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2012.05.17

【石に刻まれた高知の戦争】 高知市一宮(いっく)の善楽寺の錦二四八五部隊の碑。【写真二枚】 

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 高知市一宮(いっく)に四国第三十蕃霊場・一宮百々山善楽寺があります。
 その正面奥に「嗚呼立町隊盡忠之地[ああ たてちょうたい じんちゅうのち]」の石碑があります。
 裏面には「昭和二十年[一九四五年]九月十二日解散ニ際シテ 錦二四八五部隊 立町係長」とあります。
 「盡忠」は、この場合、天皇に忠義をつくすことだと思います。
 この場所が、錦二四八五部隊立町隊が駐屯していた所で、一九四五年八月十五日の終戦後の九月十二日に、この碑を建てたということです。
 その碑の左の「平和之塔」に、この隊のことが刻まれています。題字書、碑文作は同隊の中隊長だった立町芳行さんです。
 「輜重兵[しちょうへい]第十一連隊第一中隊は 昭和十三年原隊善通寺より旧満州に九三〇部隊で出兵し 錦県 東安 虎林[こりん] 一訓に駐屯し零下三十度の酷寒を克服して ソ連国境の警備に当たった 昭和二十年四月太平洋戦争苛烈[かれつ]を極めるに至[いた]り 本土防衛の為郷土四国に転進 伊野町 高知市附近に於[おい]て陣地構築 輸送の任務につき士気□ク旺盛であった しかるに 八月十五日図らずも無念の終戦となり 九月十二日 万□[よろずこく]の涙を呑んで解散した。……」
 碑文はつぎのような言葉で締めくくられています。
 「……二度と再び戦争を起こさないことを誓い 永久の平和を祈念してこれを後世に伝える」
 錦第二四八五部隊についてネットで調べたら、「高知県伊野局気付 錦第二四八五部隊三室隊」の人が一九四五年六月一日に出したはがきが載っていました。内容は、「前略/大阪の叔父様の住所 至急 知らされ度し」。左上に「面会禁止」の判が押されています。(サイト「中国占領地の切手、郵便」)

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