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2012.02.05

二一一二年二月五日 日曜日 房前(ふさざき)壕群のこと、少しわかってきました。

二一一二年二月五日 日曜日 房前(ふさざき)壕群のこと、少しわかってきました。

 雲り。

 高松市牟礼町の房前(ふさざき)壕の件で、当時から、その周辺に住んでいた人たちからお話を聞きました。

 ● 一九三九年十二月生まれの女性

  「父方の祖父が、自警団のようなものの地域の責任者をやっていました。その祖父が、私に、その地域のことを指して『あそこでは木造飛行機をつくるための壕を掘っている。あのあたりには爆弾が落とされるだろうから、行くな』といっていました」

 ● 終戦当時に牟礼国民学校六年生だった男性

  「壕は五つありました。横は三メートルくらいありました。中でつながっている壕と、つながっていない壕がありました。
 いま跡が残っている琴電の脇の民家の後ろのものは、琴電の線路の脇の墓の所に抜けていました。
 その墓の所で壕を掘る作業をしていた朝鮮人たちが爆発物をつくっていました。直径七センチメートル、長さ二十五センチメートルくらいの円筒形の袋に火薬を入れていました。
 もう一つの琴電の脇の民家の後ろのものは、堀の所に抜けていました。
 いまある線路の近くのヤブの所からのものは、貫通していませんでした。
 もう一つ、それらの東側の大きな木のあるにもあって、貫通していたようです。
 壕の所からは線路が敷かれていました。トロッコで壕からの土を海岸に運んでいました。そこは、いまの御旅所のある所です。」
 
 夜は、美術史概論の試験勉強をし、英語の課題をやって先生にメールで提出しました。
 

 【追記 倉敷飛行機の半地下、分散型工場】

 いまのところ、こういうことだろうという輪郭がわかってきました。
 ・ 一九四五年五月から牟礼村につくられていた倉敷飛行機の半地下、分散型工場というのは、房前の五つの壕と牟礼国民学校の講堂にあった。
 ・ 講堂では高等女学校の生徒たちが木工工作機械をつかって木製飛行機をつくっていた。
 ・ 房前の五つの壕も木製飛行機をつくるためのものだった。
 ・ 近くの料亭・朝日楼に陣取った日本人が工事の指揮をしていた。
 ・ つくらされたのは朝鮮人たちで、民家の鶏舎を改造した所とか房前駅前につくられた飯場で寝起きしていた。
 ・ 壕つくりのために三交代で作業した。爆発物も使って掘り進んでいた。
 ・ 壕群は、ほぼできあがっていて、工作機械も房前駅前にいくつか運び込まれていたが、壕に入れないまま終戦を迎えた。

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