« 高知市 元松山海軍航空隊飛行練習生の平和への思い。 | トップページ | 青春小説 囚人バッチはいらないよ »

2012.03.07

記録 国民学校の音楽の時間 総集編

 二〇〇六年六月十六日午後、高知市で終戦のとき国民学校五年生だった男性の話を聞きました。
 あの「ザック ザック」という歌を覚えていてうたってくれました。
 前年、軍歌、軍国歌謡のことを勉強していて知った歌です。
 一九四一年十二月二十三日、情報局の主導で社団法人日本少国民文化協会が創立されました。
 小野俊一理事長の下に舞踊、遊具、紙芝居、童話、演劇、音楽、文学、絵画、映画、ラジオ、出版の十一部会がありました。
 同協会は機関誌『少國民文化』を毎月発行しました(四二年六月~四四年十二月)。
 同協会が制定した歌がいくつかありますが、その中に「日本のあしおと」があります。
 楽譜には「文部省検定・情報局推薦 社団法人日本少国民文化協会作詞作曲」とあります。

 日本のあしおと ザック ザック ザック ザック ザック ザック ザック
 へいたいさんの あしおとだ
 ザック ザック ザック ザック ザック ザック ザック
 つよい日本の あしおとだ

 聞いていて、なんかぞーっとしました。

 そのことがきっかけで、戦争中の国民学校では、どんな歌を教えていたのか調べてみることにしました。

   【一時間目 「僕らは 強い」】

 前から読みたいと思っていた国民学校(一九四二年四月から)の音楽の教科書を読むことができました(複製ですが)。
 まずは『ウタノホン 上』から。

 最初に天皇の歌があります。

 「キミガヨ」

 キミガヨハ、
 チヨニ ヤチヨニ、
 サザレイシノ
 イハホト ナノテ、
 コレノ ムスマデ。

 天皇の支配する世が永遠に続いてほしいということでしょうか。

 天皇と「日の丸」は、一体でした。

 「ヒノマル」

 一 アヲゾラ タカク
   ヒノマル アゲテ、
   アア、ウツクシイ、
   ニホンノ ハタハ。

 二 アサヒノ ノボル
   イキホヒ ミセテ、
   アア、 イサマシイ、
   ニホンノ ハタハ。

 天皇の戦争の最中でした。
 この旗がアジア各地で猛威をふるっていました。

 そして、子どもたちにも兵隊としてたたかうことを教えました。

 「兵タイゴッコ」

 一 カタカタ カタカタ、
   バンボン バンボン。
   兵タイゴッコ。
   カタカタ カタカタ、
   バンボン バンボン。
   ボクラハ ツヨイ。

 二 カタカタ カタカタ、
   バンボン バンボン。
   ススメヨ、 ススメ。
   カタカタ カタカタ、
   バンボン バンボン。
   テキ兵ハ ニゲル。

 「強い」子どもたちは、どんな「敵兵」とたたかっていたのでしょうか。

   【二時間目 国民学校って…】

 ここで、国民学校とは…をみておきましょう。
 「皇国ノ道ニ則(そく)リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為(な)スヲ以(もっ)テ日的トス」る学校だったのです。
 「皇国ノ道」というは「天皇万歳の道」ということでしょうか。

 以下、参考。

 小学校令改正(一九四二年三月一日勅令第百四十号)

 国民学校令

 第一章 目的

 第一条 国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ日的トス
 第二章 課程及編制
 第二条 国民学校ニ初等科及高等科ヲ置ク但シ土地ノ情況ニ依リ初等科又ハ高等科ノミヲ置クコトヲ得
 第三条 初等科ノ修業年限ハ六年トシ高等科ノ修業年限ハ二年トス
 第四条 国民学校ノ教科ハ初等科及高等科ヲ通ジ国民科、理数科、体錬科及芸能科トシ高等科ニ在リテハ実業科ヲ加フ
 国民科ハ之ヲ分チテ修身、国語、国史及地理ノ科目トス
 理数科ハ之ヲ分チテ算数及理科ノ科目トス体錬科ハ之ヲ分チテ体操及武道ノ科目トス但シ女児ニ付テハ武道ヲ欠クコトヲ得
 芸能科ハ之ヲ分チテ音楽、習字、図画及工作ノ科目トシ初等科ノ女児ニ付テハ裁縫ノ科目ヲ、高等科ノ女児ニ付テハ家事及裁縫ノ科目ヲ加フ
 実業科ハ之ヲ分チテ農業、工業、商業又ハ水産ノ科目トス
 前五項ニ掲グル科目ノ外高等科ニ於テハ外国語其ノ他必要ナル科目ヲ設クルコトヲ得
 第五条 国民学校ニハ高等科ヲ修了シタル者ノ為ニ特修科ヲ置クコトヲ得其ノ修業年限ハ一年トス
 特修科ヲ設置シ又ハ廃止セソトスルトキハ市町村、市町村学校組合又ハ町村学校組合ニ於テ地方長官ノ認可ヲ受クベシ
 特修科ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム
 第六条 国民学校ノ教科用図書ハ文部省ニ於テ著作権ヲ有スルモノタルベシ但シ郷士ニ関スル図書、歌詞、楽譜等ニ関シ文部大臣ニ於テ別段ノ規定ヲ設ケタル場合ハ此ノ限ニ在ラス
 第七条 国民学校ノ教則及編制ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム
 第三章 就学
 第八条 保護者(児童ニ対シ親権ヲ行フ者、親権ヲ行フ者ナキトキハ後見人又ハ後見人ノ職務ヲ行フ者ヲ謂フ以下同ジ)ハ児童ノ満六歳ニ達シタル日ノ翌日以後ニ於ケル最初ノ学年ノ始ヨリ満十四歳ニ達シタル日ノ属スル学年ノ終迄之ヲ国民学校ニ就学セシムルノ義務ヲ負フ
 第九条 前条ノ規定ニ依リ就学セシメラルベキ児童(学齢児童ト称ス以下同ジ)ノ瘋癲白痴又ハ不具廃疾ノ為之ヲ就学セシムルコト能ハズト認ムルトキハ市町村長ハ地方長官ノ認可ヲ受ケ前条ニ規定スル保護者ノ義務ヲ免除スルコトヲ得
 学齢児童ノ病弱又ハ発育不完全其ノ地已ムヲ得ザル事由ニ依リ就学時期ニ於テ之ヲ就学セシムルコト能ハズト認ムルトキハ市町村長ハ其ノ就学ヲ猶予スルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ直ニ其ノ旨地方長官ニ報告スベシ
 第十条 第二十八条ノ規定ニ依リ国民学校設置ノ義務ヲ免ゼラレタル区域内ノ学齢児童ノ保護者ハ第八条ニ規定スル保護者ノ義務ヲ免除セラレタルモノトス
 第十一条 学齢児童国民学校以外ノ学校ニ於テ国民学校ノ課程ト同等以上ト認ムル課程ヲ修ムルトキハ第八条ニ規定スル保護者ノ義務ノ履行ニ関シテハ其ノ期間国民学校ニ就学スルモノト看做ス
 前項ノ課程ノ認定ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム
 第十二条 学齢児童ヲ使用スル者ハ其ノ使用ニ依リテ児童ノ就学ヲ妨グルコトヲ得ズ
 第十三条-第十四条 略
 第四章 職員
 第十五条 国民学校ニハ学校長及訓導ヲ置クベシ
 国民学校ニハ教員、養護訓導及准訓導ヲ置クコトヲ得
 第十六条 学校長及教頭ハ其ノ学校ノ訓導ノ中ヨリ之ヲ補ス
 学校長ハ地方長官ノ命ヲ承ケ校務ヲ掌理シ所属職員ヲ監督ス
 教頭ハ学校長ヲ補佐シ校務ヲ掌ル
 第十七条 訓導及養護訓導ハ判任官ノ待遇トス
 但シ学校長又ハ教頭タル訓導ハ奏任官ノ待遇ト為スコトヲ得
 訓導ハ学校長ノ命ヲ承ケ児童ノ教育ヲ掌ル養護訓導ハ学校長ノ命ヲ承ケ児童ノ養護ヲ掌ル
 准訓導ハ学校長ノ命ヲ承ケ訓導ノ職務ヲ助ク
 第十八条 訓導及准訓導ハ国民学校教員免許状ヲ有スル者タルベシ
 養護訓導ハ女子ニシテ国民学校養護訓導免許状ヲ有スルモノタルベシ
 教員免許状ハ師範学校ヲ卒業シ又ハ訓導若ハ准訓導ノ検定ニ合格シタル者ニ地方長官之ヲ授与ス
 養護訓導免許状ハ養護訓導ノ検定ニ合格シタル者ニ地方長官之ヲ授与ス
 前二項ノ検定ヲ施行スル為道府県ニ国民学校教員検定委員会ヲ置ク国民学校教員検定委員会ニ関スル規程ハ別ニ之ヲ定ム
 教員免許状及養護訓導免許状其ノ他検定ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム
 第十九条 特別ノ事情アルトキハ地方長官ハ国民学校教員免許状ヲ有セザル者ヲシテ准訓導ノ職務ヲ行ハシムルコトヲ得
 第二十条 国民学校職員ハ教育上必要アリト認ムルトキハ児童ニ懲戒ヲ加フルコトヲ得但シ体罰ヲ加フルコトヲ得ズ
 第二十一条 国民学校教員免許状ヲ有スル者左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ教員免許状ハ其ノ効力ヲ失フ
 一 禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルトキ
 二 破産ノ宣告ヲ受ケタルトキ
 教員免許状ヲ有スル者不正ノ行為其ノ他教員タルベキ体面ヲ汚辱スルノ行為アリテ其ノ情状重シト認ムルトキハ文部大臣又ハ地方長官ニ於テ其ノ教員免許状ヲ褫奪ス
 前二項ノ規定ハ国民学校養護訓導免許状ヲ有スル者ニ之ヲ準用ス
 第二十二条-第二十三条 略
 第五章 設置
 第二十四条 市町村ハ其ノ区域内ノ学齢児童ヲ就学セシムルニ必要ナル国民学校ヲ設置スベシ
 第二十五条 地方長官ハ町村ガ左ノ各号ノ一ニ該当スト認ムルトキハ国民学校設置ノ為其ノ町村ト他ノ市町村トノ学校組合ヲ設クベシ
 一 町村ノ資力ガ国民学校ノ経費ノ負担ニ堪ヘザルトキ
 二 町村ニ於テ学齢児童ノ数一国民学校ヲ構成スルニ足ラズ又ハ適度ノ通学路程内ニ於テ一国民学校ヲ構成スルニ足ルベキ数ヲ得ルコト能ハザルトキ
 地方長官ハ市町村ノ一部ニシテ前項第二号ノ事情アルモノガ其ノ市町村ノ国民学校ニ対シ適度ノ通学路程内ニ在ラズト認ムルトキ亦前項ノ例ニ依ルベシ
 前二項ノ規定ニ依リ地方長官ニ於テ市町村学校組合又ハ町村学校組合ヲ設ケントスルトキハ組合規約ヲ定メ関係市町村ノ意見ヲ聞クベシ組合規約ヲ変更シ組合市町村ノ数ヲ増減シ又ハ組合ヲ解カントスルトキ亦同ジ
 第二十六条 地方長官ハ一市町村ガ国民学校ヲ設置スルニ比シ著シク優等ナル国民学校ヲ設置シ得ベシト認ムルトキハ国民学校設置ノ為市町村学校組合又ハ町村学校組合ヲ設クルコトヲ得
 前条第三項ノ規定ハ前項ノ場合ニ之ヲ準用ス
 第二十七条-第二十九条 略
 第六章 設備
 第三十条-第三十二条 略
 第七章 経費負担及授業料
 第三十三条 国民学校ノ経費ハ特別ノ規定アル場合ヲ除クノ外市町村、市町村学校組合又ハ町村学校組合ノ負担トス児童教育事務委託ニ関スル経費ニ付亦同ジ
 第三十四条 地方長官ニ於テ左ノ各号ノ一ニ該当スト認ムルトキハ北海道地方費又ハ府県ハ町村又ハ町村学校組合ニ相当ノ補助ヲ与フベシ
 一 町村ニ付第二十五条第一項第一号ノ事情アルモ同項ノ規定ニ依ルコトヲ得ザルトキ
 二 町村学校組合ノ資力ガ国民学校ノ経費ノ負担ニ堪ヘザルトキ又ハ市町村学校組合若ハ町村学校組合ノ一部タル町村ノ資力ガ其ノ学校組合費ノ分担ニ堪ヘザルトキ
 三 町村又ハ町村学校組合ノ資力ガ児童教育事務委託ニ関スル経費ノ負担ニ堪ヘザルトキ
 地方長官前項ノ規定ニ依ル認定ヲ為サントスルトキハ北海道参事会又ハ府県参事会ノ意見ヲ聞クベシ
 第三十五条 訓導、養護訓導及准訓導ノ検定並ニ国民学校教員免許状及国民学校養護訓導免許状ニ関スル経費ハ北海道地方費又ハ府県ノ負担トス
 第三十六条 国民学校ニ於テハ授業料ヲ徴収スルコトヲ得ズ但シ特修科ニ付テハ此ノ限ニ在ラズ
 特別ノ事情アルトキハ地方長官ノ認可ヲ受ケ国民学校ニ於テ授業料ヲ徴収スルコトヲ得授業料ハ市町村、市町村学校組合又ハ町村学校組合ノ収入トス
 授業料ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム
 第八章 管理及監督
 第三十七条 市町村長、市町村学校組合管理者又ハ町村学校組合管理者ハ市町村、市町村学校組合又ハ町村学校組合ニ属スル国ノ国民学校ニ関スル教育事務ヲ管掌シ国民学校ヲ管理ス
 第三十八条 市町村、市町村学校組合及町村学校組合ハ国民学校ニ関スル教育事務ノ為市制第八十三条若ハ町村制第六十九条ノ規定又ハ其ノ準用規定ニ依リ学務委員ヲ置クベシ此ノ場合ニ於テハ市町村会、市町村学校組合会又ハ町村学校組合会ノ議決ニ依ルコトヲ要セズ
 学務委員ニハ国民学校職員ヲ加フベシ
 委員中国民学校職員ヨリ出ヅル者ハ市町村長、市町村学校組合管理者又ハ町村学校組合管理者之ヲ任免ス
 第三十九条 学務委員ノ職務其ノ他ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム
 第四十条 国民学校職員ノ執行スル国ノ国民学校ニ関スル教育事務ハ地方長官之ヲ監督ス
 第九章 雑則
 第四十一条 町村組合ニシテ其ノ町村ノ事務ノ全部又ハ役場事務ヲ共同処理スルモノハ之ヲ一町村、其ノ組合吏員ハ之ヲ町村吏員其ノ組合会ハ之ヲ町村会ト看做ス
 第四十二条 町村制ヲ施行セザル地域ニ於テハ本令中町村、町村組合、町村吏員、町村組合吏員、町村会及町村組合会ニ関スル規定ハ其ノ地域ニ於ケル此等ニ準ズベキモノニ之ヲ適用ス 以下略
 第四十三条 市町村ハ其ノ負担ヲ以テ国民学校ニ類スル各種学校ヲ設置スルコトヲ得
 市町村又ハ町村ハ其ノ協議ニ依リ市町村学校組合又ハ町村学校組合ヲ設ケ国民学校ニ類スル各種学校ヲ設置スルコトヲ得
 第四十四条 略
 第四十五条 国民学校ニ非ザル学校ハ国民学校ト称スルコトヲ得ズ
 但シ官立又ハ道府県立ノ学校ニ於テ国民学校ノ課程ニ相当スル課程ヲ履修セシムル部分ニ関シテハ此ノ限ニ在ラズ
 附則
 第四十六条 本令ハ昭和十六年四月一日ヨリ之ヲ施行ス但シ昭和六年四月一日以前ニ出生シタル児童ヲ就学セシムベキ期間ニ付テハ第八条ノ規定ニ拘ラズ仍従前ノ例ニ依ル
 第四十七条 市町村立小学校長及教員名称及待遇、市制町村制ヲ施行セザル地方ノ小学教育規程及明治二十七年勅令第十一号ハ之ヲ廃止ス
 第四十八条 本令施行ノ際現ニ存スル市町村立ノ尋常小学校、高等小学校及尋常高等小学校ハ夫々本令ニ依ル初等科ノミヲ置ク国民学校、高等科ノミヲ置ク国民学校並ニ初等科及高等科ヲ置ク国民学校トス
 第四十九条 本令施行ノ際現ニ存スル市町村立ノ高等小学校及尋常高等小学校高等科ノ第三学年ハ本令ニ依ル特修科トス
 第五十条 尋常小学校ヲ卒業シタル者、高等小学校第一学年ヲ修了シタル者及修業年限二箇年ノ高等小学校ヲ卒業シ又ハ修業年限三箇年ノ高等小学校第二学年ヲ修了シタル者ハ夫々之ヲ国民学校初等科ヲ修了シタル者、国民学校高等科第一学年ヲ修了シタル者及国民学校高等科ヲ修了シタル者ト看做ス
 第五十一条-第五十三条 略
 第五十四条 本令施行前ニ授与シタル小学校教員免許状ハ之ヲ第十八条第三項ノ規定ニ依リ授与シタル国民学校教員免許状ト看做ス
 第五十五条 本令施行ノ際現ニ奏任官ノ待遇ヲ受クル市町村立小学校長ヲ兼ネシメラレタル市町村立小学校訓導ノ職ニ在ル者別ニ辞令ヲ発セラレザルトキハ国民学校訓導ニ同待遇俸給ヲ以テ任ゼラレタルモノトス
 本令施行ノ際現ニ市町村立小学校訓導ノ職ニ在ル者(前項ノ規定ニ該当スル者ヲ除ク)別ニ辞令ヲ発セラレザルトキハ国民学校訓導ニ同俸給ヲ以テ任ゼラレタルモノトス

   【三時間目 「空に かがやく 日のもとの」】

 『うたのほん 下』です。

 まずは「君が代」。

 つぎは「きげん節(せつ)」です。

 一 雲に そびゆる 高ちほの
   高根おろしに、 草も、 木も、
   なびき ふしけん 大みよを
   あふぐ 今日こそ たのしけれ。 
 二 うな原 なせる はにやすの
   池の おもより なほ 広き
   めぐみの 波に あみし よを
   めふぐ 今日こそ たのしけれ。
 三 あまつひつぎの 高くらみ
   ちよ ちよろずに 動きなき
   もとゐ 定めし その かみを
   あふぐ 今日こそ たのしけれ。 
 四 空に かがやく 日のもとの
   よろずの 国に たぐひなき、
   国の みはじら たてし よを
   あふぐ 今日こそ たのしいけれ。

 「この国をつくった」天皇の祖先(朝鮮半島からきた人たちのようですが)を賛美しているようです。

   【四時間目 「行け 行け、 軍かん、…」】

 『うたのほん 下』の続きです。

 「軍かん」

 一 行け 行け、 軍かん、
    日本の
   国の まはりは、
    みんな 海。
   海の 大なみ
    こえて 行け。
 二 行け 行け、 軍かん、
    日本の
   国の 光を
    何千り、
   海の はてまで
    かがやかせ。

 小学校が国民学校になった年の十二月、昭和天皇は太平洋戦争を始めました。

   【五時間目 「おもちゃの 戦車、すすめよ、 すすめ。」】

 『うたのほん 下』の続きの続きです。

 「おもちゃの 戦車」

 一 おもちゃの 戦車、
   すすめよ、 すすめ。
   つみ木の ざんがう(塹壕)、
   ずんずん こえて、
   ごうごう がらがら、
   すすめよ、 すすめ。
 二 おもちゃの 戦車、
   走れよ、 走れ。、
   しきゐの クリーク、
   へいきで こえて、
   ごうごう がらがら
   走れよ、 走れ。

 かなりリアルな「おもちゃの 戦車」ですね。

   【六時間目 「兵たいさんは 勇ましい」】

 『うたのほん 下』の続きの続きの続きです。

 「兵たいさん」

 一 てっぽう かついだ
   兵たいさん、
   足並 そろへて
   あるいてる。
   とっとこ とっとこ
   あるいてる。
   兵たいさんは
   勇ましい。
 二 お馬に 乗った
   兵たいさん、
   砂を けたてて
   かけて 来る。
   ぱっぱか ぱっぱか
   かけて 来る。
   兵たいさんは
   勇ましい。

 この「兵たい」さんの「正義」をいつのるのが、つぎの歌です。

 「日本」

 一 日本 よい 国、
     きよい 国、
   世界に 一つの
      神の 国、
 二 日本 よい 国、
      強い 国、
   世界に かがやく
     えらい 国、

 軍隊をたばねる大元帥である天皇が支配する国が「神(=天皇)の国」になっています。

   【七時間目 「その大御心に 答へまつらん」】

 三冊目、『初等科音楽 一』です。
 最初の六曲が「天皇万歳」の歌です。
 まず、「君が代」。
 次は、これです。

 「天長節」

 今日のよき日は、大君の
 うまれたまひし よき日なり、
 さし出たまひし よき日なり。
 ひかりあまねき 君が世を
 いはへ、もろ人 もろともに。
 めぐみあまねき 君が代を
 いはへ、もろ人 もろともに

 昭和天皇は、一九〇一年四月二十九日に誕生。
 このころは四月二十九日が「天長節」だったようです。
 学校で、特定個人の誕生日を祝う歌を教えるということは、どういうことでしょうか。
 しかも、「みひかりの さし出たまひし」とか最大級に賛美して……。

 そして、三つ目が、これ。

 「勅語奉答(ちょくごほうとう)」

 あやにかしこき すめらぎの、
 あやにたふとき すめらぎの、
 あやにたふとく、かしこくも、
 下(くだ)したまへり、大みこと、
 これぞめでたき 日の本の
 国の教の もとゐなる、
 これぞめでたき 日の本の
 人の教の かがみなる。
 あやにかしこき すめらぎの
 みことのままに いそしみて、
 あやにたふとき すらぎの
 大御心に 答へまつらん。

 天皇を最大限に持ち上げ、「その大御心に 答へまつらん」という内容です。

   【八時間目 「明治節(めいじせつ)」 「神のよさせるみわざをひろめ、…」】

 『初等科音楽 一』の続きです。

 「明治節(めいじせつ)」

 明治節は、明治天皇の誕生日で十一月三日でした。一九二七年に制定されたものです。

 一 アジヤの東日出つるところ、
   ひじりの君のあらはれまして、
   古きあめつちとざせるきりを、
   大御光にくまなくはらひ、
   教(おしえ)あまねく、道明らけく、
   治めたまえる御代たふと。
 二 めぐみの波はやしま(八州)にあまり、
   みいつ(御陵威)の風はうな原こえて、
   神のよさせるみわざをひろめ、
   民のさかゆく力をのばし、
   とつ国国のふみにも、しるく
   とどめたまえる御名かしこ。
 三 秋の空すみ、菊の香高き、
   今日のよき日を皆ことほぎて、
   定めましけるみのりをあがめ、
   さとしましけるみのり(詔勅)を守り、
   代代木の森の代代とこしえに
   仰ぎまつらん、大(おお)みかど。

 まさに、音楽教科書の世界では、明治天皇は万能の神様ですね。

 この曲は、つぎのサイトで演奏を聞くことができます。
 http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/MeijiSetsu.htm

   【九時間目 元日にも… 「君がみかげに たぐ(比)えつつ 仰(あお)ぎ見るこそ たふ(尊)とけれ…」】

 『初等科音楽 一』の続きです。

 元日にも子どもたちは天皇万歳と歌わされます。

 「一月一日(いちがついちじつ)」

    第一章

 年のはじめの
    ためしとて、
 終(おわり)なき世の
    めでたさを、
 松竹(まつたけ)たてて、
    かど(門)ごとに
 いはふ(祝う)今日(きょう)こそ
    たのしけれ。

    第二章

 初日のひかり
    さしいでて、
 よも(四方)にかがやく
    今朝(けさ)のそら、
 君がみかげに
    たぐ(比)えつつ
 仰(あお)ぎ見るこそ
    たふ(尊)とけれ。

 つぎのサイトで演奏を聞くことができます。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/ichigatsu.html

   【十時間目 「紀元節(きげんせつ)」  「草も、木も なびきふしけん大御代を…」】

 『初等科音楽 一』の続きです。

 「紀元節(きげんせつ)」

    第一章
 雲にそびゆる高千穂の
 高根おろしに、草も、木も、
 なびきふしけん大御代を
 仰ぐ今日こそ楽しけれ。
   第二章
 うな原(海原)なせるはにやす(埴安)の
 池のおも(面)よりなほひろき
 めぐみの波にあ(浴)みし世を
 仰ぐ今日こそ楽しけれ。
   第三章
 あまつひつぎ(天津日嗣)の高みくら、
 千代よろづよ(万代)に動きなき
 もとゐ定めしそのかみを
 仰ぐ今日こそ楽しけれ。
   第四章
 空にかがやく日のもとの、
 よろづ(万)の国にたぐひなき
 国のみはしらたてし世を
 仰ぐ今日こそ楽しけれ。

 「草も、木も なびきふしけん大御代を…」。すごいですねえ。

 一八七二年(明治五年)十一月十五日、明治政府は「神武天皇の即位」をもって「日本紀元元年」に定めました(太政官布告第三百四十二号)。
 『日本書紀』によれば、「神武天皇」の即位の日付は「辛酉年春正月庚辰朔」で、その記念日は正月朔日(一月一日)となります。
 ところが、明治政府は翌年から新暦(太陽暦)への改暦を予定していたため、その年の旧暦一月一日に当たる新暦一月二十九日を「神武天皇の即位」の祝日に定め、例年祭典をすることとしました(太政官布告第三百四十四号)。
 翌年、この日に祭典をした後、これを「紀元節(きげんせつ)」と名付けました(一八七三年三月七日の太政官達第九十一号)。
 旧正月を「紀元節」としたため、旧正月こそが正しい正月だという解釈が広くおこなわれるようになりました。この国民の反応を見て、これでは国民が新暦を使わなくなると思った政府は「神武天皇の即位の日」を新暦に換算して、「紀元節」を新暦の特定の日付に固定しようと考えました。二月十一日という日付を文部省天文局が算出。それを受けて二月十一日に決定しました。
 一八九一年(明治二十四年)六月十七日には、小学校祝日大祭儀式規程(文部省令第四号)が定められ、天皇、皇后の写真、「御真影」にたいする最敬礼と万歳奉祝、校長による「教育勅語」の奉読などの儀式を小学校でやらせることになりました。

 演奏を聞くことができるサイト。
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/Kigensetsu.htm

   【十一時間目 「ああ、天照大神(あまてらすおおみかみ)」】

 『初等科音楽 一』の続きです。

 天皇がらみの「神話」物の歌もあります。

 「天(あま)の岩屋」

 一 さか木の枝にかけませう。
   鏡と玉をかけませう。
    ああ、神の代の岩戸前。
 二 長鳴きどりを鳴かせませう。
   かぐらのまひをまいませう。
    ああ、おもしろい、おもしろい。
 三 岩戸がさっとあきました。
   かがやきわたるおすがたは、
    ああ、天照大神(あまてらすおおみかみ)

 『古事記』に載っていた話ですね。

 「田道間守(たぢまもり)」も神話世界の歌でしょうか。

 一 かをりも高いたちばなを、
   積んだお船がいま帰る。
   君の仰せをかしこみて、
   万里の海をまっしぐら、
   いま帰る、田道間守、田道間守。
 二 おはさぬ君のみささぎに、
   泣いて帰らぬまごころよ。
   遠い国から積んで来た
   花たちばなの香とともに、
   名はかをる、田道間守、田道間守。

 この物語は、以下のことのようです(もう少し調べてみる必要がありますが…)。
 田道間守は、垂仁天皇の命で海外に、それを食べると不老不死になるという果物「たちばな」を入手しにいきます。
 しかし、それを入手して帰ってみたら命令した垂仁天皇は亡くなっていた。
 田道間守は、「陛下の生前に持ち帰ることができず、私の罪は正に死にあたいする。先帝のあとをしたってお供しましょう」といい、陵の前に穴を掘って入り、天を仰いで忠誠を誓いみずから殉じてしまいました。
 天皇にたいする忠誠の形を説いたものでした。

 『初等科音楽 一』の柱の一つは天皇、神話。
 もう一つの柱は、天皇が統帥する軍隊、そして戦争でした。

   【十二時間目 「その身は玉と くだけても ほまれは残る」】

 前回、『初等科音楽 一』の柱の一つは「天皇が統帥する軍隊、そして戦争でした」と書きました。

 まずは「軍旗」。

 一 軍旗、軍旗、
   天皇陛下の
   おてづから、
    お授けくださる尊い軍旗、
    わが陸軍のしるしの軍旗。
 二 軍旗、軍旗、
   天皇陛下の
   おことばを、
    心にきざんでみ国を守る、
    わが陸軍のいのちの軍旗。

 その天皇にもらった軍旗をかかげてた兵士たちが戦場でのぞまれたことは…。
 たとえば、「三勇士」のようにせよということでしょうか。

 一 大君(天皇のことです)のため、
   国(天皇の国のことです)のため、
   わらってたった
   三勇士、
 二 鉄条網も、
   トーチカも、
   なんのものかは
   破壊筒(はくわいとう●)
 三 その身は玉と
   くだけても、
   ほまれは残る。
   廟巷鎮(べうかうちん)

 廟巷鎮は、中国の上海付近です。
 人様の国を侵略し、「敵陣」を突破するために自爆する……。「その身は玉と くだけても ほまれは残る」というのです。

   【十三時間目 「波の底からねらひうち」】

 『初等科音楽 一』は、続きます。

 こんどは海軍の歌です。

 「潜水(せんすゐ)艦」

 一 魚雷かかへて、
   しぶきをあげて、
   もぐる海底(かいてい)わが天下。
 二 立てて見はった
   潜望鏡(せんぼうきやう)に、
   光る黒しほ、敵のふね。
 三 海の城だと
   いばってゐても、
   波の底からねらひうち。

   【十四時間目 軍犬の歌も登場して…】

 『初等科音楽 一』は、続きます。

 この教科書には軍犬の歌も登場しています。

 「軍犬利根(とね)」

 一 行けとの命令、まっしぐら、
   かはいい軍犬、まっしぐら。
    タカタカ タカタカ タカタカ、
    ダン ダン ダン、弾の中。
 二 あの犬、うてうて、うちまくれ。
   のがすな、のがすな、うちまくれ。
    タカタカ タカタカ タカタカ、
    ダン ダン ダン、敵の弾。
 三 よし来い、よし来い、利根来い来い。
   わたしだ、わたしだ、利根来い来い。
    タカタカ タカタカ タカタカ、
    ダン ダン ダン、弾の中。

   【十五時間目 父が出征した家の子は、働いて家をささえなさい】

 『初等科音楽 一』は、父が出征した家の子は、働いて家をささえなさいとも説きました。

 「子ども八百屋(やほや)」

 一 子どもの車だ、
   八百屋の車だ、
   子どもの買出し。
    押せ、押せ、車を。
    よいしょ、よいしょ。
 二 おとうさんは出征、
   おかあさんと四人で、
   八百屋だ、毎日。
    押せ、押せ、車を。
    よいしょ、よいしょ。
 三 くに子も、ひさ子も、
   あと押し頼むぞ、
   にいさん、しっかり。
    押せ、押せ、車を。
    よいしょ、よいしょ。

   【十六時間目 天皇への「忠義のこころは 鉄より堅」い楠木正成の登場】

 『初等科音楽 一』までに、ずいぶんと特定の方向の歌をうたわされましたね。
 なんかこわいみたいです。
 それでは、『初等科音楽 二』に入ります。

 例によって最初の六曲は、別格です。
 「君が代」
 「天長節」
 「勅語奉答」
 「明治節」
 「一月一日」
 「紀元節」

 『初等科音楽 一』でも習ったのに、また載っています。

 少し進むと「千早城」という歌が載っています。

 あの楠木正成(くすのき・まさしげ。一二九四年~一三三六年七月四日)のことを歌っているようです。
 楠木正成は、河内国石川郡赤坂村(現・大阪府南河内郡千早赤阪村)に生まれます。
 河内を中心に付近一帯の流通ルートを支配する「悪党」とよばれる在地の豪族だったようです。
 一三三一年、後醍醐天皇の挙兵を聞くと傘下に入り、下赤坂城で挙兵し、湯浅定仏とたたかいます。
 後醍醐が隠岐島に流罪となっている間にも、大和国(奈良県)の吉野などでたたかった護良親王とともに、河内国の赤坂城や金剛山中腹に築いた山城、千早城に篭城してゲリラ戦法を駆使して鎌倉幕府の大軍を相手に奮戦したといいます。
 一三三三年、正成らの活躍に触発されて各地に倒幕の機運が広がり、足利尊氏や新田義貞、赤松円心らが挙兵して鎌倉幕府は滅びました(元弘の乱)。
 後醍醐天皇の建武の新政が始まると、正成は記録所寄人、雑訴決断所奉行人、河内・和泉の守護となります。

 と、いうことで天皇に味方した人としての音楽教科書への登場のようです。

 一 そびえる金剛(こんがう)、
   とりでは千早、
   寄せ来る賊軍、
     一百よ万。

 二 忠義のこころは
   鉄より堅く、
   まもるは楠木
     一千よ人。
 三 戦ふたびごと
   賊軍やぶれ、
   みついにかがやく
     菊水の旗。

 時の天皇の敵は「賊軍」とされ、時の天皇に見方した楠木の「忠義」の心が持ち上げられています。

   【十七時間目 「南へ、南へ、国威はのび行く 山田長政 日本男子」なんて】

 『初等科音楽 一』の楠木正成の次は山田長政です。

 山田長政(やまだ・ながまさ。一五九〇年~一六三〇年)は、駿河国沼津出身。通称は、仁左衛門(にざえもん)。江戸時代にシャム(現在のタイ)の日本人町を中心に東南アジアで活動しました。
 一六一二年に朱印船でシャムに渡りました。
 後に、津田又左右衛門筆頭の日本人傭兵隊に加わり、アユタヤー郊外の日本人町の頭領になりました。
 アユタヤー王朝の国王・ソンタムの信任を得、チャオプラヤー川に入る船から税を取る権利を与えられました。
 ソンタム王の死後、長政は、シーウォーラウォン(後のプラーサートトーン)と共同でチェーターティラートを王にたてました。
 しかし、チェーターティラートは、シーウォーラウォンを排除しようとして失敗し、シーウォーラウォンに処刑されました。
 その後、チェーターティラートの弟のアーティッタヤウォンが王としてたてられましたが、幼すぎるので、官吏らはそのころチャオプラヤー・カラーホームスリヤウォンに昇進していたシーウォーラウォンに王位に付くように願いました。
 長政はこれに反対したために、宮廷内で反感を買いました。
 この時、当時、長政は六昆(ナコーンシータマラート)の防衛を理由にシーウォーラウォンによって左遷されました。
 長政は、一六三〇年、パタニ軍との戦闘中に脚を負傷し、傷口に毒入りの膏薬を塗られて死亡しました。

 彼は、当時の、天皇の海外侵略戦争とイメージをダブらせた形で音楽教科書に起用されたようです。

 一 黒潮寄せ来る大うな原も、
   わたれば近し、シャムの国、
   南へ、南へ、船行く、船行く。
    山田長政 日本男子。
 二 正義のいくさに力をそへて、
   いさをは高し、ナコン王、
   南へ、南へ、国威はのび行く
    山田長政 日本男子。

   【十八時間目 「なほも南へ 気がはやる」】

 『初等科音楽 一』です。

 前回の歌のタイトルは「山田長政」でした。

 それとセットのような歌が載っています。
 「船は帆船よ」です。

 一 船は帆船よ、
   三本マスト。
   千里の海も なんのその。
 二 万里の波に
   夕日が落ちて、
   なほも南へ 気がはやる。
 三 とまり重ねて、
   心にかかる
   安南シャムは まだはるか。
 四 椰子(やし)の林に
   照る月影を、
   昔の人は どう見たか。
 五 日本町に
   ふけ行く夜の
   ゆめは故郷を かけまはる。

 天皇が、南に南に侵略しているときでした。

   【十九時間目 「靖国(やすくに)神社」 「大君に 命ささげて…」】 

 『初等科音楽 一』です。

 「靖国(やすくに)神社」という歌が出てきます。

 ところで、「高知新聞」六月二十六日付朝刊の「まことの憲法講座 6」(伊藤塾塾長、伊藤真さん)に、戦前の支配の仕組みがコンパクトに書かれてありました。
 「過去の日本では軍国主義教育が行われ、国民に対して洗脳が行われた。国の言いなりになる、喜んで死んでいく国民をつくりあげることに大成功した。…」
 「戦争は必ず戦死を伴う。戦死は嫌な、悲しい出来事。その悲しい出来事を、いや、悲しくないんだ、幸せなんだ、光栄なんだ、名誉なんだ、栄誉あることなんだと百八十度意味を変えてしまう仕組みが、戦争にはどうしても必要だった。
 仕組みの一つが教育。教育で洗脳していく。もう一つは宗教だ。靖国へいける、名誉あることだ、英雄になれるんだと教え込まれた。軍隊と教育が合体して戦争に突っ込んだ。」
 この文章を読んでから、「靖国神社」の歌詞を読むと、ゾーッとします。

 一 ああ、たふとしや、大君(注・天皇のこと)に
   命ささげて、国のため
   たてしいさをは、とこしへに
   光かがやく 靖国の神。
 二 ああ、かしこしや、桜木の
   花と散りても、忠と義の
   たけきみたまは、とこしへに
   国をまもりの 靖国の神。

   【二十時間目 「大君います 国なれば…」】

 『初等科音楽 一』です。
 こんどは「入営」の歌を教わることになります。

   大君(注・天皇のことです)います
   国なれば、
   ますらをわれは
   いでたちて、
   今日よりはかん、
   剣たち、
   ちかひもかたし、
   神のには。
 二 ますらをならば、
   勇ましく
   いでたつ君を
   送りつつ、
   門出をいはふ
   旗の波、
   万歳たかく
   どよめきて。
(なぜか、「一」の文字がありません)

   【二十一時間目 二〇〇六年六月二十八日、高知県議会の知事、教育長答弁】

 二〇〇六年六月二十八日午後の高知県議会本会議では、知事、教育長が現行の教育基本法を擁護する答弁をしました。

 すごいですね。
 いま僕が書いている国民学校の教育を否定して生まれた教育基本法。
 それを、いま、それを否定しようとしている勢力がありますが、それには組しないよということです。

   【二十二時間目 俳優の宮崎あおいさんの言葉】

 「二十時間目」で「入営」の歌を紹介しました。
 「入営」というのは「兵役義務者、志願による兵籍編入者が、軍務に服するために兵営に入ること」です(『広辞苑』)。

 このころは男性は一定の年齢になると兵隊にならざるを得ないという制度がありました。徴兵制です。国家が男性の国民に兵役義務を課し、強制的に徴収して兵役に服させる強制兵役です。
 在郷軍人を召集する命令書が、召集令状です。

 ところで、高知新聞、二〇〇六年六月二十九日付朝刊にNHK総合テレビの朝の連続ドラマ「純情きらり」(月~土曜日、午前八時十五分~)のヒロイン・桜子役の宮崎あおいさんへのインタビュー記事が載っていました。

 … 愛する人に召集令状が届くと想像するだけで恐ろしくなるという。「好きな人に召集令状が届いたら、本当は一緒にどこかに逃げたい。でも、残された家族のことを考えるとできない。笑顔を作って〝行ってらっしゃい〟なんてことも言えない。私の子供が戦地に行くことになったら、どんなことをしててでも行かせたくない。…」

 いい言葉ですね。
 国民学校時代は、そんなことを人前では非常にいいにくい時代でした。

 【参考】

 日本では、一八九〇年に施行された明治憲法でも兵役が「臣民の義務」とされ(二〇条)、国民は常備軍に強制的に編入されました。
 満二十歳以上の男性全員を対象に徴兵検査(兵役のための身体検査)を受けさせ、選抜して通常二~三年現役兵として服役させ、除隊後もしばらくは予備役などに編入し、戦時には召集令状で戦争に動員するしくみでした。
 徴兵検査を受けずに逃亡したりすれば、懲役刑に加え、優先的に徴兵されるという二重の制裁を受けました。
 このような日本でも、学生などは卒業まで兵役の徴集を延期されました。
 しかし、中国への侵略が太平洋戦争に拡大する一九四一年には、大学学部・予科、高等学校高等科、専門学校、実業専門学校などの修業年限を短縮し、卒業を繰り上げました。
 太平洋戦争の敗色が深まる四三年九月、天皇制政府は、これまで兵役を延期してきた在学中の学生も、徴兵すると決定しました。
 これは、徴集延期そのものを廃止し、在学中でも兵役年齢に達すれば徴兵できるようにしたのです。
 同年十月に東京の明治神宮外苑で東京近郊の出陣学徒の壮行会が開催され、十二月に第一回学徒兵が入営しました。
 同年十二月には、徴兵年齢を十九歳に引き下げる勅令も出されました。
 日本が植民地にしていた朝鮮や台湾でも四三年から徴兵制が適用され、四四年一月には、強制的に「志願」させられた四千人余の朝鮮学徒兵が入営しました。

   【二十三時間目 広瀬武夫たちを戦死せ、賛美の歌をつくらせ…】

 「入営」して外国の戦地にというケースがあります。
 
 『初等科音楽 二』にも戦闘の歌が出てきます。
 「広瀬中佐」です。

 主人公は、広瀬武夫(ひろせ たけお)です。一八六八年七月十九日~一九〇四年三月二十七日。
 明治の大日本帝国海軍軍人である。日露戦争でのエピソードで知られており、「軍神」として神格化されました。
 一八九四年の日清戦争に従軍し、九七年にロシアへ留学してロシア語などを学び、貴族社会と交友。その後、ロシア駐在武官となり、一九〇二年に帰国。〇四年から始まった日露戦争で旅順港閉塞作戦に従事。
 広瀬は、第二回の閉塞作戦においては閉塞船「福井丸」を指揮し、撤退時に行方不明となった部下の杉野孫七上等兵曹を探索して船内を三度探し、退却時にボート上で砲弾の直撃を受け戦死したとされました。

 一 とどろくつつ音、
   飛び来る弾丸(だんがん)。
   荒波洗ふ
   デッキの上に、
    やみ貫ぬく中佐の叫び。
   「杉野はいずこ、杉野はゐずや」
 二 船内くまなく
   たずぬる三たび、
   呼べど答へず、
   さがせど見へず、
    船はしだいに波間に沈み、
    敵弾いよいよあたりにしげし。
 三 今はとボートに
   移れる中佐、
   飛来る弾丸(たま)に
   たちまち失せて、
    旅順港外(りょじゅんこうがい)うらみぞ深き、
    軍神廣瀬とその名残れど。

 「旅順港外(りょじゅんこうがい)うらみぞ深き…」といいますが、侵略しているのは日本の天皇です。
 「敵」が抵抗するのは当然です。
 広瀬や杉野を殺したのは本当は誰なんでしょうか。

 「真犯人」たちは、広瀬を、戦死後、中佐に昇進させ、「軍神」とまつりあげました。
 そして、歌にまでして子どもたちの「教化」に利用しました。
 この歌は、一二年の『尋常小学唱歌 第四学年用』に初出しました。

   【二十四時間目 「少年戦車隊」の歌と約六百人の戦死者】

 『初等科音楽 二』です。

 君たち少年にも戦場にいく手立てがあるぞ。
 それを示したのが「少年戦車隊」の歌です。

 一九三九年、千葉にあった「陸軍戦車学校」に「生徒隊」が生まれ、一期生百五十名が入校しました。満十五歳から十八歳未満までの少年たちが訓練を受けました。「赤タン」の襟章を付けた陸軍生徒の身分でしたた。
 四〇年、公主嶺にも戦車学校が出来たので「千葉陸軍戦車学校生徒隊」となりました。
 四一年、「千戦校」内に「陸軍少年戦車兵学校」として独立、四二年にこの地に移転、二、三期生が移ってきました。
 少年戦車兵は、「若獅子」「豆タンク」のいわれました。
 敗戦までの在籍者は、四千四百二十五人。
 約六百人が戦死しました。

 一 来たぞ、少年戦車兵、
   鉄の車に、鉄かぶと。
   ごうごうごうごう、
     ごうごうごう。
 二 来たぞ、少年戦車兵、
   口はきりりりヽ 一文字。
   ごうごうごうごう、
     ごうごうごう。
 三 来たぞ、少年戦車兵、
   なんの敵陣ひとけりと、
   ごうごうごうごう、
     ごうごうごう。

   【二十五時間目 「東亜(とうあ)のまもりをになふのは、正しい日本の子どもたち」】

 『初等科音楽 二』です。

 少年たちには、兵隊になるために日常から訓練されました。
 この教科書に載っている「かぞえ歌」の「規範」を見ていましょう。

 一つとや、ひとりで早起き、身を清め、
  日の出を拝んで、庭はいて、水まいて。

 二つとや、ふだんにからだをよくきたへ、
  み国にやくだつ人となれ、民となれ。

 三つとや、身支度きちんと整へて、
  ことばは正しくはきはきと、ていねいに。

 四つとや、よしあしいはずにかんで、
  御飯をたべましよ、こころよく、行儀よく。

 五つとや、急いで行きましよ、左側、
  道草しないで学校に、お使ひに。

 六つとや、虫でも、草でも、気をつけて、
  自然の姿を調べませう、学びませう。

 七つとや、仲よくみんなでお弁当、
  ふく人、はく人、はたく人、みがく人。

 八つとや、休みの時間は、元気よく、
  まり投げ、なは飛び、鬼ごつこ、かくれんぼ。

 九つとや、心は明るく、身は軽く、
  進んで仕事の手伝ひに、朝夕に。

 十とや、東亜(とうあ)のまもりをになふのは、
  正しい日本の子どもたち、わたしたち。
  
 キーワードは、「み国(注・要するに天皇)にやくだつ人となれ」「東亜(とうあ)のまもりをになふのは、正しい日本の子どもたち」です。
 「東亜」というのはアジアの東部、中国、朝鮮、日本などの諸国のことです。
 つまり侵略と支配をになう「正しい」侵略者の子どもたちということです。

   【二十六時間目 「…をじさんが、今日は無言で帰られた…」】

 『初等科音楽 二』です。

 侵略戦争に押しやられ亡くなった男性たちを讃える歌も、この教科書に載っています。
 「無言(むごん)のがいせん」です。

 一 雲山(うんざん)萬里をかけめぐり、
   敵を破つたをじさんが、
   今日は無言で帰られた。

 二 無言の勇士のがいせんに、
   梅のかをりが身にしみる。
   みんなは無言でおじぎした。

 三 み国の使命(しめい)にぼくたちも、
   やがて働く日が来たら、
   をぢさんあなたが手本です。

 背筋が、ぞくっとする歌詞です。
 あなたは、どう思われますか。
 この「無言」の男性が、もし、あなたの息子や、兄弟や、父や、恋人だったら……。
 殺したのは、日本の軍隊の統帥権を持っていて、「いけ」と命じた人です。

   【二十七時間目 国民学校のしくみと教科】

 ここで、もう一度、国民学校についてまとめてみました。

 国民学校(こくみんがっこう)は、一九四一年の国民学校令(勅令第一四八号)にもとづいてつくられました。
 六年の初等科と二年の高等科がありました。
 初等科は、それまでの尋常小学校などを母体とし、高等科は、それまでの高等小学校などを母体としていました。
 国民学校令の施行とともに、それまでの尋常小学校、高等小学校、尋常高等小学校は、すべて国民学校とされました。
 国民学校は、子どもが鍛錬をする場と位置づけられ、国にたいする奉仕の心を持った「少国民」の育成がめざされていました。
 教科は、初等科および高等科を通じて国民科、理数科、体錬科および芸能科とされ、高等科では、実業科が加えられていました。
 各教科は、次のようにいくつかの科目に分けられていました。

   教科 科目

 初等科 高等科
 共通 国民科 修身、国語、国史および地理の科目
 理数科 算数および理科の科目
 体錬科 体操および武道の科目
 (女児については、武道を欠くことができました)
 芸能科 音楽、習字、図画および工作の科目
 (初等科の女児については、裁縫の科目が、高等科の女児については、家事および裁縫の科目が加えられました)
 高等科のみ 実業科 農業、工業、商業または水産の科目
  外国語その他必要な科目(必要に応じて学校ごとに設けます)

 国民学校令では、それまで六年間だった義務教育を八年間に延長する規定が設けられましたが、施行が延期され、国民学校令による義務教育期間の延長はおこなわれませんでした。
 国民学校は、学校教育法(四八年法律第二六号)にもとづく新制の小学校にとって変わられるまで存在しました。

   【二十八時間目 「昭憲(せうけん)皇太后御歌」】

 さあ、『初等科音楽 三』の教科書にすすみましょう。
 ここでも、まず習うのは、繰り返しの「天皇もの」です。
 「君が代」
 「勅語奉答」
 「天長節」
 「明治節」
 「一月一日」
 「紀元節」

 そして、「昭憲(せうけん)皇太后御歌」が出てきます。
 昭憲(せうけん)皇太后って??
 調べてみたら明治天皇の連れ合いのことでした。
 一八五〇年~一九一四年。

   金剛石(こんがうせき)

 金剛石もみがかずば
 珠(たま)のひかりはそはざらむ
 人もまなびてのちにこそ
 まことの徳はあらはるれ
 時計の針のたえまなく
 めぐるがごとくときのまの
 日かげをしみて励(はげ)みなば
 いかなるわざかならざらむ

   水は器

 水はうつはにしたがひて
 そのさまざまになりぬなり
 人はまじはる友により
 よきにあしきにうつるなり
 おのれにまさるよき友を
 えらびもとめてもろともに
 こころの駒(こま)にむちうちて
 まなびの道にすすめかし

 金剛石というのはダイアモンドのことです。
 「うつわ」論っていうのでしょうか。   
 僕は「上からお説教されている感じ」だと思います。

   【二十九時間目 「大いなる日本」】

 『初等科音楽 三』です。
  
 「朝礼の歌」です。

 一 朝なり 大気澄みわたり、
   ものみな清くさやかなり。
   新たなる日本 日々に生まる。
   ああ われらはげまん 今ぞ。

 二 朝なり、心さわやかに
   旭日(きょくじつ)天にかがやけり
   大いなる日本 日々にさかゆ。
   ああ われらきたへん 今ぞ。

 ポイントは「大いなる日本」という所でしょう。

   【三十時間目 「御稜威(みいつ)あまねく、大東亜(だいとうあ)」】

 『初等科音楽 三』です。

 次に「大八州(おおやしま)」。

 一 神生みませるこの国は、
   山川きよき大八州。
   海原(うなばら)遠く行くかぎり、
   御稜威(みいつ)あまねく、大東亜(だいとうあ)。

 「大八州」は、日本の古称です。多くの島からなる意です。
 島ができたのは「神生みませる」ではなくて自然現象ですね。   「御稜威」は、天皇、神などの威光です。
 「大東亜」は、東アジア、東南アジアとその周辺地域を指します。
 よく読むと、すごい膨張主義賛美の内容ですね。

 二 神しろしめすこの国は、
   豊葦原(とよあしはら)の中つ国。
   瑞穂(みずほ)のそよぎ、ゆたかなる
   恵み仰がん、大東亜。 
 
 「豊葦原の中つ国」は、日本国の美称です。

 三 神まもりますこの国は、
   きはみもあらず 浦安(うらやす)の
   大船しげきゆきかひも、
   とはに安けき大東亜。

 「浦安国」は、大和国、日本国の美称。

   【三十一時間目 「大東亜(だいとうあ)」は、どう歌われていたでしょうか】

 どうも、国民学校の音楽教科書では「大東亜(だいとうあ)」というのがキーワードの一つのようです。
 前回は、この言葉の出てくる「大八州(おおやしま)」の歌を見ましたが、今回から『初等科音楽 三』の教科書で、この言葉の出てくる歌を探してみることにしました。

 まず、「赤道越えて」。

 一 もえる光と青い波、
   波にをどるはふかの群。
   海路はるかに白銀(しろがね)なして。
   雲はむら立つ椰子(やし)の島。

 二 来たぞ、スコール瀧(たき)しぶき。
   あとは葉末●に風鳴って、
   海はびろうど、なぎさはさらさ。
   日ざしまばゆい島の昼●。

 三 いかりおろせば、寄りつどふ。
   笑顔明るい人の群。
   街(まち)にはためく日の丸見れば、
   ここの港も大東亜。

 「赤道越え」た所にも「大東亜」をつくっているのです。

   【三十二時間目 「大東亜」の歌もありました。「十億」の「盟主」たらんと…】

 『初等科音楽 三』には、ズバリ「大東亜」という題の歌もありました。

 一 椰子(やし)の葉に鳴る海の風。
   峯にきらめく山の雪。
   南十字と北斗星、
   連ねて広き大東亜。

 二 ここに生まれし十億(おく)の
   人の心はみな一つ。
   盟主(めいしゅ)日本の旗のもと、
   ちかひて守る鉄の陣。

 三 空は晴れたり あかつきの
   光あふるる四方(よも)の海
   みなはらからとむつみあひ
   こぞりて築け、大東亜。

 昭和天皇は「大東亜」の「十億」の「盟主」たらんとしていたのです。

   【三十三時間目  国民学校は、皇国民養成のための学校でした】

 二〇〇六年七月七日。休み。せっかくの休みなのに風邪気味。
 薬を飲んで寝ました。
 すこし元気になったので『日本が「神の国だった時代」 国民学校の教科書をよむ』(入江曜子さん。岩波新書)を読みました。
 国民学校の目的について、こうのべています。
 「…低学年において天皇と天皇制への賛美、忠義、愛国心などを感覚的に、つまり説明なしで刷り込むことであり、高学年においては強力な日本人としての自覚、とくに大東亜共栄圏の盟主日本の国民としての自覚をもつ『皇国民』を養成することにあった。」
 各教科の教科書が同じテーマ、材題をとりあげて、立体的に子どもたちの頭脳に刷り込んでいったということも紹介されています。

   【三十四時間目 「大君(おおきみ)の しこのみたてと出でたちて…」】

 『初等科音楽 三』には「戦友」という歌が載ってます。
 これにも「大東亜」が出てきます。

 一 草むすかばね大君(おおきみ)の
   しこのみたてと出でたちて、
   鉄火のあらし、弾の雨、
   くぐりて進むきみとわれ。

 「しこのみたて」といらは、「醜の御楯」。「天皇の楯となって外敵を防ぐ防人(さきもり)が自分を卑下していう語」(『広辞苑』)。この場合は「外敵を防ぐ」のではなく、昭和天皇の楯になって侵略していっています。

 二 死なば同じ日、同じ時、
   おくれさきだつことあらば、
   骨ひつさげて突撃と、
   ちかひかはししきみとわれ。

 三 御稜威(みいつ)あまねき大東亜、
   朝日の御旗行くところ、
   あたなす敵のあるかぎり、
   撃ちてしやまん、きみとわれ。

 「朝日の御旗」というのは陸軍の連隊の旭日旗のことだと思います。

   【三十五時間目 「死すべき時は今なるぞ」】

 『初等科音楽 三』のつづきです。

 「橘(たちばな)中佐」です。

 橘中佐は、橘周太(一八六五年十一月三日~一九〇四年八月三十一日)。庄屋城代季憐(格橘季憐とも)の二男として長崎に生まれました。勝山小学校、長崎中学舎、二松学舎を経て一八八一年、陸軍士官学校幼年生徒に合格。東宮武官、歩兵第三六連隊中隊長、名古屋陸軍地方幼年学校長を歴任し、一九〇四年の日露戦争開戦にあたっては新設の第二軍管理部長に任命されました。同年八月には歩兵第三四連隊第一大隊長に転出し首山堡の攻撃にあたり、その戦闘で死亡。

 一 かばねは積りて山を築(つ)き、
   血潮は流れて川をなす、
   修羅(しゅら)のちまた(巷)か 向陽寺(しゃおんずい)。
    雲間をもるる月青し。

 二 「みかたは大方うたれたり、
   しばらくここを。」といさむれど、
   「恥を思へや、つはものよ。
    死すべき時は今なるぞ。

 三 御国の為なり 陸軍の
   名誉(めいよ)のためぞ。」とさとしたる
   ことば半(なか)ばに散りはてし
    花橘ぞ、かぐはしき。

   【三十六時間目 乗組員の生還を考えない特別攻撃】

 『初等科音楽 三』には「特別攻撃隊」の歌が載っています。

 昭和天皇の海軍は、一九四一年十二月八日、アメリカ合衆国ハワイの真珠湾のアメリカ海軍のアメリカ太平洋艦隊と航空基地に奇襲攻撃をしました。
 この時、特殊潜航艇(甲標的。二人乗り)五隻も参加しました。戦死九人。一人は捕虜になりました。
 この甲標的は、乗組員の生還を考えない特別攻撃の武器でした。

 一 一挙(いっきょ)にくだけ、主戦力。
   待ちしはこの日、この時と、
   怒涛(どとう)の底を矢のごとく、
   死地に乗り入る、艇(てい)五隻。

 二 朝風切りて友軍機。
   おそふと見るや、もろともに
   巨艦(きょかん)の列へ射て放つ
   魚雷高し、波がしら。

 三 爆音天をどよもせば、
   潮も湧(わ)けり、真珠湾(しんじゅわん)。
   火柱あげて、つぎつぎに
   敵の大艦しづみゆく。

 四 昼間はひそみ、月の出に
   ふたたびほふる敵巨艦。
   襲撃まさに成功と、
   心しつかに打つ無電。

 五 ああ、大東亜聖戦に、
   みづくかばねと誓ひつつ、
   ときがけ散りし若桜。
   仰げ、特別攻撃隊。

   【三十七時間目 「勇士らのあとをつくわれらなり…」】

 ある人が、こう教えてくれました。
 「戦前の教育は、『死ね、死ね』という教育だった」
 国民学校の音楽の教科書を読んでいると、本当にそうだなぁと思います。

 『初等科音楽 三』のつづきです。

 天皇への「忠義」のために命を捨てた者の霊魂をまつる忠霊塔が各地にできていました。
 この教科書にも「忠霊塔(ちゅうれい●●)」の歌が載っています。

 一 勇士らは、生命をささげたり。
   勇士らは、戦にうち勝てり。
   そのみたま、ほほ笑みてここにあり。
   いま仰ぐ忠霊の塔高し。

 二 勇士らのあとをつくわれらなり。
   勇士らのいさをしをしのびつつ、
   ふるひたち、戦ひに戦はん。
   いまちかふ、忠義の塔の前。

 「勇士らのあとをつくわれらなり。」がいいたい所だと思います。

   【三十八時間目 女子にも戦争にいけと…】

 『初等科音楽 三』です。

 女子にも戦争にいけと迫りました。
 従軍看護婦になれというのです。

 一 白衣の勤め、をとめにあれど
   軍(いくさ)の庭にををしく出でて、
   勇士まもらん 御国のために。

 二 御楯(みたて)とたちてたたかふ軍、
   痛まし、君が深手をみとり、
   巻くは白たへ 真心こめて。

 三 敵(かたき)にあれど、重手と見れば、
   いたはる心に二つはあらず
   見よや 日本の十字の赤さ。

 四 病院船は勇士を送り
   故国の山河、近づく日々も、
   みとる誠(まこと)のただ一すぢに。

   【三十九時間目 「をの子らをいくさの庭に 遠くやり 心勇む」】

 『初等科音楽 三』です。
 
 大きくなって母になったら息子を戦場に送りなさい。「母の歌」です。「をの子らをいくさの庭に 遠くやり 心勇む」というのです。

 一 母こそは、命のいつみ(いずみ)。
   いとし子を胸にいだきて
   ほほ笑めり、若やかに。
    うるわしきかな、母の姿。

 二 母こそは み国の力。
   をの子らをいくさの庭に
   遠くやり 心勇む。
    をおしきかな 母の姿。

 三 母こそは 千年(ちとせ)の光。
   人の世のあらんかぎり
   地にはゆる天つ日なり。
    大いなるかな 母の姿。

 作詞・野上弥生子、作曲・下総皖一ということを知りました。
 野上弥生子は、あの野上弥生子でしょうか。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から。

 野上 弥生子(のがみ やえこ、本名:野上 ヤヱ(のがみ やゑ)、旧姓小手川、1885年5月6日 - 1985年3月30日) は、日本の小説家。大分県臼杵市生まれ。
 14歳の時に上京し、明治女学校に入学。夏目漱石門下の野上豊一郎と結婚。「ホトトギス」に『縁』を掲載してデビュー。以来、99歳で逝去するまで現役の作家として活躍する。法政大学女子高等学校名誉校長も努め、「女性である前にまず人間であれ」の言を残す。
 昭和初年のプロレタリア文学が流行した時代には、社会進歩の活動のなかにあった非人間的な行動を追及した『真知子』を発表する一方で、思想と行動について悩む青年に焦点をあてた「若い息子」「哀しき少年」などを書き、また戦争への傾斜の時期には時流を批判した『黒い行列』(戦後、大幅に加筆して長編『迷路』に発展させる)と、良識ある知識階級の立場からの批判的リアリズムの文学を多く生み出した。中条(宮本)百合子や湯浅芳子とも交友をもち、『真知子』は、百合子の『伸子』を意識して書いた作品であるといわれ、1920年代の女性の生き方を描いた作品として日本文学に大きな位置を占めている。第二次世界大戦勃発の時期にはちょうど夫とともにヨーロッパに滞在しており、その前後の紀行文『欧米の旅』は、この時期の激動の証言として価値が高い。
 ……

   【四十時間目 「汝(なれ)を股肱(ここう)とのたまひし…」】

 『初等科音楽 三』です。

 「小楠公(せうなんこう)」という歌が載っています。
 小楠公というのは、楠木正成の息子・楠木正行のことです。
 大阪の千早赤坂村に生まれ、南北朝時代、父とともに足利勢とたたかい、父は湊川のたたかいで死亡。父は、湊川への出陣の前に死を覚悟し、桜井宿において、十一歳だった正行に「父の教えを守って正統の天皇に仕えるよう」さとしたということになっています。その後、南朝の武将となった正行は、四條畷の決戦に際し、吉野の如意輪堂にいき、一族百四十三人名の名を留め鏃を用いて板壁に辞世の句、「帰らじと かねて思えば梓弓 無き数に入る名をぞ留むる」を記したといいます。正行は、四條畷の決戦で討死しました。

 この歌は、そうした話をなぞっています。

 一 梅雨(つゆ)の晴れ間の桜井に、
   別れし父の面影(おもかげ)を
   しのべば悲し、十一の
   楠(くす)の一本、なお若し。

 二 母のさとしを身にしめて、
   かをりも清き楠木(くすのき)や、
   河内(かわち)の里に十余年、
   今はこずえに風高し。

 三 汝(なれ)を股肱(ここう)とのたまひし、
   玉のみ声の身にしみて、
   覚悟は強気あづさ弓、
   生きて帰らじ、この門出(かどで)。

 「股肱」は、「ももとひじ。転じて、手足となって働く、君主が最もたよりにする家臣」(『広辞苑』)。
 「あづさ弓」は、アズサの木でつくった丸木の弓です。

 四 いくさも利あらず、矢は尽きて
   四条畷(なはて)に、ををしくも
   花とは散れど、永(なが)き世に
   光かがやく、そのいさを。

   【四十一時間目 「起(た)てば 百万海を越え…」】

 『初等科音楽 三』です。

 「桃山」という歌が載っています。

 一 麻(あさ)と乱れし戦国の
   武将をしづめ、したがへて、
   ともにことほぐ御代の春。
   聚楽(じゅらく)の第(てい)の花の宴(えん)。

 二 起(た)てば 百万海を越え、
   帰れば、文化花と咲く。
   ありし昔を今ここに、
   国威はあがる大アジヤ。

 「起(た)てば 百万海を越え」は、豊臣秀吉の朝鮮侵略のことではないでしょうか。

 「KBS WORLD Radio」から、このことを見ておきましょう。

 秀吉の朝鮮侵略、 その1

 日本が朝鮮を侵略しました。豊臣秀吉による朝鮮侵略、文禄・慶長の役です。日本は1592年、朝鮮に大々的な攻撃を加えてきました。そしてこの侵略と、それに対する朝鮮と応援の明による反撃は1598年までの7年間、中間の3年間の休戦期間を除くと4年にわたって続いたのでした。この戦争で朝鮮は人口が激減し、国土は焦土と化しました。
 16世紀は世界的に大きな変動期を迎えていました。アジアの貿易権を掌握していたポルトガルの商人たちによって貿易が活発に展開し、中国と朝鮮、日本の間でも貿易が行われました。朝鮮も中国と日本の間の仲介貿易を通じて大きな利益を上げていました。そして日本は戦国時代の真っ盛りでした。当時、日本の有力な大名たちはポルトガル商人、スペイン商人たちと貿易をすることで、経済力を築き、国力も向上していました。そしてこれらの商人を通じて、火縄銃などの火薬や武器を輸入して実際に戦闘で使用していました。
 統一を達成した秀吉は1587年、朝鮮に使臣を送ります。そして朝鮮だけでなくインドやフィリピンにも使臣を送り天下はこの手の中にあるので、降伏しなければ征伐すると通告したのでした。全く日本を注視していなかったため、日本の状況はもちろん、豊臣秀吉がどんな人間かも把握できていなかった朝鮮としては、晴天のへきれきでした。朝鮮はいったん、何の対応もせずに事態の推移を見守っていましたが、秀吉はさらに朝鮮の国王が日本にあいさつに来るようにと求めましたが、これは日本を上の国とする礼をとるようにという意味でした。
 この問題をめぐって朝鮮朝廷は論争を繰り返します。結局、宣祖は日本に通信使を送ることにします。日本の事情を偵察してくる必要性を感じたのです。通信使として日本に送られたのは黄允吉と金誠一らでした。そして黄允吉は東人と西人に分かれていた朝鮮朝廷で東人に属し、金誠一は西人派でした。このような彼等の立場の差は日本に行ってきた後、宣祖にその結果を報告する席でも如実に現れました。一緒に行ってきたにもかかわらず、二人の見解は正反対でした。

 秀吉の朝鮮侵略 その2: 民衆の抵抗

 1592年4月13日、10万人以上の秀吉軍が数千隻の船を率いて韓半島東南部に上陸しました。釜山沖に姿を表した日本軍はあっという間に釜山を陥落させると、破竹の勢いで北上を続け、5月2日には首都漢陽、今のソウルに達します。
 そして戦争開始からわずか20日で、漢陽が陥落し、当時の王、宣祖は首都を捨て避難します。宣祖は光海君を跡継ぎである皇太子に指名して後を任せると、自分は百人あまりの臣下とともにソウルを抜け出し平壤に避難しました。予想よりも日本軍の北上する速度が速く、ソウルに残っていた兵力では日本軍を防ぐことはできず、地方から援軍を呼ぶこともできず避難することにしたのです。
 宣祖が臣下とともにソウルを抜け出した後、王宮は炎に包まれます。取り残された民衆が怒って王宮に火を放ったのです。王は最初は都の四大門を内側から閉めて、民衆が外に逃げないようにして都で敵を迎え撃つと言っていました。それが急に官員たちが避難してしまったのです。
 漢陽を陥落させた日本軍は6月には朝鮮第2の都市、平壤まで占領してしまいます。そのため宣祖の一行はさらに北の国境地帯、義州にまで避難することになります。結局、宣祖は明に援軍を要請することにします。
 明は日本軍が朝鮮の北西部にまで北上していることを知ると、7月末に第1陣として、朝鮮に近い国境地域の守備隊を派遣します。しかし彼らは日本軍との戦闘経験が全くなかったため惨敗してしまいます。続いて、倭軍との戦闘経験のある新しい援軍が年末近くに投入され、翌年の正月に平壤城での戦闘で勝利を得て平壤を奪還し、ようやく情勢を逆転させるのに成功します。
 朝鮮はそれこそ、風前の灯火のように危険な状況でした。そんな国を守るために立ち上がったのは自発的に軍事集団を結成した軍人でない軍人、義兵と言われる集団でした。義兵は両班から賎民に至るまで多様な階層で構成されていましたが、そのリーダーとなる義兵長は両班の学者と官僚出身者らが大部分でした。義兵の総数はおよそ2万3千人程度と推算されますが、この数字は官軍の1/4にあたる数字です。有名な義兵長の郭再祐は赤い外套を羽織って馬に乗り、いくつもの集団が連合した義兵を率いました。彼は地形の利点を生かした遊撃戦術を繰り広げ、数的にはるかに勝る日本軍に勝利しました。
 有名な晋州城の戦いは2回にわたって行われました。1回目の戦闘は壬申倭乱の3大戦闘の1つと言われるものです。1592年10月、3800人の朝鮮軍が2万人の日本軍と6日間にわたる激戦を繰り広げ、見事日本軍を撃退します。1回目の戦闘で負け、威信に傷をつけられた豊臣秀吉は翌年の6月に小西行長に復讐戦を命じます。この2回目の戦いでも朝鮮軍は必死に戦いましたが敵軍に比べてその数が足りず、さらに梅雨のせいで城郭さえも崩壊してしまい、ついに城は陥落してしまいます。
 晋州城を占領した日本軍は祝賀の宴を開きます。その席に多くの朝鮮の女たちが連れて来られますが、その中に論介(ノンゲ)という女性がいました。着飾った論介は酒によった日本軍の武将を誘い出し、岩の上におびき寄せます。そして城の下を流れる川に向かって日本の武将を道連れに飛び降り自殺しました。彼女の勇敢な行為を讃え、今でも晋州では毎年9月9日には論介を記念する論介祭りが開かれています。
 またソウル西方の幸州(ヘンジュ)山城では、城を守っていた義兵たちが矢も銃弾もすべて尽き果ててしまうと、女性たちが城に近寄ろうとする日本軍に灰を投げつけ、その視野をふさぎました。また休みなくヘンジュチマ、前掛けに石を包んで運び、その石を武器として山城の上から投げつけました。 幸州山城の戦いでは三万の秀吉軍に一万で立ち向かい、見事に打ち勝ちました。また僧侶たちで構成された僧兵も、西山大師のような高僧を僧兵長にして活躍しました。

   【四十二時間目 『初等科音楽 四』のナンバーのない歌は七曲】

 さぁ、『初等科音楽 四』です。
 この教科書には、二十七曲載っています。
 最初のナンバーのない歌は七曲です。
 「君が代」
 「勅語奉答」
 「天長節」
 「明治節」
 「一月一日」
 「紀元節」
 そして、「明治天皇御製」です。
 
 一 さしのぼる朝日のごとく
    さわやかにもたまほしきは
    心なりけり

 二 あさみどり澄みわたりたる
    大空の広きをおのが
    心ともがな

 こうして天皇は素晴らしいということが徹底されていきます。

|

« 高知市 元松山海軍航空隊飛行練習生の平和への思い。 | トップページ | 青春小説 囚人バッチはいらないよ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

悲しいですね。戦後71年、85歳にもなるというのに、歌詞を見た途端、たちまちメロディが浮かび耳の奥からひびいてきます。それほど叩き込まれたということでしょう。

投稿: 豊田 勢子 | 2016.10.06 17:08

>>天皇の支配する世が永遠に続いてほしいということでしょうか。
天皇と「日の丸」は、一体

}もし 天皇であるなら おおきみ 大君 と なります。 この場合 君といおうのは あなた
日の丸 は 日本国をあらわします。天皇は真贋をッさておき建国王朝が今に続き 天皇の歴史すなわち日本の歴史。
源平の戦いにおいても日の丸は用いられていますし天皇と日の丸は一体です。
他にも挙げられている 物についても勉強不足と思いますよ。
そしてなにより 引用や転載がおおすぎて読む気がおきません
人る人う』分けて』書かれたほうが良いと思います。

投稿: 草野尚 | 2016.10.16 03:22

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/54161728

この記事へのトラックバック一覧です: 記録 国民学校の音楽の時間 総集編:

« 高知市 元松山海軍航空隊飛行練習生の平和への思い。 | トップページ | 青春小説 囚人バッチはいらないよ »