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2012.05.07

【石に刻まれた高知の戦争】 高知市の筆山(ひつざん)の「殉国三兄弟之墓」。

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  【石に刻まれた高知の戦争】 高知市の筆山(ひつざん)の「殉国三兄弟之墓」。

 高知市の筆山(標高一一七・九メートル)に「殉国三兄弟之墓」があります。
 筆山登山口(黒門登山口)を登っていると右手に「南嶺ハイキングコース 案内板」があります。その左手を降りて、二十メートルほど行くと左手に「植田家之墓」、「植田家先祖墓」があります。その区画の左隅にある墓碑です。
 殉国は、国家(天皇)のために身命を捨ててつくすことです。
 裏面に三兄弟のことが彫り込まれています。
 植田 守
 「昭和十八年一月三日
 東部ニューギニアブナ戦死
   行年二十四才」
 植田 明
 「昭和十八年四月三日
 ビスマーク海戦死
   行年二十一才」
 植田安秀
 「昭和二十年八月七日
 比島呂宗島戦死
   行年二十九才」

 ビスマークは、南太平洋、パプアニューギニア中北部にある火山島群のことでしょうか(主島はニューブリテン島)。
 呂宋島は、フィリピンのルソン島のことです。フィリピンの一番大きな島です。
 アジア太平洋戦争のさなかのことです。
 まず、守さんが二十四歳で戦死。
 その三か月後に、明さんが二十一歳で戦死。
 その二年四か月後に安秀さんが二十九歳で戦死。
 この墓が、いつつくられたのかは不明です。
 たぶん、もう戦争は終わっていたのではないでしょうか。
 つくったのは、ご両親だったでしょうか。
 その三兄弟の墓に「殉国」とうたっています。
 この三兄弟の戦死は何だったのか。心の底からの憤りが私には伝わってきました。

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コメント

私の伯叔父(傍系尊属5親等)にあた方々のお墓になる様です。その存在を従妹にあたる父からもその存在を聞いていませんでした。
先日、父が他界し、戸籍を調べている中で分かりました。
ブログに載せて頂き、知る機会を与えて頂きましたことに感謝申し上げます。

私は神奈川に居住している為、高知へ行く事も容易ではありませんが、いつか伯叔父に会いに行きたく思っております。

ありがとうございました。

投稿: 植田琢未 | 2013.09.10 22:19

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