« 【大日本帝国の侵略の歴史】 平頂山住民虐殺事件とは 記念写真を撮ると住民をがけ下の一カ所にかり集めて……。 | トップページ | 二〇一二年九月十八日 火曜日 「三代の大元帥の戦争」。 »

2012.09.18

【歴史研究を考える】 東中野修道さんの南京虐殺否定の手法の一端 「bayoneted(突き刺した)」を「突き殺した」と訳して……

 南京虐殺否定の論者・東中野修道さんの南京虐殺否定の手法の一端についての記事を読みました。

 まず、東中野修道さんとは wikipedia から抜き書き。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B8%AD%E9%87%8E%E4%BF%AE%E9%81%93

 東中野 修道(ひがしなかの しゅうどう、本名:修―おさむ、1947年10月19日 - )は、日本の歴史研究者・著述家。亜細亜大学教授。(中略)日本「南京」学会会長であり、「南京大虐殺」問題の研究者でもある。鹿児島県出身。

 1998年、著書『「南京虐殺」の徹底検証』を出版し、今まで「南京大虐殺」の証拠とされている資料は全て捏造であり、「南京虐殺」は無かった主張した。この著書の新路口事件の記述をめぐり、事件の生存者である夏淑琴から「ニセ被害者呼ばわりされて、名誉を傷つけられた」として、名誉毀損で提訴された。審理は中国の裁判所と日本の裁判所と二ヶ国の裁判所で独立して行われ、判決は両国の裁判所とも東中野の非を認め、東中野と展転社に対し賠償命令を出している。東中野と展転社は日本の判決に従い、456万円を夏に支払った。

 東中野は、著書「南京虐殺の徹底検証」で、新路口事件に対して次のような論理を展開した。
 虐殺の様子を記したマギーの記録を引用する。
 十月十三日、約三十人の兵士が南京の東南部の新路口語のシナ人の家にきて、中に入れるよう要求した。玄関を夏という名のイスラム教徒の家主が開けた。すると、ただちに彼は夏を拳銃で殺した上、もう誰もころさないでと、夏の死体に跪いて頼むシアさんをも殺した。なぜ夫を殺したのかと夏の妻が尋ねると、彼らは夏の妻をも殺した。 (中略) それから、兵士たちは(レイプされて殺された夏の娘の)もう一人の七、八歳になる妹も銃剣で突き刺した(bayoneted)。(中略) その八歳になる少女(the 8-year old girl)は傷を負った後、母の死体のある隣の部屋に這って行った。
 東中野は「bayoneted」を「突き殺した」と訳し、「七、八歳になる妹」と「その八歳になる少女」は別人と解釈した上で、「別の報告による殺害人数と食い違う(殺された人間が一人多い)」「生き残った『八歳の少女』(夏淑琴)が夏夫婦の子であったとすると、『七、八歳になる妹』と姉妹になるはずである。とすると、二人は双子か、年子である。だったら「七、八歳になる妹」の年齢がはっきりしないはずはない。なので『八歳の少女』の苗字が夏なのはおかしい」などの根拠によって、夏淑琴は偽証をしており、このマギーの記録自体がデタラメであると主張した。
 それに対し、夏淑琴は「ニセ被害者、詐欺師呼ばわりされて、名誉を傷つけられた。東中野氏は同じ本の後の記述では問題をboyonetを突き刺したと訳している。故意に私をニセモノに仕立て上げて誹謗中傷するために,意図的にフィルム解説文を誤訳したのだ」として東中野を告訴。東中野は夏に対し、「『南京虐殺』の真相を示したいのであれば、(名誉毀損などで)訴えるのではなく、(私の)色々な疑問に答えるのが先決ではないか」と反論した。
 中国では南京市の人民法院は2006年8月23日に、夏の訴えを認め東中野に損害賠償を命じる判決を出している。東中野はこれに対する損害賠償債務が存在しないことを確認する訴えを東京地裁に出していたが、夏淑琴が反訴を行い、2006年5月15日に東京地裁で東中野を被告として名誉毀損で提訴した。
 東京地裁の裁判は2007年11月2日判決が出て、東中野の全面敗訴となった。
 判決では、
  1.東中野の解釈によれば、それまで全く出てこなかった少女がいきなり「その(the)八歳になる少女」という表現のもといきなり「傷を負った」状態で登場し,この「8歳の少女」がどこの誰であるか,どのようにして傷を負らたのかについては,その後の記述にも一切現れていない。これは極めて不自然である。
 通常の研究者であれぱ「突き殺した」と解釈したことから生じる上記不自然・不都合さを認識し、その不自然さの原因を探求すべくそれまでの解釈過程を再検討して、当然に「7、8歳になる妹」と「8歳の少女」が同一人である可能性に思い至るはずである。  2.東中野は「八歳になる少女はシア夫婦の子でも夏夫婦でもない」と主張している。とすると「母の死体のある隣の部屋に這って行った」とある「母」はシアの妻でも夏の妻でもないことになるが東中野はこの「母(her mother)」に人数を示す固有の番号を付しておらず,この「母」はシアの妻か夏の妻のいずれかと理解している。これは明らかに矛盾であり、論理に破綻を来しているというほかはない。
 の2点を挙げ、「以上述べた2点だけからしても被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」とし、「別人と立証できていない」として、裁判長の三代川三千代は夏淑琴への名誉毀損を認め、東中野と出版元の展転社に対し400万円の慰謝料支払いを命じた。
 この判決に対して東中野側は控訴したが、控訴審で東中野は「マギーフィルムと解説文は創作物」という新たな主張をした。東京高裁はこれに対し「一審ではマギーフィルムと解説文を本物と前提として認めていたのに二審で主張を翻すのは合理性を欠く」として2008年5月21日に東京地裁と同様に東中野と展転社に対し400万円の慰謝料支払いを命じた。
 東中野側は上告したが、2009年2月5日、最高裁は東中野と展転社からの上告棄却を決定、一審判決通り、両者に対し、合計400万円の賠償を命令する裁判が確定した。2009年4月16日にこの賠償金は支払われた。

 著書
 単著
  (中略)

  「南京虐殺」の徹底検証(展転社, 1998年)(英訳 The Nanking Massacre: Fact versus Fiction, A Historian's Quest for the Truth, Tokyo: Sekai Shuppan, 2005) ISBN 978-4-88656-153-4
  1937 南京攻略戦の真実――新資料発掘(小学館文庫, 2003年) ISBN 978-4-09-405771-3
  南京事件――国民党極秘文書から読み解く(草思社, 2006年) ISBN 978-4-7942-1488-1
  南京「百人斬り競争」の真実(ワック, 2007年) ISBN 978-4-89831-101-1
  再現 南京戦(草思社, 2007年) ISBN 978-4-7942-1616-8
  共著 [編集]
  (藤岡信勝)「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究――中国における「情報戦」の手口と戦略(祥伝社, 1999年) ISBN 978-4-396-61090-6
  (小林進・福永慎次郎)南京事件「証拠写真」を検証する(草思社, 2005年) ISBN 978-4-7942-1381-5
 西尾幹二編 新・地球日本史(2)――明治中期から第二次世界大戦まで(扶桑社, 2005年)
  編著
  南京「事件」研究の最前線
  日本「南京」学会年報平成14年版(展転社, 2002年)、平成15年版(展転社, 2003年)、平成16年版(展転社, 2004年)、平成17・18年合併版(展転社, 2005年)、平成19年版(展転社, 2007年)、平成20年版[最終完結版](展転社,2008年)ISBN 978-4-88656-321-7

 裁判のてんまつのわかる記事を紹介します。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-26/2006062614_01_0.html

 2006年6月26日(月)「しんぶん赤旗」

 南京大虐殺 日本の著作でニセ被害者扱い 真実伝えるため提訴 家族7人殺され孤児に

 南京大虐殺で家族七人を殺害され、自身も銃剣で刺され負傷した中国人女性の夏淑琴さんが、三十日に開かれる裁判のため来日します。(尾崎吉彦)
 夏さんは、東中野修道・亜細亜大学教授の著書『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)で、「事実をありのままに語っているのであれば、証言に、食い違いの起こるはずもなかった」として、ニセ被害者と決め付けられました。夏さんは、名誉を傷つけられたとして東京地裁に損害賠償を求め訴訟をおこしました。(注参照)
 訴状などによると、夏さん一家は、中国・南京市中華門内新路口五番地で借家住まいをしていました。家族は、当時八歳だった夏さんと母方の祖父、祖母、父、母、二人の姉、二人の妹の九人。
 一九三七年十二月十三日、大勢の日本兵が夏さんの家に乱入し、父親と大家さんを殺害しました。夏さんは姉や妹らと布団をかぶって隠れました。日本兵は、子どもたちをかばうように寝台に腰掛けた祖父母を射殺、布団をはいで二人の姉を強姦(ごうかん)しようとしました。大声を出した夏さんは左脇、背中、肩の三カ所を銃剣で刺され、気を失いました。意識が戻り、部屋を見渡すと二人の姉は殺されていました。夏さんが四歳の妹と、空襲のときに隠れる「避難所」にいくと、生後数カ月の妹と母が死んでいました。
 生き残った二人は、なべに残っていたおこげのご飯を食べて生き延び、数日後、近所の老人に発見され、養老院に保護されました。
 南京事件では、中国の負傷兵、敗残兵ばかりか、日本軍に元兵士とみなされた多くの市民・農民も殺害されました。南京事件の研究者・笠原十九司都留文科大学教授は、二十万人に近いかそれ以上の中国軍民が犠牲になったと考えられるとしています。性暴力被害が多かったのも特徴で、事件当時、中国人被害者の救済にあたった南京安全区国際委員会の推計では、強姦された女性は数万人に達します。
 笠原教授は、「東中野氏は、“南京事件はなかった”とする立場から証言や資料を見、証言のささいな齟齬(そご)を探して、否定しています。両親や姉妹を一度になくし、孤児としてその後もずっと苦労した八歳の少女の体験を、細部が食い違うからと否定するのは、異常です」と東中野氏の立場を批判します。
  「夏淑琴さんに関連する資料で、『銃剣で刺した』と訳すべき英語を、『銃剣で突き殺した』と誤訳し、“夏淑琴にあたる少女は殺されて存在しないはず”と主張するのですから、学問的には問題になりません。しかし、彼の本を大量に買い取る財団があるうえ、しにせの出版社が発行することもあり、軽視できません」
 (後略)

 注 夏さんは二〇〇〇年十一月、中国で東中野氏を相手取って名誉棄損裁判をおこしました。これにたいし、東中野氏は、中国の裁判で賠償命令が出ても賠償しないでいいように、東京地裁に「債務不存在」の確認を求める訴えを起こしていました。今回の夏さんの訴えは、東中野氏の訴訟に対抗するもの(「反訴」)で、東京地裁はいっしょに審理します。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-08-24/2006082414_02_0.html

 2006年8月24日(木)「しんぶん赤旗」

 中国南京法院 著者らに賠償命令 南京大虐殺 被害者ニセ扱い訴訟

 南京大虐殺で家族を殺害された中国人女性、夏淑琴さんが、日本で出版された二冊の書物で「ニセ被害者」と決め付けられ、名誉を傷つけられたとして、著者らに計百六十万元(約二千二百四十万円)の損害賠償を求めていた訴訟で二十三日、中国の南京市玄武区法院(地裁にあたる)は著者側に、請求どおりの賠償と出版差し止め、朝日新聞、読売新聞や人民日報(中国)などへの謝罪広告の掲載を命じる判決を言い渡しました。
 訴えられたのは、『「南京虐殺」の徹底検証』の著者、東中野修道・亜細亜大学教授と『「南京虐殺」への大疑問』の著者の松村俊夫氏、出版した展転社の三者。両書は事件について証言を続ける夏さんを「(本当の被害者とは)別人と判断される」「夏淑琴の体験談も…後から人為的につくられている」などと書いています。
 訴状などによると、南京城が日本軍に包囲され陥落した一九三七年十二月十三日、多数の日本兵が城内の夏さん(当時八歳)宅に乱入。祖父母と両親、姉二人、生後数カ月の妹を殺害しました。母らは性的暴行を受けていました。夏さん自身も背中など三カ所を銃剣で刺され重傷を負いました。
 被告の著者らが、原告本人への確認も現地調査もせずに、主観的に「夏さんは被害者ではない」と断定し歴史をわい曲したため、精神的被害を受けたとしています。
 夏さんの裁判を支援している森典男弁護士によると、判決は夏さん家族の殺害を事実と認定、主張を全面的に認めたといいます。
 夏さんが提訴したのは二〇〇〇年十一月。森弁護士によると、中国の裁判所が日本の被告に賠償の強制執行をできるかどうかは不透明だといいます。そのため夏さんは東京地裁にも東中野氏らを相手取って損害賠償請求訴訟を起こしており、ことし六月に第一回口頭弁論が開かれています。(後略)

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-11-03/2007110314_01_0.html

 2007年11月3日(土)「しんぶん赤旗」

 南京大虐殺生存者が勝訴 東京地裁 “ニセ被害者”は名誉棄損

 日中戦争中の一九三七年に日本軍が起こした南京大虐殺で生き延びた中国人女性が、ニセ被害者と決めつけられ、名誉を傷つけられたと訴えている問題で、東京地裁(三代川三千代裁判長)は二日、「原告の名誉を棄損し、名誉感情を著しく侵害」したとして、被告に四百万円の支払いを命じました。
 訴えていたのは当時、家族七人を殺され、自身も銃剣で刺された夏淑琴さん(78)。夏さんを「南京大虐殺のニセ証言者」とした東中野修道・亜細亜大学教授と出版社の展転社(東京都)に千五百万円の損害賠償などを求めていました。
 東中野教授は著書『「南京虐殺」の徹底検証』のなかで、「銃剣で刺した」と訳すべき英語を「銃剣で突き殺した」と誤訳。“夏淑琴さんにあたる八歳の少女は殺されて存在しないはず”と主張していました。
 判決は、普通の読者であれば、夏さんが虚偽の証言をしていると理解するであろうとの見方を示し、「原告はいわゆる南京事件の生存被害者として広く知られた人物であるから、(著書の記述は)原告の名誉を棄損するものであり、原告の名誉感情を著しく侵害する」と判断しました。
 英語の誤訳について、「解釈はおよそ妥当なものとはいえず、学問研究の成果に値しない」と批判しました。(後略)

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-05-22/2008052215_01_0.html

 2008年5月22日(木)「しんぶん赤旗」

 南京大虐殺 生存者が勝訴 二審も名誉棄損認める 侵略美化 教授らに賠償命令 東京高裁

 日本軍が起こした南京大虐殺事件で生き残った中国人女性が、『「南京虐殺」の徹底検証』という著書で「偽の被害者」と記述され、名誉を棄損されたとして千五百万円の損害賠償などを求めていた訴訟の控訴審判決が二十一日、東京高裁でありました。柳田幸三裁判長は名誉棄損を認めた一審判決を支持し、著者の東中野修道・亜細亜大学教授と出版社「展転社」(東京都)に四百万円の支払いを命じました。
 原告は一九三七年の事件発生当時、家族七人を殺され、自身も銃剣で刺されたという夏淑琴さん(78)=中国・南京市=。昨年十一月の一審判決を受け、原告、被告ともに控訴しました。
 控訴審で東中野教授側は、米国人宣教師が虐殺現場を記録したフィルムは夏さんの事件とは「別件」でねつ造されたものと主張。フィルムの解説文は宣教師の「創作話」で、「八歳の少女」は「空想の産物」なので、実在する夏さんとは別人であり、記述は名誉棄損にあたらないと新たな主張を展開しました。
 判決は、一審の口頭弁論などで被告の著者らが解説文の内容や「八歳の少女」の存在を認め、東中野教授もその趣旨の陳述書を作成していたと指摘。被告側の主張は「採用できない」として棄却しました。(後略)

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-07-05/2009070514_01_1.html

 2009年7月5日(日)「しんぶん赤旗」

 南京虐殺 名誉棄損勝訴受け会見 「戦争の悲惨さ伝えたい」

 1937年の旧日本軍による南京大虐殺で生き残った中国人女性・夏淑琴さん(80)が、『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)という本で「偽の被害者」扱いされ名誉を棄損されたとし、著者と出版社に損害賠償を求めた裁判で、今年2月に夏さん側の勝訴が確定したことを受け4日、夏さんが来日して記者会見で思いを語りました。
 『「南京虐殺」の徹底検証』は「南京大虐殺はまぼろし」などと主張している東中野修道氏が1998年に書いたもの。同氏は、史料に被害者として登場する少女と夏さんは別人で、夏さんはウソの証言をしていると書いていました。勝訴確定で夏さんの証言の正しさが認められました。
 都内で会見に臨んだ夏さんは「大変うれしい。日本の弁護団、支援してくれたみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです」と喜びを語りました。南京で勝訴確定の知らせを聞いたときは子や孫と大喜びしたといいます。
 一方で、被告の東中野氏が一度も法廷に立たなかったことなどに話が及ぶと、涙をぬぐいながら、「一度でも直接あって話したかった。8歳のときに家族7人を目の前で殺され、その後、どんなにつらい思いをしたか。毎日泣いて目が悪くなるほどだった」と訴えました。
 夏さん自身も日本兵にわき腹や背中、肩の3カ所を銃剣で刺されました。その傷跡も示して、孤児として苦しい生活を強いられたことを語りました。
 今後について「虐殺の歴史は死の歴史。私が生きているうちに戦争の悲惨さと平和の大切さをつたえていきたい」と語りました。

 夏淑琴氏名誉棄損裁判 夏淑琴さんが東中野修道氏と展転社を相手に損害賠償などを求めて2006年に提訴。東京地裁は07年、東京高裁は08年、いずれも夏さん側の主張を認め、賠償を命じる判決を出しました。今年2月5日、最高裁第1小法廷が東中野氏と展転社の上告を棄却する決定を出し、夏さんの勝訴が確定しました。

|

« 【大日本帝国の侵略の歴史】 平頂山住民虐殺事件とは 記念写真を撮ると住民をがけ下の一カ所にかり集めて……。 | トップページ | 二〇一二年九月十八日 火曜日 「三代の大元帥の戦争」。 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/55684835

この記事へのトラックバック一覧です: 【歴史研究を考える】 東中野修道さんの南京虐殺否定の手法の一端 「bayoneted(突き刺した)」を「突き殺した」と訳して……:

« 【大日本帝国の侵略の歴史】 平頂山住民虐殺事件とは 記念写真を撮ると住民をがけ下の一カ所にかり集めて……。 | トップページ | 二〇一二年九月十八日 火曜日 「三代の大元帥の戦争」。 »