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2012.07.04

二〇一二年七月二日 月曜日 日清戦争のときの「忠烈 川崎伊勢雄」の石碑。

二〇一二年七月二日 月曜日 日清戦争のときの「忠烈 川崎伊勢雄」の石碑。

 晴れ。

 午前、SAさんが平和資料館・草の家にやってきて高知高等学校で使っていたリュックサックを寄贈してくださいました。
 これをふくめて展示物を三つ制作しました。
 
 土佐道路を朝倉に向けてバイクで走りました。
 左手に「高知市消防団鴨田分団」。その手前に軍人墓地がありました。
 「きっと、ここに僕の求めているものがある」
 そんな確信を持って、そこに行きました。
 そこには、「下半身」がなくなっている石碑が建っていました。
 表は「忠烈 川崎伊勢□/陸軍□」。
 そばの解説の石碑を見ると、「忠烈 川崎伊勢雄」の碑でした。
 この碑は、近くの小学校の校庭にあったけれど、戦後、占領軍がやってくるのでまずいというので地中に埋めました。
 そして、戦後、掘り出して、ここに持ってきました。
 川崎については「川崎軍曹の歌」も当時、つくられましたよ。

 鴨部の、あるスーパーマーケットを観察して、リポートを書きました。

 高知短期大学の図書館に行って、大野見村の歴史を調べました。

 夕方、高知大丸周辺の平和七夕祭りの「吊り下げ」作業の写真を撮りに行きました。
 高知短期大学の二時間目はKIさんと一緒でした。

 あすの戦争遺跡めぐりのための原稿のまとめ。
 妻と、日本の戦争の年表パネルをつくりました。

 【追記】

 家に帰ってから川崎伊勢雄についてホームページを見ると「軍人顕彰会」のページにつぎの記載がありました。

 川崎伊勢雄
  <かわさき いせお>
  {生没年}
  明治6年(1873年)10月14日~明治33年(1900年)10月17日
 {最終階級}
 陸軍少尉 正八位

 川崎伊勢雄の経歴

 今や地元高知でも知る人はほとんどいなくなった川崎伊勢雄は日清戦争の初期 死んでも喇叭を離さなかった白神源次郎(或いは木口小平)、玄武門に一番乗りした原田重吉らと、 大同江単身渡河で三勇士として知られ戦記、教科書などを通して永く国民に勇名を讃えられた人である。
 高知県神田村に川崎源吉と津由の三男として生まれる。
後教導団を卒業の後陸軍騎兵軍曹となる。
 東党の乱が起こるや朝鮮を「属国」として譲らぬ清国は朝鮮に出兵し日清の雲行きが怪しくなった。
 日本政府も先に結ばれた天津条約に従って出兵した。
 この時出兵した大島混成旅団に伊勢雄は動員され朝鮮に渡り七月二十三日平壌方面への騎兵斥候として 別働することとなった。
 然るに平壌に進むには大河、大同江を渡らねばならない。
 <川崎軍曹の大同江渡河>
 折しも霧雨の候で目の前の大同江は濁流となって斥候隊の前に立ちはだかり、馬で乗り入れる者や泳いで 対岸に進もうとする者もあったが濁流の前になすすべもなかった。
 これを見た伊勢雄は軍服を脱ぐや剣を口にして飛び込むや抜手を切って濁流をものともせず遂に渡りきった が一息の間もなく大声と共に敵弾が雨のように降り注ぐな中、敵船を奪い無事引き揚げた。
斥候兵達はその勇気と豪胆に嘆賞したと云う。
 <中和の戦い>
 伊勢雄ら斥候隊が要地とした中和に、敵襲撃隊が来襲したのは大同江渡河の一週間後の明朝,
 銃声と叫喚が大地を轟かせ斥候隊を襲った。
 次々と敵兵に敵兵に斃されてゆく同胞の中、伊勢雄も乗っていた馬が被弾し落馬、片足は馬の下敷き となり立つこともできず腰の拳銃で応戦し、もはや最期と思われた時敵兵は退き九死に一生を得た。
 後、大島旅団長は平壌攻撃に向かう途上この中和に立ち寄り墓表を追悼すると共に伊勢雄ら斥候の功績 を讃えた。
 凱旋後、戦功により金鵄勲章を賜り明治二十九年には騎兵曹長に進んでいる。
 翌三十年、予備役編入後技手を拝命し陸軍軍馬補充部三本木支部に赴任し明治三十一年には少尉になっている。
 明治三十三年十月十七日、食事が中毒し若き勇者はこの世を去った。
 享年二十九歳。
 三本木理念寺で葬儀が行われ遺骨は郷里に葬られた。

 『高知県人名辞典 新版』刊行委員会編集『高知県人名辞典 新版』(高知新聞企業出版課。一九九九年九月一日)にも、彼のことが載っています。
 国会図書館には、彼の「活躍」をあらわした絵も残っているようです。

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