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2012.08.17

高知県安芸郡も戦場でした その四 戦利品と魚梁瀬森林鉄道

 日露戦争に勝った大日本帝国の軍隊は戦利品を日本にもってきました。
 戦利品というのは、戦争や戦闘で勝利したことにより手に入れた品のことです。戦争で奪った兵器、軍艦、美術品などです。神奈川県横須賀市の民家で軍隊の幹部だった男性が戦利品として自宅に持ち帰った立派な家具を見たこともあります。
 県下を歩いていると香南市野市町土居字宮床の立山神社の最後の鳥居を入って右側に「日露役戦利品 陸軍省御下附」の石碑がありました。
 碑のてっぺんに、その戦利品が乗っていたようですが、いまは、それはありません。
 下附(下付)というのは、官庁から民間に金や物をさげわたすことです。
 この石碑を見つけたとき、「あわーっ、戦利品か。陸軍省が戦利品を配っていたのか」と、驚きました。
 インターネットのアジア歴史資料センターで陸軍省の資料を探しました。
 日清戦争のときから陸軍省に各地から戦利品を下付してほしいと文書がきていることがわかりました。
 たとえば一九〇七年十月二十三日付の高知市兵事会長・魚角象三の名による「戦利品下付願い」は高知県知事・鈴木定直(すずきさだなお)を経由して陸軍省に届いていました。
 内容は、高知市鷹匠町外柳原に日露戦役の祈念碑を建設しているが、それに備えつけたいので「戦利砲」か「戦利砲丸」を下付してくださいというものでした。
 かくて「戦利品」は神社、学校、博物館に下付され大日本帝国軍隊の強さを宣伝しました。
 魚梁瀬森林鉄道と、その戦利品が関係しています。
 一九一一年、田野町を起点として、安田から中山を経て馬路にいたる安田川林道本線の軌道、約二十四キロメートルが開通しました。
 下がるときは人の手押しでした。上るときはイヌやウシが引きました。
 一く一四年、馬道、魚梁瀬間の森林軌道を敷設しました。
 一九一八年には魚梁瀬、石仙(こくせん)に森林軌道を敷設しました。
 その三年後の二月、蒸気機関車が導入されました。
 一九二九年から奈半利の奈半利川流域でも施設工事が始まり、一九四二年に完成しました。
 魚梁瀬森林鉄道は、一九〇四年~一九〇五年以降につくられました。
 中国の遼東半島先端部の旅順に、ロシア帝国の要塞(ようさい)・旅順要塞がありました。
 日露戦争で日本軍は、ここを攻撃しました。
 四か月以上の戦闘の末に、一九〇五年一月一日にロシア軍守備隊は降伏しました。
 『高知営林局史』(高知営林局。一九七二年)につぎのようなことが書かれています。
 旅順港要塞のなかにレールが敷きつめてあり、輸送に都合がよいので、戦利品として撤去のうえ、持ち帰って森林鉄道や工事現場の資材運輸に使うことにした。
 馬路村日浦ら安田川山国有林への軌道は、この戦利品レールを使ったものだ。
 このレールは約七センチとやや背が高く、その後、国内でつくりはじめてものより頭が小さいので「満州レール」と呼ばれた。

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コメント

こんにちは。
「満州レール」ですが、現物は全く残っていないのでしょうか?
私は古いレールに興味があるのですが、レールのメーカーなど、分からないでしょうか?
ただし、旅順要塞内にあったというだけでは、ロシア製だとは限りません。ロシアもドイツやイギリスなど西ヨーロッパ諸国からもかなりの量のレールを輸入しています。

投稿: Takashi Odaira | 2015.05.16 23:28

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