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2012.08.17

高知県安芸郡も戦場でした その三 日露戦争で戦死した人々

 日露戦争(一九〇四年~一九〇五年)のときは、戦争やめてという声が、いろんな形で表現されました。
 日露戦争というのは、朝鮮半島と満洲南部を主戦場としてたたかわれた大日本帝国とロシア帝国との戦争です。
 与謝野晶子(よさの あきこ。一八七八年十二月七日~一九四二年五月二十九日)さんは、詩 「君死にたまふことなかれ(旅順の攻圍軍にある弟宗七を歎きて)」(一九〇四年九月。『明星』)で、その思いを伝えました。

  ああ、弟よ、君を泣く、
  君死にたまふことなかれ。
  末に生れし君なれば
  親のなさけは勝りしも、
  親は刃(やいば)をにぎらせて
  人を殺せと敎へしや、
  人を殺して死ねよとて
  廿四(にじふし)までを育てしや。

  堺の街のあきびとの
  老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
  親の名を繼ぐ君なれば、
  君死にたまふことなかれ。
  旅順の城はほろぶとも、
  ほろびずとても、何事ぞ、
  君は知らじな、あきびとの
  家の習ひに無きことを。

  君死にたまふことなかれ。
  すめらみことは、戰ひに
  おほみづからは出でまさね、
  互(かたみ)に人の血を流し、
  獸の道に死ねよとは、
  死ぬるを人の譽れとは、
  おほみこころの深ければ
  もとより如何で思(おぼ)されん。

  ああ、弟よ、戰ひに
  君死にたまふことなかれ。
  過ぎにし秋を父君に
  おくれたまへる母君は、
  歎きのなかに、いたましく、
  我子を召され、家を守(も)り、
  安しと聞ける大御代(おほみよ)も
  母の白髮(しらが)は増さりゆく。

  暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
  あえかに若き新妻を
  君忘るるや、思へるや。
  十月(とつき)も添はで別れたる
  少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
  この世ひとりの君ならで
  ああまた誰を頼むべき。
  君死にたまふことなかれ。

 半年前に召集され日露戦争の旅順攻囲戦に予備陸軍歩兵少尉として従軍していた弟・鳳籌三郎さんを嘆いての詩です(晶子の弟の鳳籌三郎さんは日露戦争から帰還し、一九四四年まで生きています)。
 北川村加茂出身の西岡普さん(一八八〇年生まれ)が一九〇四年十月二十八日に中国の戦場から妻の捨さんに出した手紙が残っています。
 西岡さんは、陸軍歩兵四十四連隊の兵士として、旅順攻撃に参加しています。
 この手紙には、十月二十六日に現地に到着、二十七日には敵陣近くの第一線に天幕をはって宿営、三十日午後から旅順口の攻撃をすることが書いてあり、「到着シ日モ本日モ敵味方ノ砲弾ハ丁度雷ノ処ク……時々落チ来リ……日々死傷者ノ随分之有……」とあります。
 西岡さんは、この三十日に旅順要塞の東鶏冠山北[とうけいかんざんきた]砲台で戦死します。
 この戦争に馬路村からも出征し、四人戦死しています。
 馬路。乾長太郎さん。一八七八年一月二十八日生まれ。陸軍伍長。一九〇四年十月十八日、「清国(現中国)旅順要塞の東鶏冠山北[とうけいかんざんきた]砲台の戦闘で戦死」。二十七歳。
 馬路。中河重松さん。一八八七年二月十日生まれ。陸軍一等兵。一九〇四年十二月十九日、「清国(現中国)大連兵站病院で戦病死」。二十八歳。
 馬路。永吉清太郎さん。一八八二年七月二日生まれ。陸軍一等兵。一九〇五年六月十九日、「清国(現中国)旅順要塞の東鶏冠山北[とうけいかんざんきた]砲台の戦闘に参加。入家子兵站病院で戦病死」。二十四歳。
 馬路。笹岡市松さん。一八七一年九四月八日生まれ。陸軍歩兵上等兵。歩兵第二十二連隊に入隊。一九〇五年八月七日、「韓国白峴で戦死」。三十五歳。

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