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2012.06.24

二〇一二年六月二十三日 土曜日 削り取られていた安藤正楽(あんどうせいがく)の「日露戦役紀念碑」碑文。「世界人類のために忠君愛国の四字を滅すにありと予は思ふ」。

二〇一二年六月二十三日 土曜日 削り取られていた安藤正楽(あんどうせいがく)の「日露戦役紀念碑」碑文。「世界人類のために忠君愛国の四字を滅すにありと予は思ふ」。

 雨、曇り。

 午前八時半過ぎから先輩のOさんの車に乗せっていただいて愛媛県四国中央市へ。

 まず、地域づくりのつどいに参加しました。

 そして、同市土居町藤原の八坂神社へ。

 平和資料館・草の家にある安藤正楽(あんどうせいがく)の「日露戦役紀念碑」の拓本。それに感激して、石碑を見に来たのです。
 その碑には「日露戦役紀念碑」の文字はありますが、あとの文章は、すべてけずりとられていました。
 その碑の右手に新しい碑がつくられていて、かつて、ここに刻まれていた碑文が刻まれていました。
 一九九三年二月十九日に、安藤益雄、安藤亮一、山上統一郎、山上蒼、山上次郎、山上三郎の各氏が建てたものです。
 「表記の文章は 明治四十年ここに建立[こんりゅう]された日露戦役紀念碑の 安藤正樂の選定が 明治 四十三年官憲によって抹消されたものを拓本により復刻したものである……」の説明が刻まれていました。
 新しい碑によれば、ここに掘り込まれていたのは、つぎのような文章です。

日露戦争から凱旋[がいせん]した藤原の軍人諸氏[しょし]が予[よ]に其[その]紀念碑[きねんひ]の文を請[こ]はれた 其[その]人達は越智[おち]大吉越智和田市越智大三郎大田亀太郎大田六助大田梅三郎大田春市大原福太郎加地幾平加地彌五郎加地市太郎加地定吉加地淺太郎加地與吉髙石菊太髙石小三郎髙石小市郎高橋庄作村上鬼子松村上佳吉村上嘉市村上梅吉松岡源太藤田兼太郎近藤勇吉近藤保太郎近藤泰助安部武平安部梅太郎安部福助青木安吉岸鶴市三木鹿太郎三木久吉三木鶴吉三木頼助三木萬吉の三十七氏で 内八人は負傷し外近藤嶺吉高石音吉の二氏は討死されたのである 嗚呼此[この]部落僅[わずか]百七十戸それに此多数の人が出て在つたか!今更[いまさら]当時を回想し戦慄[せんりつ]せざるを得ぬ 由来戦争の非は世界の公論であるのに事実は之[これ]に反して戦[いくさ]は明日にも亦[また]始るのである吁之[ああこれ]を如何[いか]すればよいか他なし世界人類のために忠君愛国の四字を滅[ほろぼ]すにありと予は思ふ諸氏は抑[そもそも]此役[このえき]に於[おい]て如何[いかん]の感を得て帰つたのであろう?  明治四十年三月  安藤正樂題 撰書

 大日本帝国とロシア帝国の戦争、日露戦争は、一九〇四年、〇五年、満州南部、朝鮮半島沿岸、樺太を戦場にたたかわれたものでした。この碑がつくられたのは、一九〇七年です。
 「世界人類のために忠君愛国の四字を滅すにありと予は思ふ」。平和のためには大日本帝国の大元帥である天皇に従わないということになります。

 帰ってきて、いの町へ。
 そして、遅れて高知短期大学で開かれていた経済学クラブの勉強会へ。

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