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2012.05.19

【石に刻まれた高知の戦争】 仁淀川町大崎の「表忠碑」。

Photo

 五月十八日、NAさん、地元のIさん、私で高知県吾川郡仁淀川町大崎の町立吾川中学校の運動場東側の岡、小森に行きました。
 戦争の石造の記念碑を見るためです。
 「表忠碑」とありました。設置は、一九一七年(大正六年)年八月です。表忠とは、この場合、天皇への忠義をあらわすという意味です。

 以下のような文が掘りこまれていました。

 日清日露之二役皆起□(てへんに「於」の旁。於の異字。以下の□も同じ)我國家自衛不得己者我郷従/軍之士能奮戰以身報國可謂不愧于前人也二役従軍/之士八十有五人陣亡者二十有四人□海於陸奏其偉/功  皇威振海外以致有今日之盛矣抑方今坤輿形/勢各國競冨強其所争者日大故日清之役大於元寇日/露之役大於日清自是以△(ぎょうにんべんに「牲」の旁、往の異字)益國益大戦弥烈亦可知也然/而我國家自古忠義士不乏其人國苟有事則奮迅感激/波蕩而赴之殺身破産而不顧至于子伏其死而母歓其/義夫致其命妻激其節壮矣哉乃所謂一旦有緩急義勇/奉公以扶翼天壌無窮之  皇運者豈非三千年来史/蹟所證人人平素忠義激□心應國家之求者哉今茲有/志之徒謀刻石以■于不朽非獨顕揚人人功烈亦所/以激勵後人
 大正六年八月      西森真太郎撰并書

 これは大日本帝国の明治天皇が、一八九〇年十月三十日に発布した「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の精神で、この二つの戦争の意義をといたもののようです。
 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」も引用しています。

 裏面に「日清戰役病死者」二人(いずれも陸軍)、「日露戰役戦死者」十八人(陸軍十七人、海軍一人)、「平時在隊死亡者」二人(陸海軍各一人)、「平時臺灣病死者」二人(いずれも「巡査」)の階級・氏名(一部は勲功も)が刻まれていました。

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