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2012.08.07

香南市野市町も戦場でした ① 戦争のための宣伝と戦争に反対する人たちを抑圧する仕組み。

 この間、香南市野市町の人々と戦争とのかかわりを調べました。まとめておきます。(二〇一二年八月七日)

 江戸の将軍の時代が終わり天皇の時代が始まったのは一八六八年でした。
 大きな変化でした。その変化の一つが、それまでは戦争といえば武士がするものでしたが、日本の男性すべてが二十歳になると徴兵検査というものを受け、合格すれば兵隊になる。戦争が起これば戦争に行くということになりました。
  一八七三年一月十日に徴兵令が発布されると、高知でも、それに反対する一揆が起こりました。
 しかし、これは実施され、一八七四年五月二十二日、日本は台湾に兵隊を出しました。
 これ以降、日本はたくさんの国に兵隊を送って戦争をしました。
 相手の国にいって物を奪い、壊し、人を殺して、その国を日本のいうことをきく国にする。それが、このあいだまで普通のお兄ちゃん、お父さんだった兵隊の仕事でした。政府は外国に行った兵隊に食糧をあまり持たさなかったので、兵隊は、民家を襲い、食料を奪って腹を満たしました。
 戦争をやるには国民がその気にならないといけません。国がそれいけというと、よしと応じるようにしなければなりません。
そのためのものがたくさんつくられました。
 一九二四年には野市尋常高等小学校に忠魂碑が建てられました。
 一九三六年二月五日に野市尋常高等小学校が出した『野市読本』という本には、野市尋常高等小学校の校内の東側に「忠魂碑」があったことが書かれています。
 朝鮮と中国東北部を戦場に大日本帝国とロシアがたたかった戦争・日露戦争に出兵して戦死、病死した野市出身の二十四人の人の名前などを刻んだ碑です。
 「清国盛京省鶏冠山ニ於いて頭部盲貫銃創戦死」、「清国盛京省鶏冠山東北高知ニ於いて咽喉部貫通銃創ノ為戦死」などと刻まれています。
 読本は「私達の心に呼びかける忠魂に向つて、郷土の為、国家の為、弛(たゆ)まぬ努力と不抜(ふばつ)の決心を、献身の行(ぎょう)にいそしむ事を盟(ちか)はなければならない。」と呼びかけています。
 いま、この碑は、いまは香南市役所の近くの橋を渡った所にあります。
 野市町兎田(うさいだ)の富家小学校(一九五八年、香宗小学校と富家小学校を統合し野市東小学校を新設)の日の丸掲揚台も、そうしたものの一つです。
 セメントづくりのものです。
 台があり、七段の階段があります。その上に長方形のものがついています。
 台の左手には「西内麻吾氏寄贈 昭和十年[一九三五年]四月三日」とあります。
 長方形の部分の正面には同校の校章と四文字、右には十数文字が彫られていたようですが、なぜか、文字の部分は、ぬりつぶされて読めないようになっています。よっぽど好戦的なことが書いてあったのだろうと想像します。
 近くに住む男性(一九二六年四月三日生まれ)に聞きました。
 当時の先生は校長をふくめて三人。児童は約百二十人で、一年生・二年生は女性の先生、三年生・四年生は校長、五年生・六年生は男性の先生が担任していました。
 この日の丸掲揚台は、彼が同小学校に通っているころにできました。
 四方拝(一月一日)、紀元節(二月十一日。神武天皇即位の日とされていました)、天長節(四月二十九日。昭和天皇の誕生日)、明治節(十一月三日。明治天皇の誕生日)や運動会の日の朝、児童が運動場で規律するなか、校長が、この掲揚台に日の丸をあげました。
 一方で、政府は、戦争に反対する者は法律でやっつけました。
 一九二五年には治安維持法をつくりました。政府のやることに反対する集まりをつくったり、それに入ったり、宣伝したり、そのあつまりに財政援助をしたら罰するというものでした。
 そのうえ一九二八年には大改悪が加えられました。最高刑が懲役十年だったのを、死刑・無期懲役を加えました。「結社の目的遂行の為にする行為」一切を禁止する「目的遂行罪」も加わり、自由主義的な研究・言論や、宗教団体の教義・信条さえも「目的遂行」につながるとされていき、国民全体が弾圧対象になりました。
 一九四一年には、刑期終了後も拘禁できる予防拘禁制度などの改悪が加えられました。

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