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2012.06.04

二〇一二年六月二日 反戦詩人・槇村浩(まきむらこう)生誕100周年のつどい。

二〇一二年六月二日 反戦詩人・槇村浩(まきむらこう)生誕100周年のつどい。

 晴れ。

 高知新聞の一面のコラムに槇村浩のことが載っていました。すごく心のこもったコラムでした。

 読者欄には僕の戦争中の高知城の壕についての投書も載っていました。

 平和資料館・草の家に四人のかたから投書を読んだけど……という電話がきました。うち三人は事務所の人が受けてくれました。 

 午前中、かけつけた平和資料館・草の家はにぎやかでした。

 午後二時からの反戦詩人・槇村浩(まきむらこう)生誕100周年のつどい(同実行委員会主催)の会場に飾る展示を、みんなでつくりました。出獄後の槇村から詩、評論の原稿を託され、その原稿を守った作家・貴司山治(きしやまじ)さんの子息・伊藤純さんも東京からかけつけてくれ、貴司山治の撮影した一九三一年の高知でのプロレタリア文学同盟のつどいの映画のデータを提供してくれました。

 昼には、お話をしてくださる韓国在住の作家・戸田郁子(とだいくこ)さん(五十三歳)と一緒にソーメン、すしなどで食事会。

 午後二時から高知市の高知城ホールで、槇村浩(まきむらこう)生誕百周年のつどい(同実行委員会主催)。戸田さんが講演で、槇村が一九三二年四月に発表した反戦詩「間島(かんとう)パルチザンの歌」が満州(中国東北部)の間島(いまは延辺=えんぺん)の朝鮮総督府管轄の橋東(キョドン)小学校(四年制)で教えられていたとのべました。
 そのことを戸田さんに話したのは、当時、同校の児童だった延辺大学のパクチャンウク先生。それは一九三五年、六年のことで、日本に留学していたリー先生(男性)が授業中、「日本帝国主義と日本人民とを分けて考えよ」、「日本にも、この戦争に反対している人々がいる」といって朝鮮語で、この詩を朗読したといいます。
 槇村は、一九一二年六月一日、高知市生まれ。一九三二年二月以降、反戦詩を発表し、高知市の陸軍歩兵四十四連隊の兵士への反戦ビラ配布にたずさわった槇村は治安維持法違反で逮捕、投獄され、一九三八年九月三日、二十六歳で亡くなりました。
 二百人が参加した、このつどいでは「間島はパルチザンの歌」、「生ける銃架」など槇村の詩、四編が朗読、舞踊などで発表されました(妻も出演)。「槇村浩の会」会長の猪野睦(いのむつし)さん(詩人)が槇村と高知の一九三〇年代について話し、平和資料館・草の家館長の岡村正弘さんが「東の小林多喜二、西の槇村浩といわれます。槇村の詩を読み、その心を広げてください」と話しました。
 このつどいには、作家・貴司山治(きしやまじ)さんの子息・伊藤純さんも紹介されました。 なお、同実行委員会は、この会場で槇村浩の詩を紹介した小冊子(五百円)、槇村浩の生涯を紹介したDVD(二百円)を普及しました。
 つどいに、日本共産党中央委員会の市田忠義書記局長のメッセージも。「高知が生んだ反戦詩人・槇村浩の名は、『生ける銃架』『間島パルチザンの歌』などの作品によって、日本の侵略戦争反対と平和のたたかいの歴史に深く刻まれている」、「私は、生誕100周年にあたって、槇村浩の反戦平和の志に貫かれた業績と戦闘的生涯に改めて敬意を表するものです」。感動しました。

 高知短期大学で同学年だった女性、韓国に一緒にいった女性も参加してくださっていて超感激。

 夜は、このつどいの懇親会。二次会は、ひろめ市場、そしてカラオケ。

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