« 【石に刻まれた高知の戦争】 「錦二四三五」の「屈伸付天地」の碑 【写真二枚】 | トップページ | 【石に刻まれた高知の戦争】 アメリカ軍の高知市空襲で四人の子を失って……。 【写真二枚】 »

2012.05.04

【石に刻まれた高知の戦争】 海軍施設建設のため墓地の移転を命じられて…… 【写真三枚】

Photo_7

 

Photo_8

Photo_10

【石に刻まれた高知の戦争】 海軍施設建設のため墓地の移転を命じられて……。

 【一九四四年(昭和十九年)】

 高知市仁井田の県道14号脇の高知市三里(みさと)墓地公園の右手の角に「納骨塔」があります。
 土台に「昭和六十一年五月中旬 無縁佛納骨堂老朽崩潰ノ為同年六月建立ス 仁井田共有墓地管理会 会長 沖野音亀」と掘り込まれています。
 その上の石碑の正面には「納骨塔」とあり、残り三面にいわれが掘り込まれています。
 それによると、これは、高知市役所三里出張所長・細川恒久さんが一九四四年(昭和十九年)十一月に建立したものでした。
 こんな文章が掘り込まれていました。
 「池及[および]仁井田地域ニ海軍施設ノタメ区域内ノ墓地移転ヲ命セラレタル所]工事ノ急速ヲ要セシタメ墓地所有者ヲ精密ニ調査スルノ遑[いとま]ナク当時引取人ナキ墳墓ヲ発掘シ此所[ここ]ニ納骨ス」
 アジア太平洋戦争(一九四一年十二月八日~四五年八月十五日)下、日本帝国海軍は、高知市池、仁井田地域に浦戸海軍航空隊と高知海軍航空隊高知第二飛行場の建設しました。
 二つの軍事施設の建設時期からすると、ここに書かれている「海軍施設」は、一九四四年十一月一日に開隊した浦戸海軍航空隊跡のことのようです。
 高知市池地区に「浦戸海軍航空隊跡」の碑があります。
 一九八五年四月六日に甲種飛行予科練習生第十四期会、第十五期会、第十六期会が建立したものです。

 当地は旧浦戸海軍航空隊の隊門跡である。
予科練とは飛行予科練習生の略稱で旧海軍
航空機搭乗員である。この採用制度は昭和
五年に設定され全国より選ばれた少年たちは
よく鉄石の訓練に耐え無敵の空威を発揮し
たが。連合軍沖縄に迫るや全員特別攻撃隊
となり、祖国の繁栄と同胞の安泰のみを願
いつヽ肉弾となり敵艦に突入し、その八割
が若桜で散華したのである。浦戸航空隊は
昭和十九年十一月一日開隊されたが、昭和
二十年五月に入り愈々本土決戦必至の戦況
のもと練習生は敵を水際に撃砕すべく日夜
陸戦特攻訓練に終始身を以って国難に殉せん
と決するも予期せぬ終戦となり、当隊
司令堀内豊秋大佐指揮のもと整然と復員し
戦後四十年の今日を迎えたのである。
浦戸海軍航空隊は消滅したが、この地こそ
我が青春の一時期を鍛之励み共に死守せん
と決した終生忘れ難い心と励みのふるさと
である。故に記念碑を建立し戦没者の冥福
を祈り、戦争の悲惨さと平和と生命の尊さ
を後世に伝えるものである。

 碑文にあるとおり浦戸海軍航空隊は、途中から陸戦隊に変わり、呉鎮守府第十一特別陸戦隊になりました。
 高知の沿岸部の須崎、宇佐、浦戸、長浜、手結、室戸に陣地をつくっていました。
 いま、高知市十津四の二一の六の栗田健雄(くりた・たてお)さん宅の裏山・梶分山(かじぶんやま)に、同隊がつくっていた戦闘壕が二つ残っています。
 昨年十月、ことし四月に平和資料館・草の家研究員・福井康人さんがが発見して発表した香南市夜須の二つの手結砲台跡は、この特別陸戦隊のものです。
 この二つの砲台の弾薬庫には「化学兵器」(防御用)も多数用意されていました。
 この特別陸戦隊は、毒ガス戦も想定していたと思われます。

|

« 【石に刻まれた高知の戦争】 「錦二四三五」の「屈伸付天地」の碑 【写真二枚】 | トップページ | 【石に刻まれた高知の戦争】 アメリカ軍の高知市空襲で四人の子を失って……。 【写真二枚】 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/54632421

この記事へのトラックバック一覧です: 【石に刻まれた高知の戦争】 海軍施設建設のため墓地の移転を命じられて…… 【写真三枚】:

« 【石に刻まれた高知の戦争】 「錦二四三五」の「屈伸付天地」の碑 【写真二枚】 | トップページ | 【石に刻まれた高知の戦争】 アメリカ軍の高知市空襲で四人の子を失って……。 【写真二枚】 »