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2012.03.07

小説 父の左胸の鉄砲の弾

 僕が高知県伊野町の中学生だったころのことです。
 父が、夏の夕方、上半身裸で縁側で涼んでいました。
 父は、この町一番の大会社、日本紙業高知工場の営繕係でした。
 肉体労働者で引き締まった体つきですが、真っ白な肌です。
 父は、左の胸の下の小さな傷跡をしぼっていました。
 へんなことをするのだなと思いました。
 「戦争にいっていて敵に撃たれた弾が、まだ体の中に残っている。いくらしぼっても、これが出てくる」
 そういって、さびた鉄のかけらのような物を見せました。
 「へーつ。もう戦争が終わって十何年もたつのに。戦争。どこへいっちょったが」
 「南洋よね」
 そう一言いって、父は遠くを見つめるような目をして黙りこくってしまいました。
 僕は、「南洋でどうだったか」を知りたかったのですが、やめました。
 それ以上、聞いてはならないような気がしたのです。
三学年下の弟の記憶は、もっとリアルです。
小学生の時、父と一緒に、家の風呂で、二人で入っていた時のことだといいます。
 弟は、父の、左胸の上の三箇所ほどの傷口を触って、聞いたそうです。
 「これ、なんの傷跡?」
 「爆弾が破裂した破片が当たった」
 父は、こういったといいます。
 僕の記憶と共通していて、少し違います。
 父が亡くなったのは一九七〇年二月九日のことでした。
 父が生まれたのは、一九一一年十一月十八日ですから、早すぎる死でした。
 父は、前に勤めていた工場を定年退職し、近くにある関連会社・宇津野特紙という工場に勤めていました。
 工場の昼休みに、すぐ近くの自宅へ食事をとるために帰っていて、土間で倒れました。
 そして、その日の午後六時十分に息をひきとりました。
 僕は、東京で働いていて、知らせを聞いてかけつけました。
 湯かんは母、母の姉、当時、高知大学の四年生だった僕の恋人がやってくれたといいます。
 父が亡くなって数年たって、父が南洋で何をしたのかが気になってしようがなくなりました。 
 「聞いておくべきだった」
 父が自分のことを書いたものは一枚もありません。
 本籍のある県に問い合わせば軍歴がわかるのではないか。
 父は、兵隊にいく前は、兵庫県明石市の小学校を出てから地元で漁師をやっていたはずです。
 兵庫県民生部援護課に問い合わせの手紙を書きました。
 しばらくして、夜中に家に帰り着いたら、元恋人が「兵庫県庁から手紙がきてるわよ」。
 民生部援護課からのものでした。
 同封されていた軍歴を一読して「えーっ」と声が出ました。
 「南洋ではない。朝鮮、中国にいっていたんだ…」
 以下が、父の軍歴です。
 一九四三年八月二十日 輜重兵(しちょうへい)第五四連隊補充隊に応召。同日二等兵。
 【三十歳の時の徴兵です。】
 同年十月二十三日 博多出航。同日、釜山上陸。
 【たった二カ月の訓練で戦地に向かわされています。】
 同年十月二十五日 朝満国境通過。
 【「朝満」というのは日本が直接支配していた朝鮮と日本がかいらい政権をつくって支配していた中国の東北部の「満州」のことです。】 
 同年十月二十六日 満支国境通過。同日、輜重兵第一七連隊に転属。
 【「支」は中国のことです。】
 同年十月三十日 上海着。
 一九四四年二月二十日 一等兵。
 同年四月五日 上海発。
 同年四月七日 除州着。
 同年八月九日 同地発。
 同年八月十日 南京着。同日、第六一師団輜重隊に転属。
 同年十二月十一日 第六一師団水路輸送隊に転属。
 一九四五年二月一日 南京発。
 同年二月六日 上海発。
 同年八月十五日 終戦。
 同年十二月二十七日 上海出航。
 一九四六年一月一日 鹿児島上陸。同日、上等兵。

 僕は、手紙に入っていた父の軍歴の資料に見入ったまま、ずーっと座り込んでいました。
 「そうか。朝鮮、中国といったら、そこで、どんなひどいことをしたかを話さなくてはならなくなる。南洋といえば何となく『玉砕』の島とか、負け戦でひどい目にあったとい感じになるからなのか」
 子どもには、自分のした、ひどいことは話したくなかったということなのでしょうか。
 子どもに話せないほどの、ひどいことをしたということなのでしょうか……。

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