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2012.01.26

ニセ飛行機づくり、竹槍訓練……。香川県のM国民学校の児童だった男性のお話のメモ。

 一月二十六日に戦争中、香川県のM国民学校の児童だった男性に、当時のことを聞きました。忘れないうちにメモにしておきます。

 【高等科の生徒たちのニセ飛行機づくり】

 ○ 戦争中、M国民学校で、高等科の生徒たちが竹製のニセの飛行機をつくっていたのを見ました。
 竹で長いヒゴをつくって、胴体や羽を別々につくっていました。
 運動場で組み立てていました。戦闘機の形をしたもので胴の長さは六、七メートルありました。
 馬車二台に、それぞれ胴体と羽を積むシーンを見ました。林の飛行場(建設中だった陸軍高松飛行場)へ持っていくのだと聞きました。

 【地域の女性たちの竹槍訓練】

 ○ 私の住んでいた所の前の広場で女性たちが竹槍訓練をしていました。
 棒にワラを縛りつけたものを三つ土に刺して的にしていました。
 指揮していたのは退役した軍人です。
 「きおつけー!」と二十人くらいの女性を縦三列に整列させました。そのなかに母もいました。
 みな、先を尖らせた竹槍を持っていました。
 一人ひとり、「つっこめ!!」の命令で、「やーっ!」と、この的に竹槍をたてていました。ブスっとつきささりました。つっこんだら竹槍がバリっと折れた人もいました。

 【国民学校の講堂の物置の木工機械】

 ○ 戦後、M国民学校の講堂の物置に木工機械が幾つ置かれていました。
 それは、一メートル数十センチの高さの台の上に中心が空いて両側から木を締め付けるようなものです。横にはハンドルもついていました。

 【戦後、房前(ふさざき)の壕を探検しました】

 ○ (牟礼町の)房前の壕には戦後入ったことがあります。
 夏になると、あそこの近くに琴電の臨時の駅、塩屋海水浴場駅(?)ができて、そこで降りて海水浴場に行きました。国民学校の二年生か三年生のときですが、海水浴の帰りに、仲間と壕に入り探検しました。
 壕の入口は半円で、天地が四メートルくらい、横が四、五メートルありました。壕は岩盤がむき出しのものでした。入口は三カ所あって、中でつながっていました。

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