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2011.11.03

【エッセイ】 アジア太平洋戦争のときの竹槍訓練の実際 (書きかけです)

 日本がアメリカ、イギリスなどと戦った大東亜戦争(以下、アジア太平洋戦争)のとき、大日本帝国では、日本に上陸してくるアメリカ軍などと戦うために女性たちに竹槍訓練をやらせたといいます。それは、どのようにやられたのでしょうか。また、当時の支配者たちは本当にアメリカ軍などの戦車や迫撃砲などに対抗できると考えていたのでしょうか。

 戦中の報道の歴史で、よく「竹槍事件」というのが出てきます。
 アジア太平洋中の、一九四四二月二十三日付の毎日新聞の一面に同社政経部で海軍省担当キャップだった新名丈夫(しんみょう たけお)記者(一九〇六年十一月三日生まれ)が執筆した戦局解説記事が載りました。
  「勝利か滅亡か 戦局は茲(ここ)まで来た」、「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」という見出しです。
 「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」
 「日本は建国以来最大の難局を迎えており、大和民族は存亡の危機に立たされている。大東亜戦争の勝敗は太平洋上で決せられるものであり、敵が日本本土沿岸に侵攻して来てからでは手遅れである」
 「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」
 「大東亜戦争の勝敗は海洋航空兵力の増強にかかっており、敵の航空兵力に対して竹槍で対抗することはできない」
 侵略戦争に勝つにはどうするかという立場の一軍国主義者の主張でした。
 しかし、松村秀逸大本営報道部長は、毎日新聞に掲載紙の発禁および編集責任者と筆者の処分を命じました。
 記事執筆から八日後、新名記者に召集令状が届きました。新名は、郷里、高松に行き二等兵として丸亀の重機関銃中隊に入営します。

 【沖縄県】

 のちにアメリカ軍が上陸した沖縄県。そこでも、上陸の前に竹槍訓練がやられていました。
 八重山高等女学校の生徒たちもやっていました。
  上江洲儀正(二〇〇八年):『やいま』第百七十三号(南山舎。八十八頁)の「特集 乙女たちの戦争体験 第一回 宮里テツさんの戦争体験」(一頁~十頁)に書いてあります。
 これは八重山高等女学校一年生(十三歳)だった宮里テツさんの一九四三年九月二十七日からの日記をもとにした文章です。
 日記=「今日は大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)である。六時までに竹槍をもって学校に集合する様にとの昨日お伝えがあった。顔を洗って居(い)るところへ宮平藤さん上里靖子さん盛山悦子さんがさそいに来た。ブルーマをつけ竹槍をもって学校へ行こうとすると二年生の黒島照さんに門でぴたりと会った。私達四人は、黒島朝さん照さんの二人をさそい、又吉カズさんをさそった。だがカズさんはもう行ったと言ふ。私達七人は歌を歌って二列に並び、元気よく登校した……」
 日記のつづきは、女学校に着いて、みんなが集まったところで「勝ち抜く誓い」を朗誦(ろうしょう)し、竹槍訓練をやり、桃林寺の隣の権現堂に「ワッショイワッショイのかけ声も勇ましく」参拝し、解散。午後からふたたび登校。「一時間は大詔の奉読式を上げた」と記しています。
 大詔奉戴日というのは、アジア太平洋戦争開戦の日(一九四一年十二月八日)に天皇の「宣戦の詔勅」が公布されたことにちなんで、毎月八日に設定された戦争完遂のための運動でした。
 「大詔奉戴日設定ニ関スル件」(一九四二年一月二日、閣議決定)は、以下のとおりです。
 「一、趣旨
 皇国ノ隆替ト東亜ノ興廃トヲ決スベキ大東亜戦争ノ展開ニ伴ヒ国民運動ノ方途亦画期的ナル一大新展ヲ要請セラルルヲ以テ茲ニ宣戦ノ大詔ヲ渙発アラセラレタル日ヲ挙国戦争完遂ノ源泉タラシムル日ト定メ曠古ノ大業ヲ翼賛スルニ遺算無カランコトヲ期セシメントス
 二、名称
 大詔奉戴日
 三、日
 八日
 四、実施項目
 趣旨ニ基キ大政翼賛会ニ於テ政府ト密接ナル連絡ノ下ニ設定スルモノトス
 五、実施
 昭和十七年一月ヨリ大東亜戦争中継続実施シ大政翼賛会之ガ運用ノ中心トナルモノトス
 六、昭和十四年八月八日閣議ノ決定ニ依リ設定セラレタル興亜奉公日ハ之ヲ廃止シ其ノ趣旨トスル所ハ 大詔
 奉戴日ニ発展帰一セシムルモノトス」
 日記に出てくる「勝ち抜く誓い」の詩は、つぎのとおりです。
 
 みたみわれ[天皇の民である私]、大君(おおきみ)にすべてを捧げまつらん。
 みたみわれ、すめらみくにを護りぬかん。
 みたみわれ、力のかぎり働きぬかん。
 みたみわれ、正しく明るく生きぬかん。
 みたみわれ、この大みいくさに勝ち抜かん。
 日記=「自習していると、カラン●ひらがな三字分のくりかえしの記号●と鐘がなった。朝会場へ集合し、泊先生に其(そ)の日の人員を報告した。体操をし、朝会を終へて教室へ入った。一時間目数学、二時間目家事、三時間目音楽、四時間目図画。各々の時間が終へて昼食である。今日は何だか昼時間が早い様だ。皆と一緒におべんとうをいただき、その後はお話や色々な歌を歌って遊んだ。少時遊んでいると、午後からの授業を知らせる鐘が鳴った。五時間目は修練であった。六時間目は農業であった……」
 修練の時間には、バケツリレーなどの防空訓練、竹槍訓練、手旗信号などをやりました。
 竹槍訓練では、わら人形を、突いた瞬間抜きなさいと教えられました。なぜなら、人間の体は突かれたら締まるから、瞬間に抜けといわれました。竹槍は1メートル50くらいの竹を20~30センチくらい斜めに切って、火にあぶって、蝋(ろう)を塗ってつくりました。
 ホームページ「読谷村史」(http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec01/cont00/docu038.htm)に、その様子が出ています。
  「 一九四三年(昭和十八)五月、北部太平洋のアッツ島が玉砕した。以後、南洋の島々でも玉砕が相次ぎ、日本軍にとって戦局は悪化の一途をたどっていった。
 やがて沖縄近海まで米軍機が飛来するようになり、敵機来襲に備えて国民学校でも連日、防空訓練、避難訓練、竹槍訓練(上級生による)等が実施された。中でも竹槍訓練は『鬼畜米英打倒』の名のもとに、各字でも青年団、婦人会を中心に実施された。
 村役場においては、各字の幹部(役員・警防団長)を集めて竹槍の作り方や使い方の講習会が軍の指導で行われた。いま考えると全く幼稚な発想であるが、当時は真剣そのものであった。」
 「鬼畜米英」は、人を人とも思わないような残酷で非道なごときアメリカ、イギリスという意味でしょうか。

 【三重県】

 三重県四日市市桜地区の「桜郷土史研究会」のホームページが桜村での竹槍訓練を伝えています(http://www.sakuracom.jp/~kyoudoshi/fujinkai-2.html)。背景もふくめて調査しているものです。
 「大日本婦人会

 1942年(昭和17)2月、政府と軍部の主導で、20歳未満の未婚者を除く日本人女子全員を組織するために、愛国婦人会、大日本国防婦人会、大日本連合婦人会の三団体を統合して、官製の大日本婦人会が設立されました。

 ▼目的
 高度国防国家体制に即応するため、20歳未満の未婚者の除く婦人のすべてを総力戦体制に動員するを目的とし、全日本婦人をして経済戦、思想戦、国土防衛戦の戦士として恥ずかしからぬ訓練を施す訓練体とされました。(実態は廃品回収・国防訓練・兵士の慰問・遺族の援護でした)
 ▼1942年5月、大政翼賛会(1940年10月に結成された国民統制組織)に加盟。その下部組織に組み込まれる。
 ▼1944年8月、本土決戦に備えて国民総武装が閣議決定されたのにともない、婦人会活動として有名な竹槍訓練、防空訓練、看護訓練等が、「大日本婦人会」の名の下で始まりました。
1945年6月、大政翼賛会が解散して国民義勇隊に吸収されると同時に、「大日本婦人会」も解散して「国民義勇隊女子隊」に改組。
 ▼1945年8月15日、敗戦により解散。

 ▼三重郡では
 1942年の8月26日に、三重郡三重村で大日本婦人会支部の規則要綱と役員一同の名前が発表されています。(四日市地区市民センター所蔵公文書資料)
 役員構成;
 支部長(女1人)、副支部長(女1人)、顧問(男5人)、理事(男7人)、参与(男4人、女2人)、監事(女2人)、審議員兼班長(女7人)
  ▼ここでは省略しましたが、資料には各々その任務と人員名が示されて整然とした上意下達経路が明確にされています。
  ▼三重郡での大日本婦人会支部結成と組織の発表は、同年5月に大政翼賛会に傘下に入った後のことです。

 ▼「大日本婦人会」の知名度
 昭和17年2月の以降、全国各地の婦人会の役員を除く一般会員の多くは、自分の所属する婦人会が統合され「大日本婦人会」と名称変更があった事など全く知らないまま終戦を迎えたと関係文献に報告されています。
桜村においても同様です。

 ▼桜村では

 大日本婦人会について資料が無いため不詳。

 元桜村国防婦人会員への聞き取り調査
 質問・・・大日本婦人会へ統合されたことを知っていましたか?
 回答・・・「戦争が終わるまで私たちは国防婦人会に入っていたので、大日本婦人会など知りませんし、統合された話など聞いたことありませんでした。戦後の婦人会のことですか?」
 上記写真に写っている役員さんも含め同様の回答でした。
 (中略)

 竹槍訓練について
 桜村の女性は、国防婦人会活動で何をしたかの話題の中で、全員が “竹槍訓練”や“防火訓練” を先ず上げます。しかし既述したように、実際には竹槍訓練は「大日本婦人会」の活動の一環として行われたのでした。
 そんな名称の変化よりも当時の女性にとって最大関心事は、「本土決戦になれば、女性は自分で身を守らないと米兵に辱められて殺される」という噂話の方でした。
 聞き取り調査でも、以下のように桜村の女性たちの困惑振りが伝わってきます。
  ▼当時、竹槍で身を守れると思っていたわけではなかったが、練習しないよりはした方が良いと思った。
  ▼誰でも自分の身にかかわることだから一生懸命訓練した。
  ▼この辺は四日市港に近いから危ないという噂があったので、竹槍で突くより山へ逃げ隠れた方が良いとかいろいろ女性同士で話した。

 以上のような女性の混乱振りは、何も桜村に限った事ではなく全国的な傾向でした。
 結局のところ、国防婦人会組織はそのまま大日本婦人会に移行し、上部役員に異動があったとしても、一般会員には何ら変化はなかった。だから、「婦人会統合」は知らなかった。
 それよりも戦況悪化にともなう社会不安の増大する中で、当時の桜村女性の最大関心事は、「身に迫る危険の噂」に心が奪われていた・・・・おおいに納得です。
 (後略)」

 【広島県】

 広島県での青年団での竹槍訓練の記録もあります。
 ネットにある記事です(「吉備野庵」の「私の8月15日」=http://zenmz.exblog.jp/1494168/(2005-08-14 12:06))。
 「★60年前、私は15歳。京都から疎開した広島・西条に住んで3年目でした。(中略)
 ★その前日には青年団の竹槍訓練に出て行って『物陰に隠れて鬼畜米英の脇腹を突く。肉を切らせて骨を断つ』と教えられたばかりだったのです。
 ★最後の竹槍訓練はすさまじいものでした。『戦闘の実際を体験させる』ために始めて手渡された小銃には実包が込められており、肩の鎖骨後ろに台座を置いて一発づつ発射する”実戦訓練”があったのです。土嚢に這いつくばって撃ったのですが、ビックリしたのは反動のすさまじさ! 小さな身体が後ろにのぞけり返る感じで、それは怖ろしかった! 
 ★本土決戦とはこんな戦いか? 武者震いしながら張りつめた気持ちでした。それだけに翌日、敗戦を知った時の不思議な気分・・・アッケナク戦争は終わった! 竹槍も、小銃も、使うことはもうない。一種の虚脱を伴いながら、『鬼畜米英が目の前に出てきたら・・・どうしたらいいのか?』 漠とした不安を覚えたものでした。
 (中略)
 ★最後の竹槍訓練で『肉を切らせて骨を断つ』と大上段に太刀を構えて振り落としてみせた校長先生は、その翌月には『一人一人を大切にする新しい教育』を熱っぽく語るようになっていました。」

 【香川県】

 香川県の帝国在郷軍人会・長尾町分会長が、一九四四年八月二十六日付で、部落会長、軍人班長に「訓練用竹槍調整ニ関する件」という文書を出しています香川県(一九八八年):『香川県史 第十二巻 資料編』(香川県。八百九十三頁)
 「今般其筋(そますじ)ヨリノ通牒(つうちょう)ニ依(よ)リ訓練用竹槍(長サ約米)ヲ各人毎に速カニ調整シ、何時ニテモ訓練ニ即応シ得ル如ク貴部内会員洩(も)レナク準備シ置カレル様此段(このだん)及通知候也」
 
 備考 竹槍ノ先ハ其(そ)ノママニスルコト(トギヲサヌコト)」
 高松市の様子を書いた本があります(高松百年史編集室(一九八八年):『高松百年史 上巻』。高松市。八百三十七頁。六百九十一頁)。
 「戦況が厳しくなってくると、婦人らは防空訓練に励むとともに、本土決戦に備えて竹槍訓練にもいそしんだ。竹槍よって本土に上陸した敵兵を殺傷しようというのである。竹槍は直径約一寸(約3cm)以上、長さは六~七尺(約2m)の竹で、先はとがらさないように決められた(実戦に際してとがらせる)。
 竹槍訓練は隣組を単位として実施され、地域の在郷軍人が指導した。隣組では各戸に強制的に割り当て、妊婦までも駆り出されたという。」
 香川県郡部の香川県立大川高等女学校でも、生徒たちが、日本に上陸してくるアメリカ軍とたたかうために竹槍で訓練していました(香川県立津田高等学校(一九八三年):『津田高五十年史』。香川県立津田高等学校)。
 本文にも書いてありますが、年表には、つぎのように出ています。
 一九四五年五月三日、「竹槍訓練を行う。」
 同年六月一日、「竹槍訓練を行う。」

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