日、法政大学大学院が発表した「幸せ度」調査結果には、「うーん」という感じでした。

 四十の「社会経済統計指標」が基準だそうです。ということは、自然環境などの指数は入っていなといいうことですね。

 「社会経済統計指標」も人情、仲間づくりなんて「指標」は入っていないようですね。

 私の生まれた大阪府は四十七位(つまり、もっとも幸せでない都道府県)、いま住んでいる高知県は四十六位だといいます。四十年近く住んできた東京都は中位から下で、「こんなところか」という感じですが、高知の場合は「えーーっ。違うんじゃない」。
 

 高知県の場合、「貧しさ度」では、このとおりだと思います(パチンコ屋の多さが、それを示しています。就職がなかなかできないし、仕事があっても給料が低すぎ)が、「幸せ度」ではどうでしょうか。

 高知県のように「おとしよりがたくさんいる」ということは幸せなことだと思うのですが、調査ではどういう考え方をしているのでしょうか。

 全国各地を渡り歩いてきた私の実感では、高知県は「幸せ度」ナンバーワンクラスの県だと思いますが。あったかいし、人情はこまやかだし、のんきな人が多いし、全体として革新的な風土だし、食べ物はおいしいし、自然はいっぱいだし、いっぺん高知へ来てみいや。

 要するに「幸せ度」が何によってはかられなければならないかということです。
 やるなら、もっと総合的「指標」で、前向きな考え方でやってほしいたものです。
 

 分析の観点、方法などについて、もっとくわしく知りたいと法政大学に電話したら「大学のホームページを見てください」。しかし、それには私の知りたいことは書いてありませんでした。「くわしいことはPHPから本が出ますので、そちらをお読みください」。そうか、そういうことか。

  高知県も「幸せ度ナンバー四十六の高知県見学ツアー」を組んで、観光を盛り上げたらどうでしょうか。

 【参考】

  http://www.youtube.com/watch?v=MAPqg_QZNA8

 http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00211219.html

 http://www.at-s.com/news/detail/100075384.html

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英語で日記 二〇一一年十一月九日 水曜日 短歌を十首。 November 9th, 2011 Wednesday Ten Japanese poems of 31 syllables.

二〇一一年十一月九日 水曜日 短歌を十首。

 晴れ。

 短歌を十首詠みました。

November 9th, 2011 Wednesday   Ten Japanese poems of 31 syllables.

Fine.

I composed ten Japanese poems of 31 syllables.

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英語で日記 二〇一一年十一月十日 木曜日 「昭和大鉄道展」で知ったこと。 November 10th, 2011 Thursday I got to know by the "Showa railroad exhibition."

二〇一一年十一月十日 木曜日 「昭和大鉄道展」で知ったこと。

 雲り。

 大阪府知事選挙、告示されました。

 高松市の香川県立ミュージアムで「昭和大鉄道展」を見ました。
 この展示で、アジア太平洋戦争中に、三つのケーブルカーや電鉄の軌道が三つ侵略戦争推進のために国家に奪われたことを知りました。

November 10th, 2011 Thursday  I got to know by the "Showa railroad exhibition."

Cloudy.

It was Osaka-governor-elected and was notified.

I looked at "Showa railroad exhibition" at Kagawa prefectual museum in Takamatsu.
By this exhibition, I got to know what the orbit of three cable cars or electric railroads were taken for war-of-aggression promotion by Japanese state in Asia-Pacific  war.

 【参考】

 八栗登山鉄道のケーブルカー(1931年2月開通。八栗登山口-八栗山上駅間の670メートル)は、1943年、不急不要路線として運転を休止し、軌道などは供出されました。

 屋島登山鉄道のケーブルカー(1929年4月運転開始。屋島山ろく-屋島山頂の815メートル)は、1944年、運転を中止、軌道などは供出されました。

 琴平急行電鉄の坂出-琴平間が開通(1930年4月)し、飯野山の西方を経由し、坂出-琴平間を約35分で結んでいました。しかし、1944年、不急不要の路線に指定され、軌道などを供出し営業を停止しました。
 「飯野」の駅もありました。
 1945年春ころから、「飯野」の先で陸軍隠匿飛行場がつくられていました。
 丸亀から動員された人は、琴平参宮電鉄が、丸亀-坂出が運航していましたので、丸亀から坂出までは電鉄で行けましたが、そこから「飯野」までは、電鉄では行けなくなくなってしまいました。
 

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【エッセイ】 TPP。いまの瞬間に、野田首相に申し上げたいこと。十一月十日夜。

 いまの瞬間に、野田首相に申し上げたいこと。

 TPP(環太平洋連携協定)に参加すれば、日本の農業、医療はだめになります。
 もし、あなたが、日本の国民の未来に灯をともしたいとお思いなら、TPPに参加をやめるべきです。

 参加反対の議論については、あなたは十分に、ご存じのはずです。

 私には、なぜ、あなたが、アメリカの大金持ち(例の一パーセント)のためのTPPに意欲を示してきたのか理解できません。
 あなたは、世界的を収奪するアメリカの支配者の利益代理人であってはなりません。

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【短歌】 コウテイダリアが好きといった紫の君へ。 【写真一枚】

  今年も コウテイダリアに 出合ったよ 紫の君 元気でいますか

Photo_4

 

 きょうは、オートバイでなくて徒歩で、さぬき市志度の街を歩きました。

 コウテイダリアが咲いていました。ここにも、あそこにも。

 元気ですか。

 コウテイダリアの紫の君は。

 いま、わが大阪では、ハシズム排除のために、女も男もまなじりをけっしていることと思います。

 マスコミの一部の奇妙なハシズム批判が、ハシズムを勢いづかせているのではと、懸念しています。

 政策的な、的確で、節度ある、府民を味方にできる批判を。

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【香川の言葉】 まんでがん。

 http://www.rakuten.ne.jp/gold/kijoan/sanukiben/sanuki7.html

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【ニュース】 自衛隊の日本での軍事行動。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111110-00000804-yom-soci

読売新聞 11月10日(木)17時59分配信

 (前略)陸上自衛隊の大規模訓練が10日、九州各地の演習場で始まった。
 陸自、海自、空自が九州・沖縄を中心に14~18日に実施する自衛隊統合演習の準備も10日、鹿児島県で始まり、昨年12月に南西方面重視を打ち出した新たな防衛大綱に基づく動きが具体化してきた。
 陸自の大規模訓練では、午前9時過ぎ、第8師団(熊本市)の隊員約340人と輸送トラックなど約110両が、鹿児島県志布志市の志布志港から民間フェリーに乗り込んだ。同日午後、大分県別府市の別府港に着き、同県の日出生台(ひじゅうだい)演習場(由布市など)に向かう。防御準備を整えるための陣地構築に取り組む。
 同演習場では北海道千歳市の第7師団が初めて加わり、90式戦車などを使った訓練を行う。
 統合演習では、陸自第5地対艦ミサイル連隊(熊本市)の88式地対艦誘導弾発射機など車両計約120両が10日午前、鹿児島市の鹿児島新港で民間フェリーに積み込まれた。深夜に鹿児島県・奄美大島に入る。.

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夜、自転車の妻が、車にはねられた。

 さっき、高知市の妻から、「いま、自転車で家に向かっていて車にはねられた。自転車は吹っ飛んだけど私は無事」という電話がありました。

 相手は若い男性だそうです。

 「大丈夫だから」といって事故にもしないで、相手の氏名、住所も確認しないで帰したそうです。

 せめて医者に行くべきだというのですが、「大丈夫。眠いから」といって言うことを聞きません。

 こういうときは、離れて住んでいることのもどかしさを感じますね。

 しゃんとしろ。

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2011.11.11

英語で日記 二〇一一年十一月十一日 金曜日 妻と私との本ができました。 November 11th, 2011 Friday The book of my wife and I were made.

二〇一一年十一月十一日 金曜日 妻と私との本ができました。

 雨。

 私の妻と私との本ができました。
 妻の父の特別攻撃の訓練の体験をつづったものです。

November 11th, 2011 Friday  The book of my wife and I were made.

Rain.

The book of my wife and I were  made.
Experience of a specially attack of my wife's father attack training  is spelled.

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2011.11.13

【短歌】 あふれ出る君の言葉を聴いている……。

 あふれ出る君の言葉を聴いている 力になれない非力を憎む

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【ニュース】 娘たちの書いた父の海中特攻訓練の本が出ました(おもな舞台は香川県の小豆島です)。

Photo_5

 できました。この写真の本です(百ページ分そぎ落として二百八ページにしました)。主人公は、高知市出身、高知工業学校、神戸高等工業学校出身の矢野統一(やの・とういち)です。戦後は、広島市で食堂を経営していたあと、高知市筆山町の交差点わきで矢野不動産鑑定事務所をひらいてました)。訓練の舞台は、神奈川県、山口県、広島県、そして、香川県の小豆島(しょうどしま)です。

 統一の娘・藤原尋子(ふじはら・ひろこ)と、その「つれあい」の義一(よしかず)の共著です。義一は、これまで歌集などを十数冊出版してきましたが、本に「帯」をつけたのは初めてです。売る気です。

 価格は、千五百円です(税込)。

 東京都渋谷区千駄ヶ谷の美和書店、高知市の片桐書店、富士書房、平和資料館・草の家にあります。

 メールで注文していただければ発送費無料で、お送りします。

 ご注文は、こちらへ。

 bqv01222@nifty.com

 編集印刷費用は、千部で八十四万円。退職金を使い果たした年金生活、大学四年生の義一(六十四歳)が出費しました。

 五十万円くらいは「回収」して、義一の「次の学び」の資金にしたいと思っています。

 これまでに、ご注文していただいたかたには、十七日から発送しています。

 この本が 生まれるまでに 三十年 義父の特攻 いま躍り出る

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【ニュース】 反ハシズム統一戦線なるか。

 「しんぶん赤旗」日刊紙 十一月十三日付トップの記事に注目しました。

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英語で日記 二〇一一年十一月十二日 土曜日 計七人の飲み会。 November 12th, 2011 Saturday A total of seven persons' party.

二〇一一年十一月十二日 土曜日 計七人の飲み会。

 晴れ。

 高知市の街頭での宣伝行動に参加しました。

 Nさんと打合せしました。

 計七人参加の飲み会に参加しました。

November 12th, 2011 Saturday  A total of seven persons' party.

Fine.

I participated in advertisement action in the street in Kochi city.

I made arrangements with Mr. N .

I participated in a party  total of seven-person.

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英語で日記 二〇一一年十一月十三日 日曜日 美術館めぐり。 November 13th, 2011 Sunday Tour around art museums.

二〇一一年十一月十三日 日曜日 美術館めぐり。

 晴れ。

 私は、高知短期大学学生自治会、高知短期大学学友会の美術館めぐりに参加しました。

November 13th, 2011  Sunday  Tour around art museums.

Fine.

I participated in the tour around art museums of Kochi Junior College student council and Kochi Junior College alumni association.

  【詳細は、こちらへ】

  http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/11/post-5cb9.html

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池田香代子さんのブログの、こんな記事。

 考えさせられた記事でした。

 http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/?p=3

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2011.11.14

【ニュース】 電話の向こうの妻の「いら声」。

「こうしてよ」 いろいろ頼む この夫 いら立っているらし 電話の妻は

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英語で日記 二〇一一年十一月十四日 月曜日 『高知の戦争 証言と調査』十五号の校正が終了。 November 14th, 2011 Monday Proofreading of 15th "War testimony and investigation in Kochi" was completed.

二〇一一年十一月十四日 月曜日 『高知の戦争 証言と調査』十五号の校正が終了。

 晴れ。

 私は、夜十時半、『高知の戦争 証言と調査』十五号の校正を終えました。
 私は、そのデータを郵便で印刷担当者に送りました。
 私は、その帰りに、三年生の女子学生に出会いました。
 彼女は、夜十一時までのアルバイトをしているそうです。
 いまは、生きていくのが大変な時代です。

November 14th, 2011   Monday   Proofreading of 15th "War testimony and investigation  in Kochi" was completed.

Fine.

I finished proofreading of 15th "War testimony and investigation  in Kochi" at 10:00  p.m..

I sent the data to the printing person in charge by mail.

On my way home from that ,I met  a woman who is the junior in our university.

She said that she works as part-time job by 11:00 p.m.

It is hard time to live, now.

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2011.11.16

英語で日記 二〇一一年十一月十五日 火曜日 フライトアテンダント。 November 15th, 2011 Tuesday Flight attendant.

二〇一一年十一月十五日 火曜日 フライトアテンダント。

 晴れ。

 ある大学三年生の女性が、こう言いました。
 「私は、Flight Attendant(フライトアテンダント)になりたい」
 私は、この人なら希望どおりの道をいけそうだと思いました。

 やっと秋の気温になりました。
 私は、大学の授業が終わってから「温かい上着がほしい」と思って洋服のS店に行きました。
 私は、この店の服は中国製、ミャンマー製が多いのに気付きました。
 私が欲しい服は、ここには、ありませんでした。

November 15th, 2011  Tuesday   Flight attendant.

Fine.

A woman of a junior in our university said like this.
"I would like to be a Flight Attendant"
I thought that she can go forward to her desired way.

It became the temperature of autumn at last.
After our lesson finished, I thought "I want a warm coat" and went to S clothes store.
I noticed that many  dresses  of this store were made in China and  Myanmar.
Here was no dress I want.

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【日本語】 「すっぱ抜く」と忍者との関係。

 きのう本を読んでいて「すっぱ抜く」という言葉が忍者と関係しているという説があることを知りました。

 いくつかのサイトにも同じような説が載っていました。

 http://www.tisen.jp/tisenwiki/?%A4%B9%A4%C3%A4%D1%C8%B4%A4%AF

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【高知民報が報道】 「中曽根元首相 『慰安所』設置に関与 ボルネオ・バリクパパン 草の家が証拠公表」。

 http://www11.ocn.ne.jp/~jcpkochi/minpo/topic/2011/111106nakasone.html

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【短歌】 五か月も 更新してない ブログ読む。

 五か月も 更新してない ブログ読む 六月の記事 「がん転移した」

 

 すべての病を治す力を持ちたい。

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【短歌】 電話の向こうの妻の様子。

 身構えた 様子がなくて 案じてる 電話の先の 妻は不調か

 十五日夕、電話したら、何だか「お疲れ」の様子。
 しかし、これから会議に参加するといいます。
 妻は「サボる」ということを知りません。

 

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【いま知りたいこと】 アジア太平洋戦争中の竹槍作戦は、いつ、誰によって提起されたのか。

 いま知りたいことは、アジア太平洋戦争中の竹槍作戦は、いつ、誰によって提起されたのかということです。

 何冊は本は注文しましたが……。

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二〇一一年十一月十八日 火曜日 英語の宿題。 November 18th, 2011 Tuesday English homework.

二〇一一年十一月十八日 火曜日 英語の宿題。

 晴れ。

 英語の宿題です。
 「それぞれの単語を使って、五つの文をつくりなさい」

November 18th, 2011   Tuesday   English homework.

Fine.

It is English homework.
"Build five sentences using each word."

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2011.11.18

【いま、一番、言いたいこと】  高知短期大学・南裕子学長の高知短期大学廃止宣言に思う。

 私は、いま、六十四歳、香川県さぬき市の大学の四年生です。
 私も、いろんな学校で学んできました。
 いずれの学校も愛しています。
 そのなかでも、とくに高知市の高知短期大学には「素晴らしい学校だ」と親しみを持っています。
 病を得て、六十歳で職場を去った僕は、その後、この夜間の大学で学ばせていただいて、多くの発見をしました。
 生き抜いていくうえでの智恵と仲間を得ました。
 そして、先生方の援助で、四年生大学に編入することもできました。
 先生たちの多くは僕より若い人たちですが、ものすごく尊敬しています。
 いまの大学で学んで、学芸員の資格も取れる見通しです。
 現瞬間では、卒業論文の第二稿にとりかかろうとしています。
 卒業したら、高知短期大学の専攻科に進みたいと思っています。

 
 ところで、十一月十七日午後から夕にかけて、高知短期大学の南裕子学長(理事長)は、高知短期大学学生自治会の役員、同大学学友会役員に、それぞれ、つぎの方針を伝えました。
 高知短期大学は廃止するということを決めた(二〇一四年までは入学生を受け入れる)、そのことを県の政策にすべく働きかけるということでした。
 南学長は、高知短期大学について、①入学者が最近は定員を割るようになってきた②設立の趣旨は「働きながら学べる夜間大学」だが高校を卒業したばかりの学生が増えたし定年退職後の人もいる③四年制大学編入希望者が増えているなど分析を披露したうえで「時代が変わった」、「時代の流れ」という論を持ち出して同大学を廃止することにしたとのべました。

 高知短期大学大学は、一九五三年に創立されました。
 ずっと県立でしたが、今年四月、高知県公立大学法人に移行しました(理事長は知事が任命)。
 いまは、社会科学科と専攻科があります。社会科学科の定員は、百二十人です。
 昨年は、百二十二人が入学。今年は、百十五人が入学しています。
 実際に高知短期大学を見学してください。
 学生たちは、ときには眠けを「パンパン」とさましながら、その多くは「くらいつくように」学んでいます。

 高知短期大学については、一部の県議の高知短期大学廃止の主張をきっかけに、県政でも議論されてきました。
 しかし、「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会」(委員は知事が委嘱)でも、高知短期大学の「あり方」についても議論され、昨年三月の結論でも高知短期大学は当面存続することが確認されていました。
 学長・理事長は、何をする人でしょうか。
 教員の研究や教育の条件を整える、学生がよりよく学べるように条件を整える、そのことによって入学希望者が押し寄せるような学校にしていく、その責任者ではないでしょうか。
 その人が、率先して、この学校をなくするという方向で動き始めました。大変な異常事態です。
 すでに、「高知短期大学を存続させて」という新しい運動が、その日から始まりました。

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高知県情報公開条例の内容が、ここで見れます。

http://web2.pref.kochi.jp/~seisakuhousei/reiki/act/frame/frame110000013.htm

 

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2011.11.21

高知短期大学の南裕子(みなみ・ひろこ)学長の高知短期大学を"なくす"という宣言に思う。

 私は、高知短期大学の南裕子(みなみ・ひろこ)学長(理事長)の"高知短期大学なくす"の宣言についの記事を書きました。
 それを読んだ、現役の学生から励ましのコメントをいただきました。
 「……高校卒業後,就職をした私にとって大学進学は叶わぬ夢と諦めていたことでした。
 しかし、短大の存在を知り,働きながら大学生となることができました。
 どうか、短大を存続させてください。
 私もできる限り協力したいです。」
 あるかたからは、つぎのようなコメントをいたただきました。
 「不思議なことが起きるものですね。
 おっしゃる通り、学長の仕事は何よりも、大学の運営の維持と発展です。教職員、学生、卒業生、その他の関係者の協力を最大限お願いしながら、研究、教育を守り、学生に少しでも学びがいのある学園の環境を整備し、そして教職員に働き甲斐のある職場をつくるために、学長はいるのです。
 経済状況、社会状況からいって、多くの大学は経営上の困難を抱えていますが、そのなかでも、みな、懸命に頑張っています。在校生や卒業生の思いに支えられながら、そして学生の思いを支えながら。
 船が沈没するときに、船長は最後まで残るという話になぞらえれば、学長・ザ・ラストですよね。学長が率先して廃校というのは理解できません。そこに至るまでにどれだけの努力をしたのでしょうか。『ニーズ』がないというのなら、どのようなニーズがあるのか、リサーチし、どのような可能性があるのかを追求し、改革しながら進めていくべきことです。」

 おさらいになりますが、この問題は、以下のようなことです。

 十一月十七日午後から夕にかけて、高知短期大学の南裕子学長(理事長)は、高知短期大学学生自治会の役員、同大学学友会役員に、つぎの方針を伝えました。

 高知短期大学は廃止するということを決めた(二〇一四年までは入学生を受け入れる)、それを県の政策にするために働きかけるということでした。

 南裕子学長は、高知短期大学について、①入学者が最近は定員を割るようになってきた ②設立の趣旨は「働きながら学べる夜間大学」だが高校を卒業したばかりの学生が増えた、定年後の人もいる ③四年制大学編入希望者が増えている など分析を披露したうえで「時代が変わった」、「時代の流れ」という論を持ち出して同大学を廃止することにしたとのべました。
 ①は、南裕子学長の意図的な数字の読み違いです。一部県議の高知短期大学つぶせなどのキャンペーンの中、高知短期大学の応募者が減っていましたが、高知短期大学存続運動の高まりの中で、この二年間、挽回してきています。
 ②の、新卒者が多いのがいけないということの意味がわかりません。それに、高齢者が来るというのは「うちってすごいでしょう。高齢者にも信頼されているのよ」と誇っていいことなのではないでしょうか。
 ③については、学生が四年制大学へ編入しようとすることが、なぜ悪いのか理解できません。私自身も、高知短期大学を卒業して、四年制大学に編入しました。いま、六十四歳の四年生です。
 

 確かに、高知短期大学の設立の趣旨は「働きながら学べる夜間大学」です。
 そして、高知短期大学は、「時代の流れ」にそいながら、みずからを発展させ、進化させて、高知県のいろんな年代層の「学びたい」という要求を受け入れてきました。
 それは誇りとすべきことではないでしょうか。
 南裕子学長自身、『公立大学法人 夜間開校男女共学 高知短期大学大学案内 2012』の冊子の「学長挨拶」で、積極的に高知短期大学の素晴らしさをアピールし、応募を呼びかけています。
 その南裕子学長が、いつ、なぜ、その高知短期大学をなくすのだと心変りしたのでしょうか。
 

 私は、南学長の議論を聞いていて、ある自民党県議の発言を思い出しました。
 高知短期大学の存続運動のなかで、私たちは、二〇〇九年二月四日、高知短期大学なくせの運動の先頭にたっている高知県議と懇談しました。
 その席上、私たちの「あなたは、なぜ高知短期大学をなくそうとしているのか」という質問に、その県議は、つぎのように答えました。
 「高知短大が偏向した教育をしてきちゅう(している)。共産党しか育たん。県費を投入して偏った人間が育ってくる。純粋な気持ちで来た人が、教べんをとる人にすりこまれるのはかなわん。公費を投入する先生が色をつけてもろうては困る」
 私は、唖然(あぜん)としました。
 私は、「偏向」うんぬんは事実として存在しないこと、そういう「とんでもない思い込み」でこのことにのぞむのは間違いだということを指摘しましたが、彼は納得しませんでした。

 この県議、二〇〇八年九月三十日午前の高知県議会本会議の質問では、高知短期大学について、本音は出さないで、つぎのようにのべています。

 「高知短大は夜間の短大として勤勉意欲にあふれる多くの学生を集め、これまで本県の人材養成に大きな役割を果たしてきました。
 しかしながら、全国的に短大への進学率は低下し続け、高知短大も学生確保に苦慮しているのが実態のようであります。
 さらに、職業についている学生の率も50%ほどとなり、高齢の学生が増えるなど、その役割も近年、変化してきているようであります。
 私は、現在、この短大が果たしている役割というのは、これまでの社会人教育から、若者にとっては四年制大学へのステップ、また、高齢者にとっては生涯学習の場へと変化してきているように思います。
 このようなことから、以前のような高知短大の役割はすでに終わっており、私たちとしましては、当然、今回の大学改革の中で廃止もふくめて見直しが必要だと考えておりますが、知事の、ご所見を、おうかがいいたします」

 南裕子学長の議論と共通したところがあると思いませんか。

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英語で日記 二〇一一年十一月十六日 水曜日 韓国語の授業。 November 16th, 2011 Wednesday Korean lesson.

二〇一一年十一月十六日 水曜日 韓国語の授業。

 晴れ。

 私は、きょうの韓国語の授業で、質問にうまく答えられませんでした。
 やっぱり、私は、よく予習をしていないと力が発揮できません。

November 16th, 2011  Wednesday   Korean lesson.

Fine.

I was not able to reply to questions well in the lesson of today's Korean.
Unless I have prepared my lesson well, I cannot demonstrate my power.

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英語で日記 二〇一一年十一月十七日 木曜日 「南裕子学長は、高知短期大学廃止の方針を撤回してください」。 November 17th, 2011 Thursday "Kochi Junior College President Minami Hiroko needs to withdraw the plan of Kochi Junior College abolition."

二〇一一年十一月十七日 木曜日 「南裕子学長は、高知短期大学廃止の方針を撤回してください」。

 晴れ。

 高知市の、わが家の塀に絵を描いてくれたSさん(二十五歳)が、塀の絵のリメークをしてくれました。

 高知短期大学の南裕子学長が、同大学廃止の方針を決めたと宣言しました。
 その夜から学生、卒業生たちが「南裕子学長は、高知短期大学廃止の方針を撤回してください」の運動を開始しました。

November 17th, 2011 Thursday   "Kochi Junior College President Minami Hiroko needs to withdraw the plan of Kochi Junior College abolition."

Fine.

Miss. S (25 years old) who drew a picture on the wall of my home in Kochi remade the picture of the wall.

Kochi Junior College President Minami Hiroko declared that the plan of the university abolition was decided.
Students and graduates started movement of "Kochi Junior College President Minami Hiroko needs to withdraw the plan of Kochi Junior College abolition." this night.

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英語で日記 二〇一一年十一月十八日 金曜日 私は不調です。November 18th, 2011 Friday I was in poor health.

二〇一一年十一月十八日 金曜日 私は不調です。

 晴れ。

 私は、身体がしんどくて、韓国語の授業に出られませんでした。

November 18th, 2011  Friday  I was in poor health.

Fine.

I was in poor health and did not attend in our Korean lesson.

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英語で日記 二〇一一年十一月十九日 土曜日 京都市の市民大学院設立準備委員会。 November 19th, 2011 Saturday Citizen graduate school establishment preparatory committee in Kyoto.

二〇一一年十一月十九日 土曜日 京都市の市民大学院設立準備委員会。

 雨。

 私は、高知短期大学経済学クラブの京都、滋賀への研修旅行に参加しました。
 私たちは、京都市の市民大学院設立準備委員会を訪問しました。

 私たちは、京都市のホテルに泊りました。

November 19th, 2011  Saturday   Citizen graduate school establishment preparatory committee in Kyoto.

Rain.

I participated in a study tour to Kyoto and Shiga of Kochi Junior College economics club.
We visited the citizen graduate school establishment preparatory committee in Kyoto.
We stayed at a hotel in Kyoto.

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英語で日記 二〇一一年十一月二十日 日曜日 三千院、延暦寺の仏像。

二〇一一年十一月二十日 日曜日 三千院、延暦寺の仏像。

 晴れ。

 高知短期大学経済学クラブの京都、滋賀への研修旅行の二日目でした。
 京都の三千院、滋賀の延暦寺で仏像を見ました。
 参加者たちのそれぞれの素晴らしさを知った知った旅行でした。

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英語で日記 二〇一一年十一月二十一日 月曜日 四十二歳の友人の死。

二〇一一年十一月二十一日 月曜日 四十二歳の友人の死。

 晴れ。

 友人が、病気で、二十日午前一時に亡くなったことを知りました。
 四十二歳でした。

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高知短期大学を守る歌 ( 「十代の恋よさようなら」 の歌詞で )

 高知短期大学を守る歌 ( 「十代の恋よさようなら」の歌詞で )

 好きでならない 学びやを
 消されてひとり かたすみで
 悲しくたたずむ 日はいやだ
 ああ 廃止宣言 さようなら

  
 どうせもらった いのちなら
 みんなで楽しく 学びたい
 あなたの笑顔 見ていたい
 ああ 希望の園の 月明かり

 たった一度の 人生を
 上の顔色 うかがって
 みんなの希望 つみとって
 ああ そんな生き方 さようなら

  (添削希望)

  【参考】

 http://www5e.biglobe.ne.jp/~anjyu/new_page_511.htm

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2011.11.22

京都市の三千院での私の祈祷願いの内容は「高知短期大学存続」。【写真、三千院の紅葉】

Photo

 二十日に京都市左京区大原来迎院町の三千院に行きました。
 ここの本尊は、薬師如来(やくしにょらい)です。
 薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、菩薩の時に十二の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれています。
 瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされています。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏です。

 祈祷(きとう)の申し込み所があったので、私の願いを書いて申し込みました。
 私の書いた願いは「高知短期大学存続」です。

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高知短期大学学生のみなさんへ。高知短期大学をテーマにした映画、ここで見ることができます。

高知短期大学をテーマにした映画「窓辺に燃ゆる夕日影 高知短期大学で学ぶ」、ここで見ることができます。

 http://www.youtube.com/watch?v=p4UjvPilPVQ

 http://www.youtube.com/watch?v=Vv8Kg0a5iNA

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2011.11.24

高知県議会で採択された「高知県公立大学法人中期目標」の高知短期大学発展方向と、それを無視した高知短期大学・南裕子(みなみ・ひろこ)学長の高知短期大学なくすの宣言。

 「高知県公立大学法人中期目標」という文書があます。
 二〇一一年四月一日から二〇一七年三月三十日までの計画案です。
 高知県が、ことし六月の高知県議会に提案して、七月十一日の本会議で原案どおり満場一致で採択されたものです。

 この文書の、高知短期大学(社会科学科第二部、応用社会科学専攻科二部)の部分を抜き出します。

 教育の成果に関する目標、「県内唯一の夜間課程を設置する大学として、社会人をはじめとする多様な学生の教育をつうじて、豊かな人間性及び教養を備えるとともに、社会科学の基本的な力量を身に付けた、地域社会の主体的で創造的な担い手となる人材を育成する。」

 教育の内容等に関する目標、「現実から学ぶことを重視し、教養教育及び社会科学の専門教育の連携を図り、県民ニーズに対応したカリキュラムを編成することによって、短期大学にふさわしい教育の場を確保する。」

 学生の受け入れに関する目標、「高知短期大学の基本理念に基づき、高等学校、自治体、事業者等との連携を強化するとともに、広報活動を積極的に行うことにより、入学者の受入れ方針に沿った社会人をはじめとする多様な学生の確保に努める。」

 研究水準及び研究成果に関する目標、「(ア) 法学及び経済学を中心とする社会科学の分野において現代社会が抱える課題に応える研究を進め、これによって地域社会及び国際社会の発展に寄与する。

 (イ) 研究水準向上を図るための研究活動について、適切な評価を行い、改善につなげる。」

 全体として前向きのものだと思います。

 もちろん、高知県公立大学法人の理事長、理事会は、この方向で努力しなければなりません。

 しかし、高知県公立大学法人の初代理事長、南裕子(みなみ・ひろこ)さんは、二〇一一年十一月、高知短期大学をなくすと宣言しました。
 二〇一七年三月三十日までの「中期計画」の初年度にです。

 南裕子さんは、「公立大学法人 夜間開講男女共学 高知短期大学 大学案内 2012」の冊子に同大学の学長として同大学の良さを強調し、受験をと呼びかける文章を掲載しています。

Photo

 この文章が、いつかかれたものかは知りませんが、彼女が学長になった、ことし四月以降のものです。
 四月に書かれたとしても、それから七か月しかたっていません。
 彼女の変化、学長としての義務をまっとうするから、自分が学長をしている大学をなくすことを宣言するにいたる大転換はいかにしてなされたのでしょうか。
 なぜ、高知県議会の決定を無視する方針を出すにいたったのか。一人の人間が、二つのあい矛盾する考えを持つにいたった経過を知りたいと思うのは私だけではないでしょう。

 

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英語で日記 二〇一一年十一月二十二日 火曜日 試験、リポート……。

二〇一一年十一月二十二日 火曜日 試験、リポート……。

 晴れ。

 先生が私の卒論を添削してくれました。一回目です。
 英語の授業で、来週試験をやるという宣告を受けました。
 地理学の時間に、来週までにリポートを出しなさいという宣告を受けました。
 美術史のリポートの締め切りも迫っています。

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英語で日記 二〇一一年十一月二十三日 水曜日 人々の「生き方」を堕落させる人。

二〇一一年十一月二十三日 水曜日 人々の「生き方」を堕落させる人。

 晴れ。

 人々の「幸せに暮らしたい」とか、「もっと、向上したい」とかの、まっとうな気持ちをたくみに利用しながら、人々の心を操って、その人々の「生き方」を堕落させる人がいることを、最近の経験から知りました。
 

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英語で日記 二〇一一年十一月二十四日 木曜日 高知短期大学存続のために行動しました。

二〇一一年十一月二十四日 木曜日 高知短期大学存続のために行動しました。

 晴れ。

 私は、きょうも、高知短期大学存続のために行動しました。

 

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2011.11.25

英語で日記 二〇一一年十一月二十五日 金曜日 韓国語の宿題。

二〇一一年十一月二十五日 金曜日 韓国語の宿題。

 晴れ。
 
 韓国語の授業で、先生は、私たちに、こう言いました。
 「つぎの授業までに、教科書の八章から十三章までの会話文を、すべて覚えてきてください」
 つぎの授業は、来週の水曜日です。
 うーーん。

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【エッセイ】 ある尊敬してる女性への「出さなかった手紙」。「人さまの 希望摘み取る 手腕持つ 女性の顔の 涼やかなこと」。

 きょうの一時間目は韓国語でした。
 先生に四回質問されて二回は答えられませんでした。
 最後の質問は「オヌルン ヨギ カジ は、日本語でなんといいますか」でした。
 「きょうは」までは分かったのですが……。
 「きょうは、ここまで」だそうです。
 と、いうことで、まだイロハのイをよろよろしながらついていっている感じです。

 四時間目は美術。屋外で校舎のスケッチでした。

 五時間目は、研究室で開かれた学内の短詩形文学のサークルの集まりに初めて参加しました。
 参加者は男性のみ五人。みながつくった俳句や短歌を批評し合いました。
 穏やかな気持ちになれた二時間でした。

 あと数か月の、ここでの学生の暮らし。じっくり味わって過ごしたいと思っています。

 そうそう、あなたも、短歌をつくってみませんか。
 私は、短歌をつくることで「心の掃除」をしています。

 人さまの 希望摘み取る 手腕持つ 女性の顔の 涼やかなこと

 これは、最近、私が出会った人のことを詠んだものです。
 

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【短歌】 「あの世」への電話。

 この世には いないはずだが 電話する やっぱり君は 「不通」になってた

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2011.11.27

英語で日記 二〇一一年十一月二十六日 土曜日 高知短期大学廃止宣言の同大学の南裕子学長の個別説得という手法。

二〇一一年十一月二十六日 土曜日 高知短期大学の南裕子(みなみ・ひろこ)学長の個別説得という手法。

 晴れ。

 高知短期大学存続のために行動しました。

 
 高知短期大学廃止を宣言した高知短期大学の南裕子学長が、同大学存続を願う人々と個別に会談して説得しようとしていることが判明しました。

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英語で日記 二〇一一年十一月二十七日 日曜日 大阪で「ハシズム」が増殖。

二〇一一年十一月二十七日 日曜日 大阪で「ハシズム」が増殖。

 雲り。

 大阪で「ハシズム」が増殖しました。
 大阪府民の政治への不満を吸収しました。
 私は、日本の未来にとって危険な動きだと思います。

 英語の試験のために勉強しました。
 地理学のリポートを書きました。

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【エッセイ】 ダバオの人へのメール。

  今夜、ダバオに住んでいる人に、こんなメールを送りました。

 メール、ありがとうございました。
 あなたのメールを読んでワクワクしました。

 あなたは、私と同世代の方でしょうか。
 私は六十四歳です。一九四七年二月二十三年の生まれです。
 大阪市で生まれ、すぐに高知県に移り、二十歳のとき東京都に行き、そこで四十年近くを過ごしました。
 いまは妻が高知市にいて、私は、香川県さぬき市のアパートにいます。
 夫婦仲が悪いわけではなく(?)、私が、こちらの大学で学んでいるからです。

 私は、「アジア太平洋戦争のころの、中曽根康弘さん」の足跡をたどってダバオ、バリクパパンに行きたいと思っています。
 ダバオ訪問については、あなたに、おたよりしていいでしょうか。

 来年三月には、大学を卒業します。
 三月か四月ころ行動を開始したいと思っています。

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2011.11.28

土と水に異常が起こっています。1999年1月31日にNHKが伝えていました。

   土と水に異常が起こっています。

 1999年1月31日に、NHKで放映されたNHKスペシャル『世紀を超えて』の「地球 豊かさの限界 第ニ集 大地はどこまで人を養えるか その1」が、そのことを伝えていました。

 恐ろしい現実を突きつける作品です。

 その内容を、以下のところで知ることができます。
http://video.google.com/videoplay?docid=-5724353456327607369#

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英語で日記 二〇一一年十一月二十八日 月曜日 なぜ、日本はアジア太平洋戦争を始めたのか。

二〇一一年十一月二十八日 月曜日 なぜ、日本はアジア太平洋戦争を始めたのか。

 雲り。

 英語の試験のための勉強をしました。
 地理学のリポートを書きました。
 卒業論文のための作業をしました。
 高知短期大学の存続のための運動をしました。
 ダバオのかたから、なぜ、日本はアジア太平洋戦争を始めたのかくわしく教えてほしいとのメールをいたただきました。

 【追加 自分のブログの記事で、日本はアジア太平洋戦争を始めたのかをテーマにした記事を探しました。ありました。】

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2009/01/post-56b4.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2009/01/post-ae43.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2009/01/post-8f02.html

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2009/01/post-9a9e.html

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2011.11.29

英語で日記 二〇一一年十一月二十九日 火曜日 三十六の韓国語の文章。

二〇一一年十一月二十九日 火曜日 三十六の韓国語の文章。

 晴れ。

 英語の試験がありました。
 「つぎの英語の文章を読んで、その内容を英語の五センテンスで説明しなさい」という問題に苦しみました。
 家に帰ってから美術史のリポートを書きました。
 そして、韓国語の勉強をしました。
 三十六の韓国語の文章を空で言えるようにするという勉強です。

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【エッセイ】 「悪しき事態」を、どうとらえ、どう行動するか。藤原直(ふじはら・ただし)記者の大阪の記事に寄せて。

 「悪しき事態」に遭遇すると、くじけそうになるのが私の悪いくせです。

 十一月二十七日の大阪知事選挙、大阪市長選挙の結果も私にとっては「悪しき事態」でした。

 私は、大阪市生まれです。
 東京都の職場にいたとき、二度、大阪に単身赴任して、ここで働いたことがあります。
 大阪、愛しています。

 それだけに、こんどの「悪しき事態」には、ぐしゃっと来ました。
 かつて革新知事を選んだこともある、私の大阪が「ハシズム」を選ぶとは……。

 そんなときに、「しんぶん赤旗」二十九日付二面で「大阪ダブル選結果 独裁ノー広がった共同 展望を切り開く力に」という論評記事を読みました。
 記事の最後は「…大阪を独裁政治の拠点とさせないたたかいは始まったばかりです。」でした。
 そうか、そういう立場で行動する必要があるなと思いました。
 この記事の筆者は「藤原直」さんでした。

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【ニュース】 妻が、テレビニュースに映っていたそうです。

 二十八日のテレビ高知の夕がたのニュースに妻・藤原尋子さんが映っていたといいます。
 高知市老人クラブ連合会の高知市内での花植えのシーンだそうです。
 本人は見ていないそうです。

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2011.11.30

夢太郎さんの夢は、みんなが幸せに暮らしていける世界でしょうか。

 夢太郎さん。コメント、ありがとうございます。

 いま、私は、野望を抱いています。
 それは、日本の近代史、現代史を国民の立場から再構築したいということです。
 ポイントは、こんなことです。

 ● 江戸時代は、つらい時代でした。お坊さんと在野の娘さんの恋愛が罪とされた時代でした。「土佐の高知の播磨屋橋で……」のことです。「そんな政治はいかんぜよ」と、たちあがった農民たちの指導者が権力に命を奪われた時代でした。その社会のなかで「こんな支配は、だめだ」という変革の運動が始まり、明治維新になりました。

 ● 片隅にいた天皇をかついだ武士たちの一部が政権を握りました。その政権のやり方に反対の運動が起こる中で、政府はいなおり、天皇の地位を神にまでたかめる政治制度をつくりあげていきました。軍事の指揮を一手に握った天皇は世界の各地を侵略していきました。世界の多くの人々を傷つけました。自国民を犠牲にしました。日本には、戦争に反対する勢力もいました。しかし、弾圧され、宣撫されていきました。たとえば、与謝野晶子は戦争はいけないという詩をつくりましたが、しばらくして「天皇万歳」の思想を突かれて侵略戦争推進論者に変わり、侵略戦争万歳の作品を書き続けました。

 ● そんなときに、日本共産党が誕生しました。当時のソ連、すでに人民抑圧、対外侵略路線をとっていたソ連を、社会主義の国と見誤まる弱点もありましたが、この党は、日本で、天皇制の打倒、侵略戦争反対を命がけで主張しました。

 ● 日本の天皇は、台湾、朝鮮、中国に侵略の手をのばしました。そして、侵略の行く手をはばもうとする国に打撃を与えようとアジア太平洋戦争を始めました。相手国が支配していた国にも侵攻しました。しかし、天皇は世界に追い込まれてしまいます。それを挽回しようとして、子どもまで兵士にしました。兵士のいのちを敵にぶっつける特攻作戦に踏み出しました。女性や子どもには竹槍でたたかうように訓練させました。天皇の思惑は、戦争に敗北しても「天皇の支配する日本」という「国体」だけは守りたいということでした。

 ● 天皇は敗北しました。そして、占領下で、日本は新しい選択をします。主権在民、軍隊はもたない、戦争はしないということです。しかし、日本を支配下においたアメリカは、その後、日本を自分たちの戦争政策に利用しようとしました。アメリカは、日本に新しい軍隊をつくらせ、日本の経済もアメリカのコントロールのもとにおきました。

 ● 日本の国民は、そうしたもとでも、国民の幸せのために奮闘し、現在の日本をつくり上げてきました。

 ● いま、そうしてつくりあげてきた国民の成果物を、全面的に取り崩そうという動きが活発になっています(年金制度ひとつ見ても、そのことがわかりまう)。アメリカと日本の財界にとって都合のいい日本、国民が泣きを見る日本がつくられつつあります。すぐ無効になるような国民受けする公約を打ち出して政権についた党があります。いくつかの地方では、国民の政治への絶望感をたくみに吸収して、より悪い政治をやろうとする人々が権力を持つようになっています。

 ● そういう状況で、いま日本では、国民の幸福をめざす、国民の全面的で強い運動が求められています。

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【ニュース】  「これから犯す前に犯しますよと言いますか」 沖縄防衛局の田中聡局長の発言。あなたは、自分たちがやろうとしていることが犯罪だと自覚していたのですね。

 アメリカ言いなりの日本の支配者の本音が出た発言でした。

  「犯す前に言うか」田中防衛局長 辺野古評価書提出めぐり

 琉球新報 11月29日(火)9時50分配信

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111129-00000000-ryu-oki

 沖縄防衛局の田中聡局長は28日夜、報道陣との非公式の懇談会の席で、米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の「評価書」の年内提出について、一川保夫防衛相が「年内に提出できる準備をしている」との表現にとどめ、年内提出実施の明言を避けていることはなぜか、と問われたことに対し「これから犯しますよと言いますか」と述べ、年内提出の方針はあるものの、沖縄側の感情に配慮しているとの考えを示した。
 (中略)
 田中局長は那覇市の居酒屋で、防衛局が呼び掛けた報道陣との懇談会を開いた。報道陣は県内外の約10社が参加した。
 評価書の提出時期について、一川氏の発言が明確でないことについて質問が出たとき、「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と発言した。
 (後略)

 沖縄防衛局長更迭 アセスめぐり女性誹謗

 沖縄タイムス 2011年11月30日 09時36分

 http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-11-30_26699/

 田中聡沖縄防衛局長(50)が記者団との非公式な懇談会で、政府が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に係る環境影響評価(アセスメント)評価書の提出時期を明言しない理由について「犯す前に犯しますよと言いますか」などと発言していたことが29日、分かった。(中略)
 沖縄防衛局が28日夜に居酒屋で主催した懇談会には、本紙を含む県内外の記者約10人が出席し、完全オフレコで行われた。田中氏は酒を飲んでいた。発言時、本紙記者は離れたところにいて発言内容を確認できなかった。29日に複数の出席者に取材し、確認した。
 田中氏は席上、1995年の米兵暴行事件で当時のリチャード・マッキー米太平洋軍司令官の「犯行に使用した車を借りるカネがあれば、女が買えた」という発言を「その通りだと思う」と肯定した。
 沖縄における軍隊の意義について「薩摩に侵攻されたときは、(琉球に)軍隊がいなかったから攻められた。基地のない平和な島はあり得ない」などと持論を展開。辺野古移設が進まない場合は、普天間飛行場は固定化されるとの考えも強調した。
 (後略)

  政府のやろうとしていることが、力づくで「犯す」ような犯罪だと自覚していればこそ、こんな発言になるのだと思います。

 そのようなことは、やめるべきです。日本、沖縄を占領しているアメリカ軍の普天間基地の無条件撤去をこそ、求めるべきです。

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