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2012年1月

2012.01.02

【ニュース】 ユーチューブにアップ中。中曽根康弘元首相と海軍慰安所問題の説明会。

ユーチューブにアップ中。平和資料館・草の家(高知市)の中曽根康弘元首相と海軍慰安所問題の説明会です。

中曽根元首相と海軍慰安所(1/2)
http://www.youtube.com/watch?v=hHxr47Wv7hY

中曽根元首相と海軍慰安所(2/2)
http://www.youtube.com/watch?v=PI2k6d9s-vM&feature=related

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英語で日記 2011年12月31日 土曜日 四人のお客様。 

2011年12月31日 土曜日 四人のお客様。 

 晴れ。

 高知新聞に私の投書が掲載されました。

 午前中、Mさん夫婦、私たち夫婦でMさん、私が高知県立高知追手前高校で数学を習った間崎英夫先生の墓参りに行きました。

 夜七時から、わが家で年越しの会をしました。
 八十歳代、六十歳代、四十歳代の四人のお客さんと妻と計六人です。
 みんないい人で、話がはずみました。

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英語で日記 2012年1月1日 日曜日 では、今年も……。 

2012年1月1日 日曜日 では、今年も……。 

 曇り。

 お客様、三人が泊ってくれました。
 三人は、今年も年末に来てくれることになったりました。
 うれしい。

 夫婦で年賀状を書き始めました。

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英語で日記 2012年1月2日 月曜日 年賀状書き。 

2012年1月2日 月曜日 年賀状書き。 

 晴れ。

 年賀状書き。

 妻、弟と三人で妻の実家に行きました。

 ある女性から電話がありました。

 「まだ歩けない状態ですが病院を追い出されました」

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2012.01.04

英語で日記 2012年1月3日 水曜日 高松市牟礼の房前(ふささき)の海辺に人間魚雷回天の基地。

2012年1月3日 水曜日 高松市牟礼の房前(ふささき)の海辺に人間魚雷回天の基地。

 晴れ。

 北海道大学のO先生が平和資料館・草の家(高知市)を訪問されました。
 夜、高知市の、ひろめ市場で歓迎会があり、参加しました。
 居合わせた高知短期大学の学生・Oさんも一緒に楽しい時間を過ごしました。
 O先生が、アジア太平洋戦争中、高松市牟礼の房前(ふささき)の海辺で人間魚雷回天の基地がつくられつつあったことを教えていただきました。

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2012.01.05

英語で日記 2012年1月4日 木曜日 高知短期大学存続の打合せに参加。

2012年1月4日 木曜日 高知短期大学存続の打合せに参加。

 晴れ。

 妻と高知県立美術館に展示を見に行きました。
 夜は高知短期大学存続の打合せに参加。十一人も参加しました。

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【写真】 一番好きな像。高知市の公園で。

Photo_3

 高知市の公園にある像です。

 いま私が一番好きな像です。

 一月四日も見に行きました。

 

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【写真】 赤く燃える。高知県立美術館の庭で。

Photo_4

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2012.01.07

英語で日記 2012年1月5日 木曜日 スウェーデンの娘さん。

2012年1月5日 木曜日 スウェーデンの娘さん。

 晴れ。

 大阪市の亡くなった友人宅での偲ぶ会に出席しました。
 彼の娘(アメリカ在住)の友人(スウェーデンの娘さん)も来ていました。

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英語で日記 2012年1月6日 金曜日 味のいい料理。

2012年1月6日 金曜日 味のいい料理。

 晴れ。

 午後四時過ぎに妻と「梅田」で待ち合わせ。神戸市の有馬温泉に向かいました。
 こじんまりした、いい宿でした。
 四人の男性の調理人を見ながらスタンドでの食事。
 味がいい。
 妻は終始、「ウーム」を繰り返し、料理を堪能しました。

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【エッセイ】 ブリキのオモチャの「空白期」。

 『ブリキのオモチャ』(熊谷信夫。クリーンアロー出版社。平成十二年九月二十日)を読みました。
 日本にブリキ板の輸入が始まったのは一八七四年。
 それにともない、さまざまなブリキ玩具の輸入がつくられました。
 アジア太平洋戦争の時期にはいろんな戦争玩具がつくられただろうと思って読み進みました。
 しかし、
 「昭和十三年八月戦時下での統制を受け、輸出品以外の金属材料使用の禁止となる。それも昭和十六年には、すべての金属玩具の生産を中止せざるを得なくなって、ブリキのオモチャはけ、店先から姿を消すことなる。」(百三十三ページ~四ページ)

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英語で日記 2012年1月7日 日曜日 有馬玩具博物館のアメリカ占領軍のジープ。【写真あり】

Photo

2012年1月7日 日曜日 有馬玩具博物館のアメリカ占領軍のジープ。

 晴れ。

 有馬温泉の宿で、おいしい朝食。
 妻・尋子は、またもや「フーム。フーム」の連発。
 これでは私が、日ごろ、きちんと料理して、おいしいものを食べさせていないのがまるわかりではないか……。
 近くの温泉寺、有馬玩具博物館に行きました。
 有馬玩具博物館のブリキの玩具のコーナーには終戦直後のアメリカ占領軍もの(ジープなど)がありました(日本製です。なさけないですねー)。
 高速バスで、有馬温泉-梅田-志度(アパートの掃除)-高知一宮(自宅へ)というコースで帰って来ました。

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【エッセイ】 「要するに……」なんていうな「生意気」なという妻の言い分。

 妻と話をしているときに何だか通じないので「要するに……」と、いいはじめると妻が口をはさみました。
 「要するにという言葉は生意気な感じ。やめなさい」
 もーっ。
 「要するに」が、なぜ「生意気に感じ」なんだい。
 それに、あと一か月で「前期高齢者(六十五歳)」の男に「生意気」はないだろう。
 ブツブツブツ……。

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【エッセイ】 二〇一二年一月七日の複雑な夢。そして、高知短期大学存続の運動。

 七日朝、神戸市の有馬温泉の宿で複雑な夢を見ました。

 【第一幕】

 大阪市の、くたびれた食堂に入り昼食をとりました。
 はじめて入った店です。
 同年輩の、おかみから相談を受けました。
 「先代の借金がもとで、この店をやくざにとられてしまう。何とかならないか」
 話している途中で数人のやくざがやってきました。
 店そのものをぶっ壊そうというのです。
 僕は店の前に飛び出て両手を広げて阻止しようとしました。
 「つぶしたらもともこもない。店は、やらせて、じんわりと吸い取るほうが得じゃあないか」
 なんという、腰砕けの論理でしょうか。なさけないことです。
 「店はつぶさない。そのかわりに、お前が借金取りの仲間になれ」
 なりゆきで、仲間にされてしまいました。

 【第二幕】

 なぜか、高知県の、いの町です。
 やくざ集団と、大きな道沿いの丘にある家の持ち主の借金の取り立てに向かいました。
 谷のような山道をどんどん登ります。
 道には木の根っこがのびています。
 上に上がると平原のような所に出ます。
 庭は荒れ果てています。
 二階建ての広々した洋館があります。
 持ち主は不在でした。
 この家は、一階の玄関から数百メートルの石段がふもとに向かってのびています。
 実は、この家は、私が小学生のころ住んでいた家です。
 貧乏な工場労働者だった父が、どこからか二億五千万円の金を集めてきてつくったものです。
 一階は、すべて本の部屋で高知県立図書館ほどの本が所蔵されていました。
 二階には、たくさんの部屋がありました。
 サンルームは、僕たちの昼寝に最適でした。
 庭は、紙すきをやっていた母が、休みごとに精出してつくりあげ、さまざまな花が四季をとわず咲き誇っていました。
 しかし、借金の利子がかさみ、この家は他人のものになりました。
 私たち一家の数年の夢でした。
 (実際は、私は結婚するまで持家に住んだことはありません)
 住んでいる人が逃げたことに頭にきた、やくざ集団は、持ち主を探すために四方に散りました。
 そのすきに、私は逃げてしまいました。

 【第三幕】

 弟と、いの町の長男の墓に行きました。
 私と妻の長男は生後三カ月で亡くなりました。
 当時、私たちは東京都文京区に住んでいました。
 妻が、息子をつれて故郷・高知市に帰りました。
 そのとき、原因不明の病気で突如として亡くなりました。

 「きのう、お母さんと神戸市の有馬温泉に行ったんだ。夕食がおいしくってね。君にも食べさせたかった。生きていれば、君も中年。これからが楽しいときだったんだね。」
 私の顔は、涙でいっぱいになりました。

 【現実】

 午後九時に寝ました。
 目が覚めたら、涙をいっぱいためていました。
 夢を「はんすう」したら、わーっと涙が出てきました。
 ここは、神戸市の有馬温泉の宿の一室でした。
 隣のベッドの妻は、いびきもかかないで寝ています。
 心配になって「生きている」ことを確認しました。
 時計を見ると午前一時半でした。
 私たちの長男の名前は「一志(かずし)」でした。
 私たちの息子とはおもえないほどの美しい男の子でした。
 
 私が、これをパソコンで書いているとき、妻は三メートル先にいます。
 「何を、ぐすぐすいいゆうが」
 と、いいながら、私のお願いした人形づくりの作業をしてくれています(私の、この数日の心の中のことは、彼女には話していないのです)。
 私は、その人形たちを、高知短期大学存続・充実のビラ、ポスターのアイドルに活用できないかと思っています。

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2012.01.08

英語で日記 2012年1月8日 月曜日 新成人に署名を訴え。

2012年1月8日 月曜日 新成人に署名を訴え。

 晴れ。

 雲ひとつない晴れた空を見ました。
 
 午前中は高知市の高知県立県民体育館前での高知短期大学存続の街頭署名の訴えに参加しました。
 ここでは体育館では成人式をやっていました。
 仲間によると通りがかった男性が署名してくれたといいます。彼は、高知短期大学廃止の先頭に立っている人の息子さんでした。
 正午からは高知市の中央公園北口での街頭署名活動に参加しました。
 成人式を迎えた人たちがたくさん署名に応じてくれました。

 夜は、ひたすら『高知の戦争 証言と調査』十六号の編集作業をしました。

 妻と口げんかをしてしまいました。
 妻は泣いて勝ちました。
 
 ああいえば こういう妻に 鍛えられ 六十四歳 論がたちだす

  「物忘れ しっかりしいや」と しかったら うるうる泣かれた 少女のように

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2012.01.09

2012年1月9日 火曜日 古文書と韓国語の勉強。

2012年1月9日 火曜日 古文書と韓国語の勉強。

 晴れ。

 正午から高知市の中央公園北口での高知短期大学存続の街頭署名の訴えに参加しました。
 妻も途中から参加してくれました。
 
 妻との昼食はセルフの、うどん。

 古文書と韓国語の勉強をしました。

 夕食も、妻と外で食べました。

 夜は、さぬき市へ。

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【写真】 妻のつくった指人形です。

Photo

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2012.01.10

【短歌十首】 年末年始、妻と一緒の時間。

マリつきで 「死んでも尽くすは 日本の兵」 歌っていたとか 少女の妻は

「ネコ二匹。私がいないと だめなのよ。あなたはいいわ。何でもできる」

ああいえば こういう妻に 鍛えられ 六十四歳 論がたちだす

「年越しに 友だち四人 来てもらう」 妻は慌てて 買い出しに行く

「『要するに』 何ていいなや。生意気な」 六十四に 妻の説教

「フーム。フム」 ごちそう食べて いい感じ 温泉宿の 妻は穏やか

幸せな 妻との旅行の 夜明け前 泣き子の夢見て 泣いてる男

「残そうよ。夜の短大」 わが「保護者」 街頭に立ち 署名すすめる

妻つくる 指人形らの あどけなさ 人を愛する 心がこもる

「物忘れ しっかりしいや」と、なじったら うるうる泣かれた。少女のように。

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【私の今の思い】  奥山のおどろが下もふみわけて道ある世ぞと人に知らせむ。

 奥山のおどろが下もふみわけて道ある世ぞと人に知らせむ
   後鳥羽上皇(ごとばじようこう)

 一二〇八年、住吉社歌合で詠まれた作品です。
 後鳥羽上皇(一一八〇年八月六日~一二三九年三月二十八日)は、五歳で天皇に即位し、十九歳で土御門(つちみかど)に譲位しました。
 政治の実権を武士の手から取り戻そうとして鎌倉幕府と対決し承久(じょうきゅう)の乱(一二二一年)を起こしましたが、敗れて隠岐(おき)へ流されました。そして、そこで亡くなりました。
 「おどろ」は、「草木の乱れ繁る場所」という意味です。
 どのような所にもおこなわれなければならない正しい政道があることを万民に知らせたいという所信の表明です。
 いま、私の目の前で、私の判断では正しくない政道が、少数者によって多数者の意見を踏みにじって断行されようとしています。
 私たちは「二月高知県議会が始まるまでに」と、街頭で個々面接で、「道ある世」を易しい言葉で多くの人々に説こうとしています。
 そんなときに、この短歌を読み返して勇気をいただきました。
 「奥山のおどろが下もふみわけて」 
 <藤原 義一>

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藤原義一の暴走が始まりました。

  藤原義一の暴走が始まりました。

 本日、ある大学に、こんなメールを送りました。

 お願い 藤原義一

貴大学の芸術文化コース(定数三十人)に入学し、彫塑をイロハから学びたいと思っています。
 来年度の試験を受けたいと思っています。
 試験は、センター試験の三科目(私の場合は、英語、国語、現代社会)と貴大学での実技(デッサン)と心得ていますが、それでいいでしょうか。
 問題は、私が新卒でなく、一九四七年二月二十三日生まれだということです。
 この年齢でも、受験できますでしょうか。
 

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2012.01.11

2012年1月10日 火曜日 『続日本紀(しょくにほんぎ)』の講読の時間。

2012年1月10日 火曜日 『続日本紀(しょくにほんぎ)』の講読の時間。

 晴れ。

 二時間目は『続日本紀(しょくにほんぎ)』の講読の時間。
 最後が私の担当の所でした。
 遣唐使だったヘグリノヒロナリが、成果を天皇に報告する場面です。
 少し長い所です。
 授業の終わりの時間が迫っていましたので一気に読みました。
 先生から少し訂正がありました。
 そして、訳。これも比較的うまくいきました。
 先生から解説がありました。
 何か、すーっとしました。

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2012年1月11日 水曜日 「ゴッホと北斎」。

2012年1月11日 水曜日 「ゴッホと北斎」。

 晴れ。

 一時間目は韓国語の時間でした。
 もうすぐ試験ですが、課題は習ったすべての文章をしゃべれるようになるということです。
 四時間目は美術。
 講義を聴いていて「ゴッホと北斎」という文章を書いてみたいと思いました。
 時間を見つけて資料を集めたいと思ってます。

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一月十一日夜のNHK総合テレビの「ソングス」、やっぱり薬師丸ひろ子。

 一月十一日夜のNHK総合テレビの「ソングス」を聴きました。
 やっぱり薬師丸ひろ子。
 これは妻と私の共通の意見。
 「子宮にひびく」
 僕にも、それはあるようです。

 【これ、聴いてください。】

 http://www.youtube.com/watch?v=ige1-Xt60qU&feature=related

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2012.01.12

2012年1月12日 木曜日 南国市の高知海軍航空隊の掩体壕についてのリポートづくり。

2012年1月12日 木曜日 南国市の高知海軍航空隊の掩体壕についてのリポートづくり。

 晴れ。

 持病を治療するための機械交換してもらいました。
 今度のは前のものの半分の大きさです。

 終日、南国市の高知海軍航空隊の掩体壕についてのリポートづくりに追われました。
 十数部印刷しました。
 午後十一時終了。

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2012.01.13

【エッセイ】 「所定の場所」って……。

 朝起きたら、必要なものが寝る前に置いた場所にない。
 またネコのせいか……。
 「僕のズボンは?」
 「所定の場所」
 そこいらにころがっています。
 「これについていたバンドは?」
 「所定の場所」
 床に置いてありました。
 本人は「所定の場所」を決めて置くようですが、ときどき、その「所定の場所」を忘れるようです。
 願わくば、移動しないで僕の「所定の場所」に置いたままにしておいてほしいのですが……。

 以前は、僕のカバンの中のものをすべて出して整理し、「所定の場所」に置くという行為を繰り返していました。
 が、これは紛失事故が重なりました。「あんまりだ」という僕の抗議により、最近はやらなくなりました。

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2012.01.16

二〇一二年一月十三日 金曜日 南国市の掩体壕見学に参加。

二〇一二年一月十三日 金曜日 南国市の掩体壕見学に参加。

 晴れ。

 建築関係の九人の人たちの南国市の掩体壕見学に参加しました。

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二〇一二年一月十四日 土曜日 新年会で高知短期大各存続の街頭署名の訴え。

二〇一二年一月十四日 土曜日 新年会で高知短期大各存続の街頭署名の訴え。

 晴れ。

 午後零時半から高知市の中央公園北口での高知短期大各存続の街頭署名の訴えに参加しました。妻も途中から参加してくれました。

 夕方、ある新年会で同署名への協力を訴えました。

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二〇一二年一月十五日 日曜日 平和資料館・草の家の新年会に参加。 

二〇一二年一月十五日 日曜日 平和資料館・草の家の新年会に参加。 

 晴れ。

 みなさんから送っていたただいた署名、三百三十三人分を担当者に渡しました。

 平和資料館・草の家の新年会に参加。
 ギョウザがたくさん出ました。
 ニコ、バイオリン、ギター、ピアノと楽しい演奏が続きました。 

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二〇一二年一月十六日 月曜日 午前零時半に起床。過激な一日。

二〇一二年一月十六日 月曜日 午前零時半に起床。

 晴れ。

 午前零時半に起床。『高知の戦争 証言と調査』の編集作業。

 始発(午前五時)の列車で香川に向かいました。

 大学の授業、二時間目、四時間目と出ました。

  帰り、大学で会った英語の授業が同じの一年生の男性二人の親切に感激しました。「他人のことを考えることのできる」、素晴らしい青年たちが、存在します。

 そして、夜は、『高知の戦争 証言と調査』の編集作業。

 英文の「日曜エッセイ」を書きました。

 なんていってたら、もう午前零時を過ぎました。

 ちょっと体を酷使し過ぎかもしれません。

 最近、ちょっといい感じなのは、僕が消えても、僕が執念をもってやっていてることを「百歳まで生きそうな」妻が引き継いでやってくれそうなことです。「ノウハウ」も早い目に引き継いでおこうと思っています。

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2012.01.17

二〇一二年一月十七日 火曜日 江戸時代の文書。うーん、まだ読めません。

二〇一二年一月十七日 火曜日 江戸時代の文書。うーん、まだ読めません。

 晴れ。

 一時間目、江戸時代の文書。うーん、まだ読めません。
 三時間目、英語。女性の先生が教室に入ってきたので「ハロー」。顔を見たら、かなり違っていました。「あれ、年末年始でこんなに変わったの!」。よく見ると代理の先生でした。
 四時間目、地理学。熱血先生の講義に聞き惚れました。
 夜、『高知の戦争 証言と調査』の原稿を整理。
 卒業論文発表会のレジメをつくりました。

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2012.01.18

Sunday essay Taste of Udon (Japanese noodles). 日曜随筆 うどんの味。

  I lived in Kochi Prefecture.
  And,I came to live in Kagawa Prefecture from March, 2010.
  I have got crazy about Udon since I lived here.
  The Udon shop which open from 7:00 a.m. has been opened near my house.
  I am eating Udon here like every morning.
  The charm for me is being able to put a welsh onion, wakame seaweed, etc. into Udon  fully.
  I am taking in vegetables now.
  However,the end of year came and my idea changed.
  I came to think, "Udon of Kagawa prefecture are salty".
  I would like to  come to eat light Udon  which my mother cooked when I was young.

 私は高知県に住んでいました。
 そして、二〇一〇年三月から香川県に住むようになりました。
 ここに住んで、うどんが、ますます好きになりました。
 私のアパートの近くに午前七時から営業する、うどん屋ができました。
 私は、毎朝のように、ここの、うどんを食べています。
 私にとっての魅力は、うどんに、ネギ、ワカメなどをたっぷり入れることができることです。
 私は、これで野菜を摂取しています。
 ところが、年末になって私の考えが変わりました。
 私は「香川県の、うどんは辛い」と、思うようになりました。
 幼いころに母がつくってくれた、あっさりした、うどんが食べたくなりました。

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2012.01.19

二〇一二年一月十八日 水曜日 仏像の目についての考察。

二〇一二年一月十八日 水曜日 仏像の目についての考察。

 晴れ。

 二時間目、美術史。仏像の目についての考察。
 三時間目、韓国語。
 
 高知へ。

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二〇一二年一月十九日 木曜日 軍事郵便のはがき、百十通。

二〇一二年一月十九日 木曜日 軍事郵便のはがき、百十通。

 ひさしぶりの雨。

 午前中、高知市春野へ。ある男性から戦死した父の書いたはがき(軍事郵便)百十通を見せていただきました。父が出征したのは、男性が母のお腹にいたときだといいます。
 平和資料館・草の家にいるとあるテレビ局の記者が来て、高知市朝倉の陸軍連隊について質問を受けました。あまり答えられなくて、援軍に来てもらいました。

 高知短期大学存続の署名をお願いしていた年上の女性宅を訪問。二百十八人分の署名簿をいただきました。
 昨日までに郵送してもらった分を合わせて四百七十三人分を担当者に渡しました。

 高松市牟礼の壕について、目の覚めるようなメールをいただきました。ものすごく興奮しています。 

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2012.01.20

二〇一二年一月十十日 金曜日 高松市牟礼の複数の壕について調べ始めました。

二〇一二年一月十十日 金曜日 高松市牟礼の複数の壕について調べ始めました。

 雨。

 一時間目、韓国語。
 四時間目、美術。フライパンと白い布の組み合わせをデッサン。「両者の質感を出してください」。うーん。「はじめはHBでかいてください。それと、自由な線でかいてください」。はじめっから5Bを使ってかき、立て横の線のみで描ききろうとする私へのアドバイスです。

 高松市牟礼の複数の壕について調べ始めました。
 あす卒業論文発表会が終わったら、現地に行く予定です。

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2012.01.21

二〇一二年一月二十一日 土曜日 高松市房前(ふさざき)の倉敷飛行機の半地下、分散型工場がつくられていたと思われる壕。 

二〇一二年一月二十一日 土曜日 高松市房前(ふさざき)の倉敷飛行機の半地下、分散型工場がつくられていたと思われる壕。 

 雨。

 大学で卒業論文の発表会がありました。

 その後、高松市牟礼町房前(ふさざき)に行きました。
 倉敷飛行機の半地下、分散型工場がつくられていたと思われる壕についての調査です。
 近所の男性の話によると、壕は四つで、いずれも貫通していたといいます。
 近くに複数の工作機械が置かれていたとのことです。
 現場は、琴電房前駅の近くですが、房前駅のある琴電志度線の八栗駅・琴電志度駅間は、一九四五年一月二十六日、不要不急線として休止になっていました。

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2012.01.22

二〇一二年一月二十二日 日曜日 飯場は鶏舎だったという例も。

二〇一二年一月二十二日 日曜日 飯場は鶏舎だったという例も。

 晴れ。

 近くの人たちに朝まで騒がれたのでフラフラです。
 

 昼から戦争遺跡の資料探しと戦争遺跡の調査。
 ある壕をつくるために朝鮮人が動員されましたが、その飯場の一つは鶏舎だった所だったということです。
 警官が、その家に訪れ、無理やりに飯場として使用させたといいます。
 土間だったのを板張りにして……。

 高知市の妻に電話。「あれは、やったわよ」、「あっ、それもやっといたから」……という感じでテキパキさばいていく感じの対応。「いろいろ頼みごとをしないでよ。私は私で忙しいんだから」という感じ。

 かけ直して一つ、お願いごとをしました。

 ひさしぶりに東京都の息子に電話。

 のらりくらりと電話しました。「僕は、あと六年、二つの大学で学びたいから仕送り頼むね」には、のらりくらりと聞こえないふりをされました。

 明日は試験が一科目あります。

 

 ご近所の人は、お疲れか、本日はおとなしくしています。

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2012.01.23

いま高知で進行している異常事態 南裕子大学高知短期大学長の「理事長メッセージ」に寄せて。

 南裕子・高知短期大学学長が、一月十三日、同大学のホームページに、同大学は平成二十六年四月を最後に学生は受け入れません、このことは「理事会に諮り、承認を得ました」という「理事長メッセージ」を発表しています。

 「理事長メッセージ」は、ここにあります。
 http://www.u-kochi.ac.jp/kjc/pdf/rijichomessage/rijichomessage.pdf

 高知県庁は、「高知短期大学の今後の方向性」(南理事長らの同大学廃止案についてです)について一月四日~二月二日の日程で「意見公募」をしています。
 これを受けて高知県知事が議会に案を出すと聞きます。
 この時期に、大学の機構を使ってのメッセージ、何ごとでしょうか。
 「存続をといって署名運動をしたりする人がいるけど、もう廃止は決まったことなのよ」と、いいたいのでしょうか。

 昨年十二月から同大学の学生、卒業生、県民が高知県知事、学長あての同大学存続を求める署名運動をしています。
 もうすぐ一万人分が集まりそうな勢いです。
 地元の新聞にも、「存続を」の投書がたくさん載っています(「廃止を」はゼロ)。
 南学長の廃止論の最大の弱点は、「なぜ、廃止するか」の理由が、よくわからないことです。
 夜間の短期大学は「時代に合わない」というのは、あまりに情緒的過ぎませんか。
 もう一つの弱点は、大学を発展させるために先頭にたつべきはずの学長が(実質的には学内では専制的な力を持つ学長だけが)、廃止、廃止と声高に叫んでいることです。異常な事態です。
  「メッセージ」というのなら、「昨年四月に理事長・学長になったけど、私は、この大学を、こんなひどい学校にしてしまったのよ。だから、もう、この大学は、存在に値しないのよ」と、具体的に廃止の理由を明確に示すべきではないでしょうか。もちろん自己批判をふくめて。仮にも、大学運営の責任はあなたにあるのですよ。
 そういった内容なら「意見公募」に応じようとしている私たちにも参考になります。
 なお、実際の高知短期大学は、決して、ひどい大学ではありません(学長専制はいただけませんが…)。夜間で、どの年代の人でも学べる同大学。私は、素晴らしい学校だと思っています。試験シーズンですが、十八歳と六十何歳が教え合って試験勉強をしています。

 私は、同大学社会科学科を卒業しましたが、専攻科に入りたいと思っています。試験は二月です。

 なお、高知県庁の「意見公募」については、つぎのページに載っています。

 http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/140901/eikokujikihonhousin.html

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2012.01.24

二〇一二年一月二十三日 月曜日 史料講読の試験。 

二〇一二年一月二十三日 月曜日 史料講読の試験。 

 晴れ。

  二時間目、史料講読の試験。
 一応、すべて書いたけどいくつか間違いがあるはずです。うーーん。

 ある人のつてで戦争中に高松中学校の生徒だった人に会えることになりました。

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二〇一二年一月二十四日 火曜日 「房崎乃う羅(ふさざきの浦)」という地名。 

二〇一二年一月二十四日 火曜日 「房崎乃う羅(ふさざきの浦)」という地名。 

 晴れ。

 一時間目、史料講読。
 江戸時代の『日本行脚文集』を読んでいたら「房崎乃う羅(ふさざきの浦)」という地名が出てきました。
 前後関係からすると、いまの高松市牟礼町の房前(ふさざき)のことのようです。
 三時間目の英語で、先生から「年末年始の休みに、あなたは何をしましたかをのべなさい」という指示がありました。考えてみたら休みらしいことはあまりありませんでした。大みそかのイベント、高知短期大学存続の署名が活動や戦争遺跡の調査などについてのべました。
 地理の時間は、限界集落について。いろいろ考えながら聞き入りました。

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Sunday essay Siyoudoshima and me. 日曜随筆 小豆島と私。

Sunday essay  Siyoudoshima and me.

I talk about  Siyoudoshima and me.
I was in the same poetry circle as Tsuboi Shigeji , a poet.
It is a time I  livied in Nerima-ku in Tokyo.
His hometown was Siyoudoshima.
Although it was a time of war, the government hated his thought, and it threw him into prison repeatedly.
He was a husband of Tuboi Sakae, a novelist.
There are many sad tales in Siyoudoshima island under war.
The army built the base of the Kamikaze boat on this island.
The navy built the base of the Kamikaze submarine.
My wife's father was a captain of the submarine.
During training, he received machine-gun mopping-up of the U.S. Foeces airplane , and got seriously injured.
And he  heard the news of the end of the war  in the sickroom.
I visited the island repeatedly, in order to write his tale.

 小豆島と私のことを話します。
 私は、詩人の壺井繁治(つぼい しげじ)と同じ詩のサークルに入っていました。
 それは、私が東京都の練馬区に住んでいたときのことです。
 彼の、故郷は小豆島でした。
 戦争の時代のことですが、政府は、彼の思想が気に入らないということで、彼を何度も投獄しました。
 彼は、作家の壷井栄の夫でした。
 戦争中の小豆島には悲しい物語がたくさんあります。
 陸軍は、この島に特別攻撃のベニヤ板のボートの基地をつくりました。
 海軍は、特別攻撃用の五人乗りの潜水艦の基地をつくりました。
 私の妻の父は、その潜水艦の艇長でした。
 彼は、訓練中に、アメリカ軍の飛行機の機銃掃射を受け重傷を負いました。
 そして、彼は、終戦を病室で迎えました。
   私は彼の物語を書くために何度も小豆島を訪れました。

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2012.01.25

【韓国語】 一つ、二つ……。

 一つ  ハーナ

 二つ  ツル

 三つ  セッ

 四つ  ネツ

 五つ  チーソッ

 七つ  イルゴ

 八つ  ヨードル

 九つ  アーホ

 とう   ヨル

 

 【何個】

 一個  ハンゲ

 二個  ツーゲ

 三個  セーゲ

 四個  ネーゲ

 五個  ターソッケ

 六個  ヨーソッケ

 七個  イルゴッケ

 八個  ヨードルケ

 九個  アーホッケ

 十個  ヨルケ

 【何時】

 一時  ハンシ

 二時  ツーシ

 三時  セーシ

 四時  ネーシ

 五時  タソシ

 六時  ヨソシ

 七時  イルゴシ

 八時  ヨードルシ

 九時  アーホシ

 十時  ヨルシー

 十一時  ヨルハンシ

 十二時  ヨルツーシ

 【何人】

 一人  ハンサラン

 二人  ツーサラン

 三人  セーサラン

 四人  ネーサラン

 

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【韓国語】 一、二、三……。

 一     イル

 二     イー

 三     サン

 四     サー

 五     オー

 六     ユク

 七     チル

 八     パル

 九     クー

 十     シップ

 十一   シップイル

 二十   イーシップ

 二十六  イーシップユク

 百     ペク

 二百   イーファク

 千     チョン

 万     マン

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【韓国語】 ○月。

 ウォル

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【韓国語】 ○曜日。

 日曜日    イリョイル

 月曜日    オリョイル

 火曜日    フヨイル

 水曜日    スヨイル

 木曜日    モギョイル

 金曜日    クミョイル

 土曜日    トヨイル

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二〇一二年一月二十五日 水曜日 「あんたの長寿手帳が届いてるわよ」。 

二〇一二年一月二十五日 水曜日 「あんたの長寿手帳が届いてるわよ」。 

 晴れ。

 二時間目の美術史概論。仏像の髪の毛の形、耳についてなど。知りたかったことです。
 三時間目は韓国語。半年間の授業で習ったことを理解していなかったことが露呈しました。

 午後三時ころから雪が降り始めました。
 「積もれば、いいな」
 しかし、すぐやんでいまいました。
 アパートに帰って韓国語の勉強。教科書の八課から十六課の文章をしゃべれるようにしなくてはなりません。

 高知市の妻に電話したら「高知市から、あんたの介護保険被保険者証、長寿手帳(いろんなものが無料になる)が届いているわよ。六十五歳になるからでしょ」。
 なにいってるの。僕が六十五歳になるのは、来月の二十三日です。

 NHK総合テレビの「ためしてガッテン」は、ストレッチの効用。
 妻は、これを見た後、夜中の由紀さおりの番組を見るそうです。

  役所から 長寿手帳が 来たそうだ 「生き急ぎ」の僕 老の仲間に

 

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高知県の「高知短期大学の今後の方向性について」の方針についての私の意見

 

「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」(12月9日、永国寺キャンパス整備等検討チーム=高知県文化生活部・高知県立大学・高知工科大学・高知短期大学)の中の「高知短期大学の今後の方向性」について意見をのべます。

【「基本方針(案)」そのものの提示のしかたに異議があります。】

まず、今回の案の提示のしかたに異議があります。
高知短期大学、高知県立大学を運営する高知県公立大学法人は、昨年10月の理事会で高知短期大学廃止の方針を決めています(ここでは、高知県立大学文化学部に「夜間の4年制のコースをつくる」ことは決まっていません)。

11月、南裕子理事長は、高知短期大学の学友会役員、在学生に、この方針を説明し始めました。その内容は、① 2年制の夜間の大学は時代に合わないので廃止する ② その代わりに高知県立大学文化学部に4年制の夜間のコースをつくる、定員はまだ決めていない、というものでした。
  在学生、卒業生のなかには、すぐさま「高知短期大学存続を」と運動を始める者もいましたが、「4年制ができればいいのでは高知短期大学がなくなっても仕方ないのでは……」という思いを持つ者もいました。
 高知新聞の12月8日付朝刊にも、高知県公立大学法人の永国寺キャンパス改革案が実現すれば「本県にはなかった四年制大学の夜間コースができることになる。」という記事がでました。
 これは県民世論の形成にも大きな影響を与えました。
 南理事長の案について、県民的な議論する間をおかず、高知県は、「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」(12月9日。永国寺キャンパス整備等検討チーム=高知県文化生活部・高知県立大学・高知工科大学・高知短期大学)を県議会に出しました。
 この「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」は、夜間の学びの場につい南理事長がいっていた①のみが入っていて、②はありませんでした。つまり夜間の大学教育を一掃する案でした。
 これは、「だまし討ち」的なやりかたです。
 そうしたなかで、高知県は、1月4日、「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」の中の「高知短期大学の今後の方向性」について意見を募集し始めました(2月2日まで)。
 理事長の手法についての批判が強まる中、高知短期大学のホームページに、1月13日に「高知県公立大学法人におけると高知県立大学と高知短期大学のこれからについて」の「理事長メッセージ」、1月25日に高知県公立大学法人の「高知短期大学の将来のあり方に関する高知県公立大学法人の基本方針について」のメッセージが出されました。
 高知短期大学のシステムを使って意見募集に特定の方向から影響を与えたいという意図だと私は感じました。
 「……基本方針について」には、夜間の4年制の学びの場についても書かれています。しかし、実際に県議会や県民に提案されている案には4年制の夜間の学びの場のことは書かれていないのに「実は、こんなことも考えているから高知短期大学廃止案に賛成してください」といわんばかりの文章を提示するのは、いかがなものでしょうか。
もう一回、「だまし討ち」するつもりだなと思いました。

【高知短期大学は、県立に戻して存続・充実してください。】

高知短期大学の「発展的解消」という名の廃止には反対です。同大学の存続・充実をこそ求めます。私と同じ意見の人は多数で、高知短期大学存続を求める人たちは、1月27日に、知事などにあてた存続を求める署名の第一次分を提出したと聞いています(1か月と10数日間に15000人を超える人々がサインしたといいます)。
 私が、高知短期大学の存続・充実を求める理由をのべます。
 高知短期大学は、夜間の2年制の、高校卒業以上の学力があればいくつになっても受験資格のあるユニークで素晴らしい学びやだからです(定員=社会科学科120人、専攻科15人)。
 2011年、独立行政法人大学評価・学位授与機構が、高知短期大学の認証評価を実施をしています。同年3月の、その結果について高知短期大学の関根猪一郎副学長は、つぎのように報告しています(「高知短期大学学友会会報 灯(ひ)」第17号。2011年10月24日)。
 「基本的な評価は、『高知短期大学は短期大学設置基準をはじめ関係法令に適合し、大学評価・学位授与機構が定める短期大学評価基準を満たしている』というものです。また、『主な優れた点』として①長期履研修制度を導入、②社会人入試を重視し、幅広い年齢層の学生の受け入れ、③「ともに学ぶ会」との協調による障害ある者への支援、以上の四点が挙げられました。本学を訪れた認証評価委員のお一人が語った『夜間教育の灯を消さないでください』という言葉が今でも私の胸に響いています。」
 高知短期大学は、設立された1953年以降、県立でしたが、2011年4月に、高知県公立大学法人ができ、これが高知短期大学、高知県立大学を運営することになりました。尾﨑正直知事は、理事長に南裕子さんを任命しました(両大学の学長にもなりました)。
 南さんは、さっそく、高知短期大学の学長として「公立大学法人 夜間開講男女共学 高知短期大学 大学案内 2012」の冊子に「長い歴史のなかで、本学には多様な背景をもつ学生の個別のニーズに対応した教育を行うノウハウを培ってきました。学生による自主的な支援組織『ともに学ぶ会』との協調は外部からも高く評価されています。また、『開かれた大学』『地域に根ざした大学』として、地域の方々と共に『高知学』を育てています。」などと大学の良さを強調し、受験をと呼びかける文章を掲載しました(ぜひ、ご覧ください)。
 文中の「ともに学ぶ会」は、高知短期大学に在学中の、高校生の時のサッカーの試合中に落雷にあい、盲目で車いすの生活になった北村光寿さんらの勉学を支える教員や学生のグループのことです。
 高知短期大学は、南学長のおっしゃるとおりの、素晴らしい大学です。
 これまで何度も一部の県議などによる高知短期大学廃止の動きがあり、そのたびに世論が「存続」を主張し、高知短期大学の存続は県民的に確認されてきました。
 また、2011年7月11日の高知県議会は、知事から提案された高知短期大学の存続を前提とした「高知県公立大学法人中期計画(案)」(2017年3月までの計画)を原案どおりに承認しました。
 この文書の、高知短期大学の部分を抜き出します。
 教育の成果に関する目標、「県内唯一の夜間課程を設置する大学として、社会人をはじめとする多様な学生の教育をつうじて、豊かな人間性及び教養を備えるとともに、社会科学の基本的な力量を身に付けた、地域社会の主体的で創造的な担い手となる人材を育成する。」
 教育の内容等に関する目標、「現実から学ぶことを重視し、教養教育及び社会科学の専門教育の連携を図り、県民ニーズに対応したカリキュラムを編成することによって、短期大学にふさわしい教育の場を確保する。」
 学生の受け入れに関する目標、「高知短期大学の基本理念に基づき、高等学校、自治体、事業者等との連携を強化するとともに、広報活動を積極的に行うことにより、入学者の受入れ方針に沿った社会人をはじめとする多様な学生の確保に努める。」
 研究水準及び研究成果に関する目標、「(ア) 法学及び経済学を中心とする社会科学の分野において現代社会が抱える課題に応える研究を進め、これによって地域社会及び国際社会の発展に寄与する。
 (イ) 研究水準向上を図るための研究活動について、適切な評価を行い、改善につなげる。」
 全体として前向きのものだと思います。
 この方向で高知短期大学を充実していくべきだと思います。
 つけ加えていうならば、私は、高知短期大学は元の県立に戻すことを提案します。
 この間の廃止をめぐる動きを見ても、高知県公立大学法人は理事長の力が極端に強い組織になっています。
 例を、2011年10月24日の高知県公立大学法人の第3回理事会の議事録に見ます(理事会の議長は南裕子理事長)。
 この日は、2011年度補正予算(案)、2012年度予算編成(案)、給与改定、高知短期大学廃止と県立大学文学部改組などの案、5項目の規定制定および改正が「審議」され「議決」されています。ほかに、9項目の報告事項などがありました。高知短期大学の廃止案をふくむ議案についての「議論」の内容については記されていません。
 理事会の開催時間を見てびっくりしました。午後3時45分から55分までの10分間でした。
 このような重要な、かつ多数の案件が、異論もなく10分で通されてしまうところに理事長の強権ぶりが示されています。
 南理事長の高知短期大学廃止案は教授会に押しつけられました。存続すべきだと思っている教員が多かったのに「全員一致で廃止案に賛成した」と発表されています。
 いまのような、理事長が、すごく大きな力を持って大学をひきまわしているような態勢ではなく、高知短期大学を県立に戻し、民主的な、非常勤講師も加えた教授会のもとに学内運営をすべきだと思います。

【「基本方針(案)」の高知短期大学廃止案はなりたたない議論です。】

「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」は、正面から「だから高知短期大学は廃止すべきだ」という論はたてていません。しかし、それらしいことをいろいろのべています。全体の流れは、高知短期大学は「働く者に学ぶ機会を提供することを目的に夜間の短期大学として設立」したが「近年、若年勤労学生は減少、4年制大学等への編入学希望者などの新規高卒者の増大や、退職者層を含む中高年層の入学など、学生の層が変化→夜間であることの必要な学生が減少。4年制大学等への編入学へのステップ、中高年層の生涯学習・再教育など機能が多様化。」している、「近年、学科の入学定員は、平成22年度を除き下回る状況が続くが、毎年100人程度が入学 専攻科は入学定員を大幅に下回る状況が続く」状況になっているという議論です。
 高知短期大学には、学生のなかで正規雇用の労働者が何%いなければならない、4年制大学への編入希望者は何%以下でなくてはならないという規定はありません。
 「高知短期大学学則」の第8条「入学資格」はつぎのように定めています。
 「本学科に入学することができる者は、次の各号のいずれかに該当する者で、本学で定める入学試験に合格した者とする。
 (1)高等学校又は中等教育学校を卒業した者
 (2)通常の課程による12年の学校教育を修了した者(通常の課程以外の課程によりこれに相当する学校教育修了した者を含む。)
 (3)学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)第150条第1号から第5号までに掲げる者
 (4)前3号に掲げる者のほか、本学において、個別の入学資格審査により高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者で、18歳に達したもの」
 この学則にもとづいて学生募集がされ、運営されているのです。「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」のいう「近年、若年勤労学生は減少、4年制大学等への編入学希望者などの新規高卒者の増大や、退職者層を含む中高年層の入学など、学生の層が変化→夜間であることの必要な学生が減少」などは何の問題もありません。
 むしろ18歳から70歳代までいろんな年齢の学生がいる、「多様な背景を持った学生」がいることが高知短期大学の魅力なのです。
 「4年制大学等への編入学」うんぬんは、それぞれの学生の自由に属するもので、何の問題にもなりません。
 4年制大学への編入試験の合格者は、2006年度に10人台に乗りました。それ以降の人数を示すと、10人、11人、12人、20人、21人、15人です。2年間の学びで実力がついた結果だと思います。いいことではありませんか。
 入学者の状況は、おっしゃるとおり改善すべきことだと思います。
 120人の定員の社会科学科で見ると、97人、103人、104人と定数割れでした。県が高知短期大学を廃止すると「ことをおこした」ことが影響していると、私は思っています。
 が、2010年度には高知短期大学存続運動の高まり・成功のなか、定員を超える122人が入学しています。2011年度は115人です。
 「高知県公立大学法人中期計画」の「高知短期大学の基本理念に基づき、高等学校、自治体、事業者等との連携を強化するとともに、広報活動を積極的に行うことにより、入学者の受入れ方針に沿った社会人をはじめとする多様な学生の確保に努める。」ということを、県をあげてやることこそが大事です。
 「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」は、高知短期大学を「発展的に解消する」としていますが「発展的」なところは一つもなく、「解消」だけが示されているにすぎません。
 なお、この案にはありませんが南裕子理事長は、高知短期大学廃止の理由として「高知短期大学は赤字だから」といい始めているといいます。
 それなら、その「なぜ、そうなのか」というデータを提出すべきです。また、高知短期大学の運営責任者として赤字をどう解消するのか、赤字を出した責任をどうとるのかも明確にすべきです。
 私も独自に、赤字の額と根拠を探しましたがわかりません。
 ただ一つ、予算の内容の一つである南裕子理事長の給与が県民の給与と比べてものすごく高いということだけはわかりました 以下、「高知県公立大学法人役員報酬規程」にもとづき計算しました。
 給料月額=989000円
 夏のボーナス=2079372.5円
 冬のボーナス=2151075円
 一年間の総額=14162847.5円
 赤字というなら、赤字を出した責任をとって、この給与のかなりの部分を返納することも考えるべきだと、あえて主張します。

【南理事長の発言どおり「夜間の4年制」はつくるべきです。今度の案は白紙撤回して、

 

「夜間の4年制」案も入った新しい案を提出してください。】

「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」は、白紙に戻し、検討しなおして、再提出するべきです。
 理由・その1、南裕子学長が公言してきた「高知県立大学文化学部に4年制の夜間コースをつくります」という項目が入っていないからです。
 高知県立大学文化学部の「拡充」案は、南裕子理事長の言明どおり、「高知県立大学文化学部に4年制の夜間コースをつくる」ことをもりこむべきです。
 その際、定数はこれこれ、入学金、授業料はこれこれ、専任の教員は何人、科目はこれこれ、と具体化した提案にすべきです。
 理由・その2、「検討」では案になりません。「やる」と決めた内容を明記すべきです。
案のなかの「高知県立大学 文化学部拡充案」の項を見ると「土日夜間開講の検討」、「社会人特別入試の検討」、「長期履修制度の検討」と「検討」だらけです。
 本来、案というなら「検討」は不要です。これでは「検討」したけどだめだったという余地を残します。
 また、その内容も具体的ではありません。具体的にすべきです。
 一例をあげます。
 「土日夜間開講の検討」→「昼間にやっている授業と同じものを平日は毎夜2時限(1時限90分)実施し、毎土曜日、日曜日に五時間実施します。」。
 「社会人特別入試の検討」→「社会人入試枠の定員は100人とし、入学金、授業料は一般学生の3分の1とします。」
 「長期履修制度の検討」→「社会人の学生については長期履修制度を導入し、2年制の学生は4年まで、4年制の学生は10年まで4年分の授業料で勉強できるものとします。」
 「検討」はとり、具体的に示すこと。それでこそ、検討に値する案として成立しています。
 「永国寺キャンパスに関する基本方針(案)」のポイントを示した「パブリックコメント 参考資料」に「高知県で初の4年制大学で夜間開講の実現」とありますが、これは、ちょっと誤解を与える表現です。あくまで、それは「検討」でしかありません。
 なお、私は、「4年制の夜間コース」をつくること自体には賛成です(2年制も残すことを前提にして)。
 私の考えでは、いまの高知短期大学に「つぎたし」をして、2年でも4年でも卒業できる夜間の高知県立の大学をつくったらいいと思っています。大学教育を受ける場の極めて少ない高知県です。定員も思いきって多くするなどの措置をとる必要があると思っています。いかがでしょうか。

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2012.01.26

【ニュース】 「(マニフェストに)書いてあることは命がけで実行する」 野田佳彦さんの、ほんの少し前の街頭演説での正論。

 「(マニフェストに)書いてあることは命がけで実行する」

 野田佳彦さんの、ほんの少し前の街頭演説での正論です。

 以下にあります。
 いいこといいますねー。野田佳彦さん。
 あなたの過去の正論と、あなたが、いま政治家であり続けていることとの関係を知りたい。

 http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo&feature=youtu.be

 以下を読めば、より理解が深まります。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-26/2012012601_06_0.html

 (前略) 09年の総選挙。大阪の街角で、「政権交代」とそめぬいた旗が風になびく。民主党の野田佳彦・幹事長代理が、若い候補の応援演説に立っています▼野田氏「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命がけで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」。次いで、与党に非難を浴びせます▼「書いてないことを平気でやる。これって、おかしいと思いませんか。書いてあったことは4年間なにもやらないで、書いてないことは平気でやる」。たたみかけ問いつめる野田氏、「こんどは消費税引き上げるんですか?」。もちろん、いまは首相の野田氏です (後略)

 以下にあります。
 いいこといいますねー。野田佳彦さん。
 あなたの過去の正論と、あなたが、いま政治家であり続けていることとの関係を知りたい。

 http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo&feature=youtu.be

 以下を読めば、より理解が深まります。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-26/2012012601_06_0.html

 (前略) 09年の総選挙。大阪の街角で、「政権交代」とそめぬいた旗が風になびく。民主党の野田佳彦・幹事長代理が、若い候補の応援演説に立っています▼野田氏「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命がけで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」。次いで、与党に非難を浴びせます▼「書いてないことを平気でやる。これって、おかしいと思いませんか。書いてあったことは4年間なにもやらないで、書いてないことは平気でやる」。たたみかけ問いつめる野田氏、「こんどは消費税引き上げるんですか?」。もちろん、いまは首相の野田氏です (後略)

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ハングル カタカナ丸覚えメモ

 【韓国の食事は大丈夫ですか?】

 A ハンググン シグン ケンチャナヨ?
 B ネー。チャルモゴヨ。 
 A ツッキー モル チョワエヨ?
 B キムチガ チョンマイ マシッソヨ。
   チャジュ シュポエソ サヨ。 
 A ワリ ジベ シクサハロ ワヨ? 

 【おじさん、このTシャツは、いくらですか?】

 A アジョシー。イー チーシャツ オルマエヨ?
 B クゴン マノニミダ。
 A チョン ピサヨー。
 B クロム イゴノテヨ?
   オーチョノ ニエヨ。
 A チョワヨ。イゴ チュセヨ。

 【午後には授業は、いくつありますか?】

 A オフエ スオビ ミョッケ イッソヨ?
 B ハンゲマン イッソヨ。
 A ミョシブト ミョシカジエヨ?
 B ハンシブト ツウシー パンカジエヨ。
   チグン ミョシエヨ?
 A ハンシ オーブンジョン イエヨ。パンリガヨー。
 

 【先生、何を読んでいらっしゃるのですか?】

 A ソンセンニン。モウ イルグシニカ?
 B イルボン チャチエヨ。
 A オモ。イルボンマル ハセヨ。
 B チョグンミョー。イゴン ハングンマロ モラゴヘヨ?
 A クルセヨー。サジョン イスセヨ?
 B ハーニルサジョン バッケ オプソヨ。

 【おじさん。キョンボックンへ行きますか?】

 A アジョシー。キョンボックン カヨ?
 B アーニョ。アンガヨ。
   チョンロエソ ネリセヨ。
 A コギソ モロヨ?
 B ピョロ モリジ アナヨ。
   コロガミュン テヨ。 

 【いつ、韓国に来ましたか?】

 A オンジェ ハングゲ ワッスミカ?
 B サーオルチョエ ワッソヨ。
 A ハングヌン オリョチィ アナヨ?
 B イルボネソ チョグン コンブヘッソヨ。
 A チョンマル チャラネヨ。
 B アジ モロッソヨ。

 【民俗村へ、いっしょに行きましょう?】 

 A ミンソクチョネ カチ ガプシダ。
 B ムスンヌ イリエヨ?
 A イボンチュ イリュイリエヨ。
 B ミンソクチュン アネヌン モガ イッソヨ?
 A インナイ チップハゴ シクタン イッソヨ。
 B チョンシムン コギソ モグシダ。

 【いらっしゃい。(誕生日のパーティ)】
 

 A オソ オセヨ。
 B センイル チュカハンミダ。
   ソンムル パジュセヨ。
 A ウンドン ハネヨ。コマオヨ。
 B タトウル● モゴ ハゴ イッソヨ?
 A パーティ ジュンビハゴ イッソヨ。

 
 【いかがなさいましたか?(診療)】

 A オジガ アプセヨ?
 B ペガ アッパヨ。
 A シクサヌン ハルス イッソヨ?
 B アムゴト モン モゴッソヨ。
   ムルド マシス オプソヨ。
 A イー ヤグル ハルエ セーボン ジュセヨ。

 (もとの韓国語のデータは『基礎から学ぶ 韓国語講座 初級』=木内明。国書刊行会=からいただきました。)

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二〇一二年一月二十六日 木曜日 戦中に屋島神社の近くの太鼓橋が撤去されたわけ?

二〇一二年一月二十六日 木曜日 戦中に屋島神社の近くの太鼓橋が撤去されたわけ? 

 晴れ。

 朝食は、セルフのうどん店で。
 「かけ、小」というと、どんぶりに冷たいうどんが入ったものを渡してくれました。
 「??」
 そのうどんを自分でアミに入れ湯の中でゆでて、また、どんぶりに戻します。
 そして、つぎにあるスープの容器から自分でどんぶりにスープを入れます。
 味は、「うまいいーっ!!」。
 午前中、高松市牟礼町で終戦時にM国民学校の先生だった男性宅に行き、当時のお話を聞かせていただきました。国民学校で講堂で女学生たちが木製飛行機をつくっていたこと、戦中に屋島神社の近くの太鼓橋が撤去されたこと(陸軍屋島秘匿飛行場づくのとの関係か?)。
 昼食はフランスパン一つ。
 午後、ある人の紹介で同じく牟礼町で、終戦時に国民学校二年生だった男性から、お話を聞かせていただきました。戦中、女性たちの竹槍訓練を見ていたこと、M国民学校の講堂の物置に木工の機械が幾つもあったこと、戦後、房前(ふさざき)の壕に入った時のこと。
 午後四時頃から九時まで韓国語の勉強をしました。

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ニセ飛行機づくり、竹槍訓練……。香川県のM国民学校の児童だった男性のお話のメモ。

 一月二十六日に戦争中、香川県のM国民学校の児童だった男性に、当時のことを聞きました。忘れないうちにメモにしておきます。

 【高等科の生徒たちのニセ飛行機づくり】

 ○ 戦争中、M国民学校で、高等科の生徒たちが竹製のニセの飛行機をつくっていたのを見ました。
 竹で長いヒゴをつくって、胴体や羽を別々につくっていました。
 運動場で組み立てていました。戦闘機の形をしたもので胴の長さは六、七メートルありました。
 馬車二台に、それぞれ胴体と羽を積むシーンを見ました。林の飛行場(建設中だった陸軍高松飛行場)へ持っていくのだと聞きました。

 【地域の女性たちの竹槍訓練】

 ○ 私の住んでいた所の前の広場で女性たちが竹槍訓練をしていました。
 棒にワラを縛りつけたものを三つ土に刺して的にしていました。
 指揮していたのは退役した軍人です。
 「きおつけー!」と二十人くらいの女性を縦三列に整列させました。そのなかに母もいました。
 みな、先を尖らせた竹槍を持っていました。
 一人ひとり、「つっこめ!!」の命令で、「やーっ!」と、この的に竹槍をたてていました。ブスっとつきささりました。つっこんだら竹槍がバリっと折れた人もいました。

 【国民学校の講堂の物置の木工機械】

 ○ 戦後、M国民学校の講堂の物置に木工機械が幾つ置かれていました。
 それは、一メートル数十センチの高さの台の上に中心が空いて両側から木を締め付けるようなものです。横にはハンドルもついていました。

 【戦後、房前(ふさざき)の壕を探検しました】

 ○ (牟礼町の)房前の壕には戦後入ったことがあります。
 夏になると、あそこの近くに琴電の臨時の駅、塩屋海水浴場駅(?)ができて、そこで降りて海水浴場に行きました。国民学校の二年生か三年生のときですが、海水浴の帰りに、仲間と壕に入り探検しました。
 壕の入口は半円で、天地が四メートルくらい、横が四、五メートルありました。壕は岩盤がむき出しのものでした。入口は三カ所あって、中でつながっていました。

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2012.01.27

二〇一二年一月二十七日 金曜日 江戸の浮世絵がパリの印象派に与えた影響。

二〇一二年一月二十七日 金曜日 江戸の浮世絵がパリの印象派に与えた影響。

 晴れ。

 一時間目、韓国語。
 前回に続いて、テーマは試験の範囲の会話文、空で言えるかでした。
 僕は、前日、一生懸命勉強したこともあり、少し脳に残っていました。が、かなりのデータが「あふれて」逃げていってしまっていました。
 英語の試験、江戸時代の文書の試験と、やっぱり語学の勉強に時間がかかります。
 四時間目は美術。江戸の浮世絵がパリの印象派に与えた影響がテーマでした。

 書店に行って、本を数冊買いました。江戸という都市について、浮世絵、印象派、仏像……。何かほとんどが試験対策の本です。『和装本の つくりかた』もゲット。これは、卒業後の楽しみのために。

 午後五時十分、高松駅前の高速バスで高知市へ。
 古本店に頼んであったアジア太平洋戦争についての本、二冊が到着しました。

 

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2012.01.30

二一一二年一月二十八日 土曜日 「♪ 雨にぬれてる 手の中で……」の「あじさい」のCDを十枚あずかりました。一枚千円。

二一一二年一月二十八日 土曜日 「♪ 雨にぬれてる 手の中で……」の「あじさい」のCDを十枚あずかりました。一枚千円。

 晴れ。

 大阪市の、「あじさい」の作詞者・宮本偉さんから電話がありました。

 「これから、朝倉(高知市の)で、うたごえのつどいがあって、僕も作詞の柳井卓先生も行くから来なさい」
 急いで向かいました。

 「あじさい」は、こんな歌です。

 1.雨にぬれてる 手の中で
   ひとり泣いてるあじさいの
   うるんだ瞳のせつなさが
   ここまで二人をつれてきた

 2.風のふいてる 木の下で
   こころ淋しいあじさいの
   かわいた唇 愛しさが
   ここまで二人をつれてきた

 3.雲の浮いてる みずうみで
   胸のふるえるあじさいの
   とぎれる言葉のかわいさが
   ここまで二人をつれてきた

 4.波のよせてる 砂浜に
   うち寄せられたあじさいの
   しずかな寝顔のやすらぎが
   ここまで二人をつれてきた

 この歌には、実は、「いやーーーな思い出」があります。
 高知大学に入ってすぐ、この歌を知り、この世界にひたってしまいました。
 で、合唱サークルの仲間に、知り合ってから二週間くらいしかたっていなかったのに
 「結婚を前提に、お付き合いしていただけませんか」
 彼女は、
 「あなたとは、いいお友だちでいたいわ」
 以来、僕の「フラレタリアート」の人生が続きました……。

 ところで、うたごえのつどいには、百人以上が参加していました。
 高知大学の後輩のOさん。そして、十数人の青年たちも。月一回行く病院の予約などの係をしている高知大学を卒業したばかりの女性もいました。
 「あじさい」、「地底の歌」など、楽しいつどいでした。
 「あじさい」の作詞者から「あじさい」のCDを十枚あずかりました。一枚千円。
 ご注文があれば郵送料無料で、お送りします。

 「あじさい」の演奏は、ここにあります。

 http://www.utagoekissa.com/utagoePDA.php?title=ajisaimiyamoto

  夜中に、高知短期大学専攻科への志願書(千字)を書きあげました。

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二一一二年一月二十九日 日曜日 ひろめ市場前で、肉声で「演説」しました。

二一一二年一月二十九日 日曜日 ひろめ市場前で、肉声で「演説」しました。

 晴れ。

 午後一時半からの夜の学校、高知短期大学の存続を求める署名運動に参加しました。
 まずは、高知市の中央公園北口で。
 僕はビラ配りが中心。なにせ、ビラ配りは十八歳からやっています。「こんにちは。読んでください」と声をかけ、相手の手の来るところへ見やすい形で差し出す……。
 そして、こんどは、ひろめ市場前で。
 ここではハンドマイクがなかったので、僕が肉声で、大声をあげて「演説」しました。
 「高知でたったひとつの、夜の大学、高知短期大学を存続させたい、もっともっと良くしていきたい。この場をお借りして、署名を、お訴えしています。あっ、ありがとうございます。高知短期大学存続の署名です。よろしく、お願いします」
 けっこう、通りますね。われながら、びっくりしました。
 この日、この二カ所で、六百五十人分が集まったとのことです。

 「かるぽーと」で開かれている美術作品展に向かいました。
 「かるぽーと」の一階のエレベーターの所で、若い女性の友人に出会いました。高知短期大学の同学年生で、高知大学の学生です。
 背の高い女性です。リスのような、かわいい帽子をかぶっていました。
 「藤原さん。いらっしゃったの。もう少し早かったら、一緒に見れたのに」
 この人の言葉は、いつも、僕たち老人にも優しい。

 七階で開かれていたこの作品展を見たあと、同階で開かれている写真展に行きました。
 すごい作品が展示されていて感激。
 高知大学(僕は入っただけで卒業していませんが)の後輩のK君(この間まで校長)もいました。

 あるメディア用に「中曽根慰安所」についてのリポートを書きました。

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二一一二年一月三十日 月曜日 夜の学校、高知短期大学の専攻科の入試の願書を出しました。

二一一二年一月三十日 月曜日 夜の学校、高知短期大学の専攻科の入試の願書を出しました。

 晴れ。

 夜の学校、高知短期大学の専攻科の入試の願書を出しました。
 試験日は、二月十二日です。

 高知市の平和資料館・草の家へ。いただいた資料を届けるためです。

 急いで、高松行きの高速バスに。
 四時間目の伝統文化論の授業に出るためです。

 アパートに帰ったら、メールで東京方面から「中曽根慰安所」についての問い合わせが来ました。
 返事を書いていたら四時間目の授業まで「あと五分」に。
 大学についたら同学年の女性が
 「卒業式の夜、お祝い会をします。参加しませんか」。
 「それはいい。ぜひ、ぜひ」
 結局、四時間目に五分ほど遅れてしまいました。
 
 高松市への情報公開の書類を書きました。牟礼の壕群についてです。

 午後九時、韓国語の勉強を開始。

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2012.01.31

【美術の勉強の時間】 江戸の浮世絵とパリの印象派の画家たち

 江戸時代の浮世絵(うきよえ。多色刷りの木版画や肉筆画など)は、フランスのパリの印象派の画家たちの画風に影響を与えています。そのことについて、まとめます。

 【浮世絵】

 浮世絵は、江戸時代に成立した絵画のジャンルです。 演劇、風俗、肖像、風景など多彩な題材があり、人々の日常の生活や風物などを多く描いています。
 浮世絵のうち、木版画は版画であるために、同じ絵柄のものを多く刷り上げることができ、安価で一般大衆もたやすく求められました。
 浮世絵は大衆文化の一部であり、手に取ってながめ愛されました。
 浮世絵の画風には、いくつかの特徴があります。
 ① 陰影をつけない線描や点描だけによる描写。
 ② 図柄がはっきりしていること。
 ③ あざやかで生彩に富んだ色彩表現。
 ④ 左右非対称や余白をいかす、対象物の一部の拡大や切り取り、地平線をかなり高く設定するなどの構図。
 ⑤ 前景に大きなモチーフを描いて遠景と対比させる対比遠近法。

 
 【印象派】

 印象派は、19世紀後半にパリで伝統的なアカデミー様式と対立した画家たちによる芸術運動です。
 余暇を過ごす人々やガス灯による夜の情景、ダンスホールに集う人々、踊り子やサーカスの曲芸師など、日常の中に存在するものを表現しました。
 その絵画の特徴は、光の動き、変化の質感をいかに絵画に表現するかで、ある瞬間の変化を強調して表現することでした。それまでの絵画に比べて絵全体が明るく、色彩に富んでいました。タッチも荒々しく、絵画中に明確な線が見られないことも特徴です。
 それまでの画家は、主にアトリエの中で絵を描いていましたが、陽光の輝きの探究のため好んで屋外に出かけて絵を描きました。

 【影響】

 パリの銅板画家・フゥリクス・ブラックモン(1833年~1014年)は、1858年ころ、前から手に入れたかった葛飾北斎(1760年10月31日~1849年5月10日)の「北斎漫画」(1814年~1878年)を手に入れ、友人のエドゥアール・マネ(1832年1月23日~ 1883年4月30日)、クロード・モネ(1840年11月14日~ 1926年12月5日)、エドガー・ドガ(1834年7月19日~ 1917年9月27日)などに見せてまわったといいます。いずれも印象派の人たちでした。
 1867年、パリで万国博覧会が開催されましたが、これに江戸幕府が参加し、浮世絵も出品しました。
 こうして、浮世絵はパリの人々に広く知られていくようになります。
 マネが手がけた肖像画「エミール・ゾラの肖像」(油彩・画布 46×114cm。1867年~1868年)』は、小説家兼批評家のエミール・ゾラの肖像です。画面には二代目歌川国明による多色刷浮世絵木版画「大鳴門灘右ヱ門」が飾られ、ゾラへと視線を向けています。
 マネ「笛を吹く少年」(油彩 160 x 98 cm。1866年)も浮世絵の影響を受けているといわれています。
 遠近感を廃し、人物の動きを最小限にとどめ、コントラストの強い色を平面的に用いているさまは浮世絵の技法を感じさせます。
 モネは、北斎の「富嶽三十六景」シリーズを参考に構図を考えたといわれています。1868、批評家のザカリ・アクトリュスは、「エタンゴール」紙の文芸欄で、モネについて「北斎の忠実なライバル」と書いています。
 印象派のヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853年3月30日~1890年7月29日)は、弟テオに宛てた手紙のなかで「僕の仕事は、皆、多少、日本の絵が基礎となっている」とのべています。
 彼は、「タンギー爺さん」(92.0×75.0cm。1887年)という作品があります。タンギーは、パリの画材店の主人・ジュリアン・フランソワ・タンギー(1825年~1894年)です。その絵の背景に六枚の浮世絵を描いています。そのなかには渓斎英泉(けいさいえいせん。1790年から1848年8月20日)の美人画や広重の風景画もあります。
 また、ゴッホは、歌川広重(1797年~1858年10月12日)の絵を油絵で模写しています。
 「雨の大橋」(油彩、カンヴァス。1887年)は、広重の「名所江戸百景・大はしあたけの夕立」(大判錦絵。1557年)の模写です。
 「梅の花」(油彩、カンヴァス。1887年)も、広重の「名所江戸百景・亀戸梅屋舗」(大判錦絵。1857年)の模写です。
 最初の絵で広重は、急な夕立に慌てる人々の様子をうまくとらえ、次の梅の絵では、画面手前に印象的な梅の枝を大胆に配して絵の奥行きを表現しています。
 ゴッホは、広重の浮世絵を真似ることで、その構図、色彩感覚、線描画法といった描画技術を学んでいたのです。
 日常の印象的な場面を写真のように瞬間的にとらえるが浮世絵の特徴で、それは、印象派の技法にも通じるのです。

 【参考資料】

 ○ 田辺昌子監修『徹底図解 浮世絵』。新星出版社。2011年12月15日。

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二一一二年一月三十一日 火曜日 一日中、後期試験の勉強。

二一一二年一月三十一日 火曜日 一日中、後期試験の勉強。

 晴れ。

 一日中、試験勉強。
 韓国語。
 伝統文化。
 美術。
 しかし、いずれも終わっていません。

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【短歌】 最期の後期試験の勉強中。

 (一月三十日からの短歌です)

 専攻科 願書出したよ 決断し 六十五歳で また一年生

 「彫塑やる」 メールの返事 「作品でおどろかしてね」  うん、そうしたい

 大学は 後期試験の 真っ最中 あす三時限目 どう乗り切るか 

 一日を 五十四もの ハングル文 暗記にあてて 明日に持ち越す

 「チュワヨ(いいですよ)」まで 忘れはててる この前夜 ハングル試験 前途は多難

 懸案の 「ゴッホと浮世絵」 まとめてる 美術の試験 三日後にある

 浮気して 戦跡調査も 進めてる 「五日後、行く」と 約束したよ 

 「各停で 全国制覇 実行中」 先輩の声 高知に行くとか 

 ようやっと 暖房スイッチ 見つけ出す 冷房部屋が あったかくなる 

 

 朝、昼、夜 ハングル文を 暗記する 休みの一日 これで消えそう

 「わからない」 友にメールを 送ったら 「それは、こうよ」と 教えてくれた

 

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