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2012.09.08

槇村浩生誕百周年「間島(かんとう)」を訪ねる旅 その十三 延辺大学の先生、学生との交流会。

 二〇一二年九月四日、火曜日。晴れ、雨。

 龍井市から延吉市の延辺大学へ。
 案内してくれた一年生の女子学生。日本語ぺらぺら。大学に入学してから日本語を学んだといいます。
 迷彩の軍服を着て行進する集団に出会ってびっくり。手に手に折り畳みいすを持っています。一年生は二十日間、軍事訓練をするとのこと。実弾での訓練はないとのこと。
 先生や学生たちとの交流会に参加しました。
 私は、ビデオ撮影の係でした。
 日本側は歌、南京たますだれ、よさこい踊り。
 延辺側から太鼓などの演奏、踊り。
 以下、交流会に参加した女性からのまたぎき。
 ある二年生の女性の話。朝鮮族。中学校、高校の授業は「朝七時~夕五時。十一時半から二時間休み。夕六時半から九時半まで」。中学校から第二外国語で日本語を学んできました。

 大洲飯店泊。

 反省会なし。

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