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2012.08.07

香南市野市町も戦場でした ② 戦争に反対した人たちがいました。

 そんななかでも戦争に反対する人たちはいました。
 野市の酒造りの家の息子で小松益喜(ますき)さん(一九〇四年十月十八日生まれ)という人がいました。
 高知市工業学校本科電気科を経て、東京美術学校本科西洋画科で洋画を学びました。
 卒業の年、一九三〇年の六月、高知出身の三木登喜(とき)さんと結婚しました。
 一九三一年十二月から二人で高知市に住むようになりました。
 翌年、一九三二年一月二十八年、日本軍が中国の上海で攻撃を開始しました。
 二月二十九日には高知市朝倉の陸軍歩兵四十四連隊の兵隊が上海に派兵されるということを知った夫婦は、仲間と一緒に出兵反対のビラをつくり、配布しました。小松益喜さんは、ビラのためにカットをかいたり、謄写版印刷のための版下をつくったり(ガリ切といいました)しました。
 政府は、これを許しませんでした。二人は、多くの仲間と一緒に四月二十一日に逮捕されました。
 登喜さんは、高知署に連行されて拷問を受けました。
 「…椅子に縛りつけられ、撲[なぐ]る、蹴る、指に鉛筆を挟[はさ]んでしめつける。髪の毛をひっ掴[つか]んであごを突き上げる……」(小松とき「愛と信念に生きた日々」=『婦人通信』、一九七九年発行)。
 翌日、赤岡署に送られました。
 ここで、登喜さんは妊娠していることに気づきます。
 十二月、起訴猶予、放免になりました。 
 益喜さんは、須崎署で留置され、それから高知刑務所の未決監に移されました。
 そして、翌年、一九三三年四月、執行猶予五年の判決を受けて出所しました。
 ところで、高知新聞、二〇〇〇年一月二十八日付の「土佐あちこち」に野市町の菓子店「近森大正堂」のエチオピアまんじゅうのことが載っていました。
 一九三五年から一九三六年にかけて、イタリアは、アフリカのエチオピアを植民地にしようとして侵略し、全土を占領しました。
 「この際のエチオピア戦争で苦戦を強いられながら、侵略者側を果敢に撃退する姿に感動した菓子店『近森大正堂』の初代店長[茂=しげる=さん]がまんじゅうに付けたのがこの名の始まり。」と、書いてありました。
 すごいなと思いました。
 大国の侵略とたたかう小国の人たちの姿に感動した日本人がいたんだという驚きです。

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