« 香南市野市町も戦場でした ③ 池本清一郎さんの油絵への思いと戦死。 | トップページ | 香南市野市町も戦場でした ⑤ 「赤岡の海岸からアメリカ軍が上陸してくる」。 »

2012.08.07

香南市野市町も戦場でした ④ 戦死した池本清一郎さんの母・雪さんの嘆き。

 野市町東野出身の池本清一郎さんが戦死しました。二十一歳でした。
 母・雪さんが、書いています(高知県野市町遺族会『高知県野市町遺族会の記録』。一九七六年十二月二十一日)。
 池本清一郎さんの戦死から三か月あとの十月十四日午後二時過ぎ、大石勝彦野市町長が、池本清一郎さん戦死の公電を持って池本さん宅を訪れました。
 大石勝彦町長は、大変いいにくそうな面持ちで「今日はもうしわけない公用でおうかがいしました。お家の長男さん清一郎君が名誉の戦死をなされた公電がまいりましたので、お届けにあがりました。まことに何とも申し上げようもございません」と頭を縁にすりつけ、顔も上げずにそのまましばらくうつむきいりました。
 雪さんは金槌でなぐられた心地がし、目先がくらんでただぼけておりました。
 やっと我にかえり「ご多忙のところ御苦労さまでございました。戦死でしょうか、また戦病死では」と聞きますと「名誉の戦死です」とのことでした。
 軍人の母として取り乱しては息子の恥と心を鬼にして「まことにありがとうございました」といいました。
 町長が帰り、人目もなくなり、雪さんは母にすがり、二人で手を取り合って泣くだけ泣きましたが、いくら考えても残念でかわいそうで、出征当時の面影を思い浮かべ、身も世もなく悲しさでいっぱいのありさまで。
 母が「清一郎は二十三歳、私は八十歳をひかえ、代われるものなら一人のかわいい孫息子を先に立てて私が生きながらえて何になろう」と嘆き悲しみました。
私も母を慰める心より自分の悲しさが先で、ただ二人が泣き言ばかり。
 雪さんの夫は庫のなかに入り一言もいいません。
 だんだんと親族の人も集まり、雪さんの里の兄が来て「このような不幸はほうぼうにある。今は戦時だからお前一人ならあきらめもつきにくいが、他家にもこの例はたくさんある。お寺さんを迎えて供養してやることこそ、この場に臨んでの親の務めだ」といって、早速お寺さんを迎えてみ霊を呼び、供養して祭りました。
 雪さんは、毎晩外に出てせめて火の玉でも帰り、親に見せてくれと念じ、幾夜も外で待ちましたが、一度も見ず、この子は親子の縁がない子かと、母と二人で毎晩嘆きました。
 雪さんは、毎日毎日ただ仕事も手につきませんでした。
 夫が一人田の仕事に出ているので、雪さんも、これではと思い返し、田へ出てはアゼの側にクワをもたせてため息をつくばかりでした。
 雪さんが田に出れば、母は気遣って見に来るような始末で、雪さんに母が同情し、自分も孫かわいさに毎日泣いていした。
 翌年春、町葬をしてくれました。
 三月十五日には宅葬をして平井山の墓地に収めました。
 清一郎さんは海軍で航空母艦のなかで戦死したので遺骨もなく、シキビの枯れ葉と小さな写真が箱に入っていました。
 忠霊塔の分骨も小さくした写真を入れたきり、なんと情けないことかとたえず心にかかりつつ歳月も過ぎ去りました。

 子に逝かれあとに残りし親の気は
 荒野に狂う木枯らしのごと

|

« 香南市野市町も戦場でした ③ 池本清一郎さんの油絵への思いと戦死。 | トップページ | 香南市野市町も戦場でした ⑤ 「赤岡の海岸からアメリカ軍が上陸してくる」。 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/55370486

この記事へのトラックバック一覧です: 香南市野市町も戦場でした ④ 戦死した池本清一郎さんの母・雪さんの嘆き。:

« 香南市野市町も戦場でした ③ 池本清一郎さんの油絵への思いと戦死。 | トップページ | 香南市野市町も戦場でした ⑤ 「赤岡の海岸からアメリカ軍が上陸してくる」。 »