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2011.12.31

二〇一二年を迎えて、いろいろ考えたこと  藤原 義一

世の中なかなかうまくいきませんね。でも、歯を食いしばって何とかしていかなくてはと思うこのごろです。
 年末年始は、わが家で八十歳代、六十歳代、四十歳代の友だち四人と妻と一緒に人生を語り合って過ごしました。話していて「人生は捨てたものじゃない。もう一度、がんばるか」という感じでした。
 昨年、私も、それなりに「もがき」ました。 ○毎月の『高知歌人』に作品を掲載。 ○四月、『君の瞳の星の中 藤原義一歌集』出版。 ○八月十七日夜六時十分のNHK総合テレビ「こうち情報いちばん」が「戦争を語り継ぐ夏 高知の戦争を伝える」で私たちの小冊子『高知の戦争 証言と調査』を取り上げてくれました。取材中の私も登場。東京から来ていて番組を見た娘は「お父さんのリュックサックのヒモがねじれていたよ」(この小冊子、昨年は十一号~十五号を発行)。 ○十月、ボルネオ・バリクパパンの日本帝国海軍慰安所の解明に平和資料館・草の家(高知市)チームの一員として参加できました。若い友人が、その様子をユーチューブにアップしてくれています。「中曽根元首相と海軍慰安所(1/2)」「同 (2/2)」の二本です。 ○同月発行の『文海』に「対戦車肉薄攻撃訓練の日々」と「短歌集 『幸せになれますように』を掲載。 ○十二月、『特殊潜航艇蛟龍艇長矢野統一 父は海の特攻隊員でした』(妻との共著)出版。○同月、徳島文理大学文学部文化財学科の卒業論文「香川県下における大日本帝国陸軍飛行場 高松、屋島、国分、丸亀の位置、形状、機能」を提出。○ロウで広目天(こうもくてん)のレリーフを製作(ブロンズに発注)。
 二月末までは高知短期大学存続の運動(なんとしても一月末までに署名二万人分突破)、草の家で開く県民から寄贈していただいたアジア太平洋戦争中の資料の企画展の準備、徳島文理大学文学部文化財学科後期の試験を三つの柱にして走りたいと思っています。高知短期大学については個人的な資料集をつくり、みなさんにお渡ししています(別紙。十二月三十一日の地元紙の投書も入れた最新版です)。
 三月に卒業したら彫塑の勉強もしたいと思っています。そのうちに高知の県展会場前で「県展不採用作品展」を主催しているかもしれません。このところ弟と「四月にフィリピンのダバオに行こう」と話し合っています。
 ブログは、「短歌の花だより」、「ブログ高知」、「大好き。高知短期大学。」をやっています。
                             藤原 義一

時代にフィットした夜間の二年制

高知短期大学は希望の灯。

執筆・発行 藤原 義一(高知短期大学、二〇〇九年三月卒業)

メールアドレス bqv01222@nifty.com

二〇一二年一月一日発行・第五版

高知短期大学の廃止への動きは南裕子学長の突然の180度方向転換で始まりました。

高知県に夜間の二年制大学、高知短期大学があります(定員=社会科学科百二十人、専攻科十五人)。設立された一九五三年以降、県立でしたが、この四月に、高知県公立大学法人ができ、これが高知短期大学、高知県立大学を運営することになりました。尾﨑正直知事は、理事長に南裕子さんを任命しました(両大学の学長にもなりました)

南さんは、さっそく、高知短期大学の学長として「公立大学法人 夜間開講男女共学 高知短期大学 大学案内 2012」の冊子に同大学の良さを強調し、受験をと呼びかける文章を掲載しました。下の文章です。

Photo

 文中の「ともに学ぶ会」は、高知短期大学に在学中の、高校生の時のサッカーの試合中に落雷にあい、盲目で車いすの生活になった北村光寿さんの勉学を支える教員や学生のグループのことです。

高知県公立大学法人の理事会(南さんが議長)は、六月十三日の第二回理事会で「高知県公立大学法人中期計画()及び年度計画()」を原案どおりに承認しました。

この「中期計画()(二〇一七年三月までの計画です)は、七月十一日の高知県議会で認められました。

この文書の、高知短期大学の部分を抜き出します。

教育の成果に関する目標、「県内唯一の夜間課程を設置する大学として、社会人をはじめとする多様な学生の教育をつうじて、豊かな人間性及び教養を備えるとともに、社会科学の基本的な力量を身に付けた、地域社会の主体的で創造的な担い手となる人材を育成する。」

教育の内容等に関する目標、「現実から学ぶことを重視し、教養教育及び社会科学の専門教育の連携を図り、県民ニーズに対応したカリキュラムを編成することによって、短期大学にふさわしい教育の場を確保する。」

学生の受け入れに関する目標、「高知短期大学の基本理念に基づき、高等学校、自治体、事業者等との連携を強化するとともに、広報活動を積極的に行うことにより、入学者の受入れ方針に沿った社会人をはじめとする多様な学生の確保に努める。」

研究水準及び研究成果に関する目標、「() 法学及び経済学を中心とする社会科学の分野において現代社会が抱える課題に応える研究を進め、これによって地域社会及び国際社会の発展に寄与する。

() 研究水準向上を図るための研究活動について、適切な評価を行い、改善につなげる。」

全体として前向きのものだと思います。

高知県公立大学法人の理事長と理事会は、この方向で努力しなければなりません。

ところが大変なことがおこりました。南さんが、突然、高知短期大学を廃止するという案を理事会にだしたのです。

県の情報公開の手続きをして理事会の議事録を入手しました。高知短期大学の廃止案をふくむ議案が「提出されて、議論のうえ原案どおり承認された」のは十月二十四日の第三回理事会でした。

この日は、二〇一一年度補正予算()、二〇一二年度予算編成()、給与改定、高知短期大学廃止と県立大学文学部改組などの案、五項目の規定制定および改正が「審議」され「議決」されています。ほかに、九項目の報告事項などがありました。高知短期大学の廃止案をふくむ議案についての「議論」の内容については記されていません。

理事会の開催時間を見てびっくりしました。議事録によると午後三時四十五分から五十五分までの十分間でした。

なぜ、廃止するのか? 公開された文書には、そのことは書かれていませんでした。

廃止案の提出からたったの三か月で廃止を決めようとする高知県当局のあわただしさ。

尾﨑正直知事が、十二月十二日の十二月高知県議会定例会での知事提案説明で高知短期大学廃止の方向に踏み込みました。高知県公立大学法人(高知短期大学などを運営)の南裕子理事長が十二月七日、この方向を「直接、私にご説明をいただいた」ということを論拠にしています(なお、南さんを理事長に任命したのは尾﨑知事です)

この案は二〇一一年の十二月県議会に「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」(十二月九日、永国寺キャンパス整備等検討チーム=高知県文化生活部・高知県立大学・高知工科大学・高知短期大学)として出されました。

ここには、高知短期大学を廃止すると書かれていますが、その「理由」の項目はありません。

高知短期大学の「現状」の所に、それらしいことが書かれています。

1、高知短期大学は「働く者に学ぶ機会を提供することを目的に夜間の短期大学として設立」したが「近年、若年勤労学生は減少、4年制大学等への編入学希望者などの新規高卒者の増大や、退職者層を含む中高年層の入学など、学生の層が変化→夜間であることの必要な学生が減少。4年制大学等への編入学へのステップ、中高年層の生涯学習・再教育など機能が多様化。」。

2、「近年、学科の入学定員は、平成22年度を除き下回る状況が続くが、毎年100人程度が入学 専攻科は入学定員を大幅に下回る状況が続く」

1について私の意見をのべます。

高知短期大学は時代とともに発展してきました。それぞれの時期の県民の「夜間の二年制大学で学びたい」という願いを受け入れてきました。「案」のいう新卒が増えたし、高齢者もいるので…というのは廃止する理由になりません。

一応、数字をあげておきます。

私が入学した二〇〇八年度の入学者は、十八歳~二十歳が43・7%、二十一歳~六十歳が46・6%、六十一歳以降が9・7%です。

十八歳~二十歳の入学者の推移は、二〇〇九年度54・8%、二〇一〇年度66・4%、二〇一一年度68・7%になっています。

貧困化のなかで四年制大学には行けないが「夜間の二年制なら働きながら行ける」という人が増えているせいだと私は思っています。日本一貧しくて若者の働き先が少ない高知県です。正規の職にもつけず、昼間は二種類のアルバイトをやって学費を稼いでいる学生もいます。

六十一歳以降の学生は、減っています。二〇〇九年度6・7%、二〇一〇年度4・1%、二〇一一年度0・9%になっています。定年になっても年金はもらえない人が多いし、年金改悪で年金自体が少なくなっているし、六十歳以降の人が学校に行くのも大変なんですよ。私は、中高年者が、もっと高知短期大学で学んでほしいと思っています。

四年制大学への合格者は、二〇〇六年度に十人台に乗りました。それ以降の人数を示すと、十人、十一人、十二人、二十人、二十一人、十五人です。二年間の学びで実力がついた結果だと思います。いいことではありませんか。

2の入学者の状況を見ます。

百二十人の定員社会科学科で見ると、九十七人、百三人、百四人と定数割れが続いていました。県が高知短期大学を廃止すると何度も「ことをおこした」ことが影響していると私は思っています。

が、二〇一〇年度には高知短期大学存続運動の高まり・成功のなか定員を超える百二十二人が入学しています。二〇一一年度は百十五人です。

入学定員の問題も廃止の理由にはなりません。

「高知県公立大学法人中期計画()」の「高知短期大学の基本理念に基づき、高等学校、自治体、事業者等との連携を強化するとともに、広報活動を積極的に行うことにより、入学者の受入れ方針に沿った社会人をはじめとする多様な学生の確保に努める。」ということを、県をあげてやることが大事です。

県は、二〇一二年一月四日から高知短期大学の廃止などについて県民の意見をメールや手紙などで聞くパブリックコメントをやる方針です。

そして、二月の県議会で、廃止を決めてもらおうとしています。

たった三か月で高知短期大学を解体してしまおうという猛スピードのやり方です。

なお、パブリックコメントとは、つぎのようなことです。

「県が条例、規則等を制定、改正しようとする場合に、その内容をあらかじめ公示し、広くご意見を求め、提出されたご意見を考慮して意思決定を行うとともに、ご意見に対する県の対応を公表する制度です。」(高知県庁のホームページ)

「高知短期大学の存続を求める要望書」の学生、卒業生らの署名運動が始まりました。

 高知短期大学の存続を求める会、同存続を求める学生の会は、十二月九日午後、高知県庁記者クラブで記者会見を開き、同大学の南裕子学長の同大学廃校の方針にたいする「高知短期大学の存続を求める要望書」(高知県知事・尾﨑正直氏、高知県公立大学法人理事長・高知短期大学学長・南裕子氏)への署名を同日から県民、全国民に呼びかけると発表しました。同記者会見には、十五人が出席。出席者は、それぞれの立場で「存続を」と語りました。「要望書」の内容は、以下のとおりです。

                   

 2011年12月7日、高知短期大学の南裕子学長は、尾﨑正直知事に対して、高知県立大学(高知女子大学)文化学部を改組するとともに、高知短期大学を2014年(平成26年)度の募集を最後に廃止するという案を説明しました(高知新聞12月8日付朝刊)。私たちは、南学長のこの提案に驚いています。

 高知短期大学は1953年(昭和28年)に創立されて以来、58年にわたり、勤労者・社会人の高等教育の場として、大きな役割を果たしてきました。卒業生は約6,000人を数え、その大多数は県内にとどまり、地域社会の担い手として現在も様々な形で高知県を支えています。また、「県立大学改革」の中で一時期高知短大の存続が危ぶまれていた際に、学生・卒業生を中心にその他有志で行った「高知短大存続」の署名には県内を中心に20,000人以上の方々の賛同をいただきました。

 2011年4月、高知県立大学と高知短期大学は高知県立大学法人に移行しましたが、今年7月に県が定めた「高知県公立大学法人中期目標」は、目標の期間を2011年(平成23年)4月から、2017年(平成29年)3月までとし、高知短期大学に関しては、「県民ニーズに対応したカリキュラムを編成する」、「社会人をはじめとする多様な学生の確保に努める」と指示しています。

 また、昨年度おこなわれた高知短期大学に対する、大学評価・学位授与機構による認証評価においても、「高知短期大学は、短期大学評価基準を満たしている」と認められています。

 南学長は、短大廃止の主な理由を「夜間の短大は時代に合わなくなった」としていますが、高知県の地域を担う人材を養成し、社会人や家庭人の高等教育の場としての高知短期大学の役割は、今なお、重要であります。

 私たちは、長い歴史を誇り、高知県にとって重要な学びの場である、高知短期大学の存続を強く要望します。

わっ、にぎやか。高知短期大学の在学生、卒業生が街頭で「署名を」と、アピール。

高知短期大学の存続を求める会、同存続を求める学生の会のメンバーは、十二月二十二日、二十三日、二十四日、二十五日と正午から高知市の中央公園の北口で「高知短期大学の存続を求める要望書に、あなたの署名を」と訴えました。

 二十三日の署名行動も、にぎやかでした。

 ハンドマイクからは「この署名、今月から始まりましたが、一月末までに一万人分、二万人分、三万人分、四万人分と……。あなたのサインで県政が動きます」の声。

 若い男女が順番待ちして署名していく姿が印象的です。

 会のメンバーが署名を終えて片付けていると「あのー、さっきの署名、私もしたいんですけど……」と若い女性二人が近づいてきました。

一月には、つぎの日程で高知市の街頭から署名をと訴えます。

七日正午から中央公園北口付近。八日の午前九時から桟橋の県立体育館前、正午から中央公園北口付近。九日の正午から、中央公園北口付近。

二月十二日(日曜日)午後一時から高新文化ホールで高知短期大学の存続求めるつどい

高知短期大学の存続を求める会、同存続を求める学生の会は、十二月三十日午後、打ちあわせ会議を開き、二月十二日(日曜日)の午後一時から高知市の高新文化ホール(電停・高知城前の北側、高知新聞放送会館東館七階)で、高知短期大学の存続を求める集いを開くことを決めました。

最初はコンサート、そして、シンポジウムの予定です。

この会場、二百六十人しか入りませんので、お早めにおいでください。

【高知新聞に掲載された私の二つの投書】

夜間の二年制の大学、高知短期大学が高知にあって良かった。

夜間の短大は希望の灯

貧しい家庭に育ちました。追手前高校のときは肉体労働と家庭教師のアルバイトで授業料を払っていました。高知大学に入ってからもいくつかアルバイトをすべきでしたが別のことに夢中になって走り回り、稼ぐことができませんでした。その結果、3年生の終わりに授業料未納でやめざるを得ませんでした。

東京で40年働いて退職。過去を反省し、もう一度、大学に行って学び直したいと思いました。探したら高知に「夜間の二年制」の高知短期大学がありました。高知に住むことにして、新しい仕事を探しながら、この大学に通いました。

先生たちから基礎を踏まえて高度な内容を教えていただきました。学生は、18歳から70何歳まででした。18歳の学生にもいろいろ支えてもらいました。

正月休みを返上しての先生の指導で四年制大学に編入することもできました。いま4年生です。

最近、大変なことを知りました。4月に学長になった人が、二年制の夜間の高知短期大学は時代にあわないから廃止しますといっているというのです。

学生募集の小冊子で学長は、この大学はこんなに素晴らしい、みなさん受験してと呼びかけていましたのに…。私は、この事態にあぜんとしています。何が学長を「大学解体」に走らせているのでしょうか。

【藤原義一=64歳、大学生、高知市】

(二〇一一年十二月十六日付朝刊)

高知県議会に出ている案には「四年生の夜間コースの設立」はありません。

理事長の言葉と実際

高知県立大学法人(高知短期大学、高知県立大学を運営)の南裕子理事長は、二年制の夜間の大学は「時代にあわない」から高知短期大学は廃止します、その代わりに高知県立大学文化学部に四年制の夜間コースをつくります、その定員はまだ決めていませんといってきました。

 12月県議会に、この方針について案が出されたと聞き、県議会事務局にお願いして、委員会の終了(19日)を待って、見せていただきました。

 それは「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」(12月9日、永国寺キャンパス整備等検討チーム=高知県文化生活部・高知県立大学・高知工科大学・高知短期大学)というものでした。

 「四年制の夜間コースの定員は、何人になっているのか」と、読み進めました。しかし、「定員」どころか「高知県立大学文化学部に四年制の夜間コースをつくる」という項目自体がないのです。

 高知県立大学文化学部のところに「土日夜間開講の検討」という一言があり、案に添付された「パブリックコメント 参考資料」にも「高知県で初の4年制大学で夜間開講の実現」とありますが、それは土日や夜間に授業することも検討していますよということで、夜間の二部のコースをつくるということではありません(このことは県の担当者にも確認しました)。

 県民の一部には「4年制の夜間コースをつくるなら夜間の灯は残るから」と高知短期大学廃止に同意する向きもあります。しかし、実際に高知県議会に出されている案は高知県から夜間二部の大学教育を消しさるというものだったのです。

【藤原義一=64歳、大学4年生、高知市】

(二〇一一年十二月三十一日付朝刊)

私のブログ「大好き。高知短期大学。」にロンドンからもメッセージが来ました。

 「高知短期大学存続・充実のために僕のできることはないか…」と考えて、十二月五日、個人のブログをつくりました。「大好き。高知短期大学。」です。

 できるだけ多くのかたの「高知短期大学大好き」の思い声を、ここで紹介したいと思ってのことです。

 九日には、ロンドンの女性からメールで、つぎのようなメッセージをいただきました。

 生きている限り学ぶことを応援できるような学校

 こんにちは。イギリス、ロンドン唯一の夜間大学BBKの大学院で社会政策を学ぶMature(成人)学生です。

 偶然、家族の転勤でイギリスにしばらく住むことになり、イギリスの社会サービスの構造をあまり理解できていないので、このコースで基礎的な勉強をしたいと思って入学しました。

 昨年の入学時に聞いた、大学広報部の人の話では、「BBKの学生は最年少で19歳からです。最年長は…。少し前に大学の問い合わせデスクの前で年輩の女性が『オンラインで入学申し込みができない』と苦情を言っていました。

 私が『ははあ、年齢的にIT技術が苦手なのだな』と思ったところ、その女性は『いいえ、私は技術の問題はないですが、オンラインに私の生まれた年の選択肢が載っていないので申し込めないのです!』という返事でした。

 彼女は1904年生まれだったのです!」。

 生きている限り学ぶことを応援できるような学校の一員であることに誇りを感じています。

 高知短期大学の学生・卒業生も同じ気持ちでないかと思い、応援を送ります。

 このブログには、「大好き。高知短期大学。」で検索していただければ、ご訪問いただけます。

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