« 【英語の勉強】 Please keep in touch. って。 | トップページ | 二〇一二年二月二十四日 金曜日 牟礼の戦争壕、「ウエルカムの玄関」。 »

2012.02.23

【資料】 南京事件をめぐっての議論

 ○ 「しんぶん赤旗」 2012年2月23日(木)

 河村発言 南京虐殺否定 撤回せよ 名古屋 共産党市議団が抗議

 名古屋市の河村たかし市長が旧日本軍による南京大虐殺(1937年)を否定した問題について、日本共産党名古屋市議団は21日、河村市長に抗議し、発言の撤回を申し入れました。
 河村市長は20日、同市と姉妹友好都市を結んでいる南京市(1978年提携)の劉志偉・中国共産党市委員会常務委員ら訪日代表団が名古屋市役所を訪れた際、「通常の戦闘行為はあったが、一般人への虐殺行為はなかったと聞いている」などと述べました。
 申し入れでは、「日本軍による非戦闘員を含めた殺害、略奪行為があったことは否定できない歴史的事実だ。日本政府も06年に、当時衆議院議員だった河村氏が提出した質問主意書に対する答弁書で、『旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できない』と認めている」と指摘。「市民を代表する市長が、個人の特異な歴史観によって、歴史的事実とも政府見解とも異なる発言を公式の場で行うことは許されない」と厳しく抗議し、撤回を求めました。
 河村市長は、09年の9月議会でも「銃撃戦で市民が亡くなったことが誤解されて伝わっている」と発言し、南京大虐殺記念館(南京市)についても、「今のままの展示だと日本人に対して大きな誤解をうむと危惧する」と言及。昨年の教科書選定問題にからむ議会質問や地域集会でも同様の発言を繰り返し行い、市民から批判を浴びています。
 河村市長は22日、「私は私の意見を言う」と述べ、発言を撤回しない意向を明らかにしました。(中略)

 南京大虐殺否定発言 歴史の事実 直視すべきだ

 (前略)南京大虐殺とは、37年12月、中国への侵略戦争の中で旧日本軍が当時の中国の首都・南京を攻略・占領し、中国軍兵士だけでなく、一般市民を虐殺した事件です。市民の殺害、婦女の強姦(ごうかん)、放火、略奪などの残虐行為は占領後2カ月にわたり続きました。
 犠牲者は30万人以上ともそれ以下とも言われていますが、日本軍による虐殺は国際的にも認められた紛れもない事実です。
 それは当時の日本政府・軍の当局者の証言でも明らかです。当時の外務省東亜局長だった石射猪太郎は回顧録『外交官の一生』の中で、日記の一節を紹介し、「上海から来信、南京に於(お)ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪(りゃくだつ)、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)これが皇軍か」と書いています。
 外務省外交史料館に所蔵されている当時の中支那方面軍司令官だった松井石根陸軍大将の日誌には、南京入城の際、「幾多我軍の暴行奪掠(だつりゃく)事件を惹起(じゃっき)し、皇軍の威徳を傷くること尠少(せんしょう)ならさるに至れるや」という事実が記されています。
 日本政府も公式見解として、「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」(外務省ホームページ)と述べています。(後略)
(小林拓也)

 ○ 外務省の見解

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html

 ○ 石射猪太郎さんの回顧録『外交官の一生』から

  南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。一九三八(昭和一三)年一月六日の日記にいう。
 上海から来信、南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。
  南京、上海からの報告の中で、最も目立った暴虐の首魁の一人は、元弁護士の某応召中尉であった。部下を使って宿営所に女を拉し来っては暴行を加え、悪鬼のごとくふるまった。何か言えばすぐ銃剣をがちゃつかせるので、危険で近よれないらしかった。
 私は三省事務局長会議でたびたび陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛正を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりに大量の暴行なので手のつけようもなかったのであろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかった。当時南京在留の外国人達の組織した国際安全委員会なるものから日本側に提出された報告書には、昭和一三年一月末、数日間の出来事として、七十余件の暴虐行為が詳細に記録されていた。最も多いのは強姦、六十余歳の老婆が犯され、臨月の女も容赦されなかったという記述は、ほとんど読むに耐えないものであった。その頃、参謀本部第二部長本間少将が、軍紀粛正のため現地に派遣されたと伝えられ、それが巧を奏したのか、暴虐事件はやがて下火になっていった。
 これが聖戦と呼ばれ、皇軍と呼ばれるものの姿であった。私はその当時からこの事件を南京アトロシティーズと呼びならわしていた。暴虐という漢字よりも適切な語感が出るからである。
 日本の新聞は、記事差し止めのために、この同胞の鬼畜の行為に沈黙を守ったが、悪事は直ちに千里を走って海外に大センセーションを引き起こし、あらゆる非難が日本軍に向けられた。わが民族史上、千古の汚点、知らぬは日本国民ばかり、大衆はいわゆる赫々たる戦果を礼賛するのみであった。

  (中公文庫版 三百三十二ページ~三百三十三ページ)

 ○ 河村たかしさんが提出した質問主意書

 http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a164335.pdf/$File/a164335.pdf

 ○ 河村たかしさんが提出した質問主意書にたいする政府答弁

  http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b164335.pdf/$File/b164335.pdf

 ○ 日中友好協会愛知県連合会の河村たかし名古屋市長への抗議文

 「KOUGI.doc」をダウンロード

|

« 【英語の勉強】 Please keep in touch. って。 | トップページ | 二〇一二年二月二十四日 金曜日 牟礼の戦争壕、「ウエルカムの玄関」。 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/54057540

この記事へのトラックバック一覧です: 【資料】 南京事件をめぐっての議論:

« 【英語の勉強】 Please keep in touch. って。 | トップページ | 二〇一二年二月二十四日 金曜日 牟礼の戦争壕、「ウエルカムの玄関」。 »