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2012.05.23

二〇一二年五月二十三日 水曜日 あれ、高知短期大学の北村光寿さんの投書。きょうの高知新聞。

二〇一二年五月二十三日 水曜日 あれ、高知短期大学の北村光寿さんの投書。きょうの高知新聞。

 晴れ。

 高知新聞の「声」のページを見たら、「あれ!」。
 高知短期大学の北村光寿さん(三十一歳)の投書が載っていました。
 彼は盲目なので、音声入力パソコンを操って書いたものでしょう。
 しっかりした、やわらかい文章です。
 高知新聞のホームページを見たら、以下の所でも読むことができるようになっていました。

 http://www.kochinews.co.jp/voice/1205/120523vhiroba03.htm

 お借りした資料を見て、「アメリカの空襲下で焼け残った高知市本町のビル」について展示用の文章を書きました。

 ある人に高知市朝倉の陸軍の弾薬庫についての資料をメールで送信しました。

 午後、高知城にあった防空壕について取材。

 高知県立図書館に行って資料を探しました。

 夜は、高知短期大学へ。

 通りかかった女性の先生が、すれ違ってから「藤原さん、痩せたんですか。ここらあたりが(おなかを示して)」。なんかうれしいですよね。こんなふうに声をかけてもらえるのって。

 この先生の授業は受けたことがありませんが、四年制大学に編入するときお世話になりました。

 

 コミニュケーションルームで三本足の机に冷たいココアのカップを置き、カバンを置いた途端、机がバタンと倒れてしまいました。

 すると、近くにいた若い女子学生が「はい」と、チッシュの束をくれました。若い人もやさしいですね。

 二時間続きの授業を受けました。

 私は、高知市旭の、ある紙工場の戦前、戦中、高度成長期、住民の反発で廃業するまでを勉強することになりました。

 放課後、A先生、Dさんと一緒にKIさんの歩行訓練。

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