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2012.04.28

一九四五年五月二十八日の香川県北部の戦闘配置 六 そして、それから

 【そして、それから】

 五月二十八日の空中写真を中心にお話ししました。
 これ以降も香川県はアメリカ軍機の空襲を受け、多くの犠牲を強いられます
 卒論では、その空襲のとき、陸軍の航空部隊が迎撃しなかったのはなぜかということを書きました。
 そのころは、陸軍高松飛行場の航空部隊は、アメリカ軍が日本本土に上陸してくるときに、いっせいに特別攻撃をする、つまりアメリカの艦船などに体当たりする、そのために、じーっと隠匿されていました。
 もともと、陸軍高松飛行場は防空のためにつくられたものでしたが、防空の役割は果たしませんでした。
 これは、私の卒業論文にくわしく書いてあります。

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