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2012.04.27

一九四五年五月二十八日の香川県北部の戦闘配置 二 鴨庄(かもしょう)の沖の空母しまね丸のこと

 【鴨庄(かもしょう)の沖の空母しまね丸のこと】

 五月二十八日のアメリカ軍の空中写真、「41 3PR5M246 1V 5-28 F-1531 35000 REST」右上の所、鴨庄(いまは、さぬき市)の沖には空母しまね丸が写っています。

 

 いま、しまね丸のマストが二か所に残っています。さぬき市新開(しんかい)と、高松市の屋島の四国村です。
 新開のものは、火の見やぐらとして使われています。
 これが新開のものです。

 

 やぐらの説明板(さぬき市文化財保護協会志度支部のものです)には、つぎのように書かれています。

 警鐘台

 旧所在地 香川県大川郡志度町鴨藤新開

 この警鐘台はもと護衛空母(しまね丸)の無線マストであった
 しまね丸は全長一六〇.五メートル幅二〇メートル排水量二〇.四六九トン速力一八.五ノットの大型油槽船(タンカー)で、油槽船としての能力を残しながら飛行甲板を取り付けて対潜水艦哨戒機の発着を可能とした民間籍(石原汽船)の空母であった
 昭和二〇年[一九四五年]二月二八日神戸の川崎重工で完成後使用の機会のないまま同年四月三日志度湾の長浜沖に隠された
 この頃から本格的な連合軍の空襲が始まり七月四日は高松空襲次いで七月二七日にしまね丸は四隻の英空母機の集中攻撃を受け二つに折れ沈没した
 終戦後の昭和二三年[一九四八年]解体引き上げられることとなりその際地元の有志がマストを払い下げてもらい警鐘台として活用してきたものである
 なお警鐘台下方部には攻撃を受けた際の弾痕が見られる

 「志度町消防団 鴨庄台部屯所」の前にあったマストは、高松市の屋島神社の東隣にある四国村(民家博物館)に移設されています。


 しまね丸は、川崎造船所で建造されたタンカーです。一九四五年二月二十九日に竣工しました。民間籍でしたが、竣工後は海軍が徴用しました。飛行甲板との格納庫を備え、九三式中間練習機十二機の搭載が可能でした。
 なぜ、しまね丸は、ここにやってきたのでしょうか。そのことが、『志度風土記』(岡村信男。アイニチ株式会社。一九八四年十二月一日)に載っています。
 「昭和二十年[一九四五年]四月三日。古びた工作艦に曳航(えいこう)されて一隻の空母[しまね丸のこと]が長浜沖に繋留(けいりゅう)された。艦長と海軍兵士らがボートで長浜部落常会長を訪れ、『神戸で被害を受けたこの空母を、長浜沖で疎開するのでよろしく頼む。』と挨拶して帰った。」
 「二十日後の四月二十三日、高松海軍人事部から、このままでは敵に発見されやすく、攻撃の的となるので地元で偽装して欲しいと申入れを受けた。(中略)翌日と翌々日の二日かがりで、長浜、新開部落全員出動。大串国有林から松を切り帰り偽装を施したのである。」
 アメリカ軍機、イギリス軍機は、しまね丸と、その周辺を何回も攻撃しています。

http://www.h3.dion.ne.jp/~okumoto/page005.html

 調べていて「へーっ!」と思ったことがあります。
 七月の鴨庄(かもしょう)村議会で、長浜出身の多田常八村議がこの空母が、ここにあるとアメリカ軍機、イギリス軍機の攻撃で地元にも被害がおよぶということで、野崎助役に「やっかいな空母を他所に移す」ことを提案していたことです。いずれが是か非かで激論になり、助役が辞表を出す騒ぎに発展したとのことです(『志度風土記』)。  
 鴨庄村は、香川県大川郡で、いまの、さぬき市鴨庄です。
 当時の近隣の学校の様子を調べてみました。
 香川県立大川高等女学校では、生徒たちが、日本に上陸してくるアメリカ軍とたたかうために竹槍で訓練していました(『津田高五十年史』。香川県立津田高等学校。一九八三年十月一日)。
 志度国民学校では子どもたちが軍事訓練をやっていました(『軌跡 末分校・分園思い出誌』。田淵義明。さぬき市志度小学校(末分校)。二〇〇九年三月二十九日)。
 志度の香川県立志度拓植学校(いまは、香川県立志度高等学校)には、一九四四年十二月に、陸軍の船舶隊約百人が駐屯し、本校舎で宿泊していました。

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