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2012.05.04

【石に刻まれた高知の戦争】 「錦二四三五」の「屈伸付天地」の碑 【写真二枚】

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【石に刻まれた高知の戦争】 「錦二四三五」の「屈伸付天地」の碑 【写真二枚】

 【一九四五年(昭和二十年)】

 四国八十八箇所霊場第三十二番札所の禅師峰寺(ぜんじぶじ。南国市十市三〇八四)の山にはアジア太平洋戦争の記憶が刻み込まれています。
 同寺の参道に向かう車道を登っていくと、右手にコンクリートの四角いかたまりがあります。
 そこに上って見ると四角い穴が開いています。
 トーチカの跡です。
 参道を登り、山門の向かいの石段を降ります。
 降り切って少し行くと道が二手に分かれています。
 左の小道にいくと、アジア太平洋戦争中につくられたと思われるタコツボのような壕(ごう)や陣地と陣地を結ぶ交通壕のようなものがたくさん走っています。
 そうした道脇の右手に石碑があります。
 表面には「屈伸付天地」、裏面には「昭和二十年八月十四日」、「錦二四三五」と掘り込まれています。
 「屈伸付天地(くつしんてんちにふす)」は江戸時代の水戸学派の儒者・藤田東湖(一八〇六年~一八五五年)の漢詩からとったものでしょうか。

 ……………
 屈伸付天地(くつしんてんちにふす)
 生死復奚疑(せいしまたなんぞうたがわん)
 生当雪君冤(いきてはまさにくんえんをそそぎ)
 復見張綱維(またこういをはるをみるべし)
 死為忠義鬼(ししてはちゅうぎのおにとなり)
 極天護皇基(きょくてんこうきをまもらん)

 (わが身のなりゆきは天地に任せたものだ。生きようが死のうが、もはや何の迷いもない。生きてあるならば藩公の冤罪をそそぎ、正気によって世道人倫が再び健全に輝く姿を示さねばならない。もし死を迎えるならば、正気はわが魂にあつまって忠義の鬼となり、天地のつききるまで皇国を護持するのだ。) 

 「錦二四三五」は、第十一師団歩兵第四十三連隊(編成地・徳島)のことです。
 天皇の国を守るために部署についていた陸軍部隊の敗戦を前にした思いを刻み込んだものです。
 第十一師団歩兵第四十三連隊のことを書いたサイトがあります。
 「昭和20(1945)年4月、第十一師團は陸亜機密第百五十號により本土決戦に備えた内地転用が決定され、4月7日、虎林を出発、5月、四国防衛の第五十五軍(四国軍管区司令官 原田熊吉 中将)隷下の中核部隊として高知沿岸部に配置、軍備を整えます。
 聯隊は師團の左地区隊として浦戸湾ー物部川に渡る海岸高地線の防衛を担当し、聯隊本部を長岡郡介良村に置き、陣地を構築します。
 8月15日、終戦の玉音放送、17日、停戦命令に接し、18日、軍命令により軍旗を奉焼、9月9日、復員完結しました。」(「大日本者神國也」)

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