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2012.02.22

「マルレの基地が高知県久礼町にあった」を追って  ② マルレ隊員の手記。

 高知県久礼町のマルレのことが次の本に載っていました。松山市のIさんからコピーをいただいたものです。

  『紅の血は燃えて――船舶特幹二期生の記録――』(陸軍船舶特別幹部候補生隊第二期生会発行)。

  第三十九戦隊第三中隊第三区隊の人が、当時のことを書いていました。

 二月二十三日午前、埼玉県に住む、そのかたと連絡がとれ、お話を聞かせていただけることになりました。

 そのかたのかかれていたことは、以下のようなことです。

 特別幹部候補生の(中略)二期生は国土防衛軍として第三十一戦隊より第四十戦隊と、特設第五十一戦隊、第五十二戦隊が、九州・四国方面に展開した。
 昭和二十年五月三十一日江田島第十教育隊へ分遣命令を受けた私たちは、六月九日江田島に到着し、即日第九教育班第九小隊に編入された。昼間は学科教育、夕方から夜間に舟艇訓練と教育を受けた。江田島沖の爆雷投下演習、その爆雷で浮いた魚を舟艇で集めた思い出等、七月十三日まで江田島で特攻訓練を受けた。いよいよ出動という前には、遺書、遺髪を残しておけとの命令が出、淋しさ一段と増し、今更何んと書くか困った。書くまでは大変であるが、書き終るとさばさばするものである。今ではどうしたであろう。
 七月十四日夕方、国土防衛の特攻隊として、岡山・兵庫・香川出身者で編成された第三十九海上挺進戦隊は、戦隊長中嶋大尉以下第一小隊より第九小隊まで約百名で江田島を出発した。広島より四国に渡り、土讃線の終点久礼駅に翌十五日昼前に到着し、久礼国民学校へ入った。
 この国民学校は高台にあり、米軍の本土空襲の通り路になっていたためか、毎日のように高い空を米軍の飛行機が通っていった。
 七月下旬に、グラマンの機銃掃射を受け、五名の負傷者を出した。(中略)
 久礼国民学校の八月五日迄の二十二日間は、海岸の波打際で対戦車タコツボ演習などをやりながら、○レ●の到着待ちと、基地設定の準備をした。
 八月五日、基地展開のため、大八車に荷物を積んで、久礼国民学校を出発、山を越えて海岸に近い上之加江町の国民学校に本部と第一乃至第五小隊が、少し先の海岸、矢井賀村の矢井賀国民学校に第七、第九小隊が、整備隊の約六十名と一緒に入り、第六、第八小隊は矢井賀の隣村東又村志和のお宮に入り、それぞれ陣取った。(後略)

 

 

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