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2012.04.24

二〇一二年四月二十四日 火曜日 高知市御畳瀬(みませ)の北の「現場」を歩きました。

二〇一二年四月二十四日 火曜日 高知市御畳瀬(みませ)の北の「現場」を歩きました。

 晴れ。

 二十六日の講演の原稿を書き終えました。
 講演のための資料をコンビニエンスストアに行ってコピーしました。
 結局、午前五時になっていました。
 あと、夜、とじなければなりません。
 妻は、ネコ二ひきを布団の上に乗せてスー、スー。

 僕も仮眠しました。

 午後十二時半には、高知市御畳瀬(みませ)にいました。
 六十七年前、海軍がつくった資料にある地図をもとに二つの軍事施設のあった所に行こうという計画です。
 うろうろしていたら地元の男性が「どこへ行きたいが?」と、声をかけてくれました。
 「この地図の所に行きたいんですが…」
 四人が来てくれて智恵を貸してくれました。
 そして、「この近所のSEさん所で聞いてみいや」
 SEさん所に入ろうとした所で相棒のFUさんが到着。
 一緒にSEさん宅に。
 「戦後、御畳瀬国民学校の近くの空き地に山から降ろしてきたらしいねずみ色の大砲が一つか二つ、置いてあった」ことを教えてくれました。
 FUさんと二人で御畳瀬の北の「現場」山々へ。
 壕のようなくぼみがたくさんあります。
 半円形に掘り下げた小さめの砲の陣地のような場所もありました。
 しかし、途中から失速状態。
 調査はFUさんにまかせてFUさんのジープの助手席でグーグー。
 なお、この日、FUさんが登山靴のヒモの入れ方(金具の上から入れ、先は靴の中に入れておく)を教えてくれました。

 夜は高知短期大学で授業を受けました。
 二科目。
 二時間目に先生が「地域とは何か、書いてください」。
 僕は「人びとが交流し、助けあって生きる、ひとかたまりのエリア」と答えました。
 たとえば、津波が襲ってきたとき、同じ所に逃げ込む集団です。

 SAさんから資料を受け取りました。
 
 これから、いろんな作業を開始します。

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