【エッセイ】 一九三七年夏の高知の陸軍歩兵第四十四連隊。
一九三七年(昭和十二年)七月、日中戦争が始まると、八月には高知の陸軍歩兵第四十四連隊も中国戦線に動員されました。
連隊長は陸軍参謀本部出身の和知鷹二大佐で、四十四連隊は和知部隊として出征しています。
和知部隊は、当時の新聞報道によると多くを殺し、多くの戦死者を出しています。
戦後、和知鷹二さんは、戦死者の多かった「遠因」を、つぎのように語っています。
「参謀本部は、戦線に歩兵部隊を投入する際には『県民性』を重視した。高知の県民性は『短気』。将棋の駒に例えると香車。ブレーキもバックギアもない自動車同様で、これほど突撃と敵前上陸に適した県民性はない。日露戦争から第二次大戦まで四十四連隊は常に最前線、激戦地に投入された。高知の消耗率の遠因は県民性による。」(依光裕『一所懸命 土佐に生きて』。高知新聞社。二〇〇七年九月二十日)。
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