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2011.12.16

英語で日記 二〇一一年十ニ月十五日 木曜日 「あと一息。ヨシカズがんばれ!!!!」。

二〇一一年十ニ月十五日 木曜日 「あと一息。ヨシカズがんばれ!!!!」。

 晴れ。

 朝から僕の卒論に添付する予定の写真を撮影にいきました。
 高松市の香川県立ミュージアム、高松城跡、同市古高松の観光道路の三か所です。
 県立図書館、古本屋にも行き、卒論のための資料をあさりました。
 預金を引き出し、卒論を印刷するためのパソコンのプリンターのインクも買いこみました。

 午後三時からは、ひたすら卒論の書き直しをしました。
 卒論の「引用資料」、「表」、「図」の所は仕上げました。
 後は、本文を補足しながら短くするという高難度の作業をこなさなければなりません。

 「あと一息。ヨシカズがんばれ!!!!」
 こう、自分を励ましています。

 若いころ大学を三年生の終わりにやめてしまった僕にとっては卒論は初めての挑戦です。
 来週の火曜日には卒論を提出するつもりです。

 
 【追記】

 そういえば、あのころ僕が「何が何でも結婚して!」と、迫っていた矢野尋子(やの・ひろこ)さん、彼女の卒論のことを思い出しました。
 彼女は、高知大学の四年生でした。
 年末まで衆議院議員選挙がありました。
 彼女は、ある候補の当選のためにすべてを投げ打って奮闘しました。
 その候補は当選しました。
 ウワオオー。
 年が明けて、彼女の前には「卒論提出の締め切り」がおおいかぶさってきました。
 たしか彼女の卒論のテーマは樋口一葉についての研究でした。
 当時は、手書きです。
 素案はできているが清書が間に合わない!!
 そのことを聞いた僕(そのころは東京都で働いていました)は、彼女の同学年のF子さんに電話をして、お願いしました。
 「尋子さんがピンチや。すまんけど。尋子さんの卒論の清書を手伝ってやってくれませんか」
 彼女は、ちゃんと卒論はすませていました。
 で、清書を手伝ってくれました。
 そして、尋子さんは卒論を提出することができ、無事に卒業することができました。
 いま東京都で働いているF子さん。あらためて「あのときは、お世話になりました。深く感謝しています」。
 矢野尋子さんは、その後、上京して職を得て、結婚をして、そして、いま、郷里の高知市に住んでます。
 毎日が、退職女性の会のメンバーとして、日本語の教室のボランティア教師として、中国語の学生として、地域の老人クラブの会長として………………超忙しいらしくて、「卒論の恩人」の一人である僕にも、あまり電話もくれません。
 ま、それはそれで、いいけどね。
 「あんたは、あんたの人生を、せいいっぱい生きや」

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