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2012.02.22

「マルレの基地が高知県久礼町にあった」を追って  ① 陸軍船舶兵の歌。

 以前に、松山市のIさんから「マルレの基地が高知県久礼町にあったはずだけど、ご存じですか」という電話がありました。
 ずっと気にかけていました。
 この二月になって一九四五年夏に、この町に住んでいた男性から、当時、同町の久礼国民学校に兵隊が駐屯していてたこと、駈け足の訓練のとき、つぎのような歌を歌っていたという話を聞きました。
 

 海の男の船舶兵だ
 荒れる黒潮なんのその
 ともに歩んだあの島々へ
 今日も行く行く機動隊、機動隊……

 そこにいたのは陸軍の船舶兵だったのです。
 マルレに関係した部隊だったのかも知れません。

 インターネットで「ウィキペディア」で「四式肉薄攻撃艇(よんしきにくはくこうげきてい)」の項目を見ました。以下、要約です。

 四式肉薄攻撃艇は、大日本帝国陸軍の小型攻撃艇。略称はマルニ(〇の中に「ニ」か「に」と表記)、秘匿呼称は連絡艇(れんらくてい)。〇の中に「レ」か「れ」を書いたマルレ、マルレ艇の通称で広く知られる。
 全長5.6m、全幅1.8m、喫水0.26m、満載排水量約1.5t、日産自動車製の70~80馬力程度のトラック用エンジンを搭載したモーターボートで、艇体後部に250kg爆雷を装備していた。最高速力は23~25kt、航続時間は3.5時間。装甲はなくベニヤ製であった。甲一型、甲三型、甲四型のサブタイプがあり、約3,000隻が生産された。緑色の迷彩塗装を施したために、実戦部隊で名づけられたアマガエルの通称・愛称をもつ。
 計画当初は水際防衛を海軍に任せるのではなく陸軍自らの手で行うという発想のもとに、敵上陸船団に対し側背から大量の舟艇による奇襲によって攻撃をかけるという着想の元に開発された兵器である。この考えは陸軍船舶司令部、大本営陸軍部、前線部隊将校からの意見具申がほぼ同時に行われたと見られ、1944年(昭和19年)4月頃、第10陸軍技術研究所に大本営より自動車エンジンを使用した肉薄攻撃艇の試作命令が出た。これに伴い、第10技研では主務科長:内山鉄夫中佐、小滝真吉技師、岩崎中尉らを中心に設計を開始した。同年7月11日に千葉県岩井付近において海軍の震洋と比較試験を行い、採用が決定している。これが甲一型である。
 震洋は艇内に爆薬を搭載しているのに対し、マルレは艇尾に爆雷を懸架する形式になっており、正式名称が示す通り大挙して高速で敵船団に奇襲をかけ肉薄し、敵船至近に爆雷を投下して離脱するという構想の元に開発されたものである。大東亜戦争の戦局が押し迫る中で、この攻撃艇を体当たり特攻艇として使用したほうが至近に爆雷投下して離脱し反復攻撃をかけるより戦果は確実に上がり、また技量もそれほど要らないということで体当たり作戦が採択されている。
 1944年7月、サイパン島陥落の時期に陸軍は特攻兵器を開発・準備しており、大本営陸軍部戦争指導班『機密戦争日誌』の同年7月11日に、マルレ試作完成に関する次の記述がある。
 「突撃艇ノ試験演習ヲ隅田川デ実施、自重1屯〔t〕、自動機関ヲ利用、速力20節(kt)、兵装ハ爆雷2箇(1箇100瓩〔kg〕)航続時間五時間、右突撃艇ハ泊地ノ敵輸送船ニ対スル肉薄攻撃用トシテ先月十五日(サイパン上陸ノ日)設計ヲ開始シ七月八日試作ヲ完了セルモノナリ、速力及兵装ノ点ニ於テ稍々不十分ナルモ、今後ハ斯カル着想ノ下ニ、此種兵器を大量整備スルヲ要ス」
 サイパン島陥落により、日本陸海軍において正攻法では連合軍に太刀打ちできないことを認識し、以降は特別攻撃隊を大々的に編成し特攻を正規の作戦として採用した。1943年(昭和18年)に募集を開始した船舶や航空関連の特別幹部候補生出身者たちが、主にマルレの操縦者に選ばれた。
 マルレは主に海上挺進戦隊に配備され、1945年(昭和20年)のルソン島の戦いと沖縄戦に実戦投入された。後者の戦線では特に渡嘉敷島など慶良間列島に配備された部隊が有名である。本土決戦に備えて日本の太平洋岸の多くの海岸には、連合軍の上陸部隊・支援部隊を迎え撃つためにマルレの秘密基地が作られた。現在の千葉県外房海岸には洞窟陣地が残っている。
 攻撃方法は敵軍の上陸海面を予想して近くに洞窟などを利用した秘匿基地を作り、上陸船団が近くに来ると夜間に数十隻からなる攻撃隊で一斉に攻撃を仕掛け、体当たりもしくは至近への爆雷投下で艦艇もしくは輸送船を撃破するというものであった。指揮官の統一指揮の下で一斉出撃する計画だった。
 外洋航行を意図していないモーターボートゆえに、各地に配備するには海上輸送に頼らなければならなかったが、大戦末期は既に日本近海を含め多方面で制海権を喪失していた為に輸送途中で海没したものも多い。初期に編成された30個戦隊のうち輸送途中に遭難したものが16個戦隊にも及び、第19戦隊に至っては生存者僅か7名という大損害を蒙った。第二次大戦終戦までに輸送中の損害で挺進戦隊員だけで戦死者317名、マルレの喪失1,300隻に達した。これを受けて本土決戦用として更に十数個の戦隊を新規編成する羽目になった。

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コメント

マルレの任務についた兵士の手紙集「明日からは百姓になります」
http://korekara09.com/?pid=48625913
の出版にかかわった者です。
マルレの基地は、広島県江田島・似島にもあったらしいですね。
高知は初耳ですが、あちこちにあったのでしょう。
出版記念の展示会で
マルレの船を運んだという老人に会いましたが、
暁部隊の歌があるといって歌ってくれました。http://obaloveletter.blog.shinobi.jp/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8/%20%20%20%E3%80%80%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%A0%E5%B1%85%E3%82%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%80%85

投稿: 大場書簡を読み解く会 | 2013.08.06 17:10

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