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2012.06.04

ニ〇一二年六月三日 「高知城の防空壕」の投書に反響があって……。

ニ〇一二年六月三日 「高知城の防空壕」の投書に反響があって……。

 雲り。

 高知新聞六月二日の投書欄が「高知城の防空壕」と題する僕の投書を載せてくれました。

 高知市升形の平和資料館・草の家の学芸員です。いま、「戦争と平和を考える資料展」(7月3日~8日、高知市立自由民権記念館)に向けて、アメリカ軍機の高知県への空襲について調べなおしています。
 4月から、高知市本町2丁目の空襲下で焼け残った3階建てのビルのことも調べていました。最近、週に5日もお会いする女性に「いま、こんなことを調べゆう」と、話したら「そのビルは、うちのもの」。そのビルがつくられたのが大正3年であることなどくわしく教えてくれました。
 いまは、高知城に掘られていたいくつかの防空壕(ごう)について調べています。先日は、4人目のかたにお話を聞きました。
 本町3丁目に住んでいて1945年7月4日の空襲のとき、家族6人と、高知城の、いまの板垣退助像の近くの壕に逃げ込んだ女性です。当時、5歳。
 「上からぽたぽたしずくが落ちてきていた。下は、じゅくじゅくしていた。アセチレンの強いにおいがした」。正確な位置、天地、左右の長さ、奥行き…。「覚えてない」。無理もありません。5歳です。
 「どうやろうねえ。高知新聞に投書して、読者に教えてもろうたら。私も正確に知りたい」
 それが彼女の提案。で、この投書となりました。
 高知城のいくつかの防空壕のことをご存知のかた、草の家(088・875・1275)までご連絡いただければ、はせ参じます。

 その日の午前中に、四人のかたから平和資料館・草の家に電話がありました。
 本日は朝から、そのうちの一人のお宅にうかがいました。
 当時の県庁職員で、県庁の裏の壕のことをくわしく知っていました。
 当時の県庁の様子も教えてくれました。
 
 午後は、市内二カ所で「野外授業」を受けました。
 帰ったら午後七時ころ。とにかく、いっぺん寝よう。
 妻は、両親の介護で実家泊り。
 

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