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2012.02.04

【詩】 小池倍夫(こいけ・ますお)君、蜜石誠二君へ。

 二〇一二年二月の、寒い日のことを書きたいと思う。

 香川県さぬき市の、岡の上の大学の長い階段を踏みしめていて、ふいに小池倍夫(こいけ・ますお)君のことを思い出した。
 「小池、俺は、この三月には大学を卒業するよ」

 君とは、高知市の高知県立高知追手前高校で一緒だった。
 君は、背の高い、美形で髭の濃いやつで、スポーツマンで、すごく頭のいいやつだった。
 高校の帰り道で、「英単語で一番長いものは何か」を競い合ったことを覚えているよ。
  僕は、君に山登りのイロハのイも教わった。
 山って、こんなに素晴らしいのか。僕は、山のとりこになった。

 いっしょに、高知大学文理学部文学科に入学した。
  いっしょに、歴史学の道に進んだ。
 お互いに貧乏だったから、生活費や授業料を稼がなければいけなかった。
 でも、君は「山」に、猛突進していった。
 僕は、「学生の利益を守る学生自治会執行委員会」の運動に。
 と、いえば、かっこいいけど、恋にも夢中になって、出会って二週間の香川県小豆島出身の学生に「結婚を前提につきあってください」といって「あなたとは、お友だちでいたわ」といわれたり、二年生になってからは、夢のようだけど大学の隣町、伊野町の髪の長い絶世の美女の一年生を毎晩、送って行ったりともした。
 で、労働をさぼった僕は、結局は、授業料未納の学生になった。
 三年生の終わりに、僕は大学をやめて働くことにした。
 なぜだか、君も、僕に追随してしまった。
 
 いつの間にか、君は京都の旅館の番頭になっていた。
 そして、いつの間にか、妻と二人の娘を持っていた。
 高知に帰って喫茶店を経営するという、その旅路で息をひきとった。
 小池。
 君は三十歳代で逝ってしまった。

 大学時代に一緒に文学科の文集をつくったね。
 文学科の同級生、ワンダーフォーゲル部の蜜石誠二も、文集のガリ切りのなかまだった。

 彼は、無口な哲学者のようなやつだった。彼の狭いアパートは僕の根城になっていた。君が、山の道具でつくってくれた食事を、一緒に楽しんだね。
 僕は左翼、君は右翼のふりをしていたけど、大学をよくするために二人で手を握った。サークル部室を守った。先生たちといっしょに大学に生協をつくった。

 蜜石君も、いろいろ苦労して愛媛県で毎日新聞の記者として活躍したけど、病気で亡くなってしまった。妻、娘たちは健在だという。

 僕は、二十歳代で、「おとなの汚さを拒否して、美しいままで消える」予定だったけど、まだ生きている。

 結婚して、子どももいて、孫もかわいい女の子が二人いる。

 
 六十歳で仕事をやめてから学び直して、今年の三月、香川県の私立大学を卒業するよ。
 六十五歳になったよ。

 「おとなの汚さ」は拒否し続けて、気持ちは少年のままだ。

 といっても、かなりひねた少年になってしまった。

 弱点を率直にいえば、一方的に大好きな女性が、妻以外にも、たくさんいること。ほとんど「手出し」は、「できて」いないが……。

 小池倍夫。
 蜜石誠二。
  
 これを書いているとき、ぽろぽろな涙を流しながら、鼻をすすっているよ。

 友よ。僕は、まだ、少し前に進むつもりでいるよ。

 彫塑も、やりたいと思っている。「美しい」を極めたいと思う。

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