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2012.01.07

【エッセイ】 二〇一二年一月七日の複雑な夢。そして、高知短期大学存続の運動。

 七日朝、神戸市の有馬温泉の宿で複雑な夢を見ました。

 【第一幕】

 大阪市の、くたびれた食堂に入り昼食をとりました。
 はじめて入った店です。
 同年輩の、おかみから相談を受けました。
 「先代の借金がもとで、この店をやくざにとられてしまう。何とかならないか」
 話している途中で数人のやくざがやってきました。
 店そのものをぶっ壊そうというのです。
 僕は店の前に飛び出て両手を広げて阻止しようとしました。
 「つぶしたらもともこもない。店は、やらせて、じんわりと吸い取るほうが得じゃあないか」
 なんという、腰砕けの論理でしょうか。なさけないことです。
 「店はつぶさない。そのかわりに、お前が借金取りの仲間になれ」
 なりゆきで、仲間にされてしまいました。

 【第二幕】

 なぜか、高知県の、いの町です。
 やくざ集団と、大きな道沿いの丘にある家の持ち主の借金の取り立てに向かいました。
 谷のような山道をどんどん登ります。
 道には木の根っこがのびています。
 上に上がると平原のような所に出ます。
 庭は荒れ果てています。
 二階建ての広々した洋館があります。
 持ち主は不在でした。
 この家は、一階の玄関から数百メートルの石段がふもとに向かってのびています。
 実は、この家は、私が小学生のころ住んでいた家です。
 貧乏な工場労働者だった父が、どこからか二億五千万円の金を集めてきてつくったものです。
 一階は、すべて本の部屋で高知県立図書館ほどの本が所蔵されていました。
 二階には、たくさんの部屋がありました。
 サンルームは、僕たちの昼寝に最適でした。
 庭は、紙すきをやっていた母が、休みごとに精出してつくりあげ、さまざまな花が四季をとわず咲き誇っていました。
 しかし、借金の利子がかさみ、この家は他人のものになりました。
 私たち一家の数年の夢でした。
 (実際は、私は結婚するまで持家に住んだことはありません)
 住んでいる人が逃げたことに頭にきた、やくざ集団は、持ち主を探すために四方に散りました。
 そのすきに、私は逃げてしまいました。

 【第三幕】

 弟と、いの町の長男の墓に行きました。
 私と妻の長男は生後三カ月で亡くなりました。
 当時、私たちは東京都文京区に住んでいました。
 妻が、息子をつれて故郷・高知市に帰りました。
 そのとき、原因不明の病気で突如として亡くなりました。

 「きのう、お母さんと神戸市の有馬温泉に行ったんだ。夕食がおいしくってね。君にも食べさせたかった。生きていれば、君も中年。これからが楽しいときだったんだね。」
 私の顔は、涙でいっぱいになりました。

 【現実】

 午後九時に寝ました。
 目が覚めたら、涙をいっぱいためていました。
 夢を「はんすう」したら、わーっと涙が出てきました。
 ここは、神戸市の有馬温泉の宿の一室でした。
 隣のベッドの妻は、いびきもかかないで寝ています。
 心配になって「生きている」ことを確認しました。
 時計を見ると午前一時半でした。
 私たちの長男の名前は「一志(かずし)」でした。
 私たちの息子とはおもえないほどの美しい男の子でした。
 
 私が、これをパソコンで書いているとき、妻は三メートル先にいます。
 「何を、ぐすぐすいいゆうが」
 と、いいながら、私のお願いした人形づくりの作業をしてくれています(私の、この数日の心の中のことは、彼女には話していないのです)。
 私は、その人形たちを、高知短期大学存続・充実のビラ、ポスターのアイドルに活用できないかと思っています。

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